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悪役令嬢の母ですが、娘が断罪されるまであと三年あるので王国ごと改革します  作者: 虹の箸


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悪役令嬢の母だった。

思いついたので書きました。よろしくお願いします。

上質なボーンチャイナのティーカップが、ソーサーに触れて小さな音を立てた。

その瞬間――私は思い出した。

残業続きの日々。コンビニ弁当で済ませる夕食。休日になると朝から晩まで遊んでいた乙女ゲーム。

日本でOLとして三十年余りを生きた、もう一人の私。

膨大な記憶が濁流のように押し寄せ、クライス公爵夫人エレオノーラとして生きてきた三十八年の記憶と、一瞬にして重なった。

そして私は知ってしまった。

――三年後、私の娘は処刑される。

「――お母様? 聞いていらっしゃいますの?」

その声に、私は顔を上げた。

向かいのソファで不満そうに唇を尖らせているのは、一人娘のイザベラ。今年十五歳になり、間もなく王立学園へ入学する。

輝くプラチナブロンド。宝石のようなサファイアの瞳。幼い頃から最高の教育を受け、立ち居振る舞いの一つまで完璧に仕上げられた公爵令嬢。

そして――前世の私が遊んでいた乙女ゲームに登場する『悪役令嬢』だった。

「殿下はまた、あの男爵令嬢とお茶をされていたのですよ。公爵令嬢である私という婚約者がいながら、はしたないにも程がありますわ!」

イザベラは扇で口元を隠しながら憤慨している。

その姿を見て、最後の疑念まで消えた。

間違いない。

ここは、あの乙女ゲームの世界だ。

そしてゲームのシナリオ通りなら、イザベラはこれから王太子の心を奪っていく男爵令嬢に嫉妬し、嫌がらせを繰り返すようになる。

最初は些細なものだ。

茶会に招かない。

取り巻きに嫌味を言わせる。

学園で孤立するよう仕向ける。

だが、王太子の心が離れるほど、イザベラの行動は過激になっていく。

そして三年後。

王立学園の卒業パーティーで、王太子は大勢の貴族たちの前でイザベラに婚約破棄を突きつける。

罪状を次々と暴かれ、公爵家は失脚。

最後には王家に対する反逆まで企てたとして――イザベラは処刑される。

(この子が……死ぬ?)

目の前の娘を見る。

十五年前、産声を上げた小さな身体を、この腕で抱いた。

熱を出せば一晩中そばにいた。初めて「お母様」と呼んでくれた日のことも覚えている。

少し高慢で、負けず嫌いで、身分を鼻にかけるところもある。

だが、私にとってはたった一人の娘だ。

その娘が、あと三年で殺される。

――冗談ではない。

不思議なほど、頭は冷静だった。

前世の記憶を取り戻したからといって、私は突然十八歳の少女に戻ったわけではない。

私は三十八歳。

二十年間、公爵夫人として王侯貴族の権謀術数を生き抜いてきた女だ。

悲鳴を上げる暇があるなら、敵を一人でも減らした方がいい。

「イザベラ」

「はい、お母様」

「殿下と男爵令嬢の件には、しばらく手を出してはいけません」

「ですが!」

「イザベラ」

少しだけ声を低くする。

娘はびくりと肩を揺らした。

「あなたはクライス公爵家の令嬢です。一人の男爵令嬢に腹を立て、感情のまま動くような真似をすれば、傷つくのはあなた自身の品位ですよ」

「……申し訳ありません」

「分かればいいのです」

「はい、お母様」

素直に頭を下げる娘を見て、胸の奥がわずかに痛んだ。

この子はまだ間に合う。

少なくとも今は、ゲームの中で見た傲慢で残酷な悪役令嬢ではない。

ならば――変えられる。

娘が部屋を出ていくのを見届け、私は冷めた紅茶に視線を落とした。

普通なら、ここで王太子との婚約を解消させるのだろう。

王太子と関わらなければ、ヒロインと争う必要もない。

婚約破棄も、断罪も起こらない。

それが最も簡単な方法だ。

「……でも、それでは駄目ね」

ゲームでは、イザベラが悪役だった。

けれど今の私は知っている。

三十八年間、この国で生きてきたからこそ分かる。

十五歳の少女一人を『悪役』にしたところで、何も解決しない。

平民を見下すことを当然とする貴族社会。

女性は父親か夫に従うものとされ、自分の財産さえ自由に扱えない制度。

家格がすべてを決め、弱みを見せれば他家に食い潰される社交界。

婚約者である王太子の愛を失えば、自分の人生そのものが終わる――そう十五歳の少女に思わせる社会。

イザベラを追い詰めるのは、ヒロインではない。

王太子だけでもない。

この国そのものだ。

ならば婚約だけを解消しても意味がない。

別の場所で、別の歪みが娘を飲み込むだけ。

「……なるほど」

私は思わず笑ってしまった。

前世の私は、画面の向こうでイザベラを見ながら何度も思ったものだ。

『悪役令嬢、怖いなあ』と。

けれど、その母親になってみれば話はまるで違う。

十五歳の少女だけを悪者にして処刑し、めでたしめでたし。

そんな結末を受け入れられるはずがない。

「原因がこの国にあるというのなら――」

私はティーカップを置いた。

「国の方を変えてしまえばいいのよ」

幸い、私にはそのための武器がある。

クライス公爵家。

建国以来続く名門であり、王家に次ぐとも言われる財力、領地、人脈を持つ。

教育制度。

女性の財産権。

孤児院。

商業ギルド。

腐敗した貴族制度。

そして、王太子とイザベラ自身の教育。

変えなければならないものはいくらでもある。

ゲームのヒロインだって、敵にする必要などない。

むしろ早いうちにこちらで保護してしまえばいい。

敵を作るより、味方にした方が遥かに効率的だ。

問題があるとすれば――。

「……アレクシスね」

夫の顔が頭に浮かんだ。

クライス公爵アレクシス。

私より二歳年上の四十歳。

眉目秀麗、冷静沈着。王国でも指折りの政治家であり、この巨大な公爵家の絶対的な当主。

そして私とは、完全な政略結婚。

イザベラが生まれてから夫婦の寝室は別になり、必要な会話といえば領地経営や社交についてだけ。

愛情など、とっくに消えたものだと思っている。

公爵家を本格的に動かすなら、あの人を避けては通れない。

私は時計を見る。

午後三時十五分。

夫が王宮から戻るのは、通常なら午後六時頃。

「三時間弱ね」

十分だ。

私は立ち上がり、呼び鈴を鳴らした。

すぐに老執事が姿を現す。

「お呼びでしょうか、奥様」

「ええ。クライス公爵家が出資している事業、所有する商会、王都における主要取引先。それから過去十年分の収支報告書をすべて書斎へ運んでちょうだい」

老執事が目を瞬かせた。

「……すべて、でございますか?」

「すべてよ」

「しかし、旦那様の許可が――」

「責任は私が取ります」

老執事は何か言いたげだったが、やがて深々と頭を下げた。

「かしこまりました」

「それともう一つ」

「はい」

「旦那様がお帰りになったら、私が書斎で待っていると伝えて」

今度こそ、老執事の目が大きく見開かれた。

無理もない。

私から夫に面会を求めるなど、何年ぶりだろう。

だが、そんなことはどうでもいい。

娘が断罪される卒業パーティーまで、あと三年。

千日と少し。

「三年……」

私は窓の外に広がる王都を見下ろした。

王宮。

貴族街。

商業区。

その向こうには、ゲームでは背景としてしか描かれなかった無数の人々の暮らしがある。

この国を変えるには、あまりにも短い。

けれど――。

「十分ね」

愛する娘の命がかかっている。

母親の執念を、舐めてもらっては困る。

その日の夕刻。

帰宅した夫アレクシスは、十年ぶりに自分を書斎で待っていた妻を見るなり、怪訝そうに眉をひそめた。

「……珍しいな。君から私を呼び出すとは」

「ええ。あなたにお願いがあります」

「金か?」

「いいえ」

私は微笑んだ。

「この国を変えたいの」

沈黙。

アレクシスはしばらく私を見つめ――やがて、深いため息をついた。

「エレオノーラ」

「何でしょう」

「君は今日、何か変なものでも食べたのか?」

失礼な夫である。

だが私は知らなかった。

この瞬間から変わり始めるのは、娘の運命だけではない。

二十年間冷え切っていたはずの、私たち夫婦の関係もまた――大きく動き始めることを。

お読みいただきありがとうございました。

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次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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