第1話 6歳の誕生日
前世はキャバ嬢。
今世は公爵悪役令嬢。
そして十二年後には、悪役令嬢として処刑される予定。
一度目は突然死んだ。
だから二度目くらいは――絶対に生き残りたい。
これは、二度目の死を回避するために奮闘する少女、ソラン・ヴァレンティアの物語です。
第1話 六歳の誕生日
ソラン・ヴァレンティアは、本日六歳になった。
それは彼女にとって、非常に喜ばしい出来事だった。
どの程度喜ばしいのかと言えば、
普段なら侍女に起こされるまで布団から出ようとしない彼女が、
今朝に限っては目を覚ますなり自分から上半身を起こした程度には喜ばしい。
もっとも。
その事実を兄に知られたなら、
「誕生日だからって早起きしたのか?」
などと、いかにも面白そうな顔で言われるに決まっている。
ゆえにソランは誰にも言わなかった。
これは公爵令嬢としての秘密である。
そして、公爵令嬢には秘密の一つや二つあって然るべきだと、六歳のソランは考えていた。
◇
「ソラン」
「はい、お父様」
名前を呼ばれ、ソランは反射的に背筋を伸ばした。
ヴァレンティア公爵家当主、ヴァレリウス・ヴァレンティア。
黒と見紛うほど濃い藍色の髪。
それより僅かに明るい、深い藍青色の瞳。
すらりと背が高く、たくましい体つき、
黙って立っているだけで周囲の人間を緊張させる人物だった。
屋敷の使用人たちですら、父に呼び止められれば背筋を伸ばす。
まして社交界では、父の無言には言葉以上の圧力がある――らしい。
らしい、というのは、ソラン自身にはよく分からないからだ。
確かに父は怖い。怒らせたくはない。
しかし同時に、ソランにとってヴァレリウスは父親である。
そして現在。
その父親の手には、一つの細長い箱があった。
ソランの視線が、ほんの僅かにそちらへ動く。
すぐ戻す。
見るのはよろしくない。
まだ自分への贈り物と決まったわけではないのだから。
――いや。
今日は自分の誕生日である。
父はわざわざ自分を呼び止めている。
そして手には綺麗に包装された箱。
これで自分への贈り物ではない可能性を考える方が不自然だった。
それでもソランは見ない。
期待していると思われるのが、なんとなく恥ずかしかったからだ。
「六歳の誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます、お父様」
ヴァレリウスが箱を差し出した。
「お前に」
「……いただいてもよろしいのですか?」
言ってから。
ソランは少し後悔した。
よろしくなければ、なぜ差し出したのか。
しかし父は笑わなかった。
「ああ」
「ありがとうございます」
両手で受け取る。思ったより軽い。
何だろう。開けたい。
だが、勝手に開けてよいものだろうか。
ちらり、と父を見る。
父は何も言わない。
ならば母。
少し離れたところにいる母へ視線を向ける。
ミレーヌ・ヴァレンティアは、娘の考えていることなど最初から分かっていたらしい。
柔らかく微笑んだ。
「開けてごらんなさい」
「はい、お母様」
許可が出た。
ソランは箱を開く。
「……わぁ」
思わず声が漏れた。
中にあったのは、小さな髪飾りだった。
銀細工で作られた花。
繊細な花弁の中央には、深い藍色の宝石が一粒嵌め込まれている。
光を受ける角度によって、青にも紫にも見えた。
綺麗だった。
ものすごく綺麗だった。
欲を言えば、今すぐ鏡の前へ走っていきたい程度には。
しかし。
ソランは六歳である。
昨日まで五歳だった自分とは違う。
少しは落ち着いた女性にならなければならない。
そう考え、どうにか表情を整える。
「気に入ったか?」
父が尋ねた。
「はい。」
答える。
それだけでは足りない気がした。
「とても綺麗です。ありがとうございます、お父様」
「そうか」
父の口元が僅かに緩んだ。
その変化を見つけた瞬間。
ソランの胸の中にあった喜びが、さらに一段大きくなる。
父は滅多に笑わない。
だから自分に向けられた小さな笑みは、髪飾りとはまた別の贈り物のように感じられた。
「お母様」
「なあに?」
「つけていただいてもいいですか?」
「もちろん」
ソランは母の前へ行く。
ミレーヌが銀色の髪を優しくすくった。
ソランと同じ色。
いや。
ソランの髪が、母と同じなのだ。
母の髪は腰まで伸び、柔らかな波を描いている。
ソランは母の髪が好きだった。
母の顔も。声も。
立ち居振る舞いも。
大人になったら母のような女性になりたい。
それは今のソランが持っている、数少ない明確な将来の希望だった。
「できましたよ」
ミレーヌが言った。
ソランが振り返る。
「似合いますか?」
「ええ、とても」
嬉しい。
しかし笑いすぎるのは子供っぽい。
ソランは口元だけで笑おうとした。
「顔、にやけてるぞ」
横から余計な声がした。
ソランの笑顔が消えた。
「……お兄様」
「何?」
カイル・ヴァレンティア。
八歳。
ソランの二歳上の兄。
父と同じ濃紺の髪と藍青色の瞳を持ち、周囲からはよく「父親似だ」と言われている。
確かに顔は似ている。
だが。
父はもう少し静かである。
「にやけてなどいません」
「してた」
「してません」
「してたって」
「してません!」
「カイル」
父の声が落ちた。
「はい、父上」
「妹の誕生日だ」
「分かっています」
「ならば、今日くらいはからかうのをやめなさい」
「からかってなどいません」
「からかっていました!」
「ソラン」
母の声。
ソランは口を閉じた。
カイルも同時に黙る。
父に叱られるのと、母に静かに名前を呼ばれるのとでは、怖さの種類が違う。
どちらが上かと問われれば、ソランには答えられない。
「姉様」
今度は下から声がした。
見る。
四歳の弟、ノアが立っていた。
父と同じ濃紺の髪。
母と同じ淡い灰紫色の瞳。
その両手は背中に隠されている。
「どうしたの?」
「姉様に、これ」
ノアが勢いよく両手を前へ出した。
一輪の白い花。
庭で摘んできたのだろう。
茎は途中で折れ、花弁も一枚欠けている。
お世辞にも立派な贈り物とは言えない。
だが。
「……私に?」
「うん!」
ノアが大きく頷く。
「姉様、おたんじょうびだから!」
ソランは花を受け取った。
小さい。少し萎れている。
おそらく、かなり強く握っていたのだろう。
「ありがとう、ノア」
「うれしい?」
「ええ」
「ほんと?」
「本当よ」
ノアが満面の笑みを浮かべた。
その顔を見れば、もう少し何か言ってやりたくなる。
「とても嬉しいわ」
「ほんとに?」
「何度聞くの」
「だって姉様、あんまり笑わないから」
「笑ってるわよ」
「こう?」
ノアが口を横いっぱいに広げた。
「そんな顔はしません」
横から吹き出す音が聞こえた。
カイルだ。
「お兄様」
「何も言ってないだろ」
「笑いました」
「笑うくらいいいだろ」
「よくありません」
「なんでだよ」
「よくないからです」
「理由になってないぞ」
ソランは頬を膨らませた。
カイルがまた笑う。
腹が立つ。
実に腹が立つ。
八歳という年齢は、どうしてこうも人を苛立たせることに長けているのだろう。
自分も二年後には八歳になるが、絶対にこうはなるまい。
ソランは固く決意した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
前世はキャバ嬢。
今世は公爵令嬢。
そして十二年後には、悪役令嬢として処刑予定。
――せっかく二度目の人生をもらったのに、また死んでたまるか。
そんなソランの二度目の人生を、これから一緒に見守っていただけたら嬉しいです。
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次回もよろしくお願いします。




