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2度目の守護者は失敗しない  作者: AIの奴隷
魔法少女も多様性

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燃えよ獅子

第二章 第二十六話 燃えよ獅子

 マガツの牙が、《獅子の守護者》の身体に深々と食い込んでいた。

 巨大な顎が締めつけるたびに肉が裂け、骨が軋む。四肢に力を込めても抜け出せず、鋭い牙はさらに深く食い込んでいく。

 それでも《獅子の守護者》は抵抗をやめなかった。

 すぐ近くに、マガツの顔がある。

 そして、その顔には大きな眼球があった。

 《獅子の守護者》は残された力を右の前脚に集中させた。胴体は顎に捕らえられているが、前脚はまだ動く。身体を捻り、鋭い爪を伸ばして、目の前の眼球へ突き立てた。

 マガツが絶叫し、顎の力が緩む。

 しかし、《獅子の守護者》は爪を引かなかった。最後の力を振り絞り、眼球の奥へ、さらに深く押し込んでいく。

 爪が脳へ達した瞬間、マガツの巨体が激しく痙攣した。

 巨大な顎から力が抜け、マガツは《獅子の守護者》をくわえたまま横倒しになる。その衝撃で身体が牙から外れ、砕けたアスファルトの上へ投げ出された。

「いやー、油断したよ」

 《獅子の守護者》は照れくさそうに笑った。

「ちょっと! 大丈夫なの!?」

 麗華が慌てて駆け寄ってくる。

「うん、ギリギリでうまく防御できたよ」

「全くもう……本当に心臓に悪いんだから。次、いけるの?」

「もちろん。問題ないよ。むしろ、いつもより身体が軽いくらいさ」

 《獅子の守護者》は軽々と立ち上がると、その場で一度跳ねてみせた。

「ほらね!」

「もう! 調子に乗らないでちょうだい!」

「ははは、ごめんごめん」

 麗華は呆れたようにため息をついた。

「本当にもう……あなたはいつもそうなんだから」

「でも、姫が無事でよかったよ」

「……それはこっちの台詞よ。私を庇って、あなたが死んだらどうするつもりなの?」

「ははは。そう簡単には死なないよ」

「そういうところが心配なのよ!」

「ごめんごめん。次から気をつけるよ」

「絶対に気をつけないわね……」

 麗華はもう一度ため息をついた。

 いつもと変わらないやり取りに、《獅子の守護者》は嬉しそうに笑った。

 よかった。

 これなら、また一緒に戦える。

 今日の戦いが終わったら、いつものように帰ろう。途中で姫の好きなものでも買って、怒られたお詫びにご馳走するのもいいかもしれない。

 そんなことを考えていたときだった。

「……ねえ……!」

 どこからか声が聞こえた。

 《獅子の守護者》は首を傾げる。

 姫の声だ。

 けれど、麗華は目の前にいる。今も呆れたようにこちらを見ていて、何かを叫んだ様子はない。

「……お願い……!」

 また聞こえた。

 今度ははっきりと。

 間違いない。姫の声だ。

 それも、今まで聞いたことがないほど悲しそうな声だった。

 どうしてだろう。

 目の前の姫は元気なのに、遠くから聞こえてくる姫の声は、今にも泣き出しそうだった。

 いや、違う。

 泣いている。

 姫が泣いている。

 行かなきゃ。

 あんな声で呼んでいるんだ。早く行って、何があったのか確かめないと。

 そう思って一歩踏み出そうとした瞬間、全身がひどく重くなった。

 動きたくない。

 ここにいればいい。

 そんな思いが、身体の奥から湧き上がってくる。

 ここなら何も痛くないし、苦しくもない。姫だって元気だ。ずっとここにいれば、また明日も一緒に戦える。

 わざわざ、あんな悲しそうな声のする場所へ行く必要なんてないじゃないか。

「……起きてよ……!」

 遠くから、再び姫の声が聞こえた。

 胸が締めつけられた。

 駄目だ。

 あんなに悲しそうな姫を放っておけるわけがない。

 ここにいれば幸せなのかもしれない。だけど、あの声を無視してここに留まったら、きっと後悔する。

 身体は行くなと言っている。

 ここで幸せな夢を見ていろと、必死に引き留めてくる。

 それでも、心は行けと言っていた。

 姫が泣いている。

 だったら、行かなきゃ。

 たとえ、その先に何が待っていたとしても。

 《獅子の守護者》は重くなった脚を踏み出した。

 途端に、目の前の麗華が遠ざかっていく。伸ばした前脚は届かず、足元から景色が崩れ始めた。

 そして、目が覚めた。

 頬に、ざらざらとしたものが当たっていた。

 砕けたアスファルトだった。

 ……あれ?

 どうして地面に寝ているんだろう。

 さっきまで立っていたはずなのに。

 姫と話して、身体が軽いって言って、その場で跳ねてみせたじゃないか。

 それなのに、どうして?

「嫌よ……ねえ、起きなさいよ! いつもみたいに、馬鹿なこと言いなさいよ!」

 目の前には、自分を覗き込む麗華の顔があった。

 涙でぐしゃぐしゃになったその顔を見て、《獅子の守護者》はますます混乱した。

 ……姫?

 どうしたの?

 さっきまで怒ってたじゃないか。

 いつものように呆れた顔をして、俺のことを叱っていたのに。

 どうして、そんなに泣いているんだい?

 《獅子の守護者》は立ち上がろうとした。

 しかし、身体が動かなかった。

 まるで全身が鉛になってしまったかのように重い。先ほどまで軽々と跳ねられたはずなのに、腕を持ち上げることさえできない。

 ……おかしいな。

 さっきはあんなに軽かったのに。

 それに、何かが違う。

 地面を踏みしめていたはずの大きな前脚がない。視界の端にあるのは、獅子の脚ではなく、人間の腕だった。

 いつの間にか、変身が解けている。

 ……あれ?

 俺、いつ人間に戻ったんだっけ?

 そんなことをした覚えはないんだけどな。

 まあ、いいや。

 とにかく姫を安心させてあげないと。

 《獅子の守護者》はもう一度、身体を起こそうとした。

 けれど、動かなかった。

 指先だけでも動かそうとするが、それさえできない。

 だったら、声をかけよう。

 ごめんね、姫。もう大丈夫だから。

 そう言おうとしたのに、声が出なかった。

 ……どうして?

 身体が動かない。

 声も出ない。

 さっきまで、あんなに元気だったのに。

 あんなに身体が軽かったのに。

 どうして今は、指一本動かせないんだろう。

 どうして姫は、こんなに泣いているんだろう。

 ……ああ。

 そっか。

 ようやく分かった。

 さっきまでの、あれは……。

 ……そっか。

 もう、駄目なんだ。

 不思議と怖くはなかった。ただ、目の前で泣いている姫を抱きしめてあげられないことが、どうしようもなく悔しかった。

 しまったなあ。

 姫を泣かせちゃった。

 泣かせたくなくて頑張ったのに、結局こんな顔をさせちゃった。

 あはは……心が痛いや。

 初めて知ったよ。心の痛みって、全然気持ちよくないんだね。

 ごめん。ごめんね、姫。

 魔女になるまで守るって誓ったのに。

 約束、守れなかったなあ。

「誰か! 誰か来てよ! お願い、この人を助けて!」

 麗華の悲鳴が、銃声と結界への衝撃音が響く戦場に広がった。

 近くで戦闘を指揮していた隊員が振り返り、倒れているのが《獅子の守護者》だと気づくと、すぐさま通信機を取り出した。

「こちら第三戦闘班! 《獅子の守護者》が重傷! 医療班、至急応援を頼む!」

 数名の隊員が駆け寄り、傷の状態を確認する。《獅子の守護者》は血に染まったアスファルトの上で、かろうじて呼吸を続けていた。

「運べるか!?」

「駄目です! 損傷がひどすぎます! 今は下手に動かせません!」

「分かった。ここで治療する! 後方の安全を確認しろ! 医療班を呼べ!」

 指揮官は通信機へ怒鳴った。

「小休憩中の班も呼び戻せ! 周辺の防衛を固めろ! 結界班には防御を厚くするよう伝えろ!」

『了解! 第四班、第五班を呼び戻します!』

「医療班が到着したら最優先で通せ! いいか、絶対に治療を邪魔させるな!」

 隊員たちが一斉に動き出した。戦闘を続けていた班は配置を変え、周囲の結界が補強される。休憩していた隊員たちも呼び戻され、接近するC級マガツを食い止めるために防衛線へ加わった。

 その中心では、麗華が《獅子の守護者》の手を握り続けていた。

「……聞こえる? ねえ、聞こえてるんでしょう?」

 《獅子の守護者》は答えられなかった。

 聞こえているよ、姫。

 ちゃんと聞こえてる。

 それにしても、みんな大げさだなあ。

 俺一人のために、こんなに集まってくれちゃって。

 ……ああ、そっか。

 みんな、助けようとしてくれてるんだね。

 ありがとう。

 でも、もう分かってるんだ。

 俺は、助からない。

 防衛線の向こうで爆発が起こり、結界が大きく揺れた。隊員たちの怒号が飛び交う中、医療班が護衛の戦闘員に先導されて駆け込んできた。

「負傷者はこちらですね! 状況を!」

「C級マガツの攻撃を受けました! 意識はありますが、呼びかけに反応できません!」

 医療班はすぐに《獅子の守護者》の周囲へ膝をつき、呼吸と脈拍を確認した。損傷箇所を調べた隊員の表情が険しくなる。止血と呼吸の補助が始まり、別の隊員が追加の器具を準備した。

「姫川さんですね。聞こえていますか?」

「え……?」

「この方に、呼びかけ続けてください。声が届いているかもしれません」

 麗華は何度も頷き、手を握り直した。

「ねえ、聞こえる? 私よ、麗華よ! お願いだから返事をして! あなた、いつも言ってたじゃない。私が魔女になるまで守るって! まだなってないのよ! だから、まだ終わりじゃないでしょう!?」

 聞こえているよ、姫。

 でも、もう返事はできそうにないんだ。

 ごめんね。

 せめて、最後に安心させてあげたい。

 《獅子の守護者》は残された力を振り絞り、唇を動かした。

「……え?」

 麗華が顔を近づける。

 《獅子の守護者》はもう一度、ゆっくりと唇を動かした。

 ――大丈夫。

「……何よ、それ」

 麗華の目から涙が溢れた。

「何が大丈夫なのよ……! そんなこと言うなら、ちゃんと起きなさいよ!」

 その声を最後に、《獅子の守護者》の意識は途切れた。

「脈が……! 心停止!」

「蘇生開始! 器具を!」

 医療班が直ちに蘇生処置を開始した。胸骨圧迫が繰り返され、呼吸の補助も続けられる。麗華は処置の妨げにならないよう少し離されたが、その場を離れることはできなかった。

「結界に亀裂! 補強急げ!」

「第四班、前へ! 絶対に通すな!」

 周囲では戦闘が続いていた。防衛線の隊員たちはマガツを食い止め、医療班は懸命に蘇生を試みた。

 しかし、《獅子の守護者》の心臓は再び動かなかった。

 医療班の責任者が、処置の終了を告げた。

「……申し訳ありません」

 麗華はその言葉の意味を理解できず、《獅子の守護者》の顔を見つめた。

「……何が?」

「可能な限りの蘇生処置を行いましたが……」

「だから、何が?」

 隊員は一度唇を結び、静かに告げた。

「死亡を確認しました」

 麗華は《獅子の守護者》を見た。

 いつもの顔だった。目を閉じて、静かに横たわっている。少し待っていれば、突然起き上がって馬鹿なことを言い出すような気がした。

「……起きなさいよ」

 返事はない。

「ねえ。起きなさいって言ってるでしょう?」

 麗華は《獅子の守護者》の肩に手を置いた。

「私が命令してるのよ。いつもみたいに、嬉しそうに返事をしなさいよ……」

 もちろん、何も起こらなかった。

 麗華はその胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。

 十二歳の頃から、ずっと一緒だった。

 怒鳴っても、鞭で叩いても、呆れるようなことを言っても、いつだって笑っていた。十年間、一度も自分が魔女になれない可能性を口にしなかった。

 その人が、もう二度と返事をしてくれない。

 麗華は《獅子の守護者》の身体にしがみつき、何度も何度も呼びかけた。

 しかし、戦場は彼女を待ってはくれなかった。

「第三区画、C級が二体接近!」

「結界班、維持しろ! 医療班の撤収が終わるまで持たせるんだ!」

 指揮官が麗華のもとへ駆け寄った。

「姫川さん! 《列車の魔女》を含む援軍がこちらへ向かっています! 残存するC級マガツは到着後に引き継げる見込みです!」

 麗華は顔を上げなかった。

「守護者の方と一緒に、後方へ下がられますか?」

「……ええ」

 そう答えた。

 もう戦いたくなかった。

 これ以上、何も考えたくなかった。《獅子の守護者》を連れて帰って、静かな場所で休みたかった。目を覚ますことがないと分かっていても、せめて隣にいたかった。

 隊員たちが搬送の準備を始める。

 麗華も立ち上がろうとしたが、そのとき、最後に見た《獅子の守護者》の唇の動きが頭に浮かんだ。

 大丈夫。

 あの人は、そう言った。

 何が大丈夫なのだろう。

 自分の身体が大丈夫だとでも言いたかったのだろうか。それとも、私が無事だったことを喜んでいたのだろうか。

 けれど、あの人は自分がもう助からないと分かっていたはずだ。

 ――大丈夫だよ、姫。

「……馬鹿」

 麗華は《獅子の守護者》を見下ろした。

「本当に、馬鹿なんだから」

 十二歳の頃、初めて守護者になった彼と出会った。十年間、何度も喧嘩をして、何度も呆れて、それでも二人で戦い続けてきた。

 ――姫ならなれるよ。

 年下の魔法少女たちが次々と魔女になっていくのを見るたびに、どうして自分だけがと考えた。もう辞めてしまいたいと思ったことだって、一度や二度ではない。

 ――大丈夫だよ、姫なら魔女になれるよ。

 それでも続けてこられたのは、あの人がいたからだ。

「あなたが横にいるから……いつか魔女になるって言ってくれてたから、私は続けていたのに」

 麗華は《獅子の守護者》の顔を見つめた。

「あなたがやめようっていえば、引退するっていえば、すぐにでもついていったのに。何よ」

 ――それまで僕が守るから。

 十年間、そんなことを一度も言ってくれなかった。

 自分が魔女になるまで守る。その約束を、最後まで守ろうとした。

「まだ、戦えって言うの……?」

 答えは返ってこない。

 麗華は目元を拭った。涙は止まらなかったが、それでも《獅子の守護者》から視線を外し、遠くで続いている戦闘の音へ顔を向けた。

 ――なれるよ、立派な魔女に。

 自分が魔女になることを、あの人は疑っていなかった。

 ああ、そうか。

 最後の「大丈夫」は、自分の身体のことでも、麗華の無事を確かめる言葉でもなかったのだ。

 あの人は最後まで、私が魔女になれると信じていた。

 ならば、せめて一度くらい、その期待に自分の意思で応えてみたかった。

 ――姫が魔女になるまで僕がついてるからね。

「全く、あなたはいつもわがままばかりね」

 麗華は鞭を握り直した。

「いいわ、見てなさい。あなたがいなくても立てることを」

 そのときだった。

 胸の奥で、何かが外れたような感覚があった。

 今まで何度も魔法を使ってきた。けれど、こんな感覚は一度もなかった。身体の内側から湧き上がる力に、麗華は思わず息を呑んだ。

「……何、これ」

 目の前の空間が、淡く輝き始めた。

 光の中から現れたのは、一つの鍵だった。

「まさか……」

 十年間、ずっと待ち望んでいたもの。

 何度も夢見て、それでも自分には訪れなかった瞬間。

「……今なの?」

 麗華は震える手を伸ばした。

「どうして……今なのよ……!」

 よりによって、あの人がいなくなった今になって。

 涙が溢れた。それでも麗華は鍵を握りしめた。

 その瞬間、何をすべきなのかが不思議と分かった。

 麗華は何もない空間へ鍵を差し込む。

 鍵の先端から光の線が走り、複雑な紋様を描きながら広がっていく。やがて巨大な魔法陣となったそれは、さらに形を変え、一枚の扉へと変化した。

 麗華は扉を見つめた。

 この向こうにあるのは、十年間ずっと求めていたものだ。

 けれど、今は喜べなかった。

 真っ先に見せたかった人が、もういないのだから。

「……見てなさいよ」

 麗華は涙を拭い、鍵を握る手に力を込めた。

「我、従魔の魔女としてここに降臨する」

 鍵をひねる。

 扉が開き、溢れ出した光の奔流が彼女の全身を包み込んだ。

 魔女の魔法が現実の法を押しのける。

 光が収まったとき、そこには先ほどまでの《鞭の魔法少女》とはまったく異なる姿の麗華が立っていた。

 その装束は、蛮族の女戦士を思わせるほど野性的だった。身体の動きを妨げない大胆な造りに、荒々しい装飾。肩から背中にかけては黄金の獅子の毛皮をまとったような毛並みが広がり、風を受けて揺れている。

 しかし、不思議と粗野には見えなかった。

 堂々と背筋を伸ばし、鞭を手に立つその姿には、軍勢を従える女王のような威厳があった。

「……姫川さん?」

 近くにいた隊員が呆然と声を漏らした。

「その姿……まさか、魔女に?」

 麗華は自分の手を見下ろした。

 今までとは比べものにならない魔力が、身体の内側を満たしている。鞭を握る感覚さえ違っていた。

 本当に、魔女になったのだ。

 十年間、何度も夢見た瞬間が、ついに訪れた。

「……ええ」

 麗華は小さく頷いた。

「なれたみたいね」

 その声は震えていた。

 嬉しいはずだった。

 なのに、胸の奥が痛くて仕方がなかった。

「……ねえ、見てよ」

 麗華は《獅子の守護者》の方へ振り返った。

「私、魔女になれたのよ……」

 返事はなかった。

 麗華は唇を噛み、俯いた。

 そのとき、彼女の隣で小さな炎が生まれた。

 炎は地面を這うように広がり、次第に大きく膨らんでいく。四本の脚が形作られ、長い尾が伸び、最後に豊かなたてがみを持つ頭部が現れた。

 一頭の獅子だった。

 全身を炎で形作られた獅子は、麗華の隣に歩み寄ると、そこが自分の居場所であるかのように腰を下ろした。

 麗華はしばらく、その姿を見つめていた。

「……そうね」

 獅子が顔を上げる。

「あなたの見守る場所は天ではないわ。私の隣よ」

 獅子は何も答えなかった。

 ただ、嬉しそうに尾を揺らした。

◇

 戦場では、いまだC級マガツとの戦闘が続いていた。

 一般戦闘員たちは結界によって区切られた区域を移動しながら、マガツを一体ずつ誘導している。しかし、作戦の中心だった《獅子の守護者》を失ったことで、討伐の手は止まっていた。

「姫川さん!? どうしてこちらへ!」

 麗華の姿に気づいた隊員が驚きの声を上げた。

「守護者の方は……それに、その格好は?」

「説明は後よ。今、どのくらい残っているの?」

「C級ですか? まだ相当数が残っています。現在は第三区画への誘導を進めていて――」

「そう。なら、少し離れていてちょうだい」

 麗華は隊員の返答を待たず、鞭を振るった。

 パァンッ!

 乾いた音が響き、何もない空間に炎の輪が現れた。続けてもう一度、さらにもう一度。鞭が振るわれるたびに輪が増えていき、十を超える炎の輪が麗華を取り囲む。

 周囲の隊員たちは何が始まるのか分からず、呆然とその光景を見守っていた。

「来なさい、私の従魔達」

 麗華が命じた瞬間、炎の輪から巨大な獣が飛び出した。

 続いて、全身を甲殻に覆われたマガツが現れる。その後ろからは長い尾を持つ異形、四足で地面を這う獣、翼を広げた飛行型と、次々にマガツが姿を現した。

「マ、マガツだ! 敵が出現したぞ!」

「待ちなさい!」

 銃を構えようとした隊員を、麗華が制した。

「その子たちは私の従魔よ。攻撃しないでちょうだい」

「じゅ、従魔……?」

「首を見なさい。炎の首輪がついているでしょう? それが目印よ」

 隊員たちが恐る恐る確認すると、確かにすべてのマガツの首には炎の輪が巻きついていた。先ほどから麗華の隣にいる炎の獅子だけは例外だったが、その獅子は他のマガツとは異なり、彼女に寄り添ったまま動こうとしない。

「全部隊にも伝えてちょうだい。間違って攻撃されては困るわ」

「は、はい!」

 隊員が通信機を取り出し、各班へ情報を共有する。

『全部隊に通達! 姫川麗華が《従魔の魔女》へ覚醒した! 炎の首輪をつけたマガツは友軍だ! 繰り返す、炎の首輪をつけた個体への攻撃は禁止! 各班、識別を徹底しろ!』

 通信機から驚きの声が返ってきたが、麗華は構わず鞭を軽く振った。

 従魔たちが一斉に向きを変える。

 前方の区画では、誘導されてきたC級マガツが結界を叩いている。麗華はその個体へ視線を向け、従魔の一体に指示を出した。

 結界の開口部から飛び込んだ獣型の従魔が敵の脚へ食らいつき、別の従魔が背後から襲いかかる。C級マガツは二体を振り払おうとしたが、その隙に頭上から飛行型が急降下した。三方向から攻撃を受けたマガツは体勢を崩し、最後には巨大な甲殻獣に押し潰されて動かなくなった。

 敵の身体が消えていく。

 麗華は再び鞭を鳴らした。

 新たな炎の輪が開き、そこから今しがた倒されたばかりのC級マガツが現れた。

 その首には、炎の首輪があった。

「……は?」

 隊員の口から、間の抜けた声が漏れた。

「今の、倒したはずじゃ……」

「倒したわよ。だから私の従魔になったの」

 麗華は当然のように答えた。

「それで、指揮官はどこかしら?」

◇

「結界を解除してほしい?」

 現場指揮官は、麗華からの要求を聞いて眉をひそめた。

「ええ。戦場内部の仕切りを全部よ。それと、マガツの誘導を担当している戦闘員たちも下がらせてちょうだい」

「待ってくれ。あの結界は、C級マガツを分断するために設置したものだ。解除すれば残存するマガツが一斉に動き出すぞ」

「だから解除してほしいのよ」

「……どういうことだ?」

 麗華は背後に控える従魔たちを示した。

「今までは私とあの人の二人だったから、一体ずつ相手にする必要があった。でも、もう違うわ。これだけの従魔がいるのに、わざわざ敵を一体ずつ運んでもらう必要があるかしら?」

「それは……」

「それに、あの仕切りがあると従魔たちを自由に動かせないの。せっかく数がいるのに、狭い通路を順番に通らせるなんて効率が悪いでしょう?」

 指揮官は従魔の軍勢へ目を向けた。報告によれば、麗華は先ほどC級マガツを一体討伐し、その個体を即座に従魔へ加えたという。目の前に並ぶマガツたちの首には、確かに同じ炎の首輪がついていた。

「……従魔が倒された場合はどうなる?」

「また呼び出せばいいわ。魔力が続く限り、何度でもね」

 指揮官はしばらく考え込んだ後、通信機を手に取った。

「各班に通達。内部結界を順次解除する。誘導班と戦闘班は指定位置まで後退。外周結界は維持しろ。繰り返す、外周結界は絶対に解除するな」

 通信機から複数の応答が返ってくる。

 やがて、戦場を細かく区切っていた結界が一つ、また一つと消えていった。

 これまで別々の区画に閉じ込められていたC級マガツたちが、自由に動けるようになったことに気づく。地面を震わせる足音が重なり、建物の陰から次々と異形の巨体が現れた。

 麗華はその光景を見渡した。

 十年間、数え切れないほどのマガツと戦ってきた。

 その一体一体が、今は自分の力になっている。

 鞭を握る手に力を込めると、従魔たちが一斉に顔を上げた。

「行きなさい。敵がいなくなるまで、止まることは許さないわ」

 麗華は鞭を高々と掲げ、振り下ろした。

「――《デス・パレード》!」

 パァァァンッ!!

 鞭の音が戦場に響き渡る。

 それを合図に、従魔の軍勢が一斉に動き出した。

 先頭を走る獣型が敵の群れへ飛び込み、後続の大型従魔がその隙間を押し広げる。飛行型は上空から敵の動きを妨害し、別の従魔たちが左右へ回り込んで退路を塞いだ。

 敵のC級マガツも黙ってはいない。巨大な腕を振り回し、牙を剥き、次々と従魔を叩き潰していく。

 しかし、倒された従魔の姿が消えるたび、麗華の鞭が鳴った。

 炎の輪が開き、失われた従魔が再び現れる。

 さらに、従魔たちに討伐された敵のC級マガツも、次の瞬間には炎の首輪をつけて軍勢に加わっていた。

 敵を一体倒せば、敵が一体減り、味方が一体増える。

 戦闘が進むにつれ、従魔の数は増え続けた。

「……なんだ、これは」

 後方から戦況を見守っていた指揮官が呟いた。

 C級マガツが次々と討伐されていく。従来の作戦では一体ずつ誘導し、麗華と《獅子の守護者》に引き渡していた相手だ。それが今では、従魔の軍勢に包囲され、倒され、そして同じ軍勢の一員として立ち上がっている。

 しかも、麗華の指揮には無駄がなかった。

 頑丈な甲殻を持つ従魔を前面に出して敵の攻撃を受け止め、素早い獣型を側面へ回す。空中の敵には飛行型を向かわせ、巨体の敵には複数の従魔を集中させる。鞭が振るわれるたびに軍勢の動きが変わり、敵は次々と包囲されていった。

 麗華自身は、ほとんどその場を動かなかった。

 必要なときに鞭を振るい、従魔を呼び出し、進むべき方向を示す。それだけで、戦場全体が彼女の意思に従って動いていた。

 隣に座る炎の獅子は、その様子を嬉しそうに眺めている。麗華が鞭を振るうと尾を揺らし、しばらく手を止めると、どこか残念そうな顔をした。

「……何よ」

 麗華が横目で見ると、獅子は何食わぬ顔で前を向いた。

「全く……」

 麗華は小さく息を吐き、再び鞭を振るった。

 獅子の尾が、また嬉しそうに揺れた。

◇

 最後のC級マガツが倒された。

 複数の従魔に追い詰められた巨体が地面へ崩れ落ち、その身体が消えていく。麗華が鞭を振るうと、炎の輪から同じ姿のマガツが現れ、首に炎の首輪をまとって軍勢の列へ加わった。

 麗華は周囲を見渡した。

 敵の姿は、もうどこにもない。

 戦場を埋め尽くしているのは、すべて自分の従魔だった。

「……終わったわね」

 麗華が鞭を下ろすと、従魔たちは進撃を止めた。

 外周結界の内側に、大量のC級マガツが整然と待機している。少し前までこの地域を脅かしていた敵が、今では一人の魔女の命令を待つ軍勢となっていた。

 やがて、遠くから汽笛が聞こえてきた。

 ――ポォォォォォッ!

 空中に敷かれた線路を、黒煙を吐く蒸気機関車が走ってくる。後方には戦闘員たちを乗せた客車と、装備を積んだ貨車が連なっていた。

 列車が停止すると、武装した隊員たちが次々と降車し、現地部隊との合流を始めた。

「炎の首輪を確認! 通達どおり友軍だ! 各班、誤射に注意しろ!」

 援軍の隊員たちは事前に受けた情報と照合しながら、周囲の警戒にあたる。

 機関車から降りたクララは、整然と並ぶ従魔の軍勢を見渡した。

「……こいつは驚いたな」

 従魔を使役して反撃を始めたとは聞いていた。しかし、これほどの数を従え、しかもすでに戦闘が終わっているとは思っていなかった。

「残っていたC級は?」

「すべて討伐されました。現在は全個体が《従魔の魔女》の配下に加わっています」

「……全部か。大したもんだ」

 クララは感心したように呟いたが、すぐに表情を引き締めた。

「それで、麗華はどこにいる?」

「こちらです」

 指揮官に案内された先には、黄金の獅子の毛皮をまとった麗華が立っていた。

「……よう、麗華」

「クララ。来てくれたのね」

「ああ。もっと早く着ければよかったんだがな」

 麗華は小さく首を振った。

「いいのよ。もう終わったから」

「……そうか」

 クララは麗華の顔を見た。

 赤く腫れた目元。涙の跡。そして、魔女へ覚醒したというのに、少しも嬉しそうではない表情。

 クララは一度口を開きかけ、言葉を選ぶように間を置いた。

「……《獅子の守護者》のことは聞いている」

 麗華は何も答えなかった。

 その隣で、炎の獅子がゆっくりと顔を上げた。

 麗華が振り向くと、獅子は彼女を見上げていた。その顔は、どこか満足そうだった。

「……あなた?」

 獅子は目を細めた。

 次の瞬間、たてがみの先から炎がほどけ始めた。黄金色の身体が少しずつ形を失い、無数の火の粉となって空へ舞い上がっていく。

「……待って」

 麗華が手を伸ばした。

 しかし、指先が触れるよりも早く、獅子の姿は炎の中へ溶けていった。

 最後に残った小さな火の粉も、風に流されて消えていく。

 麗華はしばらく、何もなくなった場所を見つめていた。

「……麗華?」

 クララが静かに呼びかける。

 麗華は俯いたまま、答えた。

「……ええ。死んだわ」

 クララの表情が曇る。

「……そうか」

 それ以上、何も言わなかった。

 麗華は空を見上げた。涙が頬を伝っていたが、今度は拭おうとしなかった。

 十年間、隣にいた人はもういない。

 魔女になった自分を見せたかった。きっと大喜びして、いつもの調子で馬鹿なことを言ってくれただろう。そうしたら、いつもみたいに怒鳴って、鞭で叩いてやるつもりだった。

 なのに、もうそれもできない。

「……本当に、馬鹿なんだから」

 麗華は小さく呟いた。

 周囲では、炎の首輪をつけた無数の従魔たちが静かに待機していた。

 その中心に立つ麗華の隣には、もう誰もいなかった。


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