第96話 消えた魔剣と、城のモノたちからの恩返し
すっかり自分の足で歩き回るようになったテオドールのおかげで、オルステッド公爵邸は日々ますます賑やかさを増していた。
そんなある晴れた日の朝。私が目を覚ますと、寝室の中は奇妙なほど静まり返っていた。
「……おはよう、ベッドさん。カーテンさん」
私が声をかけると、いつもなら『おはよう奥様!』と元気な声が返ってくるはずが、今日は『しーっ……』『今はお口チャックよ……』と、なぜかヒソヒソ声しか聞こえない。
不思議に思いながら身支度を整え、執務室へと向かうと、そこには腕を組んで眉間に深いシワを寄せるジークハルト様の姿があった。
「おはようございます、ジークハルト様。朝から難しいお顔をされていますが、何かトラブルですか?」
「……コーデリア。グラムが消えた」
「えっ?」
ジークハルト様が顎で示した先、いつもグラムが立てかけられている特等席には、見事に何もなかった。
「朝起きたら、鞘ごと忽然と姿を消していたのだ。セバスチャンに探してもらってるが、城内への侵入者の形跡はない。…俺の剣を持ち去るとは、よほど死に急いでいる者がいるらしい」
ジークハルト様が物騒な殺気を漂わせる中、私の足元をとことこと歩いていたテオが、廊下の方を指差して声を上げた。
「ぱぱ、まま! ぐらむ、あっち!」
「テオ? グラムさんがどこに行ったか分かるの?」
「あーい! じゅうたんしゃん、こっちって!」
テオが指差した先を見ると、廊下に敷かれた最高級の赤絨毯が、まるで生き物のように毛足をモゾモゾと動かし、ご丁寧に矢印の形を作っているではないか。
『若君、ナイス誘導! 奥様、旦那様、こっちこっち!』
絨毯さんの弾んだ声が聞こえる。
どうやら、敵襲や泥棒ではないらしい。
「ジークハルト様。絨毯さんが、私たちをどこかへ案内したいみたいですわ」
「……罠かもしれない。俺の背中に隠れていろ」
過保護なジークハルト様は私とテオを背中で庇うようにして、絨毯の矢印に従って慎重に歩き出した。
私たちが進むと、ドアたちが『いらっしゃいませー!』と自動でパタパタと開き、壁の絵画たちが『もう少しよ!』と楽しげにウィンクをしてくる。
城全体が、明らかに何かを企んでいる。
やがて辿り着いたのは、普段はあまり使われていない、城の南側にある大広間だった。
ジークハルト様が警戒しながら両開きの扉を押し開けると――。
パーーーンッ!!
突然、華やかな破裂音と共に、色とりどりの紙吹雪が空を舞った。
「な、なんだ!?」
「うわぁっ……綺麗!」
目の前に広がっていたのは、見違えるほどピカピカに磨き上げられ、花とリボンで飾り付けられた大広間だった。
中央のテーブルには、ジャンさん特製の豪華なオードブルとケーキの山。そして、そのテーブルのど真ん中に、なぜか真っ赤なリボンを巻かれたグラムがデーンと鎮座していた。
『いらっしゃーい! ご主人様、奥様、若君! 俺様たちからのサプライズパーティーだぜ!』
テーブルの中央に置かれたグラムさんが、得意げな大声を響かせる。
部屋の隅からは、セバスチャンさん、リリィさん、ガイルさん、そしてポチまでが、満面の笑みで拍手をしながら現れた。
「こ、これは一体……? グラムを盗んだのは、お前たちか?」
ジークハルト様が呆然と尋ねると、グラムさんがドヤ顔(?)で答えた。
『違う違う! 盗まれたんじゃなくて、俺様がこの城のモノたちを束ねて、今日のパーティーを企画したんだよ!』
「旦那様。泥棒ではありませんわ。グラムさんが『自分が皆を束ねて、今日のパーティーを企画した』と言っています」
「グラムが?」
「ええ。……でも、グラムさんたちが? どうして急に……?」
私が不思議に思って問いかけると、部屋中の家具や道具たちが、次々と優しく、温かい声を上げてくれた。
『奥様がこの城に来てから、俺たちはずっと楽しくて仕方がないんだ!』
『昔は誰にも声が届かなくて寂しかったのに、奥様が私たちの声を拾って、綺麗にしてくれたから!』
『旦那様も、奥様が来てからすっごく優しくなったしね!』
「みんな……」
グラムさんが、少し照れくさそうに言葉を継ぐ。
『若君も歩けるようになって、この城はますます賑やかになった。いつも俺たちを大事にしてくれるご主人様と奥様、そして若君に、何か恩返しがしたくてな!』
「そうだったのね。……でも、グラムさん。私を通さずにどうやってセバスチャンさんたちに伝えたの?」
私が首を傾げると、セバスチャンさんがふっと目尻を下げてテオを見た。
「実はここ数日、若君が我々の元へやってきては、厨房のお鍋やグラム様を指差して、一生懸命に彼らの要望を伝えてくださったのです」
『俺たちが奥様たちに恩返ししたいって話してたら、若君が代わりに人間どもへ教えてくれたんだよ!』
グラムさんの言葉に、見下ろすとテオは「えへへ」と自慢げに胸を張っている。
「テオ……そうだったのね。ありがとう」
テオの健やかな成長と、モノたちの優しい思いに胸がいっぱいになり、私は思わず両手で口元を覆った。
私の方こそ、このお城に来た日からずっと、温かく迎えてくれた彼らの存在にどれだけ救われてきたか分からないのに。
「……たく、寿命が縮むかと思ったぞ。……だが、悪くない趣向だ」
ジークハルト様はフッと息を吐き、口角を柔らかく上げた。
「お前たちがどれほど俺の妻を慕い、この家族を愛してくれているか……よく分かった。俺からも礼を言う。最高のサプライズだ。……よくやったな、テオ」
「あーい!」
ジークハルト様に頭を撫でられ、テオが楽しそうに両手を叩いてポチのフカフカの背中にダイブする。
広間は一気に、いつもの騒がしくて温かい、オルステッド家らしい笑い声に包まれた。
「奥様、さあさあ! 涙を拭いて、今日は思い切り楽しんでくださいませ!」
リリィさんが手渡してくれたハンカチでそっと目元を拭い、私はジークハルト様を見上げた。
「ジークハルト様。私、本当にこのお城にお嫁に来てよかったです。みんながいてくれて、あなたがいてくれて……世界で一番の幸せ者ですわ」
私が心からの笑顔を向けると、ジークハルト様は私の腰を優しく引き寄せた。
「……俺の方こそだ。お前がこの城に、本物の光を連れてきてくれた。……愛している、コーデリア」
ジークハルト様は、皆が見守る温かい空気の中で、私の額にそっと誓いのキスを落とした。
それはいつものような賑やかな冷やかしの対象ではなく、この場にいる全員が微笑ましく見守る、深くて静かな愛情の証だった。
「……ありがとうございます、旦那様」
声なきモノたちの優しい思いと、騒がしくも愛おしい家族の真ん中で。
私は圧倒的な幸福感を全身で噛み締めていた。




