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第63話 星祭りの翌朝と、忍び寄る無音の予兆

 最高の盛り上がりを見せた夏の星祭りから、一夜が明けた。


 昨夜、遺跡さんが嬉しさのあまり自らを巨大な花火筒にして七色の魔力を打ち上げた件は、観光客の間でオルステッド領の奇跡の光として大絶賛されたらしい。

 結果オーライとはいえ、領主夫妻がお祭りの途中で二人きりで抜け出した事実は変わらない。


 というわけで、私は今、城の厨房で最高級の茶葉を使い、お詫びのための特製ハーブティーを淹れていた。


「ふぅ、これでセバスチャンさんの胃痛が少しでも和らぐといいのだけれど……」


 私が呟くと、手にした磁器のティーポットが『任せて奥様! 私の保温魔法と癒やしの魔力で、あの鬼執事の心もとろけさせてあげるわ!』と頼もしくカタカタと震えた。


 焼き上がったばかりの、ジャンさん特製のスコーンを添えて、私は恐る恐る執務室へと向かった。


 ◇


「失礼いたします、セバスチャンさん。……昨夜は、その、申し訳ありませんでした」


 私がトレイを机に置きながら頭を下げると、そこには予想通り、目の下にうっすらとクマを作った完璧執事が佇んでいた。

 彼は眼鏡の奥の目をすっと細め、長いため息をつく。


「……お戻りになられたのですね、奥方様。まさか領民や観光客の前に立つべき主役お二人が、お祭りの最高潮の前に揃って姿を消すとは。警備の手配をしていた私の身にもなっていただきたいものです」


「うう、本当にごめんなさい……」


「……ですが、まあ」


 セバスチャンさんは私の淹れたハーブティーを一口含み、ふっと表情を緩めた。


「奥方様特製のこのハーブティー、確かに胃に染み渡ります。……それに、結果としてオルステッド・アンダー迷宮の先行公開も、ボルドー氏の特製かき氷も、こちらの予想を遥かに上回る大盛況でございました。王都の商人たちからも、次々と取引の打診が来ておりますよ」


「まあ! それは良かったですわ!」


 セバスチャンさんが手帳を開き、嬉しそうに数字を読み上げていく。

 ガーゴイルさんたちの熱演は大好評で、早くもリピーターを希望する声が殺到しているらしい。


「あの子……遺跡さんも、昨夜は本当に楽しかったみたいです。これからは安全に、みんなの遊び場として機能していけそうですね」


「ええ。ですが、昨夜のような魔力の暴走は心臓に悪いですから、マーリン様には再度、魔力回路の点検をしていただくよう手配いたしました」


 さすがはセバスチャンさん、仕事に抜かりがない。

 彼が完全に機嫌を直してくれたところで、執務室の扉が開き、ジークハルト様が入ってきた。


 ◇


「……セバスチャン、昨夜はすまなかった」


 部屋に入るなり、ジークハルト様が率直に謝罪を口にした。

 彼もまた、領主としての責任を放棄した自覚はあるようで、少しバツが悪そうにしている。


「……っ、旦那様。奥方様に免じて今回は不問にいたしますが、次回からはせめて事前にお知らせください。私の胃がいくつあっても足りません」


「……善処する」


 ジークハルト様は短く応えると、私の隣のソファへと腰を下ろした。

 そして、周囲にセバスチャンさんや新人使用人のジャンさんたちがいるのも構わず、そっと私の手を握ってきた。


「ジ、ジークハルト様……?」


「……お前の手が、少し冷えている。昨夜、夜風に当たりすぎたか?」


 彼の瞳が、本気で私を心配そうに見つめてくる。

 昨夜の湖畔での、あの熱い抱擁と口づけを思い出してしまい、私の顔が一気に赤くなった。


『ヒューヒュー! 朝からご馳走様だぜ! ご主人様、執務室に入った瞬間から「今日もコーデリアが可愛い。昨夜のドレス姿も最高だったが、普段着の優しい雰囲気もたまらない。早く二人きりになりたい」って、脳内がピンク色のオーケストラ状態だぜ!』


 壁に立てかけられたリュックの中から、グラムのやかましい念話が響き渡る。


 それを聞いて、私は思わず嬉しさに頬を緩ませた。


 握られた手に少しだけ力を込めて微笑み返すと、ジークハルト様は一瞬で耳の先まで真っ赤に染まり、こほん、と大きな咳払いをして顔を背けた。


「……セバスチャン、今日の執務の書類を出せ。すぐに終わらせる」


「はいはい、畏まりました。その意気でお願いいたしますよ、旦那様」


 セバスチャンさんが呆れたように書類の束を机に並べ、ジークハルト様は猛烈な勢いでペンを走らせ始めた。

 その様子を見届け、私はグラムを連れて一度自室へと戻ることにした。


 ◇


 自室に戻り、私は窓辺の椅子に腰を下ろした。

 窓からは、お祭りの片付けをしつつも、活気に満ち溢れた領地の街並みが見える。


「本当に、素敵な場所になったわね……」


 私がしみじみと呟くと、部屋の隅の鏡台が『本当ね、奥様! 私も毎日、奥様の幸せそうな笑顔を映せて光栄だわ!』と嬉しそうに声を上げた。


「ありがとう。……ねえ、グラムさん。次はどんな楽しいことをしましょうか? 領地がこれだけ大きくなったのだから、子供たちのための学校や、孤児院のような施設も作りたいなと思っているのだけど――」


 私がアイデアを投げかけた、その時。


 いつもなら『いいねぇ奥様! 俺様が特大のチャイムになって、授業の始まりを知らせてやるぜ!』などと真っ先に茶化してくるはずのグラムが、妙に静かだった。


「グラムさん……?」


 不思議に思って、机に立てかけてある魔剣グラムに視線を向ける。


『……あ、いや、悪い悪い。ちょっと、考え事をしていてな』


 グラムの声が、いつもよりほんの少しだけ、掠れているような気がした。

 念話の響きが、どこか遠い。


「どうしたのですか? どこか具合でも悪いのですか?」


『まさか! 俺様は国宝級の聖具、病気なんてするわけないだろ? ただ、昨夜あの遺跡の野郎がド派手に魔力をブチ上げたとき、ちょっとばかしその余波を浴びちまってな。魔力の流れが、ほんの少しだけゴトゴトしてるだけさ』


 グラムはいつもの軽い調子で笑ってみせたが、その刀身を包む紫色のオーラが、一瞬だけ不自然に明滅したのを私は見逃さなかった。


「本当に、大丈夫ですか……?」


『問題ねぇよ。奥様の優しい魔力を浴びてれば、すぐに元通りさ!』


 そう言って笑うグラムだったが、私の胸の奥には、冷たい水滴がぽとりと落ちたような、奇妙な胸騒ぎが残っていた。

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