第65話 不死蝶
アレクサンドラが初めて会ったクラウス・ヴェルマーは身長も平均的で、特別ハンサムというわけでもない、普通の政治家といった印象だった。ときどき鋭くなる眼の奥に、大いなる野心を秘めているようでもあり、なかなか油断ができない。
彼が気にしていたのも、ロマノヴァ連邦の動きだった。
カミラの考えとはやや違っていた。
「ロマノヴァ公、私はハイペリオンなど恐れていないのです」
最初はヴェルマーが冗談でも言ったと思った。
「油断は禁物です。相手はハイペリオンなのですから」
「所詮ハイペリオンは一人、メックの数で押し切ることもできます」
「数など、ハイペリオンの前では何の役にも立ちません」
「確かに、ハイペリオンを倒すのは難しいでしょう。決闘であれば勝ち目はなくとも、これは戦争です。ハイペリオンが1騎で戦っている間に、敵国を侵略することができます。補給さえ絶ってしまえば、メックなどそのうち停止します」
理屈としては正しいが、正確に分析しているとは思えない。
「それはハイペリオンが1騎、もしくは少数であるということが条件です。エルフェンの地でハイペリオン軍が組織されているかもしれません」
「ロマノヴァ公の意見もごもっとも……ですから、私たちはまずハイペリオンと戦わねばならないのです」
「でしょうね。エルフェンを放っておくわけにもいかないでしょう。各地で生き残ったデュナミスが、ハイペリオンの元に集まって大きな軍隊となることだけは避けねばなりません」
ブロデア帝国とロマノヴァ連邦の不可侵条約は、ヴェルマーにも受け入れられた。
もちろん、どちらが裏切るかも分からない。それでも一時的には効果があるだろう。
会談が終わり、アレクサンドラはブロデア帝国から用意された城に向かった。
しばらくはブロデア領に滞在し、ヤーパンやハイペリオンの動きを探るつもりであった。
「早く城へ行ってゆっくりしたいものだ」
車に揺られながら、アレクサンドラは呟いた。
「ブロデア産のビールを城に用意しております」
従者はそう言って、いくつかの銘柄を名を口にした。
「それからウォッカとコニャック、レディストのワインも運ばせました」
「待ち遠しいな」
なかなか気が利く従者だ、とアレクサンドラは思った。まだ20歳になっていない女性だが、あれこれと動き回ってサポートしてくれる。
城へ到着すると、すぐに十数名の兵士が出迎えにやってきた。
いずれもロマノヴァ連邦の兵士であったが、国境沿いの少数民族出身が多い。
「ロマノヴァ様、お待ちしておりました」
車から降りると、兵士たちの表情を見回した。もっとも近くにいる階級章を見ると、少尉だった。
「……におうな」
アレクサンドラは顔をしかめた。
「きっと料理の匂いでしょう。夕食の支度にはもう少しかかりますので」
「いや、少尉違うな……油の臭い……ガンオイルの匂いだ」
そう指摘した瞬間、兵士たちは銃を抜いた。
彼らはマガジンが空になるまで撃ち尽くした。
――なるほど、私の暗殺が目的であったか。
アレクサンドラの体に銃弾が食い込む。彼女だけでなく、運転手や従者に対しても銃撃は襲い掛かる。数百発の銃弾は、3人の人間を葬り去るのに充分で、命中してもなお肉体を損傷し続けた。
地面に倒れてもなお、銃声は収まらなかった。
兵士たちは恐る恐るアレクサンドラの死体に近付く。彼女の服は銃弾で裂かれ、残った生地は血で真っ赤に染まっている。
デュナミスであったとしても、これだけ撃たれれば生きているはずがない。そう判断してのことだった。あまり死体を傷付けてはいけない。ある程度死者が誰かということが分からなければ、確実に殺したという証明ができない。
足で蹴って、反応がないことを確認すると少尉は「死んだ」と呟いた。
「いいや、死んでいない」
血にまみれたアレクサンドラがゆっくりと立ち上がった。
誰の顔にも驚きが現れていた。肉塊寸前まで銃で撃たれた者が立ち上がったのだから、驚くのも無理はない。
「撃て、撃て!」
少尉はヒステリックにそう命ずる。しかし、リロードをしていない銃は空しい金属音しか立てなかった。
「なぜだ……なぜ生きている!?」
「これが私の能力だからさ」
不死蝶、とも称されるアレクサンドラの能力だ。死なないのである。銃で撃っても、剣で斬っても、炎で焼いても、決して彼女は死なない。傷は常に驚異的なスピードで回復し続けている。立ち上がったときには、ほとんどの傷は治っていた。
アレクサンドラは歩き出すと、手をひらりと宙に舞わせる。少尉の体が、瞬時に切断される。サイレント・ブレードと呼ばれる暗殺剣の一種で、見えない刃を生み出すことができる。
リロードが終わった兵士から銃弾が飛び出す。だが、アレクサンドラの体を捉えることができない。飛来する弾丸を、彼女がサイレント・ブレードで防いでいる。
「いちいち殺していくのは面倒だな」
そう言うと、アレクサンドラは能力を解放した。
やがて彼女に銃を向けていた兵士たちが喉を掻きむしって倒れていく。それは極楽蝶と呼ばれるアレクサンドラのみが使える能力だった。ロマノヴァ一族が300年かけて編み出した究極の技の1つである。色も臭いも音もなく、周囲の生物全てを殺し尽くす。まるで第一次大戦で実践投入された毒ガスのように、気付いたときにはわずかな苦しみとともに極楽へ送る。
やがて銃声も止み、敵が倒れ込む音も止んだ。
「目を覚ませ」
アレクサンドラが言うと、彼女の背後で従者が立ち上がった。彼の体はまだ損傷していたものの、驚くべきスピードで再生している最中であった。
「死体を片付けろ。そのあとで冷えたウォッカを部屋に持ってこい」
従者に言いつけると、つい数分前まで生きていた兵士の死体を踏みつけながら、アレクサンドラは城の中へと入っていった。




