エターナルホワイトアウト(1)
第四話。このお話で完結します。
えらそうなヒモな貧乏人が、霊能力者の恋人を頼って事件を解決していくシリーズ。
(シリーズっていうほど長くないねえ~)
無事、完結できるか?
その事件は、始まる前からわかっていた。
そうそう、涼子のやつの、いつものあれだ。予知能力かな?オレは、ただの勘だと思っているが。
ともあれ、涼子が、いつものように突然わめき出して、オレは体を抑え付けてやった。もはや、これは病気だと思う。不安な気持ちが溢れ出して、自分ではどうすることも出来なくなるのだ、と彼女は言う。それは、誰かの不安な気持ちが彼女の中に流れ込むからだ、と。
だが、オレの意見は違う。涼子の主治医もだ。精神科の。やつに言わせれば、それは不安発作だ、と。動悸、窒息感。そしてめまい、非現実感。どれもパニック障害の症状だ。
そうじゃない、と涼子は言う。助けを求める誰かが、彼女に意識を送っているのだ。
自制心の喪失。死の恐怖。そういうのは、涼子の中に起きているのではない、と。それに、それがもしも本当に涼子の中で起きているのだとすれば、彼女は耐えられまい。発狂してしまうかもしれない。そう、彼女自身も知っている。そういうのも、その種の精神障害の症状だ。
実際、薬で彼女は落ち着きを取り戻す。
でも、彼女は言う。薬は症状を抑えるのだから、効いても不思議はない、と。
今回、彼女の中に住み着いた悪魔は、何処かに閉じ込められているという恐怖だ。まるで誰かに監禁されてどうすることも出来ない人間が、そして死を待つだけの人間が、涼子の中に取り憑いた。
「誘拐されたのよ。きっと、もうすぐ電話が鳴るわ。彼女の母親が電話をかけてくる。もう警察もあてにならない」
涼子は、薬で落ち着きを取り戻し、焦点の定まらない目でオレを見つめる。涙ぐんだ目で。それは、オレをせつなくさせる。オレには、彼女をどうしてやることも出来ない。彼女の苦悩もわからない。
ただ、彼女の言うことを信じているふりをするだけだ。
そうそう、最近、彼女はオレの心を覗かない。意識してそうしているようだ。クリスマスの少し前に、そのことで喧嘩したからかもしれない。オレ達は表面的には今まで通りだったが、その内面では全然違っていた。
「圭吾。助けてあげて。あの子を助けてあげて」
涼子は、ますます虚ろな目でオレを見つめる。涙が一杯たまった瞳には、何も写らない。ただ、あるかどうかもわからない恐怖だけが彼女の目には宿っていた。
その電話は、涼子の予告よりも三日後にかかってきた。
「お願いです。あの子を見つけて下さい。二ヶ月前にいなくなったんです」
「警察には?」
「届けてあります。もちろん、一生懸命に捜してくれています。でも、手がかりが無いんです。もう、なんでもいい。誰でもいい。あの子を見つけて」
オレは、すっと息を吸い込むと、ぼそぼそと言った。
「愛香さんですね。小学校四年生の」
電話の主は絶句した。
「どうしてそれを?」
「新聞で。連日報道されましたから」
そう、涼子もそれを読んでいた。だから、彼女の超能力ではない。ただ、感情移入が過ぎた、それだけのこと。
「そうですか。それなら話が早いわ。来てもらえますか?」
相手は落ち着きを取り戻したようだ。オレは、静かな声で続けた。
「ええ。伺います。涼子もそれを望んでいます。もう、一週間も前から」
新品のオイルが駐車場に染みを作っていた。
プレリュードも寿命ってことだろう。そりゃあ、直して直らないこともない。オイル漏れなんて、大したことではない。漏れているところはわかっている。クランクケースのパッキンが寿命なんだ。クランクケースってのは、エンジンの一番下のオイルを溜めてある箱のことだ。パッキンってのは金髪のスラングじゃなくて部品と部品の隙間を埋めるゴムみたいなやつのことだ。
くだらないオヤジギャグも、それを冷やかすやつがいなければ哀しいだけだ。
とにかく、オレはエンジンにオイルを足して、それから涼子と一緒に高岡さんという依頼人のところへ出発した。涼子は、助手席で震えている。二月の冷気が冷たいからじゃない。民家の北側の屋根に残った雪が白々しい。プレリュードの車内は二十三度の初夏の陽気だった。オレはスーツのジャケットを後部座席に投げ込むと、シートベルトを閉め直した。
「寒いのか?」
オレは、涼子に尋ねた。
「ううん。大丈夫。でも、彼女は寒がっている。愛香は寒がっている」
それを聞いても、オレは特別、感慨は無かった。ただ、哀しくて渋滞した朝のラッシュを眺めるだけだった。マニュアルギアも、二百馬力のVTECもなんの役にも立ちはしない。渋滞に効果のある装備が無いように、涼子を救う備えはオレには無い。誰にも無い。
「早く見つけてやろうな。その子を探し出して」
涼子はただ頷いた。最近は口数も減った。必要な時に必要な事だけを話す。彼女とオレは、ほんの数十センチ、シフトレバーの向こうだというのに、とてつもなく遠い。
ありふれた建て売り住宅。ありふれたセダン。ありふれた街。特徴の無い人々。名もなき市民。ありふれた失踪事件。
何処にでもいるような少女。写真に写っていたのは、そう表現するしか方法の無い女の子だった。長くも短くもない黒い髪の毛。平均的な大きさの目、口。整ってはいるが特徴の無い鼻。何処にでもいる十一才の少女。
けれども、その母親にとっては他の誰であっても変わりに出来ない娘。
「降ってきましたね」
オレは、安物のレースのカーテンの向こうにちらちらと舞う白い妖精に目をやって言った。
「ええ。今日は寒いですね」
腫れぼったい目で、その女は言った。三十の半ばくらいのはずだ。しかし、急いで取り繕ったような髪型や睡眠不足で荒れてしまった肌のせいで歳より十は上に見えた。
「必ず探し出しますよ。涼子の能力を信じてください。私も独自のルートで調査しますから」
「お願いします」
幸子、という状況に見合わない名前の妻は言った。旦那は会社に行っているという。
「さっそくですが、お嬢さんを最後に見た人は?」
「近所の奥さんです。公園を一人で歩いているところを」
「その公園は?」
「ここからちょっと行った所」
「では、あとで行ってみましょう。それと、お嬢さんの持ち物を何か拝借できますか?」
「え?」
「涼子がサイコメトリーに使うんです。出来るだけ、念のこもったものがいい」
老けた女は、しばらく考えていた。そう、充分に考えるんだ。
「あの子の部屋に何かあるかもしれない」
「ええ、お願いします」
借り出したのは、一抱えもある熊のぬいぐるみだった。
「どうするんだ、こんなでかいもの」
プレリュードの後部座席から、そいつは虚ろなビー玉のような目でオレを見返した。
「だって、これを毎晩抱いていたっていうし」
涼子は、ため息をついてフロントグラスに目を戻した。
「それにしたって、こいつはでか過ぎだ」
ルームミラーの中にも、そいつはでかく居座っていた。抱き枕にしても、小学五年生には大き過ぎる。ひょっとすると、小さな女の子よりもでかいんじゃないか?
「それにしても、かわいくないな。そう思わないか?涼子」
「思わないわ。情だけはこもっているわ」
オレには、トイザラズで山積みにされているのが目に浮かぶようだった。こういう大量生産品ってのは、いい加減に作っているから、一つ一つ、微妙に表情が違う。予期しない偶然が、間抜けな顔になったり品のいい顔になったりするのだ。リアシートの住人は、その中でも不細工な部類だろう。
「売れ残りだぜ、きっと。安売りされていたんだ」
「ええ。そうよ。それを愛香ちゃんが欲しがった。だから両親は、買ってあげた」
そいつは、涼子の思い込みだ。実際にそうかもしれないし、そうでないかもしれない。
「まあ、いいさ。公園から始めよう」
「ええ」
公園、とは名ばかり。そういう公園が、地方都市には多い。もっと郊外にいけば、自然を利用した大きな公園がある。しかし、こういう住宅地の公園ってやつは。猫のトイレのような砂場。それも、砂が流出してしまって地が見えている。バランスのおかしなブランコ。大きな遊具は、危険だとか言って、次々に解体されるから、残るのはつまらない何処にでもあるようなブランコ。ベンチが一つ。猫の額ほどの敷地。
「マンションの公園の方がましだな」
つぶやいたオレを無視して、涼子は大きなぬいぐるみを抱えて歩いていた。十九の女が馬鹿でかい熊のぬいぐるみを抱えてうろうろと。ますます異常だ。
「こっちよ」
涼子は、公園を出てテクテクと歩いていく。オレはただ、それを追っていく。
「こっち」
角を折れ、学校の方へと。
「だけど、そっちは小学校だぜ?誘拐されたのは夕方だ。そっちには行くはずがない」
涼子は、オレの言うことに耳を貸さなかった。黙々と歩いていく。
「ここ」
「何が?」
「ここで車に乗せられた」
「どんなやつだ?」
「黒いシャツを着ているわ。少し色が落ちかけている。軍服のようなコート。ネズミ色ね」
「若いやつか?」
涼子は、ちょっと考えているような素振りで首を傾げた。
「若いわ。圭吾よりも二つか三つ」
っていうことは、二十台の半ば過ぎか。オレは三十になったばかりだからな。ああ、三十。二十九と三十は大きな違いだ。昨日までは若者。今日からは中年。
「車の種類はわかるか?」
オレは気を取り直して言った。
「箱みたいなやつ」
「ミニバンか?」
「ミニバン?」
「いや、わからないならいい。あとでいくつか写真を見せて確認するから」
「そうね。そのほうがいいわ。色は黒よ」
「ナンバーは?」
涼子は首を振った。
「そんなに都合良くはいかないわ。残っている愛香ちゃんの意識を追っているんだもの。あの子が見ていないものは答えられない」
そう、なるほど。
さっきまでやんでいた雪が、再び降り出した。
「降ってきたな。車に戻ろうか」
オレは涼子を車に残し、近所で聞き込みをした。
「その日、黒い箱型の車を見ませんでしたか?」
「黒い車?」
「ええ。そういう目撃情報があるとかって聞いたので」
霊能者が透視した、なんていうのはやめておいた。相手が信じやすいことを言った方がいい。それは、オレの信用度に係わってくる。
「さあ。見なかったけど」
「近所に、そういう車を乗っている人は?」
「さあ。山田さんが乗っていたかしら。なんていうのかしら。バン?」
中年というにも歳を取り過ぎた女性は言った。何十年も主婦をやっているような女性だ。これといった趣味もなく。
「ええ、最近はミニバンとか言いますね。その山田さんというのは、何処に住んでいるのですか?」
「この先の家よ。あなた山田さんを疑っているの?それは誤解よ。あの人のはずがない」
その名前を出したのは、おまえだろうと思ったが言わなかった。
「山田さんはね、弁護士なの。きさくないい人よ」
きさくないい人が凶悪犯だった例はいくらでもある。
「そうですか。じゃあきっと違うでしょう。ありがとうございました」
反論する気もなく、オレはその家を後にした。
十軒以上を聞き込んだころには、その住宅街は雪に覆われていた。
「メリークリスマス」
涼子が突然につぶやいた。
「季節外れだな。二月だぜ?」
「うん。でも去年のクリスマスには雪が降らなかった」
「そうだったな。涼子の予知は外れたんだったな」
「あれは予知じゃなくて希望よ。そうなって欲しいと思っただけよ」
「それに、涼子もいなかった」
「そうね。一緒に過ごすって約束していたのにね」
ああ。そうだ。だが、涼子は一人でいなくなっていた。誰が彼女に免許を交付したのか知らないが、彼女はバイクを持っていて、そいつで何処かへ消えてしまった。十九の女に金と移動手段を持たせるのは、いい案じゃない。
「だから、メリークリスマス」
涼子は、じっとオレの目をみつめて言った。オレは、ふっと笑うと答えた。
「そうだな。メリークリスマス、涼子」
涼子も口元に笑みを浮かべて、それからシートに座り直した。
「プレゼントは何がいい?」
オレは、プレリュードのアクセルを慎重に踏み込みながら言った。
「いいの。プレゼント交換はしたでしょ、お正月に」
「そうだったな」
涼子が戻ってきて、オレは涼子にマフラーをプレゼントした。彼女は旅先で買った日本酒をオレにくれた。おみやげじゃないか、とはオレは言わなかった。
部屋に戻ると涼子に車の写真をいくつか見せ、愛香ちゃんを連れ去った車がトヨタのハイエースだということを突き止めた。
それから涼子を一人にして夕食の買い物に出かけた。彼女には一人で気持ちを集中させる時間が必要だった。気持ちを集中させて愛香ちゃんのいるところを思い描くのだ。何処で何をしているのか。それを思い浮かべるのだ。
スリッピーな路面はノーマルタイヤには圧倒的に不向きだった。日が落ちて凍結した道路はつるつると滑った。ハンドルできっかけを作ってサイドブレーキ、というのも有りだが、それを他の車もあるところで試すほど無謀ではない。ゆっくりと、這うような速度で走るしかなかった。
部屋に戻ってくると、涼子はベッドにぐったりと横たわっていた。
「どうした涼子。疲れたのか?」
涼子は伏せたまま「うん」と返事をしたので、オレは買ってきた野菜や魚を持ってキッチンに行った。珍しいことではない。最近では、涼子と話すことも少ない。
オレは、一人で黙々と料理を作った。
「涼子。魚は煮るのと焼くの、どっちがいい?」
返事は無かった。
「涼子?」
オレは、そっと部屋を覗いた。涼子が顔だけをあげて、弱々しく微笑んだ。
「焼き魚でいいか?」
頷くので、オレは再びキッチンに戻った。
次の朝、目が覚めると辺りは奇妙に静かだった。
「涼子?」
ベッドの中に彼女はいなくて、オレは首を回した。窓際で、涼子は外を眺めていた。
「おはよう、圭吾」
小さな声で振り向くと言った。
「おはよう」
オレはベッドの中から手を伸ばすとエアコンのリモコンを探した。
「寒くないか?」
「うん。平気。それより外を見て。雪よ」
「ああ、昨日からな」
「すごくきれい。たくさん積もっているわ」
エアコンが唸りだし、準備運転を始めた。オレは床に脱いであったジャケットをたぐり寄せた。
「積もっている?それで静かなのか?」
涼子は、それには答えずにじっと外を眺め続けた。仕方なく、ジャケットを羽織ると意を決して冷たい部屋の空気の中へ身をさらした。
「本当だ。真っ白だな」
アパートの前の道はいく筋かのタイヤの跡がついていた。雪は一晩中降り続いていた。まだ、ちらちらと舞う白い粉は何もかもを白く覆いつくしていた。
「出かけられないな」
オレはつぶやいた。
「駄目よ、圭吾。今日は行かないと。愛香ちゃんが待っているわ」
「ああ」
生返事で答える。
「チェーンを巻くか」
スタッドレスタイヤなんて気の利いたものは持っていない。年に何度かしか降らない雪のために買おうという気になれなかったのだ。
「手伝うわ」
涼子は、まだ雪を眺めていた。
プレリュードはノロノロと片側二車線の国道を進んでいた。いつもに比べれば、そこを走る車はとても少ない。部屋から四キロを過ぎて、路上に立ち往生した車を五台は見ていた。ラジオからは記録的な大雪だ、とアナウンサーが興奮している。
「圭吾。きれいね」
運転するオレには景色を楽しむ余裕なんかなかった。チェーンが雪を掴む、シャリシャリという音が車内に響いていた。
「せめて道の上だけでも溶けてくれないかな」
涼子が、さっと振り向いて言った。
「駄目よ。もったいないわ」
オレは苦笑いして、ラジオの電源を切った。
「涼子。手がかりは?」
「え?」
「尋ね人の、だよ」
「え?」
「愛香ちゃんの。なんのために出かけたと思っているんだ?」
オレは、笑顔で言った。それにしても、こんなにはしゃぐ涼子は、二ヶ月ぶりだった。記録的な大雪も、役に立つこともある。きっと今ごろ小学校の校庭では雪合戦をやっている子供達で溢れているのだろう。子供の頃、雪が降ると、一時間目は必ず校庭で遊べたものだ。無理に授業をしたって、子供達は外が気になって仕方がない。閉じ込めておくことなんて不可能だった。
「そうなの?圭吾」
「え?」
「子供の頃、校庭で雪合戦をしたって」
オレは、思わず涼子の顔を見た。
「心を読んだのか?」
はっと、気付いて涼子は「ごめんなさい」とつぶやいた。今度は、オレが慌てた。
「いや、いいんだ。気にするな。最近、そういうこと無かったから驚いただけだ」
「ごめんなさい。気を付けていたんだけど。もう、しないわ」
オレは涼子の目から急速に光が失われていくのが見えた気がした。オレは、急いで首を振った。
「いや、誤解するな。別に読まれるのが嫌なんじゃないよ。うまく言えないが、そうしたければしてもいいんだ」
涼子がオレの顔を覗き込んだ。心を探るのではなく、オレの表情をただじっと探していた。
「本当?」
「ああ。でも、わかったことを全部、言うのはやめてくれ。触れられたくない過去もある」
「そうなの?」
不思議そうに涼子が言った。
「当り前だ。人には誰でも触れられたくないことがある」
「知らなかったわ」
そっと目をふせると、涼子は再び外へ目を移した。
「今日はいい日ね」
オレも、彼女の後ろから外を見遣った。
「そうだな。いい日だ」
本当は、そう思わなかった。涼子が振り向いて、オレの目を覗き込む。純粋な子供のように、最近少なくなった純粋な子供のような目で、彼女は言う。
「圭吾、そう思ってないでしょ」
そう言うと、微笑む。オレも、微笑んだ。
「そんなことないさ。ようやくお前が微笑んだ。それだけで充分だ」
涼子がにっこりと笑うと、オレに飛びついた。プレリュードが進路を乱されて尻をふった。
「圭吾。プレリュードも喜んでいるわ」
オレは笑い出した。
「こいつは犬じゃないんだぜ」
「ううん」
首を振って、涼子は言った。
「大きな黒い小犬よ」




