エルムVS灰の紳士ラット
エルムの見ている風景が瞬時に変化した。
場所は室内で、どうやら貴族の館のようだ。
シックな丸テーブルと、それを挟み込む配置で二脚の椅子があった。
『さて、お兄さん。次が最大の難所となるでしょう。なぜなら……伝説の竜装騎士、唯一の弱点である精神を司る〝灰色〟ですから!』
「灰色……奴か……」
『出でよ! 灰の紳士ラットの影よ!!』
少し猫背気味で、黒髪、無精髭を生やしたタキシードの男が歩いてきた。
一見するとただの人間なのだが、つかみ所のない雰囲気を醸し出している。
彼が操る言霊は特殊で、聞いた者を操ることができてしまう。
今のエルムにそれが効いてしまう状態なら、先手を打つしか勝つ方法が――
「ジャマだから、ちょっと死んでくれや」
エルムが動くよりも早く、ラットの声が聞こえた。
敗北だ。
『なっ!?』
しかし、驚きの声を上げたのはエルムではなかった。
ラット側であるはずのブレイスだ。
おかしいと思った。
エルムは言霊に支配されていない。
逆に――目の前にいるラットの影が消滅したのだ。
「これは……どういうことだ?」
「はっ、オレが自分の影を始末しただけだ」
信じられないことに、もう一人のラットがそこにはいたのだ。
『ラット、お前どうして!?』
「あぁん? オメェ、気が付いてなかったのかよ。七人の中で一番精神力が強いオレだぜ? 死んだくらいで魂まで消えるかよ。エルムの〝灰〟モードんときも表面に少し出てただろ、オレ」
『そ、そんな……バカな……この精神世界にまで干渉できるはずが……』
「んなこともわからねぇから、ずっと精神がガキなんだよ。頭でっかちの紫猫が」
『こ、この灰色ネズミ野郎がー!!』
「しばらく黙って見てろ」
ラットがパチンと指を鳴らすと、ブレイスは口をパクパクさせるだけになっていた。
どうやら言霊が効いたようだ。
「さて、久しぶりだなエルム。ちょっと座って話をしようや」
ラットは不敵に笑いながら、テーブルの椅子を引いた。
二人は椅子に座って、しばらく無言の状態が続いた。
さすがにエルムにとっては突然すぎたのだ。
これまで仲間達の影と連戦していたのに、なぜか本物の仲間――灰の紳士ラットが出てきた。
それも魂としてずっと居たという。
「ら、ラット……」
「ああ、いい。わかってる。ずっと一緒に居て見てきたから、エルムが何を言いたいのかもわかってる。まずはオレのことだろ? 死んだあと、お前の鎧の中にずぅっと居て、精神世界で守り続けていた。お前の心、結構危ないときもあったんだぜ」
「そ、そうなのか……」
たしかに〝灰モード〟を使うと、自分が自分ではなくなるような感覚があった。
それはラットの要素が幾ばくか表面に出ていたためなのだろう。
「バハムート十三世の野郎もそれに気付いていたが、気を利かせて黙っていたみてぇだな。まっ、これに関しては許してやってくれ。オレもこんな状況にならなきゃ、バラすつもりはなくて、一生お前は知らないはずだったんだからな」
「わ、わかった」
「それで何のために出てきたんだ? って顔をしてるな。わかるぜぇ、長い付き合いだからなぁ」
完全に会話のリードを取られているが、これはもう仕方がないことだ。
灰の紳士ラット相手ともなれば、思考は完全に読まれている。
彼が伝説の詐欺師とも呼ばれていた由縁だ。
「たしかに最初から出てきていても……と今さらながら思うところはあるな」
「なぜ今か? そりゃあ簡単なことさ。エルム……お前はオレの影には勝てないからさ」
それに関しては反論できなかった。
外での状態なら言霊が利かないかもしれないが、この精神世界ならほぼ確実に効いてしまうだろう。
そうでなければ、ブレイスが用意してくるはずもない。
「ここで終わらせちまったら、誰のためにもならねぇからな。たぶん、今は静観してるバハムート十三世が出張ってきて何もかもが無に帰す」
「ラット、何を言っているんだ……?」
「まぁ、今はわからなくてもいいさ。ただ今回オレが言いてぇのは……エルム、お前の弱点は今も昔も精神――特に優しさだ」
「優しさ……」
「今回の件だってそうさ。村の連中なんて見捨てて、ブレイスをぶっ殺しちまえば全部ひっくるめて解決だろう?」
「そ、それは……」
「だが、無意識にその選択肢を消しちまってる」
ラットがテーブル越しに顔を近づけてきた。
「できんだよ、オメェには」
「お、俺は……」
「あるだろ? 何もかもを滅ぼせる〝黒〟の力がよぉ」
エルムは黙ってしまう。
最強の存在だからこそ、選べない選択肢。
それを指摘されて、これまでの何よりも〝ダメージ〟を受けてしまう。
「これでブレイスを野放しにしたらどうなる? こんな厄介な魔王の因子を植え付けるアンデッド現象を広めていくことになるぜ?」
「それは……わかっている……だが……」
「だが? なぜしない? 理由は? 言えよ」
「俺は……それでも……ブレイスを信じている……」
甘い。
ラットなら即反論してきて、論破されてしまう言葉だろう。
それくらいわかっているが、エルムとしてはそれ以外は言えなかった。
だが、予想に反してラットは大笑いしていた。
「ダァッハッハッハ!! バカか、アホか、オメェそんな理由を目の前のオレに真顔で吐けるか、普通!! ヒィーッヒッヒッヒッヒ!! こりゃオメェ笑い死ぬ!!」
ラットは一通りそんな言葉を吐き出したあと、落ち着いた声色を向けてきた。
「だが、オレらの大将。伝説の竜装騎士サマ。おマヌケでお優しいエルムはこうでなくっちゃな」
「いつも思ってたが、それってバカにしてないか?」
「してるさ、オレにないモノを持っていて悔しいからな」
「よくわからないな……」
「いいんだよ、それで」
ラットはニッと良い笑顔を見せてくる。
「何も諦めたくないなら、諦めるな。諦めたら、奴は――バハムート十三世が神判を下す。誰も幸せにならない。だから、甘ちゃんのオメェを応援するぜ、オレはよぉ。それこそ死んでもだ」
「もう死んでるもんな、ラット」
「オメェもジョークを言えるようになったか、六百年の時間ってのは偉大だなぁ!」
こんなときにでも笑えるラットは、やっぱりつかみ所がない相手だと思ってしまう。
「さーて、そろそろ奴さんもしびれを切らしてる頃だ。オレは戻るぜ」
「ラット……ありがとう」
「よせよ、クズみたいな人間は礼を言われ慣れてねぇんだ」
そう言うと立ち上がったラットの姿が薄れて、徐々に透明になっていく。
消滅というというよりは、また鎧である〝万象神凱ウィルムメイル〟の中に戻っていくのだろう。
「バハムート十三世は影がないから、次の頭でっかち紫猫で最後だ。アイツを信じるって決めたなら、最後まで信じ切ってやれよな」
「ああ、わかってる」
「六百年ぶりに話せて嬉しかったぜ、エルム。じゃあな」
「俺も嬉しかったぞ、ラット」
ラットは背中を向けて、ヒラヒラと手を振った。
彼は消える瞬間に振り返って――
「あ、そうそう。六百年前にオレが全員にバカ勝ちしたカードゲーム。ありゃあイカサマだ。時効だから許せ、ダァッハッハッハッハ!!」
――そんなことを言って、最後までろくでもない詐欺師だった。





