屈辱的な勝利
ヴィクトールとガニアンの大将同士の一騎打ちは互角だったが、クロチェスターへ強襲をかけた飛竜部隊全体は優勢に戦いを進めていた。クロチェスターのことはワーウルフたちよりよく知っている。敵の戦力が前に集中していたことも大きい。抑えるべき要所を的確に制圧し、城内の制圧は八割方完了、そのまま残る二割と市街へ戦いを進めていた。
そこから目と鼻の先でローズ率いる騎馬隊は敵主力と互角以上の戦いをしていた。敵のワーウルフたちは背後のクロチェスターから聞こえて来る遠吠えに浮足立ち、その様子にルディア軍の士気が上がっていた。
右翼、ビュファール大佐率いる歩兵隊も敵が食いついてくるギリギリのペースと位置取りで進退を繰り返しながら少しずつ、敵を西へと引き離すことで上手く時間を稼いでいた。
しかし、左翼、中央軍の将軍に任せた部隊だけが違った。中央軍は国内の任務ばかりで実戦経験などほとんどない。あっても精々賊退治くらいのもの。この奪還作戦でもそのほとんどを後方に控えて過ごしていた中央軍の将軍がこの役割を与えられたのはブルダリアス長官の体面と彼自身のプライドによるところだった。
そして、大隊長が中央軍出身で、他よりも向こうのやり方に慣れている、という理由からスカーレット麾下の歩兵隊もこちらに編成されていた。
「マズいわね」
押され始めた戦場でスカーレットが呟いた。
ヴィクトールたちから言い渡された作戦を、プラン通りに実行する程度のことはやってのけた。しかし、そこ止まり。その後の立ち回りは右翼を任されたビュファール大佐に遠く及ばない稚拙なものだった。
最初に標的にされたのはシンバルやラッパ、太鼓などを鳴らし情報遮断を担っていた部隊。戦闘力の低いその部隊が狙われるリスクが高いことはヴィクトールたちも予見していたが、いくらなんでも細かい戦況まで予想はできないのであとは現場指揮官にゆだねられていた。
さすがにその部隊を潰されることは避けたが、その部隊を守るために陣形が崩れていった。そして、ついに、
ヲォォォオオオオオォォォン
甲冑が擦れ、ぶつかる金属音、剣戟の音、悲鳴、唸り、飛沫。様々な音にまぎれて、かすかだが、ハッキリと遠吠えがスカーレットの耳に聞こえた。分断され混乱が酷くなる一方の中で、ついに遠吠え妨害部隊が機能しなくなってしまったのだ。
敵ワーウルフたちの気配が一変する。
しかし、スカーレットにはその変化が何を示すのかわからない。ローズとは違い戦場での経験値が少ないというのもある。だが、何より、戦場が違う。戦力、精神ともにゆとりのない互角の戦場で受ければ浮き足立つが、優勢の戦場でならば凶報を受け止める余裕もある。
この戦場はワーウルフたちにとって後者だった。
遠吠えから数秒おいて一頭のワーウルフ――装備や体格、風格から見てこの戦場での指揮官に当たる個体だろう――が咆える。その咆哮が、騒がしかった戦場からワーウルフの唸り、獣特有の吐息、それらの音を、ほんの一瞬吹き飛ばし、
「マズいッ! 逃がすなッ!!」
反射的にスカーレットは叫んだ。
敵は一斉に西へ、クロチェスターの方へと動き始めた。根城であるクロチェスターが攻められている状態で、この戦場で戦う意味はないからだ。
スカーレット指示に反応して一部の兵がワーウルフたちの移動を妨げようとするが、大した効果はない。指示に反応した数が少ない上に、そもそも重い全身甲冑で固めている歩兵ではワーウルフたちに追い縋れるはずがない。
ローズの指揮する戦場とスカーレットのいる戦場は離れている。ワーウルフの足でも一時間くらいかかるだろう。
たった一時間の距離だ。
ローズ隊が助かるためには、たった一時間でヴィクトールの部隊がクロチェスターを制圧し、足止めしていたワーウルフを突破して城壁の内側に逃げ込むしかない。
「ラフレーズ隊長!」
スカーレット指揮下のため同じ戦場にいたエバーが不安そうな顔でスカーレットを呼ぶ。
「大丈夫。准将と司令なら敵の援軍がアッチに行くよりも早く片を付けるわよ」
大した気休めにもならないセリフだと自覚しつつ、スカーレットはそう言った。
「ハッ……ハッ……ハッ」
激しい戦いで上昇した体温を調節するためガニアンが長い舌を出して荒く呼吸する。
「ハァーッハァーッ……ハァーッ……ハァーッ…………」
しかし、ヴィクトールの呼吸はそれ以上に荒かった。肩を激しく上下させ、上半身全体で呼吸するように大きく荒い呼吸を繰り返す。呼吸の荒さはヴィクトールの疲労の現われ。
剣の特性を利用した無茶な攻撃が、ガニアンに通じたのは最初の一回、甘く見てもその次までがいいところだった。三度目には対応され、ガニアンは剣ではなく、拳でヴィクトールの剣を弾いた。さらに数回の踏み込みでヴィクトールの動きを見切り、斬りかえしてくるようになってきた。そうなると身体能力で勝るガニアンが攻勢に回った。
(この剣の欠点をわずかな打ち合いで見抜いて対応してくるとはな……)
ヴィクトールの剣の刃に引力、腹に斥力を生じさせるという能力は剣に付加された魔法ではなく、剣の材質――オリハルコンの性質である。つまり、ヴィクトールの意思でオンオフを切り替えることができない。永久磁石のように常時に力を発生し続ける。これは魔力を消費することなく特性を使い続けられるという意味でメリットであるが、何事においてもメリットとデメリットは表裏一体である。
(にしても……どこの間抜けだ……あんな上等な剣ほっぽって逃げたバカは)
ガニアンの構える剣を睨みつけ、どこの誰とも知らない剣の持ち主に向かって毒づく。
欠点その一・刀ではなく剣である、ということ。混同する、あるいは広く両者を一括りに呼称することもあるが、基本的に刀は片刃、剣は諸刃である。ヴィクトールの剣も諸刃。つまり、剣を打ち合うとき自分側の刃にも引力が生じている。それは鍔迫り合いの際、押し込む力が少しでも押し返えす力より弱ければ剣が容易に自分の側に返って来ることを意味する。
もちろん、ヴィクトールはそのデメリットを承知の上でこの剣を振るっている――というより、このデメリットが問題になることは少ない。何しろ七大鋼の中で最も硬く、重いオリハルコンの剣撃を受けられる金属は限られる。引力特性によって加速された剣閃にヴィクトール自身の剣腕、純粋な腕力も加味すればデメリットが顕在化することはほとんどないからだ。
動体視力、反射神経、筋力の俊敏性、あらゆる点で人間の上を行くワーウルフ、その中でも頂点にいるガニアンは身体能力ではヴィクトールより上にいることは当然覚悟していた。しかし、その武装はすぐに破壊できる、と計算していた。だが、ガニアンの振るっている剣はどうやらかなり上等な錬金鋼製のものらしく、使用者の腕もあってヴィクトールの剣とまともに刃を交えても今のところヒビ一つ入らない。
(クソッタレ)
王子とは思えない悪態を、内心で吐き捨てる。
しかし、内心で毒づきながらも戦場で敵から注意を逸らすようなヴィクトールではない。視覚はわずかな剣の角度の変化を捉えていたし、聴覚はガニアンのパンティングが静まっていくのを聞き逃さなかった。
「ゥルァァァアアアアッ」
無言で斬りかかってきたガニアンの剣を、自らを奮い立たせる咆哮を放ちながら、弾いた。強烈な衝撃に痺れる手に、ようやく、今までとは違う手ごたえを覚えた。待ちわびた、そして、訪れた勝機を、確認しようとして、思わず弾いた剣を目で追ったわずかな隙に、
「――――――カハッ」
鎧の隙間を狙ったガニアンの蹴りがヴィクトールの脇に突き刺さった。
衝撃で肺の中の空気が一気に吐き出されるが、鎧に阻まれたことと厚手の胴衣のおかげであばらが折れることは免れた。そのまま、崩れた体勢を立て直すために、吹き飛ばされるに任せて距離とる。
「ルァァァアアアッ」
だが、みすみす獲物に体勢を立て直させるほど狩人としてのワーウルフの本能は甘くない。ガニアンの追撃の剣閃が振り降ろされる。
「――ッ」
呼吸より先に腕を動かす。右手で剣を構え、押し負けないために左腕の篭手をガニアンの剣が当たるであろう位置の反対に添え、再び剣の腹でガードする構えをとる――と見せかけてガニアンの剣が斥力の範囲に入る直前で剣を九十度回し、刃を向ける。すでに振り降ろされていた剣は刃の引力で加速され、直後、
ガキィィィンッ
今までで一番の音と火花をたてた。添えていた左腕の篭手が押し切られ、自刃が腕にめり込む。そのまま剣を押し込めばヴィクトールの腕を斬り落とせる。さらには、その牙が届き、一噛みすればヴィクトールの負け――だと言うのに、ガニアンは跳び退き距離をとった。
「ハァー……ハァー…………ハッ……ハハハ」
笑いが込み上げてくるのが堪えられない。ヴィクトール自身にもなぜ、今笑いがこみあげて来るのか、この気持ちが何なのかわからなかった。おそらくは、助かったという安堵。また勝機を逃したという無念の失笑。綯い交ぜとなったそれらが噴き出したもの。
一方、ガニアンは牙を剥き、低く唸りながらヴィクトールを見据えながら自らの剣を視界に入るように持ち上げる。
持ち上げられたその剣は、ヴィクトールの左腕同様、その中ほどまで深く刃の痕が刻まれている。もし、あのまま押し込んでいたら、ヴィクトールの左腕を斬り落とすことはできただろう。しかし、ガニアンの牙がヴィクトールの頭蓋を砕く前に剣が断たれ、勝敗が逆転――ないし刺し違えに――なっていた。
右半身をガニアンに向ける形で半身に構え、この危うい均衡を保つ。
(さて、どうすっかな)
ガニアンの戦力はほとんど減っていない。傷らしい傷はなく、持久力が売りのワーウルフ相手では削れた体力もたかが知れている。半壊とはいえ未だ剣も携えている。ガニアンが一度距離をとったのもそのまま刺し違える危険を冒すより仕切り直した方が勝算が高いと悟っていたからだろう。
しかし、迷っている時間はヴィクトールにはない。
クロチェスター付近で敵主力と戦っているローズ率いる騎馬隊。左翼右翼の歩兵隊。それぞれの戦況はわからない。どこも厳しい戦いの上、一か所崩れれば作戦は破綻する。その前にクロチェスターを制圧し、ガニアンを討ち取らなければならない。
それに、斬り落とされてはいないが左腕の傷は深い。早く治療しなければこの戦いはおろか二度と使い物にならななくなる。いや、それどこころか、あふれ出る尋常ではない血の量。せめて止血しなければこのまま失血死の危険もある。
ガニアンがヴィクトールの左に回り込もうとする。それを防ぐためにヴィクトールが右へ緩やかな弧を描くように右へ移動する。環というのはさまざまな学問、思想で永遠の象徴とされるが、二人の描く輪が長くは続かないことは明らかで、
(来るか)
長くは続かないその均衡を、ガニアンが破ろうと決め、ヴィクトールがそれを覚った刹那。
キュォォォ――――ン
オォォォ――――ン
ガニアンより力強さに欠け、心なしか高い遠吠えが響いた。跳躍の予備運動で身を沈めていたガニアンも動きを止めている。しかし、その耳だけが反応を示した。次の瞬間、
「待てッ!」
ガニアンがヴィクトールに背を向け、城の奥へと通じる廊下へ駆け出した。
ヴィクトールが率いてきた飛竜部隊は、ヴィクトールがガニアンとの一騎打ちに臨んだときから、ドーバートン少佐が指揮を引き継ぎクロチェスターの制圧に当たっていた。要所を抑え、順調に制圧を進めた彼らの一小隊がクロチェスターの最奥の一室に突入した。
「動くなッ!」
豪奢なベッドに横たわるワーウルフへクロスボウを向け、告げたが、そのワーウルフは従うことなく天井を仰いで大きく吠えて仲間を呼んだ。
「捕らえろッ!」
ドーバートン少佐の命令で数人の兵が横たわるワーウルフを拘束するために動く。戦わず逃げ出そうしたワーウルフを半数がかり押さえつけ、拘束する。しかし、床に押さえつけ、手際よく特殊な縄で縛りあげる中、誰一人もがきながらも助けを呼ぼうと吠えるワーウルフの口を封じようとはしなかった。
ギャァァァッ
ワーウルフを完璧に拘束し終えたとき、少し離れたところから断末魔が聞こえてきた。それを合図に全員が部屋の入り口へ構える。弓兵はクロスボウを構え、それ以外の兵は剣やハルバートを構え、飛び込んで来るであろう敵に備え、
「ッてェッ!」
少佐の号令で番えられた矢が戸口に現われた影をハリネズミにした。
「よしッ!」
グラリとよろめき、揺れ、倒れる影に兵の誰かがそう叫んだ。
直後、別の影が倒れる影の背後から飛び出し、弓兵三名を一薙ぎに斬り飛ばした。
しかし、彼らも精鋭中の精鋭である。仲間が斬り飛ばされても怯むことなく役割をこなす。弓兵は散開し、代わりに近接兵装の兵たちが飛び込んできたワーウルフ――ガニアンを取り囲む。
一対十の戦いにも関わらず、ガニアンは互角以上の戦いを繰り広げた。そればかりか一分に満たない戦いで何本かのハルバートが斬り落とされた。生き残った弓兵が射かけた矢も七本中三本は斬り落とされ、二本は躱された。
長引けば彼らの壁は突破される、とドーバートン少佐のこめかみを汗が伝った。
「お前ら、もうちょい頼むぜ」
軽い調子のセリフとともにガニアンの胸に剣の切っ先が現れ、そのまま上に向けて切り上げられる。自分を背後から襲った敵を倒そうと身を捩るガニアンの首を、斬り落とし、
「悪いな」
転がったガニアン首に向かってヴィクトールが告げる。
「司令! おケガを!?」
「ああ、一人止血を手伝ってくれ。残りは作戦継続」
ヘタにボスの首を晒すような真似はしない。別に敵に敬意を表したわけではない。ボスの首を晒したところで敵に動揺を誘えるとは限らない。だが、ボスが死んだとわからなければ敵の指揮系統に混乱を招ける。
「はっ! 市街区の制圧は後回しにしろ! 先に城壁城門を制圧! それから、狼煙でラズワルド准将に伝達! 急げ!」
ヴィクトールの指示を受けドーバートン少佐が詳細な指示を飛ばす。
そんな中、ヴィクトールは縛り上げられたワーウルフを見つめる。
両手を後ろ手に縛られ、両足も縛られている。ガニアンを釣る餌としての役割も終わったため大型犬用のものを改造した革製の口輪で口も縛められながらも荒い息づかいでヴィクトールを睨んでいる。
噛み殺してやる!
憎悪を込めた目がそう語っている。
その腹は大きく膨らんでいる。ガニアンの仔だ。
オオカミは群れの上位ペアだけが繁殖するそうだが、ワーウルフはその辺は少しオオカミとしての性に人間味が混ざっているという。下位の個体は繁殖をしない――というよりできない。強い個体が選ばれる故なのか、階級制だからなのか、はたまたエサなどの要因によるものなのか、理由はわからないそうだがとにかく下位の個体は繁殖を許されない。中位以上の個体は基本的に同格の者を選んで繁殖をする。そして、仔を宿した母体は巣や縄張りの奥、一番安全なところで護られ、仔を産み、育てる。その間、ボスはその側で身重の者たちを守ることが多いのだそうだ。
むろん、これほど大規模な群れは過去に例がない。だが、生態から考えて一番ボスがいる可能性が高いのはここだった。だから、ヴィクトールはクロチェスター上空に飛竜部隊の大半を集めて張っていた。そして、襲撃した、クロチェスターにいるのはわずかな警備を除けば牝――それも仔を宿した身重の個体ばかりと承知の上で。
その憎悪の視線を一身に受け大きく息を吐き、
「一騎打ちなら……悔しいが、たぶんお前の勝ちだったよ」
転がるガニアンの首にそう告げた。
卑怯でも負けるわけにはいかない。だから、
「城内および市街にいる牝はできるかぎり殺すな。連中に人質が通じるならそれで退かせることができる」
その後、戦いはヴィクトールの思惑通りになった。
左翼の足止め隊を振り払ったワーウルフたちにローズ隊が挟撃される直前に、ヴィクトール隊がクロチェスターの城壁を制圧、ローズ隊は寸でのところで城壁内に逃げ込むことに成功。足止めの歩兵隊は狼煙の合図を見てガランス方面の陣へ下がり、敵のガランス側への攻撃に備えた。そこで、一度戦いは小康状態となった。
ガランス側の陣に戻った歩兵隊は大した損害もなくほぼ五千の兵力を維持。
クロチェスターに入ったルディア軍は激戦だった騎馬隊に多少の損害があったものの、飛竜隊と合わせて七千三百弱。
一方、合流した敵はおよそ一万。数の上では分散したルディア軍の片方ずつには勝るものの片方は堅牢な城塞に立て籠っている。数の少ない歩兵側を攻めようにもボスを失い、位置取りでは挟まれて、では士気も上がらない。
敵が新たなボスを決め、まとまる前にクロチェスターから『西の川向うに人質の半数を開放した。このまま鉄の森へ去るなら残りの人質も解放する』と伝えた。次期ボス候補である幹部連中の大半はクロチェスターにペアがいた。そのまま退けばそれが助かるというなら応じる者も出て来る。ただでさえ、要であるボスを失ったワーウルフの巨大な群れが瓦解するのにそれほど時間はかからなかった。




