一騎打ち
ウォォォォォオオオオオン
クロチェスターから見て朝日が地平線から完全に顔を出したころ、冬の冷たく澄んだ朝の大気を遠吠えが震わせた。その音にクロチェスターの最奥のもっとも造りの良い一室にいた二頭のワーウルフの内の一頭の耳が反応した。
ウォォォォォオオオオオン
石造りの城内に木霊しただけではない。人間の耳には違いがわからない。しかし、獣人の耳には明確な違いがあるその遠吠えにムクリと寝ていたワーウルフの大きな方が身体を起こす。
ウォォォォォオオオオオン
ウォォォォォオオオオオン
ウォォォォォオオオオオン
三度目。四度目。そして、五度目。前の残響が消える間もなく続く遠吠えが次々と石造りの城に反響し、折り重なり、ワーウルフの耳にも聞き分けられなくなる。
「行くの?」
絶え間なく続く遠吠えの嵐か、大きな方のワーウルフが立ち上がった際のわずかなベッドの軋みか、いつの間にか起きていた小柄な方のワーウルフが部屋を出ていこうとする大柄な方を呼び止めた。
「ああ、敵が動いたようだ」
短くそう答えると、大柄なワーウルフは部屋の隅に置いてあった大剣を手に取り、ルディア王国の最西端、橋頭堡たるクロチェスターには数少ない簡素ながらも設えの良い部屋を後にした。入り組んだ廊下を進み、東――敵の陣取る側を一望できるテラスへ出る。
「ウォォォォォオオオオオン」
一際大きく、力強い遠吠えで指示を飛ばす。
途端、それまでサイレンのように大気を震わせていた遠吠えがピタリと止んだ。そのまま続報を知らせる遠吠えを耳を澄まして待つ。
早朝の奇襲によってルディア軍が主導権を握っていた戦いを、クロチェスターから轟いた咆哮が塗り替えた。
「一時後退、全軍距離をとれ!」
遥かクロチェスターから轟いたたった一つの咆哮が浮き足立っていたワーウルフたちを落ち着かせた――その敵の変化を敏感に感じ取ったビュファール大佐が一度距離をとるよう指示を出した。
密着したまま急に相手の士気が一変すれば、その変化に呑まれる。物理的、人的な戦力にはなんらの変化がなくとも、流れが逆転する。だから、ビュファール大佐は距離をとった。そうすることで優勢だった戦いの流れに捨てる代わりに、致命的な流れの逆転を防ぎ、戦いを振り出しに戻すに留めた。
(『作戦』第一段階はクリアだな)
笑うように口角を上げるビュファール大佐。しかし、その引き攣った笑みは作戦が順調に進んでいることを喜んでいるものではない。戦場という極限状況下で目の前に迫る危機に対する怯え、竦みといったマイナスの感情が相反する形で現れた笑み。
何しろ、ビュファール大佐が率いるのは歩兵二千五百。対するワーウルフは三千。敵は広く分散し、加えて奇襲で一定の打撃を加えられたとはいえ、個々の身体能力で上回る敵を相手に同数以下での戦い。
しかも、ここから先は奇襲で掴んだ流れのあった先ほどまでとは違う。ただぶつかれば戦力差が純粋な結果として現れることになる。しかし、膠着したままではいられない。ここまは『作戦』の第一段階に過ぎないのだから。
(こっから先がオレの力の見せ所ってこったぁな)
ビュファール大佐の笑みから強張りが落ち、内に秘められていた別の笑みが覗く。ある種の狂気を孕んだ獰猛な笑み。強敵を目の前に喜びに打ち震える笑み。
「いいかぁ野郎ども! こっからが男の見せ所だぞ! 全員気合い入れろォ!」
ビュファール大佐の鼓舞に、オオォッ! と兵たちが野太い咆哮で答えた。
「打ち鳴らせェェェエエエエエッ!!」
後方で向かって右翼の敵と戦うビュファール大佐の隊。同様に左翼の敵と戦う中央軍の将軍率いる一団。両翼を相手取る二隊の鳴らすシンバルやラッパ、太鼓の音がクロチェスターから数キロの地点で待機していたローズ隊に作戦が第一段階から第二段かいへと進んだことを知らせた。
「さあ、出番だ! 全軍突撃ッ!!」
およそ五千の騎馬の蹄がローズの一声で一斉に大地を蹴った。
――なんでオレが馬に合わせないといけないんだ
騎馬隊の先頭をゆっくりと駆けながらアルコンティアがおきまりの不満を漏らす。
「馬がアルに合わせるのはムリだからな」
そんな不平を茶化して返す間にクロチェスターの城壁が迫って来た。しかし、その前にはすでにローズ率いる騎馬隊の存在に気づいていたワーウルフたちが待ち構えている。その数はやはり三千前後。しかし、人間同士ならばいざ知らず、ワーウルフたち相手に戦力比五対三ではなんとか戦える程度――いや、相手が武装している精鋭というべき群れであることを加味すれば厳しいこちらも厳しい戦いになる。
――まったく、全力でやればこの程度物の数じゃないってのに
「侮るな。」
――わかってる
直後、ローズたちの部隊と武装ワーウルフの群が激突した。
ウォォォォォオオオオオン
直援の群がローズ隊と激突した直後、その群からの遠吠えがクロチェスターに届いた。
「やはり、例のユニコーンを駆る将軍はこっちに来たか」
遠吠えを聞いて、先ほど全体に指示を飛ばした総領、あるいは大ボスとでも呼ぶべきワーウルフが唸った。
マーナガルムに産み落とされ、クロチェスターに押し寄せたときの戦いで自分たちの邪魔をしたユニコーンを従える人間。その後も夏前に一度わずかな仲間を連れて縄張りを突破していき、今回の一連の戦いでも幾度かその存在が目撃されていた強敵。当然、その存在は注視していた。
「読みが当たったな」
大ボスのワーウルフ踵を返して城内へ向き直るといつの間にかテラスの入り口に立っていた側近らしいワーウルフが賞賛する。
「当然だ」
部下の賞賛を何の感慨もなく大ボスのワーウルフが一言で片づける。
今、東から攻めてきている連中は夏に南から来た連中と違って小賢しい魔術の類は使ってこないようだ。その上、数も同数かわずかに上回る程度。ならば、個々の能力で勝る以上恐れるべきはユニコーンただ一騎のみ。
では、両陣営広く構えた状況で、たった一騎しかいない貴重な戦力をどう使うか?
その最有力手段が大将――つまり、巨大な群れを束ねる大ボスを討つこと。ユニコーンの力がいかに強くとも体力には限りがあり、傷を負う可能性もゼロではない。傷を負えば動きが鈍くなり、脅威度は――敵にとっては勝機が下がる。敵にも知恵がある。だからこそ、それらを避けボスのいるクロチェスターへ仕掛けて来ることはわかっていた。
「さて、オレたちも出……」
言いかけて止まる。理由は獣人の聴覚が聞き取った風切り音。城に吹き付ける風が奏でる音とはまるで違う。翼が大気を切り裂く、本能的に訴えかける戦慄の音。
本能的に飛び退きながら、体を百八十度反転させて、音の正体へと向き直ったワーウルフの視界に複数の騎影が映る。その内の一騎は間違いなく開け放たれたままのテラスへ真っ直ぐ突っ込んで来る。
側近のワーウルフが敵襲を知らせる方向を上げたのとヒッポグリフがテラスのガラス戸を破壊して城内に飛び込んだのとはほぼ同時だった。
遠吠えをあげるために白い喉笛を見せていた側近の首が赤銅色の剣閃に一閃された。知性が側近の首が刎ねられたことに戦慄を覚えるよりも早く、獣としての本能がそのわずかな隙を突け、とワーウルフの身体を突き動かした。跳躍し、空中で抜剣。ワーウルフの筋力に落下の勢いも重ねた剣閃を敵に振り下ろす。
(やるな……だが、甘いッ!)
敵も相当の手練れなのだろう。剣の戻りが予想よりも早い。振り降ろした剣を受け止めるように剣の腹を向けて待ち構えている。しかし、それだけならなんら問題はない。手練れであっても所詮人間。ワーウルフの筋力に跳躍から落下の勢いを加えた剣閃を受け止められるはずがない。振り降ろした剣が敵を剣ごと両断する――はずだった。
「なっ……!?」
しかし、直前の数瞬から剣を握る手に抵抗感が伝わって来た。そして、剣戟の音も、火花も散ることなく弾かれた。得体の知れない防御に即座に敵の全容を視界に収めることができる位置まで距離をとる。
「お前の方がボス……でいいんだよな?」
ヒッポグリフに跨ったブロンズブロンドの髪の男が余裕たっぷりに訊いてきた。
「お前の方がボス……でいいんだよな?」
高揚感から笑みを浮かべながら正面のワーウルフに向けてヴィクトールが問う。
「貴様……」
牙を剥いてそれだけ唸っただけでワーウルフは質問には答えない。
「答えてくれよ。お前がボスか? それとも……」
剣でヒッポグリフの足元に転がるワーウルフの死体を指し、
「こっちのヤツがボスか?」
しかし、ワーウルフはなおも答えない。
(まあ、聞くまでもないか)
目の前に対峙するワーウルフがボスであろうとなかろうと、敵ならば討つしかない。それにあっさりと首を落とすことができた足元のヤツがボスという可能性は低い。なぜなら、人間の場合集団の長と言っても長たる所以には様々な理由がある。年齢、知恵、実績、社会的地位、血筋、さらには人望のような曖昧なものまで。いや、そればかりか実力的にはあらゆる劣る者がナンバーワンになり、ナンバーツーが実権を握るということも少なくない。しかし、ワーウルフの場合、求められるのは個の純粋な強さだけ。ならば、一撃で倒せた足元の敵より一瞬の隙を突いて斬りかかってきた正面の敵の方がボスの可能性は高い。
「司令! 単身での先行はおやめください!! ここからは私が……」
ヴィクトールの背後に降り立ったドーバートン少佐が上ずった声で諌言する。
「大将同士の一騎打ちに水を注すな……よッ!」
振り返りもせずヴィクトールが答える。と、同時に、手綱を操り、ヒッポグリフを駆る。一跳びでワーウルフとの間合いを詰め、ヒッポグリフが猛禽の前脚を薙ぐ。
「グルゥァアアアッ!」
咆哮とともにワーウルフが振るった剣がヒッポグリフの爪を斬り落とす。動揺と警戒から跳び退るヒッポグリフ。しかし、その背にいたはずの騎手の姿がいつの間にかいない。そのことに気づいたのとほぼ同時に視界の端の影を察知した。
「自己紹介が遅れたな、ルディア軍西方軍司令ヴィクトール・ルグリフィスだ。私怨は無いが、お前の首を頂く」
ヴィクトールが剣を打ち込みながら名乗ると、
「ガニアンだ。やれるものならやってみろ」
その剣を受け止め、獰猛に牙を剥いて笑いながらワーウルフも倣って名乗った。
ウォォォォォオオオオオン
ヴィクトール率いる飛竜部隊が強襲をかけてから十数分、クロチェスターの直近で戦うローズたちの耳にいくつかの遠吠えが響いてきていた。
それが伝える内容はローズたちにはわからない。しかし、その遠吠えに先のような力強さはない。最初は期待からそう聞こえるだけかとも思ったが、時間が立つにつれ期待が確信に変わっていた。肌で感じる戦場の空気が、先ほどから遠吠えで眼前のワーウルフたちの士気が高まるどころか、むしろ浮足立っていることを伝えてくる。
「准将!」
同じように聞こえ、感じたのだろう、偶然側にいたヴァイオレットが勝利の光明を見出した張りのある声で呼ぶ。
「ああ、上手くいっているようだな」
作戦の最中ずっと胸に立ち込めていた暗雲が晴れてローズがホッと胸をなでおろす。
『連中の頭を――群れのボスを叩く』
一昨日。ビュファール大佐と共にヴィクトールの天幕へ撤退を進言しに行ったとき、勝敗をはっきりさせる作戦がある、というヴィクトールに『聞かせてもらおう』と続きを促したところ簡潔に告げられたのがこの一言だった。
劣勢の軍や数で劣る勢力が一発逆転を狙う有効な手段として集団のトップを叩く、というのは常道ではある。戦場ならば奇襲や敗北覚悟の一点突破、局所的に乱戦に持ち込むなど手段はいくつかあるが、
『バカな……そんな賭けに出る必要はないだろ!!』
この戦術は基本的に劣勢の軍のすること。確かに優勢とは言い難い。このままでは勝てないだろう。しかし、このまま退けば負けは避けられる戦いでそんな危険を冒してまで勝敗を決する意味があるとは思えなかった。
『オレもそう思うな』
ビュファール大佐がローズの意見に賛成した。
『それにヴィクトール。お前がどんな作戦考えてっか知らんが敵のボスを討つ役……ローズにやらせる気だろうな?』
直前にヴィクトールがローズに向かって『お前の協力が不可欠だが』と前置きしたセリフから警戒心を露わにビュファール大佐が問う。
『こんなときだけ保護者面か?』
『ヴィクトール、お前……』
『大佐、私の心配なら無用です』
嘲るようなヴィクトールの問い返しにビュファール大佐が頭に血を昇らせかけるが、それをローズが諌めた。
『私が引き受けなければ済むことです。兵たちまで巻き込むような賭けは二度としないと心に決めていますので。避けられないならともかく、避けられる賭けはしません』
そのセリフで大佐の頭に昇った血が降りたのを確認してから『ですが……』と付け加え、
『お前なら私がそんな役目を引き受けないことくらい百も承知のはずだな?』
ローズが睨みつけるのも意に介さず『さすが、ローズ』と軽い反応で返し、
『敵中に飛び込む役はオレがやる』
そこからヴィクトールが作戦の詳細を話した。
まず、第一段階。敵のボスがどこにいるか探る。
混成師団を組み換え、歩兵五千を二隊に分け、これを持って両翼へ奇襲を仕掛ける。ここまでの戦いで訓練もしていないワーウルフたちが軍に勝るほどの連携をとれる理由が遠吠えにあることがわかっていた。その遠吠えを利用して敵のボスを見つける算段。早朝、両翼への奇襲。浮足立った連中は必ず遠吠えで指示を請う。それに応えるであろう、全体を統括する遠吠えを発する個体を探す。
そして、第二段階。敵の分断と足止め。
最初に奇襲を仕掛ける両翼に加え、中央にも攻撃を仕掛ける。全面的に戦いを仕掛けることで敵のボスがどこにいてもそちらに増援がいかないようにする必要があった。さらに、ラッパやシンバル、太鼓などによってワーウルフたちの情報伝達、連携の要である遠吠えを妨害。戦力と情報の両面で敵を分断する。
勝負の第三段階。飛竜部隊による強襲。
ワーウルフは武器防具を手に入れているが、飛竜は持っていない。だから、空からの強襲には精々矢を射る程度の応戦しかできない。それもギリギリまで察知させないために太陽を背にすることができる早朝に仕掛ける。
ボスさえ討ち取ってしまえば敵は統制を失う公算が高かった。ゾウのような母系の年功序列の群れの場合、ボスが死んでもすぐに次点の者が引き継いで安定を保つ。しかし、サルのようにオスが実力制でボスの地位を争う群れの場合ボスが空位になれば幹部クラスとでもいう連中が次のボスの座を争ってすぐには体勢を立て直せない。
ワーウルフについては過去の資料などから後者に当てはまる可能性が高かった。もちろん、資料に一万近い群れの例などない。だが、仮にそうならなくとも一万近い巨大な群れをまとめていた要を失えば集団としての脅威は格段に下がることは間違いない。
確かによくできた作戦だった。前回の戦いで損害を出し、知らず知らずのうちに思考が安全策に偏っていたローズには思いつかなった作戦だった。しかし、
『危険すぎる! あれだけの数を束ねるボスだぞ!?』
ワーウルフのボスは基本実力制。つまり、個の力が強い者がボスになる。単純に考えて一万近いワーウルフたちの中でもっとも強い個体と戦うことになる。しかも、この作戦ではボスの周囲にどれだけの戦力がいるか見当がつかない。飛竜部隊は二千五百。数百程度なら余裕だが、仮に千を超える数がいれば綱渡り状態になる。
そして、ボスを討ち取れたとしても危険は止まない。ボスを討ち取った者――それを討ち取れば次のボスが決まるも同然。自然、ボスの地位を狙う幹部クラスに狙われる危険が出て来る。脱出しようにも、飛竜もヒッポグリフも即座に飛翔できるわけではない。
『だから、お前の協力がいるんだろ?』
そう当然のように言ったヴィクトールは笑っていた。どこか陰のある笑みで。
(死ぬ気なんじゃないかとも思ったが…………杞憂だったようだな)
ヴィクトールはこの作戦を『勝敗がはっきりする策』と表現した。『勝利の策』でも『負けないための策』でもなく、『勝敗がはっきりする策』と。それはつまり、敗北する可能性もある、ということだ。
事実、この作戦はワーウルフのボスを討ち取れるかどうかにかかっている。
そこに懸念があった。ボスが平野にいればいい、集団で囲んで討つことも、矢を射かけて遠巻きにすることもできる。だが、一番ボスがいる公算が高いのはクロチェスターの城内で、狭い城内では集団では戦えない。一万のワーウルフの中で最強のワーウルフを数名――おそらくは一対一で――倒さなければならない。
それだけの腕がある者など限られる。ヴィクトールはその筆頭で、口ぶりから自身がその役を負うつもりであることは察しがついた。ヴィクトール腕なら勝算がないとは思わないが、相手は身体能力で上回るワーウルフの中でも最強のワーウルフ。
絶対はない。
そして、ヴィクトールには自分を責める理由があった。
オーリュトモスの遠征を止められなかったこと。イースウェア侵攻の情報を掴んでいながら秘密の諜報部隊の存在隠匿のために西方軍がその情報を掴んでいるか確認をとらなかったこと。それによって西方軍のみならず、民間人にも多大な被害を出したこと。自身を権力争いの道具として押し立てたい、というブルダリアス長官の思惑での作戦が敢行されたこと。それを止めようともしなかった。
あくまでヴィクトールの良心を信じ、その脆さを危ぶむなら、だが。それでも、可能性の一つとしてヴィクトールが自身の命を賭けることでけじめをつけようとしていた可能性はある。それは単なる思い過ごしかもしれないし、あるいは本当にそうだったのかもしれない。
しかし、敵は浮足立っている。つまり、城内へ強襲した部隊が優勢であること――ひいてはヴィクトールが本気で勝つつもりで戦っていることを示している。ならば、
「もうすぐ司令が敵のボスを討つ! それまでこいつらを城へ戻すなッ!!」
事前に通達してあった作戦を、もう一度叫ぶ。
(クソッ……失敗した!)
ヴィクトールは歯噛みした。
突入直後の敵の鋭く、重い斬り込みに、思わず剣の腹で――手の内を晒して――防御してしまったことを。ここ何年も自分以上の実力者と戦っていなかったことが裏目に出てしまった。近い実力の持ち主たちローズやドゥムジョ教官、ビュファール大佐のいずれもスピードや技の戦いをするので重量級の一撃に対する対処を誤った。
全力で剣を交えたのは敵の初撃に対する防御と名乗りの直前のヒッポグリフを囮にした一撃。そのたった二回でガニアンと名乗ったワーウルフのボスは剣を通して伝わってきた感覚、あるいは直接肌で感じた感覚に違和感を覚えたらしい。パワー、スピードどちらをとっても勝るにもかかわらず、警戒して深く踏み込んでは来ない。
向こうが踏み込んでこない。打ち込んでこない。ならば、とヴィクトールから打ち込んでみても真正面から受け止めてはくれない。斜めに、絶妙な角度で受けて弾き、なおも危険と判断すると慢心なく距離をとりに来る。
おかげで互角の戦いをできているが、同時に勝負に出ることもできないでいる。
「その剣……」
幾度目かに二人が距離をとったときガニアンが口を開いた。
「その剣、オリハルコンだな?」
やはり見抜かれていたか、と苦味を覚える。
七大鋼の一つ大地の銅。地の神がノームに授けた金属。その性質は引力と斥力。まるで磁石のS極とN極のように、一つの塊が必ず万物を引き寄せる力と弾く力を持つ。
ヴィクトールの剣は、刃の側に引力が、腹の側に斥力が生じるように鍛えられている。引力によって剣と標的の相対的な打ち込み速度を加速し、剣撃を重くする。そして、斥力によってあらゆる物理攻撃を鈍く、そして軽減しその防御を容易にする。
敵の初撃、あまりに重そうな――おそらくまともに受ければ七大鋼の剣が両断されることはなくともヴィクトールがバランスを崩すことは必至な――一撃に反射的に特性に頼った防御をしてしまったのだ。
「ほぉ、オリハルコンを知ってるのか?」
苦味を飲み下し、素知らぬ顔で訊き返す。
この剣がオリハルコン製であると見抜くことは難しくない。何しろ刀身が赤銅色をしているのだから。銅は金属としては比較的柔らかく、鉄とは違い武器防具には向かない。だから、銅のように見える金属は銅ではない別の何か。そこに剣を交えたときの感覚を加味すれば容易に正解に至る。
ただし、それはオリハルコンの性質を知っていれば、という注釈つきだ。
「戦い方も結構兵法に則った戦い方してると気にはなったが、獣の本能が為せる業だろうと深くは考えなかった。だが、その知識は本能じゃ説明できない。お前ら生まれてまだ一年経ってないだろ? 最初から成長した姿で産み落とされたみたいだが、知識も与えられて産み落とされたのか? それともオレたちが残した書物から学んだか?」
あえて言葉を交わすのは安い挑発などが目的ではない。
獣人にも色々いるが、ワーウルフが人間の書物を読んで知識を得た、という話は聞かない。文字が読めないのではなく、そもそも人を獲物や繁殖のための道具程度にしか思っていない種は人間の文化を知ろうという意思や行動を見せないのだという。
だが、ガニアンたちは通常のワーウルフとは違い、マーナガルムに創られたワーウルフだ。ならば、普通とは違い人間の文化に混ざろうという意思を示すかもしれない。それが叶うなら共存の道もあるかもしれない。
そして、その希望的な見込みが外れてもガニアンに“思考”させることで獣の、本能的な動きを鈍らせることはできるかもしれない。
「さてな。いつ知ったかなんて覚えてないな」
だが、ガニアンは大して考えることもなくそう答えた。
学んだ覚えのない知識をどこで知ったか? という自己の由来にも疑問を投げかけるような問い。それに対する思考時間の短さはガニアンが今までのワーウルフとなんら変わらない存在であることを示していた。
(平和的な解決はムリ……か)
そして、隙も生まれなかった。剣の特性もバレている。なら、
「足止め頼むぞ、ドーバートン、ローズ」
飛竜部隊を率いて同時に突入し城内の敵の足止め(できれば掃討)を任せているドーバートン少佐と街の外で敵の主力を抑えてくれているはずのローズへ呼びかける。
「何か言ったか?」
「本気でやってやるって言ったんだよ。行くぞ!」
言うや否や、深く身を沈めて突進する。敵を間合いに捉えるとすぐに腰のあたりを両断するように横薙ぎの剣閃を放つ。敵は的確に後ろへ退く。退いてそれを交わしたところでようやく驚愕に目を開いた。
「グッ……」
剣が、使い手であるヴィクトールの体勢を無視して、勝手に、ガニアンの腹を貫こうと追随したのだ。ガニアンが今度は後ろではなく、ヴィクトールから見て右に避ける。が、剣はそれも追撃した。ただ躱すことに危険を感じたガニアンが観念するようにヴィクトールの剣を弾いて、剣閃を完全に逸らしてから大きく距離をとる。
(こんな手が通じるのは後せいぜい一か……いや、もう無理か)
距離をとったガニアンの警戒心は最高潮に達している。剣の特性を看破し、どこか弛んでいたその心を引き締め直して、唸っている。
だが、あまり悠長に構えてもいられない。城内の戦いはどうやら優勢のようだが、こちらが優勢ということはその分の敵戦力が表にいるということだ。
リスクを承知で再び間合いを詰め、剣を打ち込む。




