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ルディア戦記  作者: 足立葵
第三話「堕ちた鬱金の水仙」
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第十五章 動揺

「かかれッ!」

 号令と同時に百騎足らずの騎馬隊が眼下に見える村へ向かって駆けだす。

 目標の村からは微かだが悲鳴が聞こえ、村の端々からは人が、馬車が、蜘蛛の子を散らすように逃げ出している。もちろん、襲撃者たちが黙ってそれを見逃すはずもない。村から丘の方へと逃げ出してきた親子の背に襲撃者が槍を振りかぶる。

 それとほぼ同時に騎馬隊の先頭を駆ける白い騎影が交錯した。

 交差と同時に振り抜いた剣には確かな手ごたえがあった。親子の無事を確認するために騎首を翻すと、斬り落とした槍の穂先が親子の背後に鈍い音を立てて突き刺さるところだった。

「ケガは?」

 怯えた親子には口を開いて答えるだけの精神的余裕がないらしく、答えの代わりに首を振ってケガがないことを示した。

「歩けるならこのまま北へいきなさい、後続の部隊が民間人を保護しています」

 ローズがそう告げるのと同時に騎馬隊が追い越し、村に駆け込んでいく。

 しかし、騎馬隊は誰一人としてルディア軍の軍服も身につけていない。代わりに騎士たちは独特なスケイルメイルに身を包んでいる。いや、スケイルメイルとは言えないかもしれない。彼らの鎧は金属や革の小片綴って拵えているのではなく、鱗のある生物――おそらく、鱗の形状、色彩からみて大型の怪魚――の皮を加工したレーザーアーマーだ。

 そして、彼らが駆る馬も普通の馬ではない。青とも緑ともつかない水面のような碧の毛並み。鬣は水草か水生の藻のようで、何より、尻尾が馬のそれではなく魚のそれをしているケルピーと呼ばれる妖馬だ。

 彼らはウンディーネの騎士と騎馬たち。王都から西方までは馬でも普通に進めば十日弱、どんなに急いでも五日はかかる。少数ならば各街で乗り継ぐという手があるが、援軍と呼べる規模の移動でそれは不可能。しかし、イースウェア軍に国内侵入を許してしまった以上、事は一刻を争う。

 もちろん、アルコンティアならばローズを乗せ、その日の内に西方まで戻ることは可能だった。しかし、単騎では意味がない。数の大小はともかく、『援軍』と呼べる部隊が来たという事実が味方の士気を高め、敵に動揺をもたらす。それに襲われている人々を庇い、助ける戦いでは万に値する一騎よりも百の力を持つ百騎の方が有効だ。

 そこで、ローズはウンディーネの力を借りることにした。

 水中で暮らすウンディーネに他の民は干渉することが困難なため、彼らは地上の国家からはほとんど干渉されない暮らしをしている。そのため、ウンディーネには集落ごとに戦士を育て、その戦士はケルピーを従えてはじめて一人前として認められるという辺境部族のような風習が残っている。ケルピーは水辺に生息する馬型の妖魔で人間に馴らせる妖魔の中ではトップクラスの速力を誇る妖魔。彼らの力を借りる以外すみやかに援軍を連れて西方に戻る術はないと判断したのだ。

 ウンディーネの騎士たちに数秒遅れてローズとアルコンティアも村に足を踏み入れる。

 途端、手綱と柄を握る手に力が加わる。

 ――イラついてるな

「コレを見て平静でいられるほど冷血なつもりはない」

 この村もあちこちに死体が転がっている。抵抗を試みたらしい鋤や鍬ごと斬り殺された男。身を挺して子を守ろうとしてもろとも刺し殺された母子。老若男女問わず殺されている。命に上下などないと思っていても民間人の死には軍人の死以上の憤りを覚える。

 村を襲っているのは言うまでのなくイースウェア軍だ。

 本来、占領地で略奪行為に走ることは愚の極み。将来、領民となる民の反感を買えば占領は長くは続かない。ブルトルマン帝国が侵略行為を繰り返し、版図拡大を続けながらも反乱の類を免れているのはこのことをしっかりと踏まえているからである。

 しかし、今回侵攻してきたイースウェア軍がこうした略奪行為に及ぶことをローズは確信していた。なぜなら、このイースウェア軍は兵站を確保していないからだ。

 一体どうやって獣人の縄張りを踏破してきたのか、その方法は定かではない。しかし、クロチェスター陥落のおり、イースウェア軍も多少なりとも被害を受けている。それを押して攻めてきたからには人手不足――もしかしたら司令官不在も――という西方軍の現状を知って攻めて来たはずだ。

 その千載一遇の機を逃さないための速攻。しかし、飛竜、騎馬の全速力に重い物資を引く馬車が追いつくことは不可能である。武器防具の予備はおろか、おそらく食糧さえも最低限――各人が持てる分しかもっていないはず。その程度の量はクレプスケール到達前後で食べ尽くしてしまう。軍奴だろうと食糧だけはなしではいられない。だからこそ、戦力、士気を維持するために現地調達という名の略奪が行われている。

 ――本当にそれだけか?

「どういう意味だ? 言いたいことがあるならハッキリ言え」

 元々、舌足らずなローズだが、今はそれだけでなく、いら立ちが口調にも表れている。

 ――ここに来る前からずっとイラついてるぞ

「…………」

 ――戦いのときに命令口調になるのはいつもだが、今みたいに荒れた感じは……この間のあの王女とケンカしたとき以来だ

「――――――――――――ッ」

 精神を直接感じられるとはいえ、こうも的確に指摘されるとは思わなかった。人間同士なら気づいても触れずに黙っておくようなことにズバッと切りこんでくるのは異種族ゆえの精神や考え方の違いだろうか。

 そして、言及されたことで、あえて考えないようにしていたことを考えてしまった。

 ――裏切られた、と思っているのか?

 心が読めるといっても本人にも自覚できないような不確かな心境や心の奥底にしまったことはアルコンティアには読めない。しかし、考えてしまったために意識の表層で明確化された思考を読まれた。

「……………………くな」

 ――別に覗いたわけじゃない勝手に流れ込んできたんだ

「そう…………なら、ほっといてくれ」

 ――あのときみたいに冷静ならほっとくが……今は熱くなりすぎて……

「ほっとけと言ってるッ!!」

「どうかしたか?」

 ちょうど報告にきた騎士が訝しんで尋ねてくる。アルコンティアの声は彼が許した者にしか聞こえない。喧騒の中、話声程度なら聞こえなかったのだろうが、感情的になって荒げてしまった声はさすがに聞こえてしまう。

「いや……すまない。こっちのことだ。報告を聞こう」

「敵は撤退した。村人は半数以上を助けることができた」

「半数……か」

「半分助けられれば上等だろ」

 半数だけ、とも、半数しか、とも言わなかったが落胆の色濃いローズの呟きを騎士がたしなめる。

「俺たちが間に合った村はまだマシだ」

 エバーと再会した後、分散配置された各部隊を一か所に集結させるよう指示を出し、ローズ自身とウンディーネの騎士たちはすぐに南へ歩を進めた。だが、それでも間に合わなかった村や町の方が多い。ここに来るまですでに七つの町村を回り、内五つは駆けつけたときにはすでに敵兵が撤収した後だった。

「……そうだな」

 深呼吸して生温い風を吸い込み、少しでも気分を変える。

「村人の避難誘導を後続に任せて撤退するぞ」

「このまま南下するんじゃないのか?」

「もう少し数がいればそうしたいところだがな」

 ウンディーネの騎士たちは精鋭と呼ぶにふさわしい実力者ばかりだが、それでも一騎当千というわけではない。百に満たない少数で敵の勢力圏に突入するのは危険すぎる。何より、彼らは二日間駆け通しの上、今日はすでに数度の戦闘までしている。今は緊張と気合に隠れていても疲労は溜まっているはずだ。

「今日は撤退する。キミたちも少なからず疲労しているはずだ。それに明日以降のことを考えれば集結してくる西方軍と合流したほうがいい」

「了解した」

 

 部隊を集結させた街まで戻っても兵士たちとは違い、将軍はすぐに休めるわけではない。まして第二旅団は、平常運転できるだけの人員が整っていない。さしあたり最初に棲ませなければならないのは司令部のサングリエ将軍から言伝と状況を報告だ。

「敵の本隊は補足できたか?」

 食糧輸送と報告に来たサングリエ将軍麾下の少佐に問う。

「いいえ、ヴィーヴルの数が劣っているので完全に頭を抑えられてしまい、遠方偵察はままならず、目視による観測だけが頼りで……」

「そうか」

 目視による観測ではそう遠くまでは見通せない。クレプスケールの上から望遠鏡を使ったとしても精々数日の圏内にいないことが確認できるくらいだ。

「では、ユルレモントにあった備蓄はどのくらいだ?」

「正確ではありませんが、先の遠征で軍用の物資はほとんど移送してしまったので最低限……敵兵が五千ほどならおそらく一週間分ほどかと」

 備蓄分の食糧が少ないのは幸いだが、一週間分でも量を減らして持たせれば半月は持つ。籠城できないことはない。いくらユルレモントが老朽化で城としての機能に不備が出ていても、数で劣る状況では立て籠もられてはどうにもならない。

「南塔の方も確か一週間分くらいだったな」

「はい、現在は敵兵三千が詰めているようなのでおそらく長くとも十日くらいが限度です」

 司令部と城壁で繋がっているクレプスケールの南北の塔は必要分を司令部から供給する仕組みになっているから最低限の備蓄しかない。最近は第一旅団から千の兵を割いて守備にあてていたので三倍の兵では長くは持たないが、

「それでも十日か……」

 敵本隊がクレプスケールまで辿り着くのは最短の見積もりで後一週間ほど。

(やはり、のんびり構えているわけにはいかないな)

 髪をかきあげ、臨時の司令部として徴発した街の役所の椅子に背を預けて、頭の中で現状を整理し、作戦を再考していく。作戦が固まると書面に指示を書いて少佐に手渡す。

「これをサングリエ将軍に」

「了解しました」

 少佐が退室するのと入れ替わりに外に出していたエバーが戻ってきた。少佐と話している間に各部隊からの報告をまとめておくように命じておいたのだ。

「報告します。残りの三部隊も集結しました。敵と接触した部隊もあり……わずかですが死傷者を出しています。負傷者は救護所に搬送、衛生兵の治療を受けています」

 この街の教会とチャリトゥワを徴発し救護所にしている。

「? どうした?」

 暗いせいだろうか、エバーの顔色が悪い気がしたのだが、

「いえ、なんでもありません」

 とエバーは答えた。

(臨時の副官に任じたのが不満なのか?)

 経験を積ませてやりたいとは思うが、副官も無しではさすがに手が足りないし、非常時に嫌がらせのような任務を言い渡す中隊長の下に置いておくのも不安だったので小隊長を解任し、臨時の副官に任じていた。

「そうか、平気ならいい。では、中隊長に会議室に集まるよう伝えてくれ。会議にはゴールド少尉も副官として列席しなさい」

「はい」

 エバーが敬礼し、回れ右をしてドアへ向かって歩き出すと、ローズは現状報告の書類とクレプスケールとユルレモントの地図に視線を落としたが、

「ソレイユ少尉はまだか?」

 エバー同様、クーシェも副官として使うつもりで街に着いたらローズのところに来るように伝えるようにエバーに言っておいたのだが、一緒に来なかった。

「……………………」

「どうした?」

 まだ、エバーの気配があるのに答えが返ってこないことに何かあったことを察し視線を上げる。エバーはドアの前一メートルほどのところで歩きかけの体勢のまま硬直していた。

「クー……ソレイユ少尉は負傷し、救護所で手当てを受けているとのことです」

「負傷? どの程度かは?」

「わかりません」

 先ほど、死傷者が出た、と報告したくだりで一拍間があったのはそれが原因だったわけだ。多少の傷ならここに来るまでの間で手当てを済ませている。つまり、手当てを受けても来れない程度には重症ということ。

「会議が終わったら様子を見に行こう」

「はい」

 親友の容体が心配であろうエバーを気づかってローズが告げる。

 しかし、ローズは気づいていなかった。普段のローズならばアルコンティアに心の内を見られたとしても怒鳴り散らすことなどないということを。報告のときのエバーの様子からクーシェに何かあったことを察することくらいできたはずだということも。表面上は平静を装っているが、アルコンティアの言う通りどこか冷静さを欠いていることに。

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