第十六章 幕間
イースウェア軍の侵攻開始からの四日目。西方では敵国の侵攻を受けて民が殺害され、国土が荒らされている最中、王都では何事もないかのように建国記念祭が最終日の賑わいを見せていた。
もっとも、『何事もないかのように』と言ってもその意味合いは二つある。
一般市民はようにではなく、事実何も知らない者が大半だ。西方で起こっている変事について数日の内に情報を集められるような者は各地に情報網を持つ一部の者に限られる。そういう知り得る者たちは利権、思惑、しがらみ、さまざまな要因によって口をつぐむ。市民も平時ならば上流階級の雰囲気、軍の動向などから異変を察知できるだろう。しかし、祭りで気分が高揚し、危険を察知する本能のようなものが麻痺していた。おそらく、祭りが明け数日立つ頃に噂が広がりはじめるだろう。
一方、宮廷に集う者たちはあえて何事もないように振る舞った。各国から賓客を招いているこの時期に敵国の侵攻を受け、歴史上初の城壁突破を許した、という事実がルディア王国の信用を揺るがすことになるからだ。
しかし、招かれている客人たちも各国の中枢で国事に携わる者やそうでなくとも大勢の人間を束ねる地位にいる者たち。気を見る能力に長けた者が多い。
「今夜もいらっしゃいませんね」
ヘリガトレートは特に気にしていないふうを装い告げたが、その声はどこか固い。
ヘリガトレートが『いない』と言っているのはローズとヴィクトールのこと。ローズは救国の英雄として今年一番の話題の一人。ヴィクトールも第一王子としてその存在感は決して小さくない。その二人が昨日、一昨日と立て続けに全く姿を見せていない。違和感を覚えない者の方が少ないだろう。
「やはり、西方で何かあった、と見るのが妥当でしょうな」
脇に控える相談役――アレクサンドルとの会談の際、開戦理由を教えることに反対した方の老人が淡々と答える。
二人に共通しているのは西方軍所属の将軍であるということ。その二人が同時に姿を消せば西方で何か起こったと考えるのは必然。加えて顔を見せているルディア高官たち――とりわけ軍関係者の間に漂う緊迫感を鑑みれば、その『何か』がかなりの大事であることも想像に難くない。
「……そのようですね」
渋々といったふうに頷きながらヘリガトレートが相談役の顔を窺うと、普段はしかめ面の相談役がどこか満足そうな面持ちで目を細めていた。
「うれしそうですね」
「ええ。ルディアが弱れば我らの戦いに介入する余裕などなくなりますからな」
ブルトルマン帝国と和議を結んだ現状で、ルディア西方で何がしか非常事態が起こったとすれば、それはイースウェア公国の侵攻が濃厚。
「ルディアは大国です。その程度では揺るがないでしょう」
「ワシも揺るぐとまでは思っておりません。ですが、先の遠征とやらで西方軍は大きな被害を出したそうです。東方軍もここ何年もアクティースの援軍に駆り出されて戦争状態。国民が戦争に反対の声を上げれば無視するわけにも参りますまい」
確かにその可能性は否定できない。ルディア王国は王制ではあるが、議会を有し、国民の声も反映する国。太子であるアレクサンドルも国民をないがしろにするような人柄ではない。まして、アクティース教国への援軍には反対の立場。反対意見が増せばそれをいいことに援軍を断つこともありうるが、
「ですが、アレクサンドル殿の口ぶりから察するに多少民意が反戦に傾こうとアクティース教国からの要請を断わることは難しいでしょう」
「陛下、その件に関しておやめくださいますように、と何度も申し上げたはずです」
ヘリガトレートが言外に示唆したことを察して釘を刺すように諫言する。
「たしかに、貴方の意見は聞きました。私もあの事を打ち明けることに躊躇いがないわけではありません」
「語るべきではないのです。我々はいにしえからそうして……」
「ですが、そういう私たちの閉鎖的な姿勢がこの事態を招いた一因とも言えるのではありませんか!?」
相談役の言い分もわかる。ヴィドガルドのエルフたちは森の奥で他の民とほとんど交流を持たずに過ごし、文化と地理の両面から閉鎖的な環境で育っている。石膏のように体に纏わりつく価値観の殻を破るのは、若者でも相当な勇気がいる。まして、千年近く生きている老人たちには相当な抵抗があるだろう。しかし、
「教訓を得たならばそれを糧に自らを変える努力も必要です」
「ご立派な心意気です、陛下」
言葉とは裏腹に相談役の老人が冷やかに告げる。
「ですが、そういう言葉は自らを変える努力を行っている者が言うべきことです。自らの責務から逃げた者が口にするべきセリフではありませんぞ」
「ぅ…………」
相談役の一言にヘリガトレートが小さく呻く。
アレクサンドルとの会談のとき、女王の一存で打ち明けることもできた。それをしなかったのはアクティース教国との開戦理由を打ち明けることにためらいがあったからに他ならない。それは開戦理由を打ち明けることが、単に古くからの体質を変えるという以上の重い意味を持つからなのだが……。たしかに、本国に残っている相談役や長老たちに相談するというもっともらしい口実で逃げたと言われてもしかたなかった。
バツが悪く、会話の途切れたヴィドガルド一向に正面から一人の男が近づき、
「ヘリガトレート殿、一曲お相手願えませんか?」
うやうやしくヘリガトレートにダンスを申し込む。
「えっ……ええ、喜んで」
黒衣に身を包んだ男はヘリガトレートの手を取り、踊る人々の中へと誘う。
建国記念祭最終日の宮廷ではダンスパーティーが行われる。理由は、連日の夜会で交流を深めた若い男女の思い出づくりのため、とか、難しい政治の話を忘れ最後の晩くらい祭りを楽しむため、などと言われているがはっきりしない。
もっとも、先に例示した理由のどちらも正しいとは言い難い。決して若いとは言えない者も踊るし、特定の相手に限らず気さくに誘う者の方が多い。政治の話に関しても同じで、楽曲の演奏が流れる中、密着した体勢は密談をする者もいる。まして、誘う相手が魅力的な者ならばそれ自体が一つの工作にもなる。
「浮かない顔をされていますね」
あくまで社交的な笑みを浮かべてヘリガトレートを気づかう。彼が紳士でないわけではないが、普段の彼の傲岸怜悧な面持ちを知る者ならばそれが演技であると思うはずだ。
「そうでしょうか」
「貴国も我が国に思うところがおありですか?」
「なぜ、そのように?」
「ずっと貴女とお話したかったのですが、機会を得られませんでした。最後の晩にようやく機会を得られたのに貴女は浮かない顔をされてますので」
「貴方のような殿方にお誘いいただき、硬くなっているだけですわ」
「絶世の美女と名高いヘリガトレート殿にそう言っていただけるとは光栄です」
ヘリガトレートの言葉は、半分は世辞だったが、残り半分は本心だった。千年を生きる長寿故かエルフは恋愛感情というものに疎いが、それでも彼の美貌は魅力的に感じられる。他の民と交わる者の気が知れない、と思っていたヘリガトレートだったが、少しだけ他の民に惹かれる者の気持ちがわかった気がした。
「ですが、お付きの老人たちも難しい顔をなさってます」
クルクルとターンしながら視界の端に映る相談役の二人を指して告げる。
「我が国も少しばかり難しい情勢にありますので」
「アクティースとのことで?」
「ええ」
表面的なこととはいえ他国の者の問いにスラリと答えてしまったのは、彼が国境を接していない国の者だからか。あるいは彼もまたアクティース教と対立しているところを目撃したためかもしれない。
「わかります。アクティースの横暴は目に余りますから」
社交的な笑みの奥で男の双眸に覇気に満ちた輝きが煌めく。
「過ぎたこととは存じますが、貴国がこの度の招待を受けてルディアにいらしたのはルディアにアクティースへの援軍を止めるように要請するためでは?」
「ええ、第三者を交えて和平交渉ができればそれが最善だったのですが、彼らは応じませんでしたので」
ヘリガトレートの無警戒な答えに男の口角がわずかに上がる。
「よろしければ我々がルディアの足を止めましょうか?」
「えっ?」
男の言った言葉に耳を疑い、たった一音発しただけで固まってしまう。
彼の国はヴィドガルドやアクティース教国とはルディア王国を挟んで反対側に位置しているから、軍を派遣して物理的に足止めをする、という訳にはいかない。少し前までなら反対側からルディアを攻めるという手もあっただろうが、彼の国とルディア王国が和平を結んだことは今年一二を争う話題だったのだ。それに第一、
「なぜそのようなお申し出を?」
驚愕から立ち直ると同時にヘリガトレートの中でようやく警戒心が鎌首をもたげる。
「アルブマイトが欲しいからですよ」
男はなんでもないことのように答えを返す。
「貴女方がアクティース国土を望んで戦争を仕掛けたとは考えにくい。交易で利益を望むような方々ではないですし、そもそも、貴女方にはアルブマイトは必要ないですから。貴女方は当初の目的を達する。私はアルブマイトを手に入れる。どうでしょう。両者に利があると思いますがいかかですか?」
「仮にアクティースを倒したとしても、貴方方が占領できるとは限りません。それにアルブマイトに関する情報は鉱脈の所在から加工技術まで秘匿されているのでしょう?」
「何も我が国が抑える必要はない。アクティースに独占されている今の状況を打開できればそれでいい。あのような小さい国秘匿しても鉱脈の所在などすぐに明らになります。そうなればラムルスタンもエプーシャも交易の盛んな国。多少値が張ろうとも真っ当な貿易が成り立つでしょう」
「……………………」
「返事は急ぎません。私が国家方針を決定できるようになるのもまだ少し先ですから。年内に返事を頂いても年明けまではお待たせしてしまいますので」
ちょうど男がそう告げたところで一曲が終わった。
ヘリガトレートの手を引き、相談役の二人の前まで連れて戻ると、
「それではご一考下さい」
そう告げてモルゲンュテルン元帥は人混みの中へと消えていった。
「首尾はいかがでした?」
人混みの中でパートナー代理と護衛を兼任する女武官のヒルデが合流し、尋ねる。
「喰いついているようではあった。こちらが条件を出していないことも大きいだろう。これでアクティース包囲は完了した」
この建国記念祭の間、モルゲンュテルン元帥らブルトルマン帝国の一行はラムルスタンとエプーシャをはじめとするアクティース教国と国境を接する各国と会談し、いくつかの約束事を結んだ。
「これでルディア以外の逃道は無くなりましたね」
「まあ、ヴィドガルドには干渉する必要などないが……念には念を、な」
ヴィドガルドは三ヵ国の中で最初にアクティース教国に宣戦布告し、今の戦争状態のきっかけとなった国。しかも、モルゲンュテルン元帥がヘリガトレートに告げたようにヴィドガルドが開戦した理由は国土など即物的な理由ではない――おそらくは誇りや思想など曖昧なもののため。ならば、干渉しなくとも戦いを続ける。
そう判断したからモルゲンュテルン元帥たちはヴィドガルドへの対応を後回しにして、別のことを優先して動いていた。
「ところで西方の事態については?」
モルゲンュテルン元帥もやはりヴィクトールとローズが夜会に姿を見せなくなったことから西方で何らかの非常事態が起こったことを察し、調べるように命じていた。
「はい、イースウェアが侵攻。王都の西郊外に中央軍を集結しているそうです」
「西方への援軍か?」
「はい。ヴィクトールはまだ王都にいるそうですが、その手配や編成に追われ夜会に参加する暇がないようです。ラズワルドは先に少数部隊を率いて西方に駆け戻った、と」
ルディアの上層部しか知り得ないはずの情報をヒルデが伝える。
「被害は?」
「城壁突破をされ、イースウェア軍の国内侵入を許したと」
「ほう」
それでは慌てるはずだ、とモルゲンュテルン元帥は納得して、同時に嗤う。
「ヴィクトールの発言力が弱まるな」
「はい。連中もこれ幸いとはしゃいでいました」
「バカな連中だ。他国の侵攻を受けて喜ぶなど……」
自分たちが政治ごっこをする箱庭は不可侵の安全地帯だとでも思っているのだろう。しかし、敵国の侵入を許したとなれば、すでに亡国の危機と言ってもいい。それを内輪の勢力争いだけの視点で喜ぶなど狭視野にもほどがある。
「まあ、そういうバカどもは付け入りやすくてこちらとしては助かるが……帰路を断たれては困る。戦況の方は?」
「申し訳ありません。そこまでの情報は得られませんでした。ヤツは楽観視していましたが、根拠はないようです」
「そうか……今回ばかりは『戦場の青き薔薇』とやらの勝利を祈ってやるとするか」




