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ルディア戦記  作者: 足立葵
第三話「堕ちた鬱金の水仙」
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第十三章 不和

 窓から射し込む建国記念祭四日目の朝日をローズは寝不足で充血した目で眺めながら、心は日が射し込むのとは反対側――西の彼方に向いていた。前線でやってきたローズにとって、敵襲の報を受けているにもかかわらず、仲間にすべてを委ね自分が何もできない地にいる、というのははじめての経験だった。

「妖魔だらけの森に放り出されたときよりよほど心臓に悪いな」

 ヴァイオレットの用兵の腕はクロチェスター撤退で実際に見ているし、ヴィクトール麾下のドーバートン少佐もいる。寡兵とはいえ、先陣相手だけなら十分役目をはたしてくれると信用しているが、それでも自分が危地にいる方が精神的にはよほど楽に感じる。

 今からでは寝直す時間もないので、目覚ましのお茶でも取りに行こう、と部屋を出ると、

「おはよ、ちょっと早いけど一緒に朝食にしない?」

 そう誘うスカーレットの手にはティーセットとサンドイッチの乗ったお盆。隣りの自室から出てきたのではなく、ローズが動き出すより前に下に降りて家人に用意させたものをわざわざ持ってきてくれたらしい。

「ありがと。よくわかったな」

「ローズのことだから心配で眠れてないだろなあ、ってね」

 スカーレットを招き入れてささやかな朝食をとる間、お互い何も言わなかった。朝食を摂り終えたところで、スカーレットの方から切りだした。

「それで、今日『報告』が来るまではどうするの?」

「すみやかに援軍を出させるために各所に働きかけるだけだ」

 もっとも、国防にかかわる重大事だ。いくら権力争いにうつつを抜かす中央の連中でも愚か私欲や目論見で妨害はしてこないはずだ。仮に、そこまで底抜けの愚か者がいたとしても押し切ることはできるだろうし、最悪、最後の手段としてヴィクトールが国王を動かして元帥権限で軍を動かすという手段もある。

「それが済んだら援軍を率いて西へ急行、か」

「いや、私は援軍の編成を待たずに先に帰る」

「ちょっと聞いてないわよ! ちゃんとヴィクトール様に了承とったの?」

「とってない。昨日からずっと一緒なんだから知ってるだろ?」

「あのねぇ!」

「別に今日報せが来てからでも遅くないし、どうせアイツも同じ考えのはずだ。下準備さえ終えたら私がこっちにいるメリットは薄い。それに対して私が戻った方がいい理由はいくつもあるからな」

「それは……まあ、そうね。貴女とユニコーンが戻るだけで一個旅団――いいえ、一個師団並みの戦力なんだもの遊ばせておく意味はないわね」

「それだけじゃない。留守を預けているサングリエ将軍はお世辞にも用兵がうまいとは言えないし、私の第二旅団はまだ部隊編成が整ってなくて実質ヴィオラと二人で切り盛りしている。私が戻れば現場指揮を引き継ぐこともできるし、第二旅団の指揮も円滑になる」

「でも、私は? 言っとくけどユニコーンについてけるような乗騎なんてないわよ」

 それはそうだろう。陸上を駆ける速力なら最速といわれるユニコーンに人間が飼い馴らせる妖魔でついて来れるものなどいるはずがない。

「スカーレットはこっちに残ってヴィクトールの手伝ってあげて」

「了解」

 

 しかし、事は予定通りには運ばなかった。早ければ昼、遅くとも夕方には届くと踏んでいた『報告』は日が沈んでも夜会が始まってもまだ届かなかった。

「どういうことだ?」

 会場でヴィクトールを捕まえて問い質す。

「わからん…………が、敵の進軍ペースが遅れているのかもしれん」

「だが、警邏の巡回エリアまで侵入していたならそんなはずはないだろう?」

 元々ルディア軍が物資輸送、進軍を円滑に進めるためにクレプスケールからクロチェスターまでの街道は道幅も広く道も整えられている。加えて、中間地点のガランスを超えてしまえば獣人の数も、襲撃もグンと減ることは調査済み。この条件で敵軍が足を止めるとは考えづらい。仮に何らかの――野営地を作るなど――の理由で足を止めたとしても西方軍が報告を怠る理由はない。

 何かおかしい、そうローズの中で疑念が芽生えたとき、

「失礼します。ヴィクトール様先ほどこれが」

 近衛騎士が差し出したのは蝋づけした書簡。シーリングスタンプの紋様は西方軍、色は緊急事態を知らせる赤の蝋。礼を言って受け取り、封蝋を剥がして内容に目を通す。事態を事前に知っていたはずのヴィクトールが瞠目する。

「どうした?」

 問いに答える代わりにヴィクトールは読み終えた書簡を差し出した。

「なっ……」

 受け取った書簡を一読した途端、ローズは絶句した。

「直ちに長官、および諸将を招集。それから陛下と太子、それと宰相にも報告を」

「はっ」

 敬礼し、去っていく近衛を見送り、こういう場合の召集先である会議室へと向かう。

「ヴィクトール」

「なんだ?」

 一歩先を歩くヴィクトールを呼ぶと振り返りもせずに応答が返ってくる。しかし、普段は逞しいその背が今日は妙に小さくすぼまっているように見えた。

「今は事態を収集するのが先決だ。だが、これだけはハッキリさせておきたい」

「…………」

「お前は何のために将軍になり、西方軍司令の座に着いた?」

 ローズの問いにヴィクトールの足が止まる。ちょうど窓のない一角で止まったためにその姿は闇に溶け判然としない。

「ちょっとローズこんなときにそんなこ……」

 割って入ろうとしたスカーレットの眼前に書簡を突き出し、言葉を遮る。目を通していいものか悩んだが、暗がりでヴィクトールの頷く気配を感じて、スカーレットは書簡を受け取り、目を通していく。

「…………えっ!?」

 スカーレットは書簡に記された内容を見て目を疑った。イースウェア軍侵攻、敵軍の規模は、構成はほぼヴィクトールが言っていたものと同じ。しかし、その続きには『西方軍は今朝イースウェア軍の奇襲を受け、クレプスケールの甕城(門前街)は多大な被害を受けたものの何とか守り抜いたが、南端の城壁塔を落とされ、国内に敵兵の侵入を許した』と書かれていた。事前に察知していたならば奇襲など受けるはずがない。

「お前が昨日得た情報は西方軍からの報告ではなかった。それはいい。王子であるお前が独自の情報網を持っていることはおかしくない。それを私に隠していたことも別に追及する気はない。しかし、お前がその情報を西方軍に伝えていれば備えができたはずだ! 違うか!? お前が中央の連中と同じように私利私欲で政治ゲーム、戦争ごっこを楽しんでいるだけならお前について行く気はない!!」

「……………………すまん」

「謝罪なんの意味がある!?」

「そう……だな」

 呟かれたヴィクトールの声はいつもの飄々とした調子からは想像もできないほど弱々しい。こんな状況でなければ同情していただろう。しかし、怒り心頭の今のローズには焼け石に水でしかなかった。

「………………………………………………私欲じゃない…………誓ってもいい」

 重苦しい沈黙を挟んでヴィクトールがようやく答え始めた。

「だが、大義、といえるような大それたものじゃない。そのことは自覚してるし、そのために無駄な犠牲を流すつもりもない」

「本当だな?」

「…………ああ」

「わかった。なら、この話はここまでにしよう。今考えるべきはどうやって敵を駆逐し、防衛体制を整える、かだが……」

 援軍も援助物資も即応できるまでには整っていない。ここ三日の奔走でできたのは議題にあげればすぐに承諾を採れるようにするところまで。実際に物資や兵を整えるのにどんなに急いでも五日、西方まで向かうのには十日は見なければならない。

 先陣を食い止めている間に援軍を呼び、敵本隊に備えるだけならば何とかなるが、すでに侵入を許してしまった現状ではそれでは遅すぎる。

「……私に一つ心当たりがある。といっても説得できればなんだが、うまくいけばかなり速さで一中隊くらいの援軍を送れるかもしれない」

「試す価値はあるな。わかった、こっちは任せろ。お前をその説得を頼む」

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