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ルディア戦記  作者: 足立葵
第三話「堕ちた鬱金の水仙」
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序章

 あの人に最初にお目にかかったのは私の十歳の誕生パーティーだった。

 元貴族、富裕層の商人、官吏を呼んで盛大に祝ってくれたのは嬉しかったが、同時に王子を招いたと聞いてプレッシャーも感じていた。王子の許嫁であった王女の国がブルトルマン帝国の侵攻を受け、降伏と恭順の意を示すためにブルトルマン帝国の貴族に差し出されたことは有名だった。決まった許嫁のいない王子をそれまで縁のなかった私の誕生パーティーに招いたとなれば目的は一つしかない。

 だからだろう。パーティーがどんなふうに進んだのかまったく覚えていない。父上の目が離れた隙を突いて風に当たるフリをしてパーティー会場から抜け出すと、手入れの行き届いた庭の一角、池と薔薇の花壇が近くにあるお気に入りの四阿に逃げ込んだ。

「気持ちいいよな、ここ」

 無人だと思って腰を下ろした私は突然声をかけられ、座ったままビクリと震えてしまった。

 柱に寄り掛かって池を眺めている少年には見覚えがあった。何しろパーティーが始まったとき、主役である私に近い席に座っていたのだから。

「そんな硬くなるなよ。鬱陶しいパーティー会場から逃げ出してきた同士気楽に、な」

 王子とは思えないほど気さくに話しかけてくれた彼に私は俯いて「はい」と小さく答えるのが精いっぱいだった。

「オレもさ、パーティーにかこつけて娘と見合いさせようっていう魂胆見え見えだったから食事終わってダンスに移るときにこっそり抜け出してきたんだ。今頃あのオッサン、オレのこと探し回って客の間ネズミみたいに走り回ってるぜ」

 俯いたままの私は王子の話を聞いて、なるほど、と納得し、同時に苦笑した。

 私と王子を躍らせるつもりでいた父上が王子を探しに人混みに消えたおかげで私は抜け出せたのだ。私の緊張の原因であった王子が同じようにパーティーを居心地の悪いと感じ、抜け出すチャンスを作ってくれたとはなんという皮肉か。その上、私と引き合わせるために今も王子を探し回っているはずの父上の苦労が全く無駄だと思うと自然と笑いが零れた。

「ハハハ。ホント、バカだよなぁ」

 私が笑った理由と王子が可笑しいと思っていることは微妙に違ったが王子がそれを知るはずもない。父上に無駄骨を折らせてからかったことがウケたと思った王子は少し気を良くしたのか池の水面に映る月を眺めながら続けた。

「ホント、バカにもほどがある。身分制度撤廃からもう八十年以上経つってのにまだ貴族のつもりでいやがんだ」

 思わず私は意外な言葉に俯いていた顔をあげた。

 ルディア王国で唯一まだ身分というものを残す王族が身分制度を否定するような発言をしたことが、元貴族の名家ゆえに未だに家で貴族の娘としての礼儀作法を学び育った私には驚き以外の何ものでもなかった。しかし、

「アンタもそう思わないか?」

 そう問うと同時に振り返った王子に顔を見られたくなくて私は慌ててまた顔を伏せた。見合いが嫌で会場から抜け出してきた王子が今話している相手がその娘だと知れば、ただの話相手というなんでもないこの関係すら壊れてしまうと思ったから。私がその娘だと気付かれなければまだ彼と一緒に居られる。

 幸い夜で月明かりしかない。柱に寄り掛かる王子と違い、四阿の内側のベンチに腰を下ろしている私の顔ははっきりしないはずだ。俯いて前髪で隠れればなおのこと。

「大体庶民は自由に恋して結婚してんのに権力を維持して贅沢な暮らしを保つためだけに娘の結婚無理矢理決めるっておかしいよな」

 私が咄嗟に顔を逸らす意味で俯いた動作を王子は肯定と受け取ったらしい。さらに砕けた感じで自分の考えを語ってくれた。

「でっ……ですがっカワイイ娘を嫁がせるのです。親も相手をちゃんと選ぶでしょう? それに同じような環境で育った者同士なら理解し合えるし、助け合えるのではありませんか?」

 言い繕ったのではない。咄嗟だったが、それゆえに本心からの言葉だった。

 少なくとも父上はそうだった。当時すでに私にもいくつか縁談が来ていた。しかし、申し込まれた婚姻の中にはひどく年齢の離れた者や地位や財産はあるが女癖が悪い者などもいた。そういう縁談は、私を不幸にする、と言って父が弾いていた。

「………………まあ、確かに……」

 内なる葛藤と戦いつつも、正論だということを認めた。その背景には彼の妹マーガレット姫とその許嫁である故ヘンドリック王子の存在があったことは間違いないが、それでも持論の非を素直に認められる程度にはすでに王子は大人だった。

 しかし、すぐに王子の声が冷たく深く沈んだ。

「でも、姉上のように酷い婚姻を強いられることもある」

 現国王の長子にして第一王女ブルーエット姫がアクティース教国との不平等な関係を少しでも対等に近づけるための人柱としてアクティース教国に差し出されたことを知らない者はいない。しかし、アクティース教は特殊な国家とはいえ嫁いだ相手は身分が低いわけでもない。

 この時まで豊かさと身分こそが幸せと考えていた私に王子の『酷い婚姻』という言葉は理解し難いものだった……はずなのに、なぜかその言葉がとても思いやりがあるように思えた。なぜそう感じたのか、理由もわからないまま素直に言葉にした。

「――――様はお優しいのですね」

「……………………」

 俯いたままその言葉だけを口にした私には王子がどんな表所をしていたのかわからない。しかし、沈黙を破ってかけられた声は無感情にも、激情を孕んでいるようにも、そしてとても優しいようにも聞こえる不思議な声だった。

「…………優しく……はいられない」

 色々と省かれた言葉だったが、表面的な意味だけなら私にもわかった。

 優しいだけでは国の中枢で生き延びることはできない。

 優しいだけでは国を動かすことはできない。

 優しいだけでは国を護ることもできない。

「でも、そういってくれてうれしかったよ。王子ってこと気にしないで意見も聞かせてくれたし、また話せるといいな」

 私と王子の間を隔て、同時にただの話相手という短い関係を繋いでくれた前髪の隙間から覗い見た王子は笑っていた。

 だが、王子が私に笑顔を向けてくれたのはその夜が最初で最後だった。

 その夜を最後に一人の女の子として王子に会うことも、話すこともできなかった。

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