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ルディア戦記  作者: 足立葵
第二話「閨門の白い木春菊」
51/162

第十二章 三日目――追憶・スカーレット編

「夜が明けてきた、カルメル先に進め!」

 空が白んでいく様子を目端で捉えながら隊長であるローズの号令を今か今かと待っていたカルメルが勢いよく手綱を打って馬車を崖路へと走らせる。馬車は助手席に交代要員のバロー、荷台に直衛の隊員二名、それと負傷して戦闘継続不能になった四名の隊員を収容していったので一気に戦力が減る。

「後少しの辛抱だ! 各自自分と馬を護って生き延びることだけを考えろ!」

 殿として崖路の入り口であるキャンプ地に残っている隊員たち十名に檄を飛ばすが、応える声は疲労の色が濃い。それも無理ないことだ。ワーウルフの追い立てに逆らい“壁”を突破してキャンプ地に至るまでは悪くなかった。いや、花園の守護者フローラルガルディエンヌの面々が実戦経験に不足していることを鑑みればむしろ上出来だった。ラフレーズが叩き上げの軍人ばかりを選抜した理由にはヴァレリーの予想通り後腐れを気にしたということもあるが、それと同等に実力を重視した結果でもあった。そのおかげで不慣れながらも何とか切り抜けることはできた。

 そうして、夜中過ぎにようやく辿り着くことができたキャンプ地だが、決して安住の地ではなかった。谷の入り口を背後に陣取り足を止めてしまえば、もはや追い縋るものだけを斬って逃げるというわけにはいかない。松明を焚き、矢を番え、迎撃態勢を整えて殺到するワーウルフを迎え撃ったが、いったいどれほどの数が攻め寄せているのかも定かではなかった。

 しかも、その猛攻さえも敵の時間稼ぎにすぎなかった。

 ――それにしても、アレは厄介だな

 直接心に伝わる声は語調以上にアルコンティアが苛立っていることを伝えて来る。アルコンティアが忌々しげに見据える視線の先に同様に目をやり、辟易して呻く。

「わずか二か月ほどの間に武器持ちがここまで手強くなっているとはな」

 目の前に並ぶのは軍に所属すれば決してめずらしくない大盾を構えた隊列。問題なのはそれを正規軍でも傭兵でもなく、ワーウルフが実践しているということ。

 二か月前、牙の城(クロチェスター)で戦った獣人たちは皆生まれて間がない赤子のようなものだった。身体つきは成体であっても人間から奪った武器を使いこなすだけの鍛錬も、集団で戦う訓練も積んでいない獣人たちは――個々の力は脅威ではあったが――集団として連携のとれた軍ならば十分に相対できるレベルの敵だった。

 しかし、この二か月の間に群れの中で地位や雌、ねぐらなどを争い、同族同士で奪い合う中で序列、指揮系統が確立され、同時に武器を扱う技量も上がっていた。元々の身体能力の高さは向こうに分があるので個々で見れば到底敵わない。ここまでなんとか持っているのは装備を固めた“精鋭”たちがその装備の重量から罠を張っていた場所からここまで追いつくのに時間がかかったことと、知恵がついたことでアルコンティアに対して慎重な作戦を採ってくれたおかげだ。

「アル、無暗に突っ込むなよ」

 長時間に及ぶ戦闘と思い通りに行かない戦いに苛立ち、猪突しようとするアルコンティアの頭を冷やす。ワーウルフの身体能力をもってして盾で突進を受けられたら、最悪の場合角が突き刺さって動きを止められてしまう恐れがある。冷静さを欠いてはならない。

 ――わかっている

 誇り高いユニコーンがこと戦いでは素直に指示を聞く。怒りの権化というユニコーンの一面を抑え、彼の持てる力を十全と発揮させることこそがローズの役目であり、それこそがアルコンティアがローズに期待することだからだ。

「槍は私が捌く! アルはただ駆けることだけに専念してくれ」

 ――わかった

 ローズは剣を構え、アルコンティアは蹄を打ち鳴らして突撃の体勢を整える。馬上から槍衾を捌き、盾の防壁を穿つならランスが欲しい所だが、ワーウルフがこんな戦法を用いるとは思っていなかったし、予想していたとしても金属を嫌うアルコンティアにランスを携行させることもできなかっただろう。

 緩やかに昇ってきた朝日が山の稜線を金色に縁取り、数瞬おいてその線が幾筋かの光芒となって谷の入り口に色濃い濃淡を生みだした。影にいたローズたちはまだ陽射しの温もりを感じることはできないが、群れるワーウルフたちの多くはそれを浴びた。一瞬目を閉じたところで野生の警戒心は緩まないが、大軍の統率は乱れた。

「今だッ!」

 ローズの声を聴くよりも早く、言葉で伝えるよりも正確に、意思を通わせているアルコンティアの蹄が地を蹴り、目的のポイントへと正確に疾走する。短い助走距離でも馬では到底及ばない速度へと一瞬で加速する。人間なら反応できないユニコーンの突進にもワーウルフは反射神経と本能で対応してきたが、乱れた統率のわずかな隙を突いたことで見事に粉砕した。

「この隙に先へ進め!」

 

 崖路をある程度進むとワーウルフたちは追撃を止め、渋々撤退していった。護衛団は皆一様に息を吐き、馬車を追いかけなければ、と思いつつも一晩の戦闘の疲労から歩みを落とした。しかし、アルコンティアだけは疲労以外の要因で歩みが鈍っていた。

「アル、大丈夫か?」

 ――どうということはない。少し耳障りなだけだ

 虎落笛の谷(エオルスバレー)海から吹き込む風の侵蝕によってできたとされるこの谷は一年を通じて風が絶えることはないという。そして、その谷風が吹き抜けるとき妖魔獣人に不快な音を出すらしい。その音を嫌って妖魔も獣人も近寄って来ない。山を登り、狭い崖路を通らなければならない難所がかつて交通の要所として栄えた理由である。その音を再現することができないかと研究されているが、人間には聞き取れないその音は再現できない。

 このくらい何でもない、という強がりに苦笑している間に馬車が見えてきた。アルコンティアから鞍と頭絡を外し、明日谷の反対側で落ち合うように約束して送り出す。

「ちょっと心細いです」

「何を言っているんだ。虎落笛の谷(エオルスバレー)で妖魔の心配などないんだぞ?」

 不安気に呟いたエバーを苦笑しながら窘める。

「頭ではわかってますが……」

 やっぱり不安で、とエバーの後を受けてクーシェが答えた。

 足場の悪い崖路とはいえ妖魔や獣人の妨害もなく、障害といえば吹きつけてくる風と風音で命令が伝達し辛いことくらいなもの。商人や普通の旅人も通れる程度の道のりは慎重に進むこと難なく乗り越えられた。そうして空が赤く染まり始めたころ村が見えてきた。

「今晩は安心して夜を越せそうですね」

 まるで岩に張り付く苔のように崖上のわずかに平らな土地が広がっているところに所狭しとならぶ家屋を見て馬車の手綱を採っているカルメルが安堵の息とともに呟いた。

 虎落笛の谷(エオルスバレー)は対立根深いルディア王国、イースウェア公国、両国の利害の一致によって中立となっている。ルディア王国側がこの村を黙認している背景には魔法文明の恩恵に預かりたい者の存在がある。つまり、危険な旅をしてまで他国の文化の恩恵を享受できるだけの経済的余裕があり、国に黙認させるだけの政治的発言力を有する者――かつては貴族、現在では富裕層や政府高官らが相応数利用しているということ。

 需要があれば供給があるのは社会の常だ。この村には付き人を連れた上層階級の者が泊まるための高級な宿屋もある。そんな高級宿の一室――とはいっても主人が泊まる豪華な部屋ではなく、従卒たちが泊まるための安い雑居部屋――に隊長であるローズと副隊長のラフレーズ、先導役で地理に通じているカルメルとバローの四人が集まり現状の確認と今後の方針を決めるための話し合いを行っていた。

「負傷した四人の容体はどうだ?」

「スーリエとウダールは傷が酷く、コワレは利き腕をやられていて今後の戦力にならないが、ジョレスは負傷したのが足だから馬車の直衛だけならできると思う」

 ローズの問いに四人を村の診療所へと連れていったラフレーズが答え、報告を聞いたローズが重々しく頷く。二十五人いた護衛団もすでに五人の死亡者、一人の行方不明者、四人の負傷者をだし、負傷者の中三人が任務続行不能という状態になってしまった。

「カルメル、夕闇の城(ダスクフォート)までは妖魔の危険は?」

「まったくという訳ではありません。谷を出た先の山路は普通の山岳ですから、妖魔は出ます。ただ、特に変わった特性のものはいないので昼間は通行に支障ありません。普通の旅人が使う道ですしね。山一つ挟んでいるので獣人の勢力も及んでいないそうです」

「確かか?」

「確かです。宿の主人に聞いて確認しましたし、酒場でもそれとなくイースウェア側から来たという商人に尋ねてみましたがやはり普段とさほど変わらないようです」

 通常となんら変わらないということは、昼間なら商人が護衛もなく行き来できる程度ということだ。護衛団の数が減じていることは何らマイナス要因とはならない。

「しかし、今時分ルディアから来た我々はかなり目立っています」

「それは予想されていたことだ」

 牙の城(クロチェスター)は獣人の巣窟と化し、周辺一帯の地は国と呼べる規模で縄張りと化している。ローズたちにはアルコンティアという桁違いの戦力がいたからなんとか突破できたが、通常の戦力では獣人の縄張りを突破するためには商人の雇える護衛のだけでは到底及ばない国軍クラスの戦力――最低でも連隊規模は必要だろう。

「ですが……この村ではすでに私たちの一行のことを知らない者はいないほどです。山向こうの情報を聞くために入った酒場ではどんなルートを通ってきたのかしつこく聞かれましたし、中にはどこの商業ギルドも通れないでいるところを突破してきた私たちを怪しんでいるものもいたと思います」

「軽く見積もっても突破には連隊規模の戦力が必要だからな……怪訝に思われるのも無理はない、か」

「しかし、想定済みとはいえ『国軍を動員して突破してきた』などと噂が立つとマズいな」

 カルメルが示した懸念にラフレーズが嘆息し、ローズが具体的な危惧を示す。

 表だって国交がない中でも個人や商業ギルドなどの行き来はある……とはいえ、スパイや工作員の侵入を防ぐために検閲はある。所持品から身分が割れるようなヘマはないとしても検閲官に不要に怪しまれて足止めを食えば何かボロが出ないとも限らない。護衛団は軍人として一通りの訓練を受けているが、女官たちに取り調べに耐えられる胆力は期待できないし、魔法治療目的というマーガレットの演技が見破られないとも限らない。

「我々が誰よりも早くここを発てば噂が検閲官の耳に届く前に入国できるのでは?」

「仮に入国したとしても最低一夜は夕闇の城(ダスクフォート)で越すんだぞ? 疑惑をかけられれば敵領内を逃げ回る羽目になる」

 バローの提案を通常時は上官であるカルメルが一蹴する。

「疑惑の視線は避けられない……か」

 聞きながらローズも自身の脳内で憂鬱な結論に至ったが、敵の街に夕闇の城(ダスクフォート)は検閲の街でもある。怪しい者を留め置き、入国目的などを審査する場でもある。

「隊長、提案があるんですが……いい?」

「構わない。できることはすべてやりっておきたい、聞かせてくれ」

「エローをお嬢さま役に据えてはどうだろう?」

マーガレットが無断でミエルを同行させていたことは宿に入る際に伝えていた。このまま負傷者とともにこの村に置いて行くつもりだったのだが、ラフレーズはここから先も同行させようと提案してきた。

「ラフ……」

「聞いて!」

 ラフレーズの口から告げられた案にローズの頭に血が上りかけたが、それを強い眼差しと語気で遮り、強引に話を続ける。

「思っていた以上に注目を集めてしまった以上疑いを薄める策は必要でしょ。マーガレットの白髪の話は有名だからイースウェア側にも伝わっているわ。獣人の縄張りを突破してきた小集団、その主人が白髪の少女となれば少し賢い者なら二つを結びつけることはできる。しかも、病気治療のための外遊というのも演技では見破られる危険が高い。けど、エローならば容姿で疑われる心配はないし、実際に病気ならば演技でないからバレる心配もない」

「確かに……妙案かもしれませんね」

 ラフレーズの提案にカルメルが賛同し、バローも頷く。三対一という数の不利の中でミエルをこれ以上同行させることに抵抗のあったローズは反論の糸口を探したが、理に適った作戦であると認めざるを得なかった。

 今のミエルに演技をさせるのは難しいが、心の病なら言動の辻褄が多少合わなくとも、錯乱している、といえば通るし、実際に魔法治療を受けさせるに足る重症といえる。マーガレットの白髪は目立つが侍女の中に一人白髪の娘がいるくらいは疑惑を買うほどのことではないし、まして王女に侍女のフリをさせているなどとはイースウェア公国の検閲官も思わない。

「ここまで連れてきてしまった以上使えるものは使うべきよ。どうせここから先は妖魔の危険は下がるんだから馬車の中の人間が一人多くても大した違いはないでしょう」

 合理的な作戦だと頭でわかっていても心で納得できないでいるローズに、ウン、と言わせるためにラフレーズが一押しを加えた。

 しかし、それでもミエルの親友として個人的には、反対したい、というのがローズの本音だった。何しろマーガレットの正体が露見すればイースウェア軍押し寄せてくることは確実だし、そうなれば馬車でしか移動できないミエルは女官たちとともに真っ先に切り捨てられることになるからだ。

 友情と任務の板挟みになったローズは十分近くも懊悩した。

「…………………………わかった」

 だが、今ローズの任務はマーガレット護送であり、そのために使える者は使うべきで私情を挟んでいい状況ではない。それにミエルも軍人である以上任務として命を賭す必要があるとも解釈できるし、正体さえばれなければ公費で治療を受けさせることもできる。この状況でラフレーズの案を却下する合理的な理由はなかった。

「ラフレーズの案を許可する。ただし、マーガレットに侍女のフリをすること承諾をさせることが条件だ」

「了解しました」

 ローズの提示した条件は真っ当なもので誰も疑問に思わなかった。

 

「……という訳でエローをお嬢様として扱うことで検閲官の目を誤魔化そうと思います」

 実際にマーガレットに作戦を説明する段になってラフレーズは当惑していた。

 ゴネる可能性は少ないとはいえ、マーガレットを説得するならローズがした方が確実だし、提案者として自分に命じてもローズの性格ならば彼女自身も同席するだろうと思っていた。しかし、ローズは会議が終わると村の様子を見に行くといって出ていってしまい、マーガレットへの説明はラフレーズ一人で行うことになった。

「……そう、わかったわ」

 マーガレットの願い通りミエルをイースウェア公国に同行させることができるというのに、作戦を聞いたマーガレットは心ここに在らずといったふうに答えた。

「マーガレット?」

 呆然としたようなその様子はて仕えたはじめた最初のころの姿に重なりラフレーズの中で不安が膨らむ。

「聞こえたわよ。私がミエルの従者のフリをして、看護していればいいんでしょ?」

「その通りです」

 必要事項を伝えたがラフレーズは退室しなかった。マーガレットも退室を命じなかった。ただラフレーズがマーガレットを見つめているだけの静かな時間がしばらく過ぎてから、

「昨夜、ラズワルドと何があったのですか?」

 昨夜マーガレットとローズの間で起きた一幕は誰も知らない。女官たちは後ろのコンパートメントで耳を塞ぎ、目を瞑って騒がないようにしていたし、乱戦の最中では直衛していた警護団の者も馬車の中で何が起きたのかまではわからない。

「何でもない」

 しかし、詳細を聞きだそうとした問いにはそっけない答えが返ってきただけだった。

 だが、十年に及ぶ付き合いは伊達ではない。マーガレットの様子を見て単なる口論や説教以上の何かがあったことを察したラフレーズが気遣いながらなおも食い下がった。

「ですが……そうは見えません」

「何でもないって言ってるでしょ。いいから下がって」

 力なくそう告げるマーガレットにそれ以上問いかけても無駄だと悟って部屋を後にした。

(私には……何も話してはくださらないのですね)

 無駄と悟って部屋を後にしたラフレーズの心中には悲しさと悔しさ、切なさ、そして後悔の念が深い暗雲となって立ち込めた。


 十年前、マーガレットが心を病んでしまったとき「少しでもマーガレットの心を癒すために同年齢の友だちにもなる者を身近に」というマーガレットの母の配慮によってまだ士官学校にも通えない年齢にも関わらず、特例措置で専属近衛騎士に任命された。

 だから、任命された当時は光栄に思うと同時に焦ってもいた。すでに従軍していた長姉や士官学校に通っていた次姉と比べてまだ未熟な自分が選ばれたのは実力が理由ではなく、ただ『同じ年齢』というだけだということを知っていたから。

 そんな焦りから実力を認められることばかりに気が向いていた結果がローズに強引に山を案内させての妖魔退治へと繋がってしまったわけだ。そんな自分本位の思い込みがマーガレットの傷ついた心を癒す役に立つはずもなかったということに気がつかされたのは妖魔事件の後、ローズがマーガレットとの友情を芽生えさせた後のことだった。

「まったくなんたることか!」

 妖魔に負わされた傷からの出血と疲労で限界に近かった私は救助されるとすぐに意識を失ってしまった。それから丸一日が過ぎて意識を取り戻した私に最初に浴びせられた声は賞賛でも労いでもなく罵声と説教だった。

「貴女の任務は妖魔討伐ではなく、マーガレット様の護衛! それを放り出して腕試しに妖魔討伐の真似事などもっての外ッ!! いいですか? 近衛騎士というのは……」

 普段の温和な表情からは想像もできないほど怒りに顔を赤らめて私を怒鳴りつけているのは執事のアロゾワールさんだ。

 王族の女性の身辺には男性は近づけないという原則に反して男性の彼が執事として側仕えしていた理由は、国境近く、それも軍の支部もない小さな村に女性ばかりの集団では目立つし、不安ということ。その懸念を払い、未熟な近衛を補うための戦力になり、その上で万が一の心配もなく王女を任せられるほどに信頼のある者として抜擢されたのが大貴族の家柄で、先王の代から宮廷に仕えており、老齢ながら腕にも覚えのある彼だった。

「今回の顛末については貴女が寝ている間に王都に仔細を報告しておきました。直に裁決があるでしょう。罷免を覚悟しておきなさい」

 告げられた言葉にただでさえ減っていた私の血の気がさらに引いた。他の役職とは違い王族の側に仕える名誉と権威ある近衛騎士の罷免は軍籍の剥奪とほぼ同義だ。私が軍を追われるばかりか、代々近衛騎士を務めてきたラフレーズ家の家名に泥を塗ることにもなる。

「まっ……」

「すでに報告は済ませました。あとは中央の裁決次第です」

 取りすがろうとした私の言葉を予見したかのように私の口から漏れた音がまだ言葉にならない段階で、アロゾワールさんにすげなく切り捨てられた。そうして一通りの説教を言い終えると、「裁決が下るまで謹慎してなさい」と告げてアロゾワールさんは出ていった。

 一人残された部屋で私はベッドに仰臥したまま呆然と天井を眺めていた。

(母上に何と言って詫びればいいのだろう)

 私が専属近衛騎士に選ばれた背景には、近衛隊の総隊長を務めていた母カマローサの「ちょうどマーガレット様と同年齢の娘がおります」という推挙と代々近衛隊を務めてきたラフレーズ家の家名に対する信頼という後押しがあった。母の面子を潰し、家名に泥を塗ってしまったのだ、合わせる顔がない。

(姉上たちに何と言われるだろう)

 いくら思いを巡らせても母への謝罪の言葉が浮かんでこないと次にすでに軍人である長姉と士官学校に通う次姉の顔が思考の闇に浮かんできた。

(ベル姉様は怒るだろうなぁ)

 長姉ベルルージュは権威主義的な思考の持ち主で家柄と家名を重んじる人だ。順当にいけば自分が継ぐことになる家名を穢した一族の面汚しに慰めの言葉などかけてはくれないだろう。

(アンナ姉様は……やっぱり怒るだろうな)

 同じ怒るでも優しく聡明な次姉アンナマリアは無茶をして自分の命を軽んじた上に他人の命も危険に晒したことに対して怒る、そういうタイプの人だ。

 家族への罪悪感と恐れに堂々巡りの思考を続けるうちにまだ回復しきっていなかった私の意識は現実から夢――もちろん悪夢だった――へと沈み込んでいった。

 

 次に目が覚めたのはさらに翌朝のことだった。

「どうしよう……」

 十分に睡眠を取り、ある程度気力と体力が回復してくると不安よりも居心地の悪さが勝ってきた。元々静かな山村の上に個室をあてがわれていた私の部屋の静けさは寂しいものだったし、普段所在ない時に行っていた剣術の稽古はドクターストップ、裁決が下るまでは護衛の任も解かれて自室での蟄居を命じられていたので散歩すらできない。

 所在なく、部屋の窓から外の様子を眺めてみたが、個室とはいえ使用人用の部屋からの眺めが良いはずもなかった。それでも午前中は回復しきっていない身体が無意識に休息を求めていたらしく、ベッドに転がりウトウトしているうちにすぎてしまったが、午後になるとその眠気も満たされてしまったらしく、全くすることがない状態が訪れた。

 元々遊びに来たわけではないので姉から「士官学校に通わず近衛になるのだから」と勉学用に持たされたおさがりの騎士の心得などがかかれた教科書数冊を除いて本もない。することの無い毎日でそれらの本もすでに暗唱できるほどに読み込んでいたので何もない。

「……とりあえず着替えよう」

 寝汗をかいてしまったネグリジェを着替えようとチェストへ向かい、引き出しから着替えを取り出し、着ていたネグリジェをストンと足元へ脱ぎ落したときだった。

「大丈夫か?」

 何の前触れもなく、突如ドアが開かれ、ローズが入ってきた。

「キャァ――――――――――ッ!!!」

 代々近衛騎士を務めてきた家柄である私は正装に着替えるときなど他人に裸を見られることもあったが、わかっていて見られるのと、突然ノックも無しに入ってきた侵入者にネグリジェを脱ぎ捨てて文字通り一糸纏わぬ状態を見られるのとは全く違った。

「まったく! 他人の部屋に入るときはノックくらいしなさいよね!!」

 要らぬ騒ぎを起こしてアロゾワールさんに二人揃ってお説教を食らった後で見舞いに来たというローズと二人残された部屋で膨れながら愚痴った。

「ごめん……知識はあったんだけど…………つい」

 名家の私と違い山村の小さな家で暮らすローズには家の中でノックする場所などトイレくらいしかない。他人の家も入り口でノックすれば事足りてしまう。知識として知っていても習慣として身についていなければ忘れてしまうのも仕方ないのかもしれない。

「まあ、いいわ。お見舞いに来てくれた好意に免じて、あたしの裸を見たのは見逃してあげる」

 退屈していて話相手が欲しかったから追い返さないのだ、などとはおくびにも出さず気丈に振る舞って答えた。

「別に……裸を見たくらい、そんな大事でもないだろうに」

「ハァア!? 何言ってんのよ!? レディーの裸を見るなんて本当なら死刑よ、死刑」

「大袈裟な」

 貴族制時代の末期には本当に庶民が些細な罪で殺されたこともあるのだからあながち大袈裟とも言い切れないが一般の学校で習う歴史ではそんなことは教えていないから当時のローズが知らなくとも無理はないことだが、

「これだから教養の無い山ザルは嫌なのよ」

 八つ当たりでも少しでも不安を発散する対象を求めていたそのときの私はそんな考察をすることもできず、幼い感情そのままに罵声を浴びせた。一方で、山ザル呼ばわりされローズは目元をヒクつかせていたが、今回非があるのは自分だという認識からグッと怒りを堪え、

「なら、無教養の山ザルはさっさとお暇します」

 機嫌を損ねて、腰を上げ、ドアへ向かって一歩踏み出した。

「まっ、待ちなさいよ!」

「何?」

「お見舞いに来てそんなすぐに帰る気?」

「それだけ騒げる元気があるとわかれば十分。それとも私にいて欲しい?」

「ちっ違うわよ! ただ……え、えーっと……」

 せっかくできた話相手を失いたくない私はとっさにローズを引き止めたが、確かにローズと共通の話題など無い。元気だとわかれば早々帰ろうとするはある意味当然のことなのだが、ここで帰られては一人寂しいからいて、などと言えるはずもない。当然答えに窮した私はなんとかそれらしい口実を探した。

「ホラッ! 妖魔よ、あれ結局退治できたの? 当事者のあたしに説明しなさいよ」

「執事さんから聞いてない?」

「アンタが来る少し前まで寝てたのよ!」

 ここで、勝手な行動した罰で蟄居処分中だからそんなこと聞けないの、などと素直に言えるようならそもそも建前の質問で引き止めるような真似はしていない。

「はあぁ~メンドくさ」

「ハァア!? 自分で来たんでしょ!? メンドくさいって何よ!」

「必要ないかと思ったけど『病人、ケガ人にはやさしくしなさい』ってお祖父ちゃんがいってたから仕方なく」

「仕方なくって何よ! アンタのお祖父さんスッゴクいいこと言ったのにアンタ全く……」

 ムキになって噛みついた私の言葉は、ゴンゴンッ、という少し荒っぽいノックで遮られ、

「静かにしなさいッ!! ラフレーズ、貴女は今蟄居中なのですよ! 自覚が足りないのではありませんかッ!?」

 扉越しの叱責に身を竦めながら私は、ローズに処分中であると知られてしまった、というある種の羞恥心に似た感情にも苛まれていた。バツの悪さからノックに反応して逸らした視線を戻すこともできずに俯いてしまった。

「もう、さっさと帰りたいから一度しか言わないから。妖魔は現在捜索中だけど軍人さんの話では『新種の小物なら雪崩に耐えられるほど強くないだろうから、多分死んでるだろう』って」

 ローズは現状を手短に説明するとさっさと出ていった。

 これ以上彼女がいればまた子どもっぽい言い争いをしてしまうだろうことを自覚していた私はローズが出ていった扉の開閉音をただ黙って聞いていた。しかし、我慢の甲斐なく、それから十数分後に私はもう一度こっぴどく叱られることになる。

 何気なく外を見ると視界にローズがスノーマンを造っている様子が見えた。主人の屋敷とはいえ、庭に雪像一つ造ることを許されないわけではない。しかし、ともに雪遊びしている影があることに一気に慌てた。

「あのバカッ!」

 外の寒さも考えず、ネグリジェのまま部屋を飛び出した。

「ちょっとアンタ! お嬢様に……」

「何をしているのです、ラフレーズ!」

 マーガレットを雪遊びに引きずり出したローズを怒鳴りつけようとした私の声はさらに大きなアロゾワールさんの怒声に掻き消された。

「貴女は今は蟄居中だと何度言えばわかるのですッ!」

「ですが……ソイツがお嬢様に……」

 故あっての行動なのだ、と抗議しようとした私の声は尻すぼみになってしまった。これまで数か月、私たちの呼びかけにほとんど反応を示さなかったマーガレットが造りかけのスノーマンの影から顔を覗かせたからだ。

「えっ……なん……」

 そもそも最初に見た時点で驚くべきだった。引っ張り出されたか、自主的か以前に、今までほとんど反応を示さないでいたマーガレットが遊びに興じていること自体に。

「………………お嬢様……なん………………で?」

「ラフレーズ、貴女が答えるべきは私の問いに対してです。何をしているのです!?」

「……その……窓から…………ソイツがお嬢様を……連れ出しているのが見えたものですから……止めようと……」

 厳しく詰問するアロゾワールさんに尻すぼまりになりながらも何とか言い切った。

「彼女にはお嬢様の話相手、遊び相手になってくれないか、と私が頼んだのです」

「そんなッ! お嬢様のお側に男……え? 彼……女?」

 自分の認識とアロゾワールさんの発言の齟齬に答えを求めてローズの方へと向き直り、

「アンタ……男じゃ……」

「私は女だッ!!」

 私の男発言にローズが年相応にムキになって噛みついてきた。

「…………………………ウソ」

 このときまで私はローズを男だと誤解していた。何しろローズは寡黙でぶっきらぼうなしゃべり方をする上に、十歳を迎えたばかりで二次性徴もまだだから声の質や体格では判別はできない。外見も男でも通る短い髪型をしていたし、顔も美形には違いないがどちらかというとカワイイよりカッコいいという表現が適切で、正直、田舎者にしてはカッコいい男の子だな、とまで思っていた。淡い恋心まで抱いていたのに「どうしてくれるのよ、この気持ち!」というショック状態だった

「わかったらさっさと部屋に戻って大人しくしていなさいッ!」

 驚きのあまりバカみたいに口を開けたまま呆然としていた私はアロゾワールさんの怒声に我に返った。

「待ってください! 例え女でも素性も定かでない者になぜわざわざお嬢様の相手をさせるのですか? ただでさえ、私が蟄居中でアロゾワールさん一人でお嬢様を守らねばならないのに余所者を近づけるなど……」

「お黙りなさい! 自らに与えられた任がなんなのかも理解せずお嬢様の身の回りのことに口を出す権利などあると思っているのですか!?」

 そう告げて、部屋へ戻れ、と玄関ホールの方を指し示す。

 アロゾワールさんに逆らえるはずもなく、私は黙って自室に下がるしかなかった。

 

 それからさらに二週間が過ぎた頃。

「退屈で死にそう……」

 とてつもなく暇だった。一日でも手持無沙汰で時間を持て余したのにその状態が一週間も続けばもはや持て余すどころではない。

「あたしのお役目ってなんだったんだろ……」

 極まる退屈の中で自然とアロゾワールさんが言った「自らに与えられた任がなんなのかも理解せず」という言葉の意味を考えるようになっていた。

『真の近衛騎士とは付いた王族の方が自らの寝姿を晒すことさえ、命をあずけることさえできるほどに心を許せる者のことを言うのです。そのためには近衛騎士が絶対に裏切らない片刃の剣であるという人格に対する信頼と絶対に突破されない盾であるという剣腕に対する信用を得ることが大切です』

 それが配属に際して、代々近衛騎士を務めてきたラフレーズ家の現当主である母から告げられたことだった。そして、母はこう続けた。

『ですが、信頼とは心と心を繋ぐ道です。街道を一日では敷くことができないように信頼を得るには時間を要します。そして、貴女はまだ未熟で盾としての信用を得るにも力が足りないでしょう。ですから、信頼を得るために忠実に、信用を得るに足る腕を目指して研鑚を惜しまず過ごすのですよ』

 剣術の稽古をはじめ訓練は欠かさなかった。一人でできることは限られていたが、それでも弛まぬ努力を続けたと胸を張って答えることができる。

 そして、信頼を得るために忠実に、という言いつけも守った。当時のマーガレットは何を命じるでもなく、ただ茫然と一日を過ごすことが多かったから命令に従うというより機嫌を損ねないようにしていただけだったが、それでも騎士として間違ったことはしていない。ただ一度無断でお側を離れた件を除いては。

(私は母上の言いつけ通り近衛騎士として認められるために努力した……はず)

 だが、無断で妖魔討伐に赴いた件を咎めているだけならば、アロゾワールさんが私を蟄居処分に処すだけでいいはずだった。部外者である村の子どものローズにマーガレットの相手をさせる理由などないはずだ。

(私は自分のお役目を理解できてなかったの? だったら、私のお役目って……何?)

 一週間以上考えていたのだ。いくら当時の私が凝り固まった思考をしていても答えなど当に出ていた。

 しかし、その答えを私は認めたくはなかった。

 閉じた窓からローズが連れてきた子どもたちの賑やかな声が聞こえてくる。

 アレが私に求められていたものなのだ、と認めてしまったら何かが崩れるような気がした。

 数日前、ローズがマーガレットと何か話していた。一方的に話しかけているのではなく、話していたのだ。この屋敷で暮らし始めて半年以上、使用人や私からの呼びかけにロクに応答をすることさえしなかったマーガレットと話していた。

(そういえば、マーガレット様ってどんな声なんだろう)

 思い返えしてみれば、最低限の応答しかしてくれなかったマーガレットの声はかすれるような微かなもの以外聞いたことがなく、どんな声音なのかさえ知らなかった。

 もちろん、私だって最初のころは積極的に話しかけたりもした。本来の身分を知らないローズ程砕けたものではなかっただろうが、それでもできるだけ気さくに、できるだけ垣根を意識しないようにして信頼を得るために、王妃の思いに答えるために。

 しかし、私はしばらくして語りかける努力を放棄してしまった。石像か人形にでも話しかけているような虚しさに耐えかねたのだ。

「信頼を得る努力を………………放棄してたのね」

 認めたくない、しかし、認めざるを得ない事実が自然と口を吐いた。

 信頼を得る努力を放棄して、信用を得る努力をしたフリだけして。きっと心のどこかでは信用だけを得ても意味がないことに気がついていたのだ。だから、焦った。焦ったから妖魔退治という目に見える結果が欲しくて勇み足を踏んでしまったのだ。

 自分の愚かさに打ちひしがれていたこのときの私は、二週間も経つのに未だ王都から正式な処分の通達がないことにさえ気がつかなかった。

 

(もし……)

 あったかもしれない――いや、諦めていなければあったはずの可能性について思いを馳せる。

(もし、私が諦めずに話しかけていれば……貴女の信頼を得ることができたのでしょうか?)

 出立前日の昼食時、ローズは、マーガレットが心許している、と評していた。しかし、ラフレーズ自身は心の底からそうは思えずにいた。確かに他の近衛たちがファミリーネームで呼ばれるのに対してスカーレットとファーストネームで呼ばれるなど近衛騎士の中では信頼されているかもしれない。

 しかし、王都で過ごした三年余りの間、マーガレットの言葉、態度の端々に「ローズの方が」、「ローズだったら」というニュアンスを感じていた。単なる劣等感ではない。その証拠にローズやミエルのことをプライベートで友だちと表現するのに対してラフレーズは未だ友だちに含まれたことはない。

 嫉妬に似た感情がラフレーズの胸の底に澱む。

 わかっているのだ。マーガレットをあの虚無の自失から救い出したローズに自分が太刀打ちできないことは。

 しかし、自らの過ちを自覚してからひたすら信頼を得るに重ねてきた十年の月日をもってしてもまだ悩み一つ打ち明けてもらえないのかと思うとやるせない。

(私に何かできることはないのですか?)

 聞こえるはずの無いマーガレットへの問いかけは、同時に自らへの問いかけでもあった。

(もう、十年前のように投げ出したりはしない)

 十年前、近衛騎士として間違っていたと気づいた後で、密かに二つの決意をした。その一つがマーガレットに認められる近衛騎士になること。もう残り時間はわずかしかない。しかし、マーガレットがブルトルマン帝国の王宮に入るその一瞬まで彼女のために献身する。

(最後の機会よ。マーガレットの慰め、ローズとの仲直りの手助けをする。絶対に)

 たとえ最も信頼できる者になることができなかったとしても近衛騎士としての誇りにかけて最後までやり抜く。

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