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ルディア戦記  作者: 足立葵
第一話「戦場の青き薔薇」
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第四章 共闘 7

 マーナガルムとの戦いはヒットアンドアウェイの繰り返しだった。

 飛竜部隊がマーナガルムの注意を上空に引きつけている間に間合いを詰めて蜂のように刺し、すぐさま逃げる。そうして、マーナガルムが小さな痛みに気を取られ下を向いている隙に今度は飛竜部隊が矢を射かける。貴重な七大鋼や錬金鋼の矢は無い。しかし、ただの矢ではなく、火矢を用いることでダメージは与えられずとも無視できないようにする。

 早朝から始めた戦いも気がつけば日は沈み、夜の帳が下りている。

 アラグラーソの卵が孵るトリガーでもある満月は夜の闇を照らし、戦うことも助けてくれる。

 とはいっても、森を再生する時間を少しでも長く稼ぐ、ことが戦いの目的。それをこれから三日近く戦わなくてはならない。まだまだ先は長い。

 しかし、ローズの精神は焦りで焼け爛れていた。

 空を飛ぶ飛竜部隊は最初の部隊が要請した援軍が順次駆けつけ、その後はローテーションで当たっているが、地上で戦うのはローズとアルコンティアのみ。しかも、飛竜部隊は遠巻きに矢を射かける攻撃だが、ローズたちは地を駆けて、刺して、逃げるを繰り返している。明らかに偏った布陣と攻撃手段の問題によって早くも限界は近かった。

 しかし、ローズたちが離れるわけにはいかなかった。何度か戦線離脱を試みたのだが、マーナガルムはどうやら一番まともな攻撃を加えているローズたちをターゲットしているらしい。ローズたちが移動するとしばらくするとマーナガルムは飛竜部隊の攻撃を無視してローズたちの追跡を始めてしまうのだ。

 その上、剣か槍のような体毛は攻撃のときに一歩間違えると腕を刺さり、掠るだけも肉を引き裂く。ローズの腕はすでに隙間ないほどに赤く染まり、アルコンティアの白い毛並みも彼自身の血と騎乗するローズの血で銀色と赤のまだら模様を描いている。

(どこかでいったん退かなければ………)

 そうは思うものの事実上不可能に近い。

 安全な街道を走ればマーナガルムにはすぐに捕捉される。かといって捕捉されないほど遠くに逃げれば今度は作戦自体が破綻してしまう恐れもある。森に逃げ込めば補足されるまでの時間は稼げるだろうが、マーナガルムの攻撃を感知できなくなるという問題があるし、血の臭いを放ったまま森に入るわけにもいかない。

 しかし、逡巡の答えが出るよりも駆け回っていたアルコンティアに限界が訪れる方が早かった。攻撃のために駆け出そうとしたところで脚を縺れさせて転倒した。まだ、スピードが出る前だったため放り出されたローズの方はほとんどダメージはなかったが、

「アルコンティアッ!?」

 体力切れではない。彼自身が強がったようにユニコーンはそれほど柔ではないのだろう、首を上げ、ローズを見つめる瞳はまだまだ気力に満ちている。しかし、最初に針の原のようなマーナガルムの背を駆けたときに受けた脚の傷が生命線である脚力を奪い去っていた。

 起き上がり、傍に駆け寄るが治癒魔法が使えるわけでも特別な薬草をもっているわけでもないローズにはどうしようもない。

 ――大丈夫……だ。ちょっと脚を引っ掛けただけだ

 強がってはいるが脚はもはや限界なのは明らかだ。立ち上がろうと踏ん張る脚は生まれたての小鹿のようにプルプルと震えている。仮に立ち上がったところでもはや狙いを定めさせないように走り回り、攻撃を躱し続けることは不可能だ。

 不意に月光が遮られた。

 見れば巨大な前脚がローズとアルコンティア目がけて振り降ろされてくる。

 本気ではない。

 本気ならば顎で喰らうだろう。前脚でも爪で攻撃するだろう。わざわざ前脚のそれも殺傷力の低い肉球部分で攻撃してくるのは弄んでいるとしか考えられない。もう限界なのか、もっと足掻いてみせろ、と嘲っているような錯覚を覚える。

「ハァァァァァァァァアアアアアアアッ!!」

 両手で持った角を垂直に突き上げて、迫りくる巨大肉球に突き立てる。振り降ろされた勢いで角が半分近く刺さる。直後、痛みを覚えたマーナガルムが反射的に前脚を引き、突き刺した角を握り締めたままだったローズが引っ張られる。棘を抜こうとするマーナガルムが乱暴に前脚を振り回し、唯一の武器を失うまいとローズが必死に握り締める。

 ゴキュッ

 あえて擬音語で現すならそう聞こえるような形容し難い生々しい音が耳の近くから聞こえた直後、握力が抜けてローズは吹き飛ばされた。

「ガァァアアアッ」

 吹き飛ばされ、バウンドし、転がる。高所から投げ出された最初の衝撃よりバウンドし、転がっている途中の痛みが酷かった。ようやく止まって起き上がろう試みたが、腕に力が入らない。完璧に肩を――それも両肩を脱臼してしまった。

「中佐ッ!!」

 ローテーションから外れてゲルラッハ大尉が駆けつけ、ローズを抱き起す。

「誰か脱臼を治せる者来てくれ!」

 大声で部下を呼ぶ声は肉球に刺さった角の痛みに咆えるマーナガルムの咆哮に掻き消されて聞こえないらしい。二度、三度と重ねて叫ぶが一向に伝わらない。

「ここで待っていてください」

 そういうとリンドヴルムに乗り、直接部下を呼びに空に舞い上がる。

 動きたくとも高所から放り出された衝撃と両肩の激痛が神経の信号を掻き乱し、すぐには立ち上がれそうにない。両肩とも脱臼していては何もできない。吹き飛ばされたおかげでマーナガルムの暴れているところから少し距離があるから無理に動かずとも危険は少ないのがせめてもの救いだろうか。

 しかし、突撃を仕掛けようとした地点で未だに立ち上がろうと苦戦しているアルコンティアはその限りではない。前脚に刺さった角を取り除こうと暴れるマーナガルムの巨体が倒れ込み、アルコンティアを押し潰そうとする。

 助けは無い。地上で戦っていたのはローズとアルコンティアだけ。人間ならば飛竜を駆ってタッチアンドゴーで救い出すこともできるだろうが、急降下してアルコンティアを連れて素早く飛翔するなど飛竜の体格では不可能だ。

「アルコンティアッ!!」

 叫んだローズの声は疾風に掻き消された。

 津波のように地を駆け抜けた白い疾風が倒れ来るマーナガルムの巨躯を受け止め、そればかりか弾きかえした。

 森の側に倒れ込み、巨重に木々が押し潰される軋みが重層し大気を劈く中で、目の前の光景に驚きを隠せないのはローズだけではない。ゲルラッハ大尉をはじめとするブルトルマン軍の面々も滞空したまま動きを止めている。寸でのところで助けられたアルコンティア自身もその光景が信じられずに立ち上がろうする動きを止めている。

「…………ゲンナディオス……?」

 僅かに色彩のことなる白い毛並みを持つ獣の群れ。その中心に立つ純白の毛並み、同種とは思えない逞しい四肢と重ねてきた年月の永さを物語る豊かな鬣。他とは一線を隔す存在感を放つ姿は「人間の犯した罪は人間が雪げ」そういって助言以上の協力はしないと明言したその彼以外の何ものにも見えない。

 ――気安く我が名を呼ぶな、墓荒らしよ

 振り向きローズを見下ろす。

 その眼は静かな怒りで満たされ、その声は深海のような畏怖の圧力を持つ。意識に直接響く彼の声が外界からの身体の骨を伝ってくる音さえもはじき出し、意識の会話に恐ろしいまでの静寂が訪れる。

「墓……荒らし…………?」

 反復し、言葉の意味を理解したが、全く身に覚えがなかった。いわれなき汚名だ、と叫び返そうとしたローズの口はゲンナディオスの圧力の前に動かなかった。

 ――我が一族の墓から盗んだ遺角をどこへ隠した?

 口に出して発する言葉ならば「イカク」の意味は分からなかっただろう。しかし、意思に響く言葉は意図や意味を誤解なく授受できる。イカクが遺角、つまり亡くなったユニコーンの遺した角であると誤解なく理解して何がどうなっているのかを察した。

 アルコンティアは一族の墓からあの角を持ちだしたのだ。シュテフィを癒すだけならばあれほど長い角である必要はない。使えると思ったから武器として携えたが、彼は最初からローズに武器としてあの角を使わせるべくあの角を持ってきたのだ。

 そして、読心術に長けたゲンナディオスは隠す余裕のないローズの心を見透かし、驚愕していた。ローズが墓荒らしなどしていないことは偽りを見抜くことに長けた彼らの誰もが理解したし、彼の周りにいる壮齢の一族たちの中の何頭かはローズの推測も読み取った。

 彼らの怒りがローズから一族の若者へと移る。

 ――なぜ一族の誇りを怪我すような真似をした?

 ゲンナディオスの声には先ほどローズを問い詰めたときに倍する怒りがある。もはや、平静を保っていられないほどの怒り。同じ墓荒らしの罪でも余所者の人間ではなく、一族のものが犯したとなれば怒りの度合いがまるで異なるのは想像に難くない。

 アルコンティアは動かない。

 そして、戦場でこれ以上問答をする余裕はなかった。

 前脚に刺さった角と格闘していたマーナガルムが何とか角を巨大な牙に挟み、そして噛み砕いた。

 ――長

 一頭のユニコーンがマーナガルムが器用に口で抜き取り、忌々しげに噛み砕いたのを見咎めてゲンナディオスに呼びかける。呼びかけられるまでもなくゲンナディオスもその光景は目にしていた。頷き、数歩歩みだし、マーナガルムに告げる。

 ――我が一族の遺角を破壊した罪は償ってもらうぞ、狼の長の仔よ

 転げまわる程度には痛みを感じていたはずなのに、相変わらずマーナガルムに怒りや憎しみといった強烈な感情は感じられない。宣戦布告するゲンナディオスもただ興味深げに見下ろしているだけだ。

 

 オモシロイ

 

 人間には大気を震わせる唸りが不気味な笑い声に似た響きを放ったことしか感じとれなかったが、ゲンナディオスたちは意識に響く声でマーナガルムの心を捉えていた。

 

 オモシロイ。モットワレヲタノシマセヨ、チイサキモノタチ

 

 今まで自分を一番楽しませたのはユニコーンとその背に乗った人間だった。そして、そのコンビが倒れてこの戯れの時も終わりかと落胆した。その矢先にユニコーンが十数頭加勢に現われたことは僥倖以外の何ものでもなかった。

 ――舐めるなよ。図体ばかりの赤子がッ!

 ゲンナディオスの両脇を固めていた二頭が突撃する。

 それを迎え撃つべくマーナガルムが振り上げかけた前脚を足場にゲンナディオスが突撃した。マーナガルムの鼻先にロングソードほどもある長大な角を突き刺し、前脚を巧みに使ってすぐさま離脱する。

 アルコンティアならばそれで飛竜部隊に交替したところだが、彼はそこでは終わらない。ゲンナディオスが離脱した先には宙を舞う飛竜がいた。その背を足場にすぐさま第二撃を放つ。

 宙を舞う飛竜を足場に眼前に突撃してくるゲンナディオスのアクロバティックな動きにマーナガルムが驚喜した。目を燦爛と輝かせて迎撃すべく、天地を呑み込むほどの口を開く。

 そのままでは奈落のような闇に呑まれるだけだと思った。

 しかし、ゲンナディオスがそのあぎとの間合いに跳びこむ直前、マーナガルムの下顎が突き上げられ、口が閉じられた。最初に突進した二頭が前脚を足場に下から突撃したのだ。

 かち上げられ、閉ざされた口は唇が捲れあがり、生え揃うマーナガルムの牙が剥き出しになっていた。そこにゲンナディオスの角が突き刺さる。

 達人同士の剣戟の打ち合いのような荒々しくも美しい高音質の音が響き渡る。

 最強の狼の一頭であるマーナガルムの牙とこの世でそれ以上に硬い物質は数えるほどしかないユニコーンの角、その硬度は恐らく甲乙つけ難い。しかし、角、爪、牙、骨、鱗、およそ生体の構造には方向性がある。一方方向からの圧力には無類の強度を誇る物質も別の角度からの圧力には簡単に砕ける。そして、牙の構造は突き刺し、切り裂くことに適している。いくら強度があろうと元々盾のように受け止めるための構造はしていない。

 ゲンナディオスが地上に舞い降りた。瞬く間の攻防の余韻に浸って、誰も物音一つ立てない静寂の中、氷河が滑る前兆のような軋みだけが響いた。直後、ゲンナディオスの体の数倍もある牙が音を立てて地に落ち、突き刺さった。

 飛竜を駆るブルトルマン軍から鬨の声が上げる。彼らも自分たちが何かしたわけではないことくらいわかっている。それでも突如現れたユニコーンが味方であり、その頼もしい戦力で無敵そのものだったマーナガルムにはじめて明確なダメージを与えたことは士気を昂ぶらせた。

 ブルトルマン軍の鬨の声を合図に残るユニコーンたちも突撃を開始した。

「スゴイですね!!」

 興奮を隠すことも忘れた声でローズに駆け寄ってきたのは先ほど部下を呼びに行ったゲルラッハ大尉だ。何を言ったのか声は聞こえなくとも言ったことはわかった。

 彼の背後から別の兵士が歩み出て、ローズを助け起こしてから腕を持ち上げ、肩甲骨の辺りに手を添えて外れた肩を嵌め直す。

「全く……クゥッ……心強い味方です」

 関節が嵌まる痛みを堪えながら呟くように返した。

 だが、一見意思の疎通に成功しているように見えてその実二人の心境はまるで通じてはいなかった。ゲルラッハ大尉の「スゴイですね」は「ユニコーンを呼び寄せるなんてスゴイですね」という意図で発せられたものだった。

 この戦いにおいてユニコーンを駆り、その角を武器として戦うローズは戦女神と言っても過言ではない存在だった。そして、彼女の駆るユニコーンが転倒し、彼女が愛騎をその身を挺して守った直後、ユニコーンの群れが現われた。その登場は満身創痍の彼女たちの危機を救うために現われたようにしか見えなかった。

 ゲンナディオスとローズの会話が聞こえていればそんな誤解は起こらなかっただろうが、ユニコーンの声は彼女とアルコンティアにしか聞こえていなかったし、ローズが呟いた一言はマーナガルムの絶叫に掻き消され空を飛ぶ他の者の耳には届いていなかった。

 一方、ローズ自身は純粋にこの幸運に感動し、感謝していた。

 アルコンティアが墓荒らしという罪を犯してまで協力してくれていたという事実。ゲンナディオスたちが墓荒らしに気づいて角を取り戻しに来る直前にマーナガルムにその角を突き刺していた偶然。そして、マーナガルムが彼らの神経を逆撫でするように目の前で角を噛み砕いたこと。神がいるということを信じずにはいられない因果の連鎖による幸運。どれか一つ、誰か一人の行動が違っていただけで今の状況は訪れなかっただろう。

 しかし、戦場でそのような些細な誤解に気づけるはずもない。

 そして、この誤解によって後にローズの功績が多大に評されることとなるのだが、そんなことは知る由もない。

 両肩の治療を終えるとローズはすぐさまアルコンティアの元へと駆け寄った。

 ゲンナディオスたちが少し戦場を移動してくれたおかげで彼の倒れているところから危険が遠退いていた。その彼の周りにはゲルラッハ大尉とは別に彼を助けようと駆けつけくれたブルトルマン軍の兵士たちがいたが、男を寄せつけないユニコーンの気性故に近づけずにいた。

「大丈夫か?」

 ローズが近寄り、ようやく少し落ち着きを取り戻した。肩を貸す、と表現するのは妙だがローズが支えになってやることでようやく立ち上がることができた。

 改めて見ても酷い傷だ。どの傷も表皮が裂けている程度の浅いものではない、浅いものでも真皮まで達し、中には筋まで見えるほど深い傷もある。足だけでなく腹部も無数の切り傷があり、滴り落ちて銀色の水溜まりを作っている。

「どうしてこんなに…………」

 罪悪感混じりの悲痛な呟き。もちろん、ローズを乗せてマーナガルムの鋼の毛皮の上を駆けたことによるものだとわかっている。しかし、それだけでは説明がつかない。

 今も戦っているユニコーンたちの中にはマーナガルムの背を、脚を足場に駆け抜けて戦っている者もいる。遠目だが銀色の血が飛び散っていればその輝きでわかるはずだが、ほとんど傷を負っているものはいないように見える。

 確かにアルコンティアは孤軍奮闘していたが、それにしても怪我の量があまりに多い。

「立てるか?せめてもう少し離れたところで治療しよう」

 アルコンティアから声にならない非難と怒りの感情が伝わってくる。しかし、厳しくとも告げねばならない。

「戦場で戦えない兵士は足手まといだ。今、私は武器を失い、お前は脚を痛めた。我々が今無理に戦列に復帰したところで皆の邪魔になるだけだ」

 ローズの厳しい言葉に労わりと心配を感じとったのか、それとも言い逃れようのない現実を受け入れただけなのか、どちらかはわからないがアルコンティアが頭を下げた。その光景は納得して頷いたようにも落ち込んでいるようにも見える。

「北へ向かってください。河に行き当たったら東へ。分岐点近くにドラグーンシュトックが一隻停泊しています」

 ゲルラッハ大尉の安全な休息所として自軍の軍船を提供すると申し出はアルコンティアの中継でしっかりと伝わった。ありがたく申し出を受けることにした。

 ローズは飛竜の世話になろうか、と思ったがアルコンティア「お前は俺が運ぶ」と無言で訴えてきたので苦笑交じりにアルコンティアの背に再び跨り、街道を北へと駆けだした。

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