第三章 渡り妖魔 3
ローズが光輝な聖杯の面々とともにユニコーン狩りに赴いていた頃、リスティッヒ元帥はその鉄面皮をわずかに歪めて苦虫を噛み潰したような表情で南を見つめていた。
背後でドアが開かれ、部下が報告に来た。
「失礼します。昨夜もカルッセル、トゥーフのほか新たにファーデン、ヴィーゼ、シュテッペ、ヘングスト、フリュー、シュネルら八の町が新たにアポドミティカによる被害を受けたとの報告がありました。また、西はすでにゲヴェシュミートまで災禍が及んでいます」
報告を終えると部下は直立不動で指示を待つ。
すでに、帝国領の一割以上にのぼる地域で普段とは異なる妖魔の異常行動が報告され、ブロンテー川沿いの町や村の多くですでに実害が出始めていた。
過去に森を焼き払ったときの経験に照らし合わせた限りでは妖魔が荒れ狂うにしてもここまで被害が拡大するはずがなかった。
当初、鉄の森の対岸へと飛び火した魔災は対岸の森を焼く大火に刺激されただけだろうと思われた。何しろブロンテー川の川幅では燃え広がるほどの火の粉が飛ぶはずもなく、事実見た目の上では北岸の森に異変は生じていなかった。従来の森を焼いたときのデータでは妖魔が流出入する地続きの森では災いが波及したもののそうでない場所まで騒動が波及することはなかった。
ところが、三日を過ぎても妖魔の狂奔は収まらない。そればかりか災禍は激化拡大の一途を辿り、仕方なしに三つ首の番犬要塞に残っていた三個旅団を一つ、西方の鎮圧へと差し向けた。
しかし、これは全くの焼け石に水だった。ついには兵器産業を担っている街にまで災禍が広まったために各地の治安維持兵だけでは無理だと判断した中央軍まで事態の収束に乗り出した。リスティッヒ元帥も災禍終息後に牙の城攻略にあてるために南西戦線に貸していた三個師団を呼び戻す羽目になった。
「わかった。帰投を命じた三師団はどうしているか?」
「はっ、変事の報せはありませんので順調にこちらへ向かっているかと」
「ご苦労。下がれ」
敬礼して出ていく部下を窓ガラスに映る薄い鏡像越しに確認してから息を吐く。
南西に配置していた兵を呼び戻し、飛竜部隊も半数を呼び戻さざるを得ない現状にさしものリスティッヒ元帥も自らの策が失敗したことを認めざるを得なかった。
しかし、彼が己が失敗を認めている理由は被害が予想を上回ったことではなく、自分の作戦プランが遂行できないことについてである。
被害が多くともそれを上回る成果が得られればいい。
予定していた作戦が破綻した以上新たな作戦を考え、代価に見合う成果を獲得すればいいだけだ。血の通わぬ機械のような論理的思考は倫理も民意も意に介さない。
現有戦力で可能な限り戦果を獲得すべく、しばし黙考してから、
「グロスマンを呼べ」
側近の一人にそう命じると急いで駆け出していく。
すると、側近と入れ替わるようにしてアウエルバッハ将軍が入室してきた。
「失礼します」
「何だ?」
用件を促す声にはわずかに怪訝な響きが混ざった。
アウエルバッハ将軍は駐留している旅団の指揮官であり、有事ならばここに直接来るはずがなく、何事もなければそもそもここに来るはずもない。
「閣下の護衛補充の件で候補者のリストができましたのでお持ちしました」
ペールブルーの髪の女騎士に護衛を殺され、十名いた護衛は今は二名しかいない。護衛の補充は急務であるからアウエルバッハ将軍に腕のたつ者を選抜させた。
しかし、受け取り、目を通していく中で使えそうな人材はいない。アウエルバッハ将軍が手抜きのリストを作ったわけではない。ある理由から彼が選抜した者とリスティッヒ元帥が側に置くことを是とする人材の条件がかみ合わなかったのだ。
「ダメだな」
「腕が立ち、かつ信頼のおける者を選りすぐったつもりですが……何か不都合でも?」
「私は『腕の立つ者のリストを作れ』と命じたはずだ信頼の有無を判断するのは貴公の仕事ではない。それは私が判断する」
「はっ、失礼しました」
「急ぎ新たなリストを作って持ってこい」
「はっ、直ちに」
敬礼してから退室する。入れ替わりに先ほど退室した側近が伝令を終えて入室する。
元帥執務室から続く廊下を歩いているとグロスマン将軍と鉢合わせた。
「よう、気をつけろよ。閣下は相当ご機嫌斜めだぞ」
たった今退去してきたばかりの部屋の主の様相を思い出しつつ、自分にとって友人であり、リスティッヒ元帥にとって犬猿の仲である同僚に向かって「不必要に争うなよ」というつもりで忠告すると、
「そいつぁいい。普段でかい面してるヤツを少しでもいびってやろう」
忠告の意図を知ってか、知らずか真逆の行動を選択する友人に嘆息する。
「お前なあ」
「当然だろう?諫言を聞き入れずこの体たらくだ」
確かに鉄の森を焼くという暴挙に対して異を唱えた将軍は多かった、というよりリスティッヒ元帥を除いて全員が反対した。しかし、四師団二十の将軍たちの意見を全く聞き入れずに強行したのだ。
「だからって向こうが元帥なんだから……な?」
なだめるのが一苦労な戦友に嘆息しつつも彼が過ぎた言動に及ばないように諌める。
「ふん、知ったことかッ!どうせ今回の件でヤツが次期皇帝になる可能性はゼロに近づいたんだ。このまま失脚すりゃいい」
吐き捨てるように言うと足音も荒く元帥執務室へと歩いていく。その背を見送ってからアウエルバッハ将軍自身も現場指揮へと戻るべく廊下を反対へと進んでいく。
「グロスマン参りました」
執務室の前で一度立ち止まり、気を引き締めてから入室し、必要以上に大きな声で告げる。
「相変わらずうるさいな」
地声が大きいグロスマン将軍がわざとやっているのだからうるさくて当然だ。
「まあいい。用件は他でもない、帰投しているリントヴルム全部隊を率いて南岸を飛べ」
「全部隊だとッ!?」
グロスマン将軍が頭に血を昇らせて怒りを露わにしつつ聞き違い、ないし言い間違いを信じて問い返す。
「そうだ」
しかし、冷静な鉄面皮の元帥はたった三文字の答えで終える。
その言葉にグロスマン将軍の目が驚愕で見開かれ、愕然と顎が落ちる。
飛竜は矮小とはいえ竜だ。騎として馴らされ、妖魔としての質を大きく損なっているとはいえ元が強い。だからこそ光の属性でもないのにある専用の装備をつけ、処置を施すことで陽光の下でも飛ぶことができる。
その力は妖魔のランクにしてEとDの中間。故に妖魔が北岸でも暴れている現状では飛竜部隊の機動力と戦力は欠かせない。まして地を駆けるタイプの妖魔の大半が空にいる飛竜には手を出すことができないから重要性は高い。
先の要塞攻防戦で少なくない死傷者を出していることで三つ首の番犬要塞の現有戦力は帰投した飛竜部隊一旅団を含めても四旅団。しかも、その中一旅団は西方の妖魔鎮圧に出ている。七千五百平時ならともかく眼前に妖魔の大群がいる状況では心許ない戦力で街を守らなければならない。
「正気かッ!?」
「貴公よりはな」
「ふざけるなッ!?第三の首を護るのも危うい戦力で南へ手を伸ばすななどあり得ん!!」
「案ずるな。南岸の妖魔は北岸には来ない」
水生の妖魔除き妖魔はほとんど真水を厭う。これに関しては諸説ありそのどれもが反論が可能なもので理由はわからない。しかし、それは確固とした事実で、それ故に川が縄張りの境界となり、生息する妖魔の種族が一気に変わる。
だから、規格外のマーナガルムに関してはともかく普通の妖魔が南から北へと川を渡ることなどまずもってないが、
「だからと言って飛竜部隊すべてを差し向ける必要がどこにある!?ここはもっとも妖魔が寄ってくる恐れがあるんだぞ!?」
妖魔が渡ってくる恐れが一番高いとしたら一部崩れているとはいえ橋が架かり、なおかつ獲物の集まるこの要塞なのだから戦力を離すなど論外だ。
「確かに川向こうの妖魔が渡河してくる可能性が相対的に一番高いのはこの要塞だろう。しかし、現状優先すべきは南岸の妖魔がどうして北にまで影響を及ぼしているのか、その理由の調査とできうることなら解決することだ」
「そんなことわかりきっている!マーナガルムだッ!!神話級の妖魔の圧倒的な気配に怯え、あるいは威嚇しているからに決まっている!」
「それは貴公や兵の噂にすぎん」
リスティッヒ元帥は特に声を荒げたわけでも語調を強めたわけでもない。しかし、その発せられた言葉にグロスマン将軍は沈黙した。否、開いた口が塞がらず二の句を継げなかっただけだ。
「マーナガルムの巣穴ははるか南。しかも日毎にルディア軍の連中を追って南下していったところまでは貴公の部隊が確認している」
確かにそうだ。
しかし、神話級の妖魔の脅威以外何があるというのか?
グロスマン将軍は鉄の森焼き討ちの際、自らリントヴルムを駆り前線で指揮をとった。現時点では世界でブルトルマン帝国とクンルンだけが実用に漕ぎつけた火薬を使い森に火を放ち、爆撃と火炎によって妖魔を東へ駆り立てた。
神話の時代からある鉄の森の中央は一際太く、高い木々が絡み合い、緩やかな曲線を描いて深緑の丘陵築いていた。
森を呑み込み、押し寄せる紅蓮の津波の上空を火の手を衰えさせないために追随していたグロスマン将軍たちの視界が大樹の造る丘陵の巨大さを実感しつつも全貌を辛うじて捉えられるあたりまで近づいたときだった。
まるで棲みかを焼かれ、追い立てられた妖魔たちの喧騒に怒りを覚えたように火の手が届くより前に深緑の丘陵を吹き飛ばしマーナガルムが目覚めた。
その姿を目で捉えた瞬間、グロスマン将軍は闇がブルトルマン軍の蛮行に怒り噴火したように思えた。
低い山にも見えた深緑の丘陵を割って迸発した闇色の巨獣。燦燦と降り注ぐ陽光の陽射しと煌々と燃える紅蓮の炎の明かりの中で一切の光を反射しない闇そのものを纏ったような毛皮。存在感が空気を冷水に変えたかのように重たく体にまとわりついた。
そして、闇の化身が吹き飛ばした木々の枝葉が火山灰の代わりに舞い落ちてきたことで我に返ったリントヴルムたちは騎手の手綱を無視して西へと飛んだ。火の手の向こうへと逃げ、川に停泊していた軍艦に帰投してからリントヴルムも兵士たちも誰一人舞い戻ろうとはしなかった。マーナガルムの進路を確認するためには船で待機していた別の兵とリンドヴルムを飛ばすしかなかった。
あの姿を実際に見たグロスマン将軍は確信していた。周辺の森にまで波及している妖魔の狂乱は間違いなくマーナガルムに怯えているためだ、と。
「最大の災禍たるマーナガルムが南下しているというのに騒ぎは激化するのみ。もしかするとルディア軍のヤツらがマーナガルムを誘導できず、一所で止まってしまったのかもしれん」
「……………………」
あくまで合理的な尺度でしか考えようとしない男の愚かしさを目の前にグロスマン将軍は呆然と言葉を失っていた。
その様子をリスティッヒ元帥は論破され、反駁の糸口が見つからずにいるだけだと誤解し、告げた。
「南岸一帯をくまなく捜索し、マーナガルムが南下を続けているかを確かめよ。どこかで立ち止まっているならばいかなる手段をもっても南へと誘導しろ」
怒りを通り越し呆れかえったグロスマン将軍は反駁もせずにただ軍命を受けて作戦行動に移ることしかできなかった。




