第二章 人間と妖魔 6
ブレッドの話によるとこの森は蜘蛛の森といって外縁部は巨大蜘蛛の妖魔がウヨウヨしているらしい。蜘蛛は噴出する粘糸が炎に弱いこともあって火を怖がるから火を焚いた方がいいのだそうだ。
「んべへ、ふぁーふぃんがはぁー」
「マリ、せめて口の中のものをのみ込んでからしゃべれ」
指摘を受けてマリがコミュニケーションを放棄して食事に専念する。
途中で仕留めたという魔獣の肉(詳しくは食欲維持のためにあえて聞かなかったが何やら紫色の肉だった)をたき火で焼いただけという簡素な食事だったが、数日ぶりの温かい食事にローズも貪るように口に運ぶ。
見てはならぬものを見て鉄槌を下されたマーティンは未だに大の字で寝そべっている。意識を取り戻してから起こすべく手を差し伸べたが、マーティンは手を振り払うでもなく、睨むでもなくただ呆然としたまま横たわっていまだに起き上がる気配すらない。
「ほっといていいよ」
拍手しながらブレッドが近づいてくる。
「ソイツたまに負けるといつもそうだから」
「ならいいんだが」
打ちどころでも悪かったのだろうか、と心配していたのでホッと息を吐く。
「しかし、強いなウチのギルドでもソイツは結構強いんだが」
「妖魔相手の戦いに慣れているか、人間相手の戦いに慣れているかの違いだ」
魔獣の肉がなくなり、ようやく飢えを満たして人心地ついた。食後に葉を丸めて作ったコップに一杯水をすくって喉を潤す。
「外套をもらった上に食事まで世話なって申し訳ない」
「なに、その分明日はしっかり働いてもらうさ」
ブレッドが朗らかに答える。
「それで討伐する予定の魔獣というのは?」
Eランクの魔獣を討伐するのはルディア軍なら一小隊二十五人が基本だ。もっともこの人数は二十五人必要と言う意味ではなく、職業軍人が最低一人は構成員に含まれること、を義務付けているからだ。かなり保険をかけた人数で実際には五人もいれば十分。腕のたつ者なら一人でも倒せることはローズ自身も今回身をもって理解している。たった三人で来た仕事ならば、おそらくEランクの魔獣だろう、とあたりをつけて質問したのだが、
「危険度ランクでいうとDランクだ」
「ブフーーーーーッ!」
平然と言い切ったブレッドの言葉にローズが吹き出す。せめてブレッドにかけまいと横を向いたせいで、大の字で横たわっていたマーティンがもろに喰らった。汚ねえッ、と怒りの声を無視してブレッドに問い返す。
「本気……というより正気か?Dランクをたった四人でなど」
Dランクともなれば討伐にはルディア軍では一中隊百人を動かす。保険や制度云々がなくとも数十人は必要、それも森の外での討伐の話だ。森の中でDランクを倒そうと思ったら本当に百人規模の人手が必要になる。なにしろ、Eランクの生息する外縁部を踏破しなければたどりつけない上に、妖魔のテリトリーでの戦いになるのだから。
「危険度といったろ?妖魔自体はEランクさ」
ギルドの依頼の仕組みを詳しく知らないローズが、わからない、という表情を浮かべるのをみてブレッドが説明する。
「討伐依頼が出てるのはこの森の最外縁部に巣くう妖魔投げ縄蜘蛛だ。アラグラーソは夜になると森から出てきて野生の獣を襲ったり、森の外縁から他の妖魔に糸を噴射して捕まえるっていう捕食をする。厄介な相手だけど、家を壊して襲うようなことはないから屋内にさえいれば比較的無害な部類と言える」
「だったらなんで討伐依頼が?」
「アンタも知ってると思うが妖魔は自分たちだけで繁殖するだろ?」
ローズは頷く。
この世界に住む大半の人間や人間に飼われる家禽は子を成すのに光の神の力を借りる。作れないわけではない。しかし、神話で光の神が生殖を堕落した行為、生まれた子どもを穢れた子どもとしているためだ。光の神に従わず姿を変え、力を増した鳥獣が妖魔であり、力を増した人が魔人、獣と交わった人の子孫が獣人だとされる。
ローズが頷くのを確認してブレッドが続ける。
「アラグラーソは繁殖期だけ雌が巣を作って一匹当たり数百の卵を産む、この巣を俺たちは産卵場と呼んでいる。しかし、卵が孵っても仔蜘蛛には縄張りがない。そのまま森にいても大半の仔蜘蛛は雄や獣の餌食にしかならない。だから仔蜘蛛は森を出て自分より弱い、それこそ人間や家畜を襲う」
「なるほど、いくら仔蜘蛛とはいえ数百では退治が追いつかないから生まれる前に退治してしまおうというわけか」
「もっとだ。仔蜘蛛が森から出てきたって所詮は仔蜘蛛、家を破壊するようなことはない。屋内に隠れてやり過ごすことだって不可能じゃない。すると仔蜘蛛たちは結局共食いや他の妖魔の餌食になったりして大半が死ぬ。死ぬとその骸を苗床にして森が広がるんだ」
「森が広がる!?」
「そう。蜘蛛の骸に木を育てる力があるらしい。仔蜘蛛の骸から生えた木はたった数日で巨木に成長する。そして生き残った蜘蛛はその樹に棲みつく。人手を集めても巨木の上にいるからおいそれとは倒せないし、餌食になるのがオチだ」
「巨木とはいっても所詮はまばらに生える木だろ?焼いてしまえばいいんじゃないか?」
「蜘蛛の骸を苗床にした木は毒を持つ、少なくともしばらくの間は。焼くと周囲に広がり人を害するし、灰も毒を持ち、地や水に染み込んで作物に伝播する。その年の付近の実りがなくなっちまうってわけだ」
「すごいな」
神に逆らった妖魔のそれでもなお生きようとする執念のようなものを感じる。
「まったくだ。しかし、近隣の住民にしてみりゃ凄いじゃ済ませない。そこで孵化前に母蜘蛛もろとも退治するんだ」
「しかし、母蜘蛛退治がDランクの任務というのはいったい?」
「母蜘蛛の周囲には卵に精子をかけようとする雄が群がってる。しかも、産卵場付近にいる雄はある体液を生成迂するために雄は獲物を求めて普段より凶暴になっている。一匹一匹はそうたいした強さじゃないが数が集まると厄介だ。しかも、奴らは粘糸で襲ってくるから戦う度、母蜘蛛に近づくほどに周囲が糸塗れで戦い辛くなる」
一通りの事情を聞いて、なるほど、と納得する。
「そんなわけでアラグラーソ退治には矢の類が不可欠って言われてる。何せ木の上から中々降りてこないアラグラーソに攻撃せにゃならんからな。なのに、よく剣一本で倒せたな」
ハハハ、と引き攣った笑みで応じる。何しろ意図して近づいたわけではないし、そのために払った代償は大きかった。
「おかげで服が台無ヒアァァァーッ!」
「おおっ!ホントだぁ!」
いつの間にか油断したローズの背後に回ったマリが外套の中に潜り込んで、いきなりローズの服装チェックを始めた。
「ちょっ……」
やめて、というより早くパチンという音が聞こえ、ローズの背を覆ていたバックプレートがするりと抜き取られた。
もぞもぞと外套から這い出して抜き取ったバックプレートを掲げる。
「見てみてローズ姉ちゃん上は鎧一枚だけだったよ。」
対の鎧を剥ぎ取られたせいでブレストプレートがゴトンと音を立てて落ち、外套の下の上半身を覆うものがなくなる。それを察したブレッドがやや顔を背ける。しかし、視線は未練がましくローズの方を向いている。
「スッゴイザラザラー胸痛くなかったの?」
無邪気に問いかけるマリ。
痛くなかったと言えばウソになる。ギャベソンを着た上に装着する鎧の裏側は地肌を鑢のように傷つける。だから、アラグラーソにやられてから自然とブレストプレート上から左腕で胸を支えるようにしていたほどだ。
「どうでもいいから鎧を返してくれっ!」
「ええっ!こんなザラザラなの直接つけてたら痛いよ?」
「安全のためだ!」
「鎧なんてたいして意味ないとおもうけどなぁー」
呟きながらバックプレートを差し出すマリ自身は確かに軽装だ。胸部を覆うだけの上着に袖なしのジャケットのようなものを羽織っているだけの上半身。腕には幅広のバンドを巻いているだけ。下半身はショートパンツにパレオを巻いているだけ。
プレートを受け取って外套の下でもそもそと装着し直し、ゴホン、と咳払いをしてから逸れた話を元へ戻す。
「しかし、射手はブレッド一人だろ。あの巨大蜘蛛を退治するのに矢が足りるのか?」
「ああ、とアクティース教製の破魔矢を大量に準備してあるから大丈夫だ。それにとっておきの金の民製の破邪の銀矢も何本かあるしな」
傍らにおろした矢筒を指し示す。
「凄い装備だな」
ドワーフ製の武器防具は恐ろしく値が張る。彼らの鍛えた武器防具は他の民が鍛えたものに比べてはるかに丈夫だ。しかも、ミスリル自体も恐ろしく高い。ミスリルはそれ自体が白光石と同種の破邪の光を帯び、加工した武器は妖魔に対して絶大な威力を誇る。
「普段はギルドだけじゃなく軍も動くんだが、今年はお宅らが攻めてきて忙しいからギルドだけでな。おかげで人手不足ってわけだ。だから、今回は軍からも依頼料が入ったからな。必要経費で買ったのさ」
「すまない。我が軍の所為で……」
罪悪感を感じて俯く。
今回のルディア軍の遠征は何の大義名分もない。大義名部があればいいというものではないが、自国の国民たる兵士を損ない、他国とはいえ罪なき一般人に苦渋を与えることにもそれに見合う何かがあるならばまだ救いにはなる。少なくとも言い訳にして心が救われる。
しかし、この戦争はオーリュトモスの陳腐なプライドと権力欲、出世欲が引き起こした戦争だ。ルディア王国にもブルトルマン帝国にも害しかもたらしてない。罪悪感は数倍、数十倍の重みとなってのしかかる。
「何、言ってんだ?おかげでウチのギルドは儲かってんだからいいじゃねえか」
重くなった空気に耐えかねてマーティンが言い切る。
実際にはその依頼料を住民が捻出するという害があるわけだが、それがわかっていてもあっけらかんと言われると心が救われる。
「単純もたまにはまともなこというじゃねーか」
「テメー、誰が単純だ?」
ブレッドの一言でマリとローズがひとしきり笑い、マーティンがわめいて重苦しい空気が吹き飛んだところで交代で休息をとった。




