運命は祝福か、それとも悲劇か
嵐の夜、幽霊船をやり過ごし、ようやく一息ついた、その時、バタバタと慌ただしい足音が甲板に響く。
「ちょっと!!」
扉を開け、リュシアが勢いよく飛び出してきた。
「一体どうなったのよ!?」
腰に手を当て、不満と心配が入り混じった声でバニッシュへと詰め寄る。
「起きたらアンタはまだ戻ってないし、朝になってるし!」
「あ、ああ……」
バニッシュは苦笑しながら、手でなだめるように動かす。
「嵐は何とか切り抜けたよ」
その言葉に、リュシアは一瞬だけほっとした表情を見せた。
「……ん?」
バニッシュはふと違和感を覚える。
「起きたらって……」
怪訝そうに眉をひそめた。
「お前たち、寝てたのか?」
その問いに、リュシアはぴたりと動きを止める。
「そ、それは……」
言い淀み、ふいっと視線を逸らす。
その様子に、バニッシュは少しだけ驚いたように目を瞬かせる。
「あの状態で……よく眠れたな」
半ば感心したような口調でリュシア達をみる。
すると、セレスティナが頬に手を当てながら、困ったように微笑む。
「いえ……その……なぜか、急に強い眠気が襲ってきて……気づいたら寝てしまっていたんです」
「僕も同じで……」
黒牙もこくりと頷く。
その言葉に、バニッシュは首を傾げる。
「急激に……眠気……?」
嵐の最中に、そんなことが起こるものだろうか。
疑問が浮かびかけた、その時。
「まあまあ~」
リーが軽やかに割って入る。
「慣れない船旅で疲れてたってことにゃ~」
いつもの調子で、ひらひらと手を振る。
「そ、そうか?」
バニッシュは少し納得しきれない様子ながらも、頷く。
「……だけど、みんな無事で良かった」
そう言ってバニッシュは、ふっと表情を緩めた。
その時、リーがすっとバニッシュの隣に並ぶ。
ぽん、と軽く肩に手を置き――周囲には聞こえないほどの小さな声で、囁いた。
「君の活躍は見せてもらった」
「……え?」
バニッシュが反応する。
だが、その意味を問い返す前に、大きな声が甲板に響いた。
「あー!! あれがミラリナの街ね!!」
リュシアが船縁から身を乗り出すようにして、前方を指差している。
その視線の先には――朝日に照らされて輝く港町。
セレスティナと黒牙も、その隣で同じように目を輝かせていた。
「綺麗……!」
「すごい……!」
「いや~とっても素敵な所だにゃ~」
リーもその輪に加わるように歩み出す。
バニッシュは一瞬だけ、その背中を見つめた。
(今のは……)
リーの言葉――見せてもらったというその意味に疑問が胸に残る。
だが、バニッシュは軽く首を振った。
(……今はいいか)
考えるのは後でもいいとそう思い直し、仲間たちの元へと歩き出す。
嵐を越えた先にある、新たな地――ミラリナを、その目で確かめるために。
ミラリナの港に船が接岸し、ようやく陸へと足を踏み出した瞬間――リュシアは大きく息を吸い込み、そのまま思いきり背伸びをした。
「んぅ~~~!」
ぐっと両腕を上に伸ばし、体を反らす。
「やっと自由に動けるわね!」
「と言っても、二日間だけだろ」
バニッシュが苦笑混じりに言う。
「何よ! 退屈だったんだから!」
リュシアはぴしっとバニッシュを指差す。
その勢いに、セレスティナと黒牙は顔を見合わせ、くすりと小さく笑った。
「ガハハハッ!」
豪快な笑い声が背後から響く。
振り返ると、ガバルがこちらへ歩いてきていた。
「まあ、俺たちの役目もここまでだ! 交易品を下ろしたら、すぐに次の航海に出る」
そう言って、親指で後ろの船を指す。
すでに船員たちは、忙しなく荷降ろしの作業を始めていた。
「ああ、ここまでありがとう」
バニッシュは一歩前に出て、手を差し出す。
ガバルはその手を――ガシッと、力強く握り返した。
「最初は冴えないおっさんかと思ったが、中々に肝が座ってやがる。お前さんは――俺たちの命の恩人だ」
「いや、そんな大したことは……」
バニッシュは少し照れたように頭をかく。
「また何かあったら、俺たちを頼りな! いつでも力を貸すぜ!」
そう言い残し、くるりと背を向ける。
「おい!そっちの箱もっと丁寧に扱え!!」
すぐに船員たちへと怒鳴りながら、仕事へと戻っていった。
その背中を、バニッシュはしばし見送る。
嵐の夜を共に越えた者同士の、不思議な連帯感がそこにはあった。
「ねぇ」
気づけば、リュシアがすぐ隣に立っていた。
じとっとした半眼で、バニッシュを見上げている。
「アンタ、また無茶なことしたんじゃないでしょうね?」
そのまま、肘でぐいっと脇腹をつつく。
「ぐっ……いや、そんなことは……」
誤魔化すように頭をかく。
「ホントにぃ~?」
リュシアはさらに顔を近づけ、じっと覗き込む。
バニッシュは視線を逸らしながら――乾いた苦笑を浮かべるしかなかった。
「ははは……」
「まぁまぁ、それより――」
空気を切り替えるように、リーが間に入る。
「まずは朝飯を食べるとするにゃ~」
――ぐぅぅぅ……
リーの一言で、まるで合図でもあったかのように、バニッシュたちの腹が一斉に鳴る。
互いに顔を見合わせる。
「……はは」
バニッシュは思わず苦笑する。
二日間、交易船での食事は、腹を満たすためのものに過ぎず、固く乾いたパン、塩気の強いスープ、決して不満を言える立場ではないが――お世辞にも美味いとは言えない。
だからこそ今、身体がはっきりと訴えていた。
「それもそうだな」
バニッシュは頷く。
するとリーは、得意げに胸を張った。
「ここは港街なだけあって、魚料理が美味しいって評判だにゃ!」
「ほんと!?」
リュシアの目が一気に輝く。
「それじゃ、早速行きましょう!」
勢いよく歩き出す。
「おー!」
それに応えるように、セレスティナと黒牙も腕を上げる。
まるで遠足前の子供のようなはしゃぎっぷりだった。
三人はそのまま、意気揚々と街の方へ歩き出す。
朝の光に照らされたミラリナの街は、活気に満ちていた。
人々の賑やかな声。
行き交う商人たちの呼び込み。
その背中を見ながら、バニッシュはふっと笑う。
(さっきまで嵐の中だったとは思えないな……)
あまりにも対照的な光景に、どこか現実感が薄れる。
「ほら、行くにゃ~」
リーが軽く手を振りながら、先に進む。
「ああ」
バニッシュは頷き、ゆっくりと歩き出した。
港から少し離れた大衆食堂に足を踏み入れると、焼けたパンの香ばしい匂いと、魚の出汁が混ざり合った優しい香りが鼻をくすぐる。
席に着いてほどなくして運ばれてきたのは――近海で獲れたばかりの魚を、ほろほろに煮込んだ煮付け。
外はサクッと、中はふんわりと焼き上げられた香ばしいパン。
そして、魚の出汁と根菜がじっくり溶け合った温かなスープ。
どれも素朴ながら、丁寧に作られているのが一目で分かる料理だった。
――そして、二日間の船旅で味わった食事との落差もあり、バニッシュ達はその料理に舌鼓を打つ。
「ん~~~!! 美味しい~!!」
リュシアが頬を緩ませ、幸せそうに目を細める。
「本当ですね!」
セレスティナも微笑みながら頷く。
「とても優しい味で……体に染み渡ります」
丁寧にスプーンを運びながら、その一口一口を味わっている。
黒牙に至っては、言葉すら発することなく、夢中で料理を口に運んでいた。
そんな三人の様子を見ながら、バニッシュはゆっくりと口に運ぶ。
柔らかく煮込まれた魚は、舌の上でほろりと崩れ、旨味がじんわりと広がる。
「いや~本当に美味いにゃ~!」
リーも満足げに声を上げる。
パンを頬張りながら、にこにこと笑っている。
「アンタは何食べても一緒でしょうが」
リュシアが頬にパンくずをつけながらツッコむ。
「そんなことないにゃ~」
リーは軽く手を振って否定する。
そのやり取りに、セレスティナと黒牙がくすりと笑う。
温かな食事を堪能し、満たされた空気がテーブルを包んでいた。
それぞれが一息つき、余韻に浸っていた時。
「さて、それじゃあ」
リーが椅子から立ち上がる。
「そろそろ俺は失礼するにゃ」
「ん?」
バニッシュが顔を上げる。
「何だ?もう行くのか?」
「そうだにゃ~」
軽く肩をすくめるリー。
「遅れるとまずいからにゃ」
「そういえば……誰かと待ち合わせしてたんだっけ?」
リュシアが思い出したように言う。
「そういうことにゃ~」
リーはにこにこと笑う。
「ここまでみんなと旅出来て楽しかったにゃ~」
そう言って荷物に手を伸ばした――その時、あ! と何かを思い出したように、ぴたりと動きを止める。
「そうだにゃ!」
くるりと振り返り、にやりと笑う。
「最後に色々お世話になったお礼に、みんなのことを占ってあげるにゃ~!」
「占い……ですか?」
セレスティナが小首を傾げる。
「そうだにゃ~!」
リーは両手を広げる。
「特に俺は――恋占いは得意だにゃ~!」
その一言で空気が、ぴたりと止まった。
「……!」
リュシアとセレスティナの肩が、わずかに揺れる。
二人の視線が、同時に――バニッシュへと向けられた。
「……?」
当の本人は、何が起きたのか分からないといった顔で首を傾げる。
その様子を見て、リーはくくっと喉の奥で笑った。
「そうそう、女の子はやっぱり、意中の相手との相性は気になることだにゃ~」
ちらりと二人を見る。
「占ってみる価値はあるにゃ~!」
「う、意中の相手なんて別に……!」
リュシアが慌ててそっぽを向く。
だが、その頬はほんのりと赤く染まっていた。
「私はお願いします」
その隣でセレスティナが、静かに、しかしはっきりと言う。
「ちょ、ちょっと!セレス!」
リュシアが思わず声を上げる。
「私は気になりますから」
セレスティナは真剣な表情のまま答えた。
その潔さに、リュシアは言葉を失う。
「な、なら……! 私もやるわ!」
負けじと、ぎゅっと拳を握り勢いで言い切る。
「ぼ、僕もお願いします!」
黒牙も手を上げる。
その様子に、リーは満足げに頷いた。
そして、バニッシュへと視線を向ける。
「君はどうするかにゃ?」
その問いに、バニッシュは困ったように頭をかいた。
「いや……俺はそういうのは苦手だから……」
苦笑いしながら、やんわりと遠慮する。
だが、その言葉を聞いたリュシアとセレスティナの視線が、じわりと強まったことに。
バニッシュは気づいていない。
「さあさあ~! それじゃ~俺の得意の天命占のお披露目をするにゃ~!!」
リーが軽やかに声を張り上げ、どこか芝居がかった動きで、ひらりと袖を払う。
「使う道具はコレにゃ~」
リーは袂をまさぐるように手を入れ、取り出したその指の間には――三つの牌が挟まれていた。
それぞれの牌には、天、地、人とくっきりと文字が刻まれている。
「それだけでいいの?」
リュシアが半信半疑で眉をひそめる。
「そうだにゃ~」
リーはにこりと笑う。
「この天牌は"運命"を、地牌は“環境”を、人牌は“選択”を意味してるにゃ」
そう説明しながら、器用に三枚の牌をコップの中へと落とす。
カラカラ、と軽快な音が鳴る。
「そして――これをこうするにゃ!」
手首をくるりと回し、そのまま――トン、とテーブルに伏せた。
ゆっくりとコップを持ち上げると、その向きや状態を見て、結果を導き出す仕組みだった。
「それじゃ~」
リーは三人に視線を向ける。
「意中の人を思い浮かべて、やってみるにゃ~」
三つの牌とコップが、それぞれに手渡される。
黒牙、リュシア、セレスティナ、三人は少し緊張した面持ちで、それを受け取った。
コップに牌を入れ、カラカラと振る。
そして、テーブルへ。
トン――
小さな音が重なった。
「じゃあ、まずは君からいこうかにゃ~」
リーは黒牙の前のコップをゆっくりと持ち上げた。
現れた牌は――
天牌は、表。
地牌は、横。
人牌は、逆さに立っている。
「ん~~……」
リーは顎に手を当て、じっと牌を見つめる。
その様子に、黒牙の喉がごくりと鳴った。
「……ど、どうですか?」
不安げな声で尋ねる。
「これは――君の意中との相性は、最高だにゃ~!」
「ほ、ホント!?」
黒牙の顔が一気に明るくなる。
「良かったわね~黒牙」
リュシアがからかうように笑う。
「ふふ」
セレスティナも、優しく微笑む。
だがリーは、そこで言葉を続けた。
「ただ――今以上に仲良くなりたいなら……」
指で牌を軽く叩く。
「君の中に眠る大事なものを呼び起こすにゃ~」
「……!」
その言葉に、黒牙の表情が変わる。
ふと――脳裏に浮かぶミュレアの、あの言葉――『……覚えてない?』
自分が忘れてしまったもの。
彼女との、何か大切な記憶、それが何なのかは、まだ分からない。
だが――思い出さなきゃいけないと胸の奥に、強い決意が灯る。
黒牙は、静かに拳を握りしめた。
「それじゃ~~」
リーは、にんまりと口角を上げる。
その視線が、ゆっくりとリュシアとセレスティナへと向けられた。
「次は君たちのを視てみようかにゃ。どうせなら――二人同時に占うにゃ!」
そう言って、両手でそれぞれのコップを同時に持ち上げた。
――コトン。
テーブルの上に現れた牌。
それを見た瞬間、場の空気が一瞬止まる。
縦に、まるで揃えられたかのように――綺麗に並び立っていた。
一番下に、天牌が逆さに。
その上に、地牌が逆さに。
そして一番上に、人牌が正常な向きで。
そして――それは、リュシアとセレスティナ、二人ともまったく同じ並びだった。
「……すごい……!」
黒牙が思わず声を漏らす。
「へー……」
バニッシュも感心したように眺める。
偶然にしては出来すぎている。
まるで、何か意味があるかのような整然さだった。
リーだけが、わずかに眉を動かした。
ほんの一瞬、誰にも気づかれないほどの微細な反応。
「そ、それでどうなのよ!」
リュシアが待ちきれない様子で身を乗り出す。
「結果は!?」
「ん……?」
リーはすぐにいつもの調子に戻り、にこりと笑う。
「大丈夫にゃ! 君たちも――最高の相性! 運命の相手だにゃ~!!」
「ホント!?」
リュシアの顔がぱっと明るくなる。
「やったわね!セレス!」
「ええ!」
セレスティナも嬉しそうに頷く。
二人は顔を見合わせ、ぱん、と軽く手を合わせて喜び合った。
(……あれ?)
ふと、リュシアの表情が曇る。
胸の奥に、小さな違和感が生まれる。
(でもこれって……)
二人の意中の相手は――バニッシュ。
つまり、二人とも相性が最高で運命の相手ということは――その疑問が形になりかけた時。
「それじゃ、占いはこれでお終いにゃ!」
リーがぱっと話を切り上げ、さっと荷物を持ち上げる。
「ちょ、ちょっと待っ――」
リュシアが慌てて手を伸ばす。
「それじゃ~みんな、ありがとうにゃ~!」
ひらひらと手を振りながら、リーはそのまま店の外へと歩き去っていく。
「もう!」
リュシアは腕を組み、むすっと頬を膨らませる。
胸の中に残った、言葉にならないもやもやが、それをどう表現すればいいのかも分からない。
「……」
セレスティナもまた、静かに考え込むような表情をしていた。
「それじゃ、俺たちも行こうか」
バニッシュが立ち上がる。
リュシアは腕を組んだまま、ふっと息を吐いた。
解けない違和感を抱えたまま――新たな街での一歩を、踏み出すことになるのだった。
ミラリナの大通りは、人の流れで埋め尽くされていた。
港から運ばれる荷、商人たちの呼び声、行き交う旅人たちのざわめき――そのすべてが重なり合い、街は生き物のように脈打っている。
その雑踏の中を、リーは飄々とした足取りで歩いていた。
肩に荷を担ぎ、周囲に溶け込むように。
だが、その手には、三つの牌が握られていた。
天、地、人、指先で軽く転がすように弄びながら、リーはふっと足を緩める。
脳裏に浮かぶのは、先ほどの占いの光景。
リュシアとセレスティナ――二人が出した、あの牌。
縦に、寸分の狂いもなく、まったく同じ形で並び立つ三枚。
「……くく」
小さく、喉の奥で笑う。
その笑みには、どこか含みがあった。
偶然では片付けられない。
絡み合う運命の糸が、あまりにも鮮明に現れていた。
そして、その中心にいるのは、あの男。
バニッシュの顔が、脳裏に浮かぶ。
「そう――運命」
ぽつりと呟く。
牌を軽く弾き、カチリと乾いた音を鳴らす。
「それが悲劇になるか、どうかは……君次第にゃ――」
リーは鼻眼鏡を中指でくいっと押し上げた。
普段は閉じられている糸目が、ほんのわずかに開かれる。
細く、鋭く、どこか底知れない光を宿した眼差し。
だが、その言葉には確かな重みがあった。
次の瞬間には、再びいつもの糸目へと戻る。
何事もなかったかのように、軽やかな表情で、牌を懐へと仕舞い込み、歩き出す。
人の流れに紛れ――その姿は次第に遠ざかっていく。
やがて、雑踏の中へと完全に溶け込み、見えなくなった。
まるで最初から、その場に存在していなかったかのように。




