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86.Rising

 大きな音が響くたび、兵士達は口々に声を張る。


「大丈夫」

「ここは安全だ」

「心配はいらない」


 希望は大切だ。希望がなければ人は生きていけない。だから、彼等の優しい言葉は、この場に必要なものだ。でも、私はそれが嘘だとわかっている。


「バーサーカーの奴も可哀想なもんだ」

「ここには英雄が揃っている。運が悪いな」


 楽観的な言葉。本気なんだ。外でキメラを見たことがないであろう街の住人達は、名高い英雄に全てを任せて何もする気がない。

 彼等は責められない。私も同じだから。私も同じで、何もできないから。

 ここは軍の基地。兵士と住民が避難をした場所。


「何故ですか!」


 強い言葉が響いた。


「俺も隊長達と戦います!」


 パーカーさんが軍の司令官らしき人物ともめていた。パーカーさんは、キャサリンさん達と共に戦場に向かうつもりだった。ところが、この軍の警備を任されることになった。


「駄目だ。君にはこの場を守る重要な役目がある」

「そうだ! 戦いは英雄に任せろ」

「あんたは住民を守ってくれないつもりか!」


 責められるパーカーさんの手を引き、私は移動した。人が密集する大部屋から、長い廊下へと歩いた。


「しろ……すまない」

「気にしないでください」


 私のかけた言葉は彼の慰めにはならない。パーカーさんはため息をついてから、自分の額を抑えてうなだれた。


「信じて待ちましょう。大丈夫です。皆さん強い人ばかりだから」

「ああ、わかってる」


 彼の気持ちは痛いほどわかる。ただ、待つこと。ただ、無事を祈ること。いくら繰り返しても、それは無意味だ。

 私が無事を願って、いつも無事に帰ってきて、笑顔を見せてくれた、あの人。でも、次は。もしかしたら、その次は。彼に何かあって、もう笑顔を見せてくれないのではないか、そんな夢を何度も見た。

 無力は、苦しい

 窓ガラスから見える街の火の手は広がっていた。これがイコール英雄たちの敗北と直接繋がるわけではないけれど、被害は広まる一方だ。


「何か、食べ物をもらってきます」

「食べ物?」

「何か食べたら、きっと元気が出ますよ」


 私はもとの大部屋に戻った。長机には祭りに出す予定だった料理が並べられている。パーカーさんが好きなものはないだろうか。パーカーさんの好みはわからない。きっとキャサリンさんなら知っているのだろうけれど。

 大部屋の兵士達は、住民と混じって料理をつまんでいた。戦闘に加わるつもりはないみたいだ。


「しかし、英雄様も大変だよなぁ」

「なぁに、普段ちやほやされてるんだからこういう時ぐらい働いてもらわないとな」


 とても不愉快な話が聞こえてきた。みんなの苦労を何も知らないくせにと心の中で罵る。でも、直ぐに冷静になって気が付く。彼等の苦労を知らないのは、私もだ。


「それより、襲撃があったって報告が来てから随分経ったけど、進展はないのか?」

「何かあったら連絡が来るさ、心配するな。もしもの為に町中にレーダーが設置されている。その情報によると、バーサーカーは街に入ってすらいないみたいだ」

「へぇ、流石英雄ってことか」


 兵士達の話によると、街中に設置したレーダーで侵入者を監視しているみたいだ。

 私はふと気が付く。

 あのキメラは、レーダーに反応しない。

 連絡が来ないというのも、現場にいる兵士達が連絡を送る間も無く命を閉ざしたからではないのか。

 そう結論付けた瞬間に叫び声が聞こえた。内容は頭に入ってこなかった。

 その直後に大きな爆発が起こったからだ。

 基地を構成していた壁は粉々に吹き飛び、机も食事も滅茶苦茶に散乱する。そして、続いて生じた二度目の爆発で、私も、周囲にいた人々も、基地の外へ吹き飛ばされた。

 私達は部屋の中にあった様々な物体と一緒に、基地の外に設置された訓練場らしき広い空間に投げ出されていた。無事な人間は誰一人いない。動かず倒れたままの人もいれば、這いつくばって動く人、歩ける人、逃げる人、様々だった。私は、動けなかった。うつ伏せに倒れ、なんとか身体を起こそうとするも、脇腹が痛んで立ち上がれなかった。どうやら、外へ吹き飛んだときに身体を打ったらしい。

 なんとか身体を捻って今までいた基地を振り返ると、激しく燃えていた。いつのまにか、周囲の植林も、家々も燃え上がっていた。闇夜は赤い炎に照らされていた。


「いつの間に……」


 崩壊していく基地の火炎の中から、一つの影が私に向かって歩いてきた。

 背の高い銀色の光。肩を上下させ荒々しく呼吸するその姿には、見覚えがあった。過去の恐怖が蘇る。胃が千切れるぐらい痛んだ。

 偶然なのか、バーサーカーの進行方向は私の倒れている方向と重なっていた。再会した私を、彼は何の感慨もなく殺すだろう。いつか、私を殴り飛ばした時のように。

 銃声が響いた。遠くから、負傷した兵士がバーサーカーに向かって狙撃していた。銃弾は銀の鎧に弾かれて、足止めにもならない。バーサーカーは甲羅から砲身を伸ばし、一瞥もなく弾丸が飛んできた方向にエネルギー弾を発射した。


「に、にげてっ」


 私はなんとか声を出したが、無理な頼み事だった。狙撃兵はおそらく死んでしまった。狙撃ポイントが消し飛んだから詳しくは分からないけれど。

 足を引きずって歩いてくる人影が見えた。


「しろ、逃げろ!」


 そういってパーカーさんはバーサーカーにショットガンを向けた。銃弾が発射される直前、バーサーカーは鞭を振り回してパーカーさんのショットガンを斬り飛ばした。その余波でパーカーさんは胸に傷を負いながら地面に転がった。


「パーカーさんっ」


 安否を確認する暇はなかった。あの鞭は、昔、彼を吹き飛ばした武器だ。

 いよいよ、バーサーカーは私の目の前に近付き、そこで歩みを止めた。私はただの障害物だ。なんとか上半身を起こしてバーサーカーと対面する。バーサーカーは何故か私を見たままじっとして、動かない。


「なんで……」


 直ぐに殺さないの? そう尋ねたかった。でも、結局バーサーカーは鞭を振りかぶり、私に向けた。

 ああ、死ぬ。

 もう一度、あの眠りにつくんだ。

 でも、どうだろう。一度目の死の間際、私にはなんの希望もなかった。

 家族も、友達も、人としての尊厳も、全て奪われて、いよいよ首に縄を掛けられた、あの時だ。冷たくて太い縄の感触は、まだ記憶に残っている。

 床が抜け、みんなの憐れむ瞳を一身に受けたまま、私は自分の首の骨が折れる音を聞いた。

 そして、再び目を開けたとき……

 そう、あなたと出会えたんだ。

 信じられる? 人間として扱われることも忘れてた私に、あなたは優しく声を掛けてくれたんだよ?

 「大丈夫?」なんて言葉、いつ以来に掛けられたんだろう。

 あなたとの冒険は、ドキドキして、恐いこともあったけれど、楽しかった。

 ずっと冷たい牢獄に囚われた心に、太陽の光が当たったみたいに、あなたといる時間は、温かかった。

 こんな幸せな記憶を、死んでからもらえるなんて、私はなんて恵まれているんだろう。


「ねぇ、秋也さん」


 あなたと、もっと一緒にいたかったな。

 光が見えた。鞭が纏った雷だ。

 誰かが私の名を叫んだけれど、もう何もできない。

 私は目を瞑ってその時を待ったけれど、その時はいつまで経っても訪れなかった。

 恐る恐る目を開けると、輝く槍が見えた。

 金に輝く槍が、上り始めた太陽の光を受けて、瞬いている。


「よう、しろ」


 電気の鞭は、秋也さんが持つ黄金の槍で防がれていた。

 


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