最終章
佐伯が見たのは、床に膝をつき、血に濡れた両手を見つめる女の姿だった。
抵抗はしなかった。叫びもしなかった。ただ、何もない虚空を、焦点の合わない目で見つめていた。かつて経済誌の表紙で輝いていた顔が、今は何の感情も映さない、ただの仮面になっていた。冷たい現実の中で、自ら光を消した女王が、そこにいた。
鑑識が部屋を調べ始める中、佐伯はしばらくその場を動けなかった。亡くした自分の息子の顔が、一瞬、紗英の腕の中にあったはずの小さな存在と重なって見えた。彼は何も言わず、ただ無線で応援を呼んだ。
パトカーの後部座席で、紗英は窓の外を流れる街の灯りを眺めていた。隣に座った刑事が、思わず尋ねた。
「なぜ、あの子だけを育てた」
紗英は、少しだけ首を傾げた。かつて何百枚ものカメラに向けてきた、あの表紙と同じ角度で。
「他の子は、私を選ばなかったから」
それだけ言って、口を閉ざした。後悔も、懺悔もなかった。彼女は最後まで、自分がしてきたことの重さではなく、自分が選ばれなかったことだけを、被害として数えていた。
そこにあったのは、すべてをコントロールしようとして、最後まで何一つ制御しきれなかった人間の、プライドの残骸だけだった。
取り調べの後、空になった書斎には、誰も立ち入らなかった。棚の上で、ラマシュトゥの石板は何も語らない。
初めから、ただの石だった。重かったのは、石ではなく、それを見つめ続けた女の方だった。




