第38話:【特別室作戦】勇者のプライドを刺激する完璧な台無し空間
拘束室を出たヴァルキリアが案内されたのは、新館の最上階に突貫工事で完成した特等特別室――通称『勇者専用・精神弛緩チャンバー』だった。
「ここが……拷問部屋か」
自由になった手をさすりながら、ヴァルキリアは警戒を緩めず足を踏み入れた。
しかし――。
重厚な扉の向こうに広がっていた光景を見た瞬間、彼女の足がピタリと止まった。
「…………え?」
そこは、石造りの冷たい部屋ではなかった。
壁一面が柔らかなパステルピンクとクリームイエローの壁紙で覆われ、床には雲のようにふわふわの毛皮絨毯。
部屋のあちこちには、等身大の巨大なクマのぬいぐるみ、ウサギのクッション、そして星型の抱き枕が山のように転がっている。
「な……何だ……ここは……?」
ヴァルキリアの灰色の瞳が、信じられないものを見るように丸くなった。
「ようこそ、ヴァルキリア君。君の『六歳の頃の夢の部屋』へ」
部屋の隅のローテーブルから、ゼノが笑顔で手を振った。
ローテーブルの上には、銀の三段アフタヌーンティースタンド。
そこに乗せられていたのは、神殿で禁じられていたあらゆる「世俗の甘味」の数々だった。
キャラメルソースがたっぷりかかった焼き立てのパンケーキ、宝石のように艶やかなマカロン、そして――中央に鎮座する特大の『自家製プリン・ア・ラ・モード』。
「き、貴様……何をふざけた真似を……!」
ヴァルキリアは拳を固く握りしめた。だが、その声は微かに震えていた。
「ふざけてなどいないよ。君が六歳で神殿に引き取られる直前、故郷の村の教会の日記帳に書き遺した言葉――『いつか大きなクマのぬいぐるみに抱きついて、お腹いっぱいプリンを食べたい』。私の情報網を舐めてもらっては困るな」
「だ、誰の日記だそれはぁぁぁっ!?」
ヴァルキリアの白い頬が、生まれて初めて見る鮮やかな朱色に染まった。
十数年間、心の最奥に厳重に封印し、自分ですら忘れ去ろうとしていた幼き日の無邪気な願い。それが、敵の手によって完璧な形で目の前に再現されているのだ。
「さあ、座りたまえ。まずはこの特注の超巨大モフモフ熊のぬいぐるみを抱っこしてみるといい。オークの熟練職人が、最高級のアンゴラ羊の毛だけを使って三日三晩で縫い上げた逸品だ」
「抱っこなど……するわけが……!」
ヴァルキリアは後ずさりしようとした。
だが、その時――。
ドサッ、と背後から巨大なクマのぬいぐるみが倒れかかってきた。
吸い込まれるような圧倒的な柔らかさ、温もり、そして天日干しされたラベンダーの香り。
ヴァルキリアの小柄な身体が、ふんわりとクマの腕の中に包み込まれてしまう。
「あ…………っ」
ヴァルキリアの喉から、声にならない吐息が漏れた。
幼少期から石のベッドで眠り、鉄の鎧を着け、他人の温もりを一切拒絶して生きてきた彼女の身体に、極上のモフモフがダイレクトに直撃したのだ。
こわばっていた筋肉が、音を立てて脱力していく。
「だ……だめだ……私は……勇者……神の剣……こんなものに……心を許しては……」
もがこうとするが、クマの毛並みが心地よすぎて、力が入らない。
そこへ、すかさずゼノがスプーンに一口大のプリンをすくい、彼女の唇の前に差し出した。
「ほら、あーん」
「ふ、ふざけるなぁぁぁっ! 私は勇者だぞ! あーんなんて……んむっ!?」
拒絶しようと開いた口に、スプーンが滑り込んだ。
瞬間――舌の上でとろける濃厚なバニラと卵の風味、ほろ苦いカラメルの甘露。
「………………っ!!!!」
ヴァルキリアの瞳孔がカッと開いた。
美味しい。
生まれてから一度も味わったことのない、圧倒的な幸福の味。
「どうだい、美味しいだろう?」
ゼノの優しい問いかけに、ヴァルキリアの目角から、ポロリと一筋の涙が零れ落ちた。
「お……おい……しい……」
自分の口からこぼれた言葉に、ヴァルキリア自身が驚愕して口を手で押さえた。
「な……私はいま……何を……!? 敵の差し出した菓子を……美味しいと……!? クマのぬいぐるみを抱きしめて……美味しいと言ってしまったのか……!?」
彼女が十数年かけて築き上げてきた「無感情の要塞」が、跡形もなく崩壊していく。
羞恥、歓喜、混乱、そして自己嫌悪のマグマが、彼女の胸の奥底で凄まじい勢いで沸騰を始めたのだった。
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