呼名
一瞬、キムラの目にはタダシの兄、ワタルの姿がゾンビ以上に異質な存在に見えた。
全身黒づくめで、差し色みたいな血の赤…バールを握りしめた手はさっきより震えている。
再びシールドを下ろしたワタルは、後ろを気にしながら言う。
「GPSを頼りに来てみたが、どうするつもりだ?」
「もちろん、ホテル内の人達を助けに行く」
タダシの言葉に溜め息を吐き、ヘルメットを2回、ポンポンと軽く叩き仕方がなさそうに歩き出すワタル。
それについていくように、タダシたちも動き出す。
小さな声でシオヒキがタダシに尋ねる。
「あれは、本当に…ワタル君なのか?体つきも一回り大きいし、レザーの上からでも筋肉質なのがわかる…私には別人にしか見えん」
「…ある日を境にひたすら鍛えてました。今思えば…まるで、この日に備えていたかのように」
それを聞いて、キムラはゴクリと唾を飲む。
コンドウはワタルの後ろ姿を見ながら、笑みを浮かべて舌舐めずりした。
周囲にゾンビがいない事を確認しビルから路地へ出ると、ワタルはタダシに尋ねる。
「裏口から中へ?」
「うん、そのつもりでいたけど…」
「まぁ、1階には大人の体が通れそうな窓も無さそうだし、裏口くらいしか手は無いか…中の状況を詳しく聞けるか?」
「うん、聞いてみる」
タダシはマリに電話をかけようとスマホを手にする。
「ちょっと待て、タダシ」
それをワタルが止め、続けて言う。
「協力する条件として、中の連中に俺だとバレるような発言と行動は禁止する」
少し考えた後、タダシは口を開く。
「兄さんらしいと言えば、兄さんらしい条件だね。僕はかまわないよ。それで兄さんが後悔しないなら」
含みがある言い方をするタダシだが、ワタルは意に介さない。
「他の人たちも良いか?」
シオヒキとキムラは無言で頷く。
コンドウは退屈そうにあくびをし、ワタルに問いかけた。
「アンタを呼ぶ時は?名前が呼べないと、何かと不便だ」
すると、キムラが呟くように言った。
「…黒男」
シオヒキが眉をひそめて聞き返す。
「黒男?」
ハッと我に返ったように、キムラは目を見開いて返答する。
「だ、第一印象が…そんな感じだったので、つい」
「俺は何でも良い。黒男で構わない」
「良いのかよ?ダセェ呼び名だと思うが…よろしくな、黒男さん」
ワタルの発言を小バカにしたようにコンドウは薄ら笑いを浮かべ、あらためて挨拶した。
それを無視して、ワタルはタダシに言う。
「時間をとらせた。中の状況を確認してくれ」
タダシはワタルを見つめながら、スマホの通話ボタンをタップした。




