22,レジ・ヨ・デ・シャ
『Les Yeux de Chat』
それがこの店の名前のようだ。
「れすいぇうでしゃ……」
カオサンがなんとなく呟くと先に立って歩く夏菜子が振り返っていった。
「レジ・ヨ・デ・シャ。猫の目ってこと。」
「宇宙の言葉かよ」
「フランス語よ」
古書売り場を抜けると古着売り場が広がっている。更にゆくとコーヒーの香りが漂ってくる。
カフェのコーナーに到着すると「どうぞ」と夏菜子は席をすすめる。
「おっ、カナコぉ~↑↑。いらっしゃい」
「マスター、いつもの、2つね」
夏菜子はいうとカウンターに座った。
「何してんの?座んなよ」
カオサンはためらっている。
「いや、2つって……」
「ボクの奢りだよ」
「えっと、夏菜子、ちゃん?お気持ちはとても嬉しいんだが、俺は、水だけでいいよ」
「そんなわけにはいかないでしょ。ボクに恥をかかせる気?」
「恥ってそんな……。俺は文無しなんだよ。」
「モンナシ!?」
夏菜子は「文無し」の意味がよくわからないらしい。
「1円も金持ってねえんだよ」
「だから僕が奢るんじゃん」
「そんなわけにはいかねえよ。俺は物乞いじゃねえんだ」
「物乞い!?」
「物乞いってのはよ」
「ちょっと待って検索するから」
夏菜子はスマートフォンを取り出すとさらさらと入力する。
「ああ、なるほど。いいから座りなよ。取材費の代わりさ」
夏菜子は高速フリック入力を続けながら言った。
「ボクは須多田学園に通ってる」
「スタダか。名門だな」
毎年東都大に大量合格者を送り込む都内一の名門校である。
「ボクはそこの、探偵部の主将なんだ。常に面白い事件のタネを探してる。おじさんからは事件の臭いがするのさ」
俳優と見紛うようなハンサムで渋いマスターは40歳を少し廻ったところだ。
二人の前にコーヒーが並べられた。
「ほら、コーヒー余らせたらボクがマスターに怒られんだからさ」
「そっか……」
カオサンは苦笑いしながら席についた。
「おかしな展開になっちまったな。で、俺に何が聞きたいんだ?」
「話の続きさ。おじさんが一体何者なのか教えてよ」
「そうだったな。俺は何者なんだろうな……」
作業をするマスターの背後の壁、貼り付けられた大型テレビがあった。
(時空海賊ゼブラ。妖魔に追われる途中で妖魔と遭遇して血祭りにあげてきた。左腕には……。)
「サイコブレード」
じっと自分の左手を見つめるカオサンに夏菜子が言った。
「手相を見るのが趣味なのかい?」
「君が関わっちゃいけない世界の人間であることだけは確かさ」
「そういうのすっごく興味あるね!」
夏菜子は目を輝かせている。
「誰に追われていたんだい?誰と闘った?」
(どうしたものかな?)
思案顔のカオサンはテレビに目をやった。
「テレビがこんなに薄っぺらくなるなんてな。信じられねえよな。テレビってのはよ。もっとこうぶっとくてよ。家族全員でチャンネルを奪い合ってよ……」
カオサンがテレビをじっと見たまま無言になる。
「それで?」
「いや、ふと思ったんだけど、テレビが人間で、この画面に映る光景が記憶だったとしたらさ、チャンネルを変えるたびに記憶が変わってることになるよな?だから俺達の脳みそが受像機みたいなものだったとしたら……」
「ほう。なかなか電波系なことを言うね」
「電波系?」
「でも面白い考え方だよ。記憶が受信映像のようなものだとするならば……。言葉や意味を識る前には記憶は記憶として意味をなさない。模様のようにしか理解できないからね。つまり幼児期や母体内にいる時、更にそれ以前の世界、魂の世界のことは『わかるけどわからない』というもどかしい状態になるだろう」
「うーむ」
カオサンには夏菜子の言うことはよくわからなかったが不思議と腑に落ちる気もした。
夏菜子は立ち上がると古着コーナーに向かった。戻ってきた頃には男性用のシャツ、ジーンズ、そしてベストを携えていた。そしてまたカオサンの隣りに座ると言った。
「オジさんさ、着替えちゃいなよ」
「え――ッ!?だってこれ売り物だろ」
ジーンズの値札には5万とあるのでカオサンは更に目を丸くする。
「ヴィンテージモノだからね。それくらいはするよ」
「いやいやもうコーヒーもご馳走になったし、なんていうか夏菜子ちゃんと話せて、すごく懐かしい気持ちになれてオジさん本当に感謝してるからさ。本当にありがとう」
「オジさんが謎の人物で誰かに追われていることはよくわかったよ。自分が何者かもわからなくなっている。で、これからどこへ行くつもりだ?」
「どこって、明日の朝、仲間と合流するんだ。それまではどこかで這いつくばって過ごすさ」
「決戦というわけだね?」
「いや、どうなるかはさっぱりわからねえ。とにかく君みたいな子が俺にこれ以上関わっちゃダメだ」
「泊まるところはあるのかい?」
「まぁそれも、どこかでなんとかするよ。心配ご無用。慣れてるんだ」
そういって立ち上がろうとするカオサンの袖を夏菜子が引っ張る。
「オジさんさ、雇われてみないか?」
「え!?誰に!?」
「ボクにだよ。今日はバイトが休みなんでね。納品係と洗い場係がいなくて困ってる。簡単な作業ではあるけどマスターは接客しながら作業することはできない。」
「まさか、この店って……?」
「マスター、このオジさんに納品と夜番任せるから」
マスターは苦笑いで答える。
「社長がそういうなら文句はないよ」
「さ、着替えてくれるか。この店はダサい恰好じゃ働けないんだ」
「ほらほら、社長がこう言ってるんだしさ」
「いや、ちょっと、待ってくれっての、そんな……」
マスターが強引にカオサンを厨房ウラの事務室へと連れて行った。
「ここで着替えて、それであそこの手洗い場で指とその間、肘までしっかり特製液体石鹸で洗ってくれ。髭も剃るといい」
更衣室に通されて夏菜子が選んだ服を手渡される。
「いや、本当に嬉しいし、ありがたいんだけどよ。ここまでしてもらう義理はねえよ。」
「あんた似てるのさ」
「似てる?誰にだよ?」
「3年前に死んじまった俺のアニキに、つまりあの子、夏菜子↑↑の親父にさ。まぁ俺からも頼むよ。今日これから1日だけでいいんだ。まかない飯も食わせるし、ギャラも日給で払う。それでホテルに泊まるといい」
「そ、そうなのか……」
やがてヴィンテージの古着を身につけ、髭を剃り、気合を入れて髪を整えたカオサンが現れた。
頬杖をついてクールな表情を作っていた夏菜子だったが思わず頬がほころんだ。
「社長、ただいま戻りました。しっかり働かせていただきます」
「よかろう。ではまず、そこに積んである荷物をほどいて棚に置いてくれたまえ。通路が狭くなってマスターが困っているのだ」
見れば厨房の通路にコーヒー豆や食材が梱包されたまま置いてある。
「了解!」
作業にかかろうとしたカオサンはふとテレビに視線が向く。
人気ワイドショーが丁度始まったところだった。オールバックにサングラスの有名司会者がレギュラー出演者を紹介している。
「さー、お次は、オッギーこと荻原莉乃ちゃーん!!」
「はーい!国民的アイドルグループ『博多めんたいっこ』のオッギーこと荻原莉乃でーす!よろしくお願いしまーす!」
「あれえー!?オッギーどうしたんだよ?」
「あー、ほんとだー、すっぴんじゃーん!!」
客席からも歓声が飛ぶ。
「可愛いー!」
莉乃が頬に両手を当てて小首を傾げるキュートなポーズを取りながら答える。
「今日は世を忍ぶ人間のメイクをしたまま来てしまいましたー!」
「こっちがメイクなのかよ!!」
「ええー。いつもはね、素顔で来てるんですがね。今日はちょっとメイクを落とす暇がなくて。そんなわけで10万24歳、デ~~~モン莉乃でーす!グフフハハハハハハハ―ッ!!」
会場からは爆笑と大歓声である。カオサンは呟いた。
「莉乃ちゃん……、か」
「何?どうしたの?ファンなの?」
「い、いや、そういうわけじゃ……。あっ!!」
小さく叫ぶとカオサンはテレビの前まで駆けつけ、へばりつくように見上げる。
「ドーがいる!!」
客席の後方に間違いなくカオサンの盟友「ドー」こと土手宏がいた。いつもの情けない笑顔で他の客たちに同化して手を叩き、番組を盛り上げている。
「しかしなんでドーが?それになんてあんな恰好を?」
ほんの数秒ではあったが確かにドーであった。高級スーツに身を包み、まるでイケメン俳優だ。
「わかんねえけど。よかった。とにかく無事でよかった!」
カオサンはコブシで目を拭った。




