20、無力な神
「探偵ノート」
201X年X月X日池袋、天気は雨。不思議なおじさんと出会った。下校途中なんとかく池袋をうろつく。事件の予感がしたわけではない。単にぶらつきたかっただけだ。怪しいおじさんが僕を呼び止めた。おじさんは僕のことを「リナ」と呼んだ。
「里菜!?」
「えっ?」
美少女が困惑した顔で振り返る。
「里菜……なのか?」
ショートカット美少女は言った。
「僕はチリポンじゃない!!」
「いや、そうじゃなくて」
カオサンは二の句が継げない。
「無論リナでもない!僕は白田夏菜子だ」
夏菜子はさっぱりと言い切ると澄んだ瞳でカオサンを見つめている。
「僕は白田夏菜子であって須藤千里花ではない!よく間違われるがね!CDを何枚買っても僕とは握手できないしツーショット写メを撮ることもできない!」
「いやその、おじさんはそんなつもりじゃ……」
「じゃ何かい?新手のナンパかい!?イマドキそんなの流行らないよ!」
カオサンは我に返った。
「いや、すまない。このとおりだ。人違いなんだ」
手を胸の前で合わせると深々と頭を下げた。
「おじさんのとっても大好きだった人にそっくりだったから、思わず」
「ほう、おじさんは年の頃50数歳とお見受けするが、僕のような小娘がお好みなのか。あまりいい趣味とはいえないと思うぞ。そしてこの街にはあちこちに監視カメラが設置されていることは知っているね?」
「ああ、すっかり時代は変わっちまったよ。いやはや、怪しいものじゃないんだよ」
「いや!どこから見ても怪しいぞ!!大の男がこの時間にこの場所にいる。まずマトモな勤め人ではない。そしてオジさんの身体には戦闘の形跡もある」
夏菜子は端正な顔立ちから鋭い視線をカオサンのあちこちに飛ばしている。
カオサンが苦笑いで頭を掻きながら退散しようすると夏菜子が声をかける。
「用向きはそれだけか!?」
少々驚いたように振り返るカオサン。
「えっと、今ってさ、何年だっけ?」
「んんっ!?今が何年だと?変わったことを聞く人だな。よかろう。それくらいは袖すり合うも他生の縁。教えてしんぜよう。今は201X年だ!」
「だよなあ。オジさんがその人と出会ったのは198X年のことだからな。君は若い頃のその人にそっくりだったわけさ」
「198X年だと!世はまさに世界最終戦争に突き進んでいた頃だな!」
「そうだよ。米ソ冷戦なんて言われてな。その代わり景気も良くてさ。」
「んん~~!?オジさんはタイムトラベラーだとでも言うつもりかね?」
「タイムトラベラー?」
カオサンは少々考え込んだ。
(ふーむ。タイムトラベラーか……)
「オジさんのいた時代は何年のことだい?」
「時空を行き来するということはタイムトラベルの要素もあるのかもしれないな」
夏菜子がカオサンに傘をさしかけた。
「オジさん、雨に濡れないところで話をしないか?」
「え、いや、その……」
「オジさんの名前はなんというのだ?」
「カオサンと呼ばれてる」
「名前はないのか!?」
「いや、それが……」
カオサンは口ごもってしまった。
(時空海賊ゼブラの本名はなんていうんだ?」
「よかろう。名前をいいにくい稼業ということだな。改めて言うが僕は白田夏菜子。みんなは『カナコぉ~↑↑』と呼ぶ。見ての通り、花も恥じらう16歳の女子高生だ。カオサンが僕と見間違えた人の名はリナと言ったね?」
「ああ、生田里菜ってんだ」
「ふぅーん。ありきたりな名前だな。まぁ行こうじゃないか」
しばらく歩くと夏菜子は傘をカオサンに渡す。
「ちょっと持っていてくれたまえ」
そしてカバンからノートを取り出すと何やら書き付けている。
「何を書いて?」
「見てはいけない!」
表紙には『探偵ノート』と書いてある。
上空のヘリではドーが震えながら叫んでいた。
「うわあああ!カオサンの奴!ナンパに成功したぞ!!」
「どこへ行くのかしら?」
「ホテルなんか行ったら絶交だよ!」
「ゼブラ氏は童貞なのかい?」
「いえ、結婚経験があるそうです。でも離婚して、というか逃げられて20年くらいだとか」
「ふぅーむ」
秋長が興味深そうにアゴを触っている。
「先生、期待しないで下さい。莉乃もな。ほんともうチンケで小汚いオヤジなんですよ」
「でも、いいやつなんだろ?」
秋長康人の目はやはり優しく温かい。ドーは泣き出した。大粒の涙が真珠のようにキラキラと輝いている。
「うっ!ぐぐっ……」
童貞でなければ流せないピュアな涙だ。
「ちょっ、どーしたのドー!?カオサンがナンパに成功したのがそんなにムカつくの?まぁ今はテーや妖魔のこと、その他もろもろ、かなりヤバイし大変なときだからね」
「違うんだ。違う。俺が今こうして、莉乃やユリ先生、そして秋長先生にまでこんなに親切にしてもらって……。俺は今、こんなにヤバイときなのに何故かとても幸せで、しかも安全地帯にいる。カオサンは雨の中をずっと妖魔から逃げ続けて、疲れ切って、なんだかテンパってどーせわけわからなくなって何がなんだかわからなくなってるんだ。なんで明日の朝に集合なんて言っちゃったんだろ。いや、言い出したのはカオサンだけど。」
「つまりカオサンがナンパに成功したのはドー的には嬉しいわけね?」
ドーは深く頷いた。
「そして仲間であるカオサンがつらい目にあってるのに自分が安全地帯にいるのが申し訳ないと?」
ドーはまた深く頷いた。
「カオサンがハッピーになるのは嬉しい、だけど妙にテンパって女子高生なんかに声かけちゃって、もしこのままホテル行ったりしたらエンコーで捕まっちゃうって、それを心配しているわけね!?」
莉乃の言うとおりだ。
「明日の朝に?」
「そうです。新宿公園で落ち合う手はずです」
「そこで妖魔とケリとつけるってことか?」
「うーん。そこまではちょっと考えていないのですが、とりあえずそういうことにしようと、カオサンが、何か考えがあってのことではなくて、その場の行き当たりばったりで」
秋長は後ろ手に組んで体をそらした。
「行き当たりばったりは悪いことじゃない」
「そんなこと言って『新公演はいつできるんだー?』ってまたファンから怒られますよ?」と莉乃。
「予定調和よりはマシなのさ!」
ところで、と秋長は続ける。
「『六人の勇士』のうち何人が見つかってるんだ?」
「まだ一人も見つかっていません。」
「ゼブラ氏はどうなんだ?」
ドーは首を振る。
「ユリ先生はなんと?」
「必ず見つかる、とだけ」
「きっとね、ユリ先生はまだ私たちに、隠しているわけじゃないけど、話すのはまだ早いと思っていることがあるのよ。」
「言ってもまだわからない、時が来れば、ってやつか」
「ホテルに行くわけじゃないみたいよ」
カオサンと夏菜子は古本屋に入っていくようだ。
マネージャーが言った。
「あの古本屋は奥にカフェがあるんです」
ドーはほっと胸をなでおろした。
しかし次の瞬間モニター画面が突然乱れ始めた。ビリビリ……、ビリビリ……!!
「故障か?」
「画面戻ってきた」
「な!なんだこれ?」
雪山の光景が現れた。頂上から延々と続く丘陵が妖しいまでにうねり、遥かに見える山裾の森へとやがて飲み込まれていく。青黒い空に輝く太陽が一面の雪模様をもはや邪悪と言えるほどに照らしつけている。小さな男の子と女の子が手を繋いで歩いている。男の子が女の子を励ましているようだ。
「ここって池袋だよね!?なんでこんないきなりアルプスの少年少女みたいな!?」
マネージャーがヘリの窓から下界を見た。ビルがそびえ立つ池袋の街だ。
「何も異常はありません!街は変わっていません!」
「とすると、これは一体何が映っているんだ!?」
「ん!?もしかして?」
ドーと莉乃はほぼ同時にお互いの螺旋石を取り出した。石の中を小さな光の隊列がくるくると行き来している。
「石のチカラか。これを見ておけって」
「一体何を伝えたいのかしら?」
女の子が自らが踏み込んだ深い雪に足を取られて膝をつく。疲れ切っているようだ。男の子が懸命に助け起こす。
「迷ってるんだ。がんばれ!がんばれ!」
莉乃が応援する。ドーが拳を握りしめた。
「見ているしかないのか!」
秋長が呟いた。
「神になった気分だな。ただし無力な」