四章 “エージェント”2
コミューンでは総出で我々を迎えてくれた。森林を切り拓いたわずかなスペースに、十五戸ほどの藁葺き屋根の家が寄り集まっている。住人は子供を含めて四十人前後。たいていは小柄で、成人でも私の胸ほどの身長しかない。みんな肌が黒く、髪は短く縮れていた。
住人たちは穏やかな眼差しで私とマイケルを取り囲んだ。ある者は乳飲み子を抱えて微笑み、ある者はただ満足そうに頷いていた。挨拶が必要だったが、誰に向かってなにを言うべきか上手く浮かんでこなかった。
「私はマイケル、こっちは兄のブルースです。あなたたちの加護で、無事に到着できました」
マイケルは私を尻目に切り出した。
「わしは、オボテじゃ。チェチェから耳にしていたが、サピエンスとノウスの兄弟かい。まあ、長い旅でさぞや疲れたろう。今日のところは、ゆっくり休みなさい」
目の前にいた一際小柄で年老いたノウスが、皺くちゃな顔にさらに皺を寄せて言った。私には笑っているように見えた。
「ありがとう。ところで、チェチェとは?」
私は礼を言うついでに訊ねてみた。この中の誰かが“彼”なのだ。チェチェとは“彼”の名前に違いなかった。
オボテ老人は、そういえば、という感じで周囲を見回した。そして“彼”の気配を察知したのか、右手にある森を指差した。
「やあ、いま着いたのかい?」
森の中から、一人の男が出て来た。そう、私には“彼”が男に見えた。
「チェチェや、森でなにをしていた」
オボテ老人が、“彼”に声を掛けた。
「蜂の巣だよ。新しい仲間へのご馳走さ」
男はこんもりと膨らんだ麻の袋を手に提げていた。にやりとして、その袋を掲げる。
男の容姿に、私だけでなく、マイケルまでもが唖然としていた。
「ほうほう、そりゃあ気が利くことさ。それで二人とも元気になるじゃろう」
オボテ老人が愉快に声を上げた。男は平然と我々の前に立った。
「マイケル、ブルース、よく来てくれた。旅はしんどかったろう。こいつを薬草に混ぜて飲むんだ。疲れがきれいに取れる。今夜にでもつくって持って行くから」
我々はその気遣いに、一言も返すことができなかった。瞬きも忘れて、男の容姿に釘付けになっていた。
特別な能力があるだけの、ふつうの人間?
とんでもなかった。
男は上半身裸でノウスにあるべき乳房がなく、私と近い体格をしていた。臀部も出産に耐えられるような大きさではない。骨格は、サピエンスの男性のそれと同じだった。髪はまっすぐで、だらりと肩にかかっている。細面な顔立ちは睫が長く、やや中性的だ。つまり首から下はサピエンスの男性で、首から上はノウスの容姿が備わっていた。
だが、我々が唖然とした肝心の理由は、男の肌が青く輝いているという点だった。男の肌はまるで青く染めた絹のように滑らかで、そしてその内側からは気高い光が発せられていた。我々は驚いたのではなく、男の圧倒的な存在感に気絶しそうになっていたのだ。
すらりと背が高い。男も外部からの人間のようだった。
「まあ、初対面だから、びっくりするのも無理はないけど--」
男は右手の人差し指をすっと立てて言った。
「ぼくはこれでもノウスなんだ。一応ノウスとして生まれた。もうずいぶん昔のことになるけどね。詳しくは今夜説明するよ」
白い歯を浮かべる。年は私とマイケルの中間くらい、二十半ばほどだろうか。あまりに現実離れした外見なので判断も難しいが、肉体を見た限り青年と呼べそうだった。
「さあ、こっちへ。あんたたちの家を造っておいたんだ」
見事に言葉を失った我々を見かねたのか、一人の住人が袖を引っ張った。私とマイケルは、柵に戻される羊のように彼の後に従った。男には真っ先に旅の間の礼を伝えるつもりだったが、私の言語機能は完全に停止していた。
男をはじめ住人たちは、ぞろぞろと畑や自分たちの家に戻っていった。顔見せがすんで、あちらこちらで小さな歓声が湧いた。どうやら仲間として受け入れてもらえたらしい。
「家って、我々の住む家かい?」
人の姿が消えて、ようやく私は話すことができた。マイケルの口からも、大きな息が漏れる。我々はお互いに、ずっと呼吸を忘れていたようだった。
もちろん、とその住人は歩くのをやめて、私のほうに素早く半回転して言った。細い身体つきをしているが、ちょっとした動作がしなやかに映る。艶のある黒い太腿。強靭なバネを仕込んだ躍動的な筋肉だった。
「あんたたちは、今日からここの住人だからね。家がないと不便だろう?」
「いや、わざわざ家を建ててもらっているなんて」
手回しの良さに、私は恐縮した。当分はほかの住人の家に居候する羽目になると予想していたのだ。
住居は三列に並んでいて、ひとつの列には五戸の家が建っていた。我々の家は、コミューンの入り口からいちばん離れた列の端にあった。裏手には畑があり、芋かなにかを栽培していた。
「あたしはイタリ。向かいに住んでいる。当面必要なものは揃えておいたけど、足りないものがあったら遠慮なくどうぞ」
私とマイケルを案内した住人は、家の中に入るとそう言った。
我々はさっそく一通り新居を眺め回した。彼らの造ってくれた家は、なかなか立派なものだった。壁は木の棒の骨組みに厚く泥を塗っていて、叩いてみるとしっかりとした手応えがあった。表からも屋根が丈夫そうに見えたので、造りを聞いてみた。イタリは、いちばん下に穀草の茎を敷き、その上にアシと粘土と藁を順に積み重ねたと説明した。これなら豪雨が来ても雨漏りの心配がない、このコミューンではみんなそうしているという。部屋はふたつで、入り口に面したほうは壁際に炉が設けられ、鍋や甕がそばに置かれてある。奥の部屋には、竹を編んだ寝台がふたつ。床や間仕切りは漆喰で塗り固められていて、外には簡便な物置も付いていた。
「とても住み心地がよさそうだ」
お世辞ではなく、私は率直な感想を述べた。マイケルも、満足そうに頷いた。
「そうかい、そう言ってもらえるとあたしたちも嬉しいよ。二人で住むには、ちょうどいい広さだろうね」
イタリは他人の家を建てた面倒も口にせず、ただ優しい眼差しを我々に向けていた。
「やっと野宿から解放されます。家のある暮らしなんて、何年振りかな」
マイケルは首を回しながら、もう一度家の中を検分した。
「あんたたちも旅の間にとても辛いことがあったみたいけど、本当によく来てくれたよ。チェチェもようやく、ほっとできるだろうさ」
イタリの口ぶりからすると、シャクティのこともマイケルの死産のことも、すべて知っているようだった。チェチェから報告を受けていたのだろう。
「チェチェとは、あの人のことですね」
マイケルが確認した。
「ああ、あんたたちの感じていた強い精神波の持ち主は、まぎれもなく彼だよ。直接会ってびっくりしたみたいけど、細かいことは本人に聞いたほうがいい。これはあんたたち一族に関わることだから」
「え?」
突飛な発言に、私は聞き返した。
「チェチェとあんたたち二人には、同じ血が流れている。彼はそう言っていたよ」
やはり、とマイケルは呟いた。




