↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/53

二章 呪縛の継承16

 シャクティが逝って一週間が経っても、私は気持ちを整理できずにいた。マイケルはアフリカへの同行を求めるが、マドラスを離れるのも辛い。この建物にいれば、またシャクティと会える気がしたからだ。

 狩りから帰ると、シャクティがいつものように食堂で豆のスープを作っている。鍋からは湯気が立ち上り、充足感で胸がいっぱいになる。こんな時代に、こんな時間を過ごせるのは僥倖という以外にない、と私は思いを噛み締める。シャクティのはにかんだ笑顔。我々はテーブルに向かい合って座り、その日にあったことを語り合う。

 そんな情景が何度も頭に浮かんでは消えていった。

 もちろんそれは錯覚に過ぎないのだが、彼女への未練を断ち切るにはまだ時間がかかりそうだった。

「入ってもいいかな」

 扉がノックされ、レンの声がした。私は自分の部屋で弓の調整をしているところだった。

「どうぞ、入りなよ」

 レンは部屋に入り、窓際の壁に寄り掛かった。

「パシャスの怪我もだいぶ良くなったし、そろそろコミューンに帰ることにするよ」

 私は弓を置き、寝台に腰掛けて軽く頷いた。あの一件以来、彼らはこの建物で寝泊まりしていた。とくにレンは怪我人のパシャスや私の心中を気遣ってか、ほとんどの日常的雑事を率先して一人でこなしていた。

「君たちには、どこまでも世話になってしまったな。しかも、こんな遠くまで来させてしまうなんて。コミューンのほうは大丈夫か?」

 レンの背にした窓から前庭が見えた。ちょうど視界の端に、花に飾られたシャクティの墓がある。

「礼も詫びもいらないよ。こっちが勝手に追ってきたんだから。パオやヘーラとは交信してみたけど、距離があるからちゃんと説明できなかった。でも私やパシャスの気配で、なにがあったかは予想がついただろうね」

「帰り道は分かるかい? 来た道を戻るといっても、ずいぶん遠いからね」

 彼らは長い時間をかけて、またアナトリア高原に戻らなければいけない。行きはマイケルの気配を追ってきたが、帰りはなにを道標にするのだろうか。

「ああ、それは簡単だよ。故郷のコミューンの気配がする方向に歩いていけばいいんだから。途中で寄ったコミューンの気配も知っているから、道には迷わないだろうね。帰りは砂漠のオアシスで、鶏の香草焼きをご馳走してもらうことになっているんだ。あれは、美味かったなあ。肉汁が口の中でじゅわっと広がってね。それとその先のコミューンで食べた、黒イチゴのケーキも忘れられない。今回の旅で、世の中にはたくさん美味しいものがあることを発見したよ」

 レンの丸い顔が、さらに丸くなった。ノウスがほかの土地の暮らし振りを体験することは滅多にない。レンはその異文化の中に、食べる楽しみを見出したようだった。いかにも彼らしい発想だが、そのお陰で帰り道の苦労もいくらかは軽減できる。

「ところで、マイケルは君たちが追ってきていることを知らなかったみたいだな。気配で分かりそうなものだが」

「うん、できるだけ気付かれないようにしていたんだ。余計な心配はさせたくなかったから、でも薄々は知っていたんじゃないかな。生きている以上、完全に気配を閉じるなんてできないからね。まさか、私たちが後を追っているとは考えもしなかっただけさ」

「そんなものか。ところで、君は身体のほうは大丈夫なのか?」

 私には、レンに関してひとつの懸念があった。もし旅の途中で、彼の身体に異変があったら、どんな言葉を尽くしても申し訳が立たない。

「私はいたって健康だよ。旅疲れも抜けたしね」

 レンは答えた。私の質問の意図が伝わりきらなかったらしい。

「その、私が気になっているのは、君がそろそろ子供ができる年齢なんじゃないかということなんだ。帰り道にそんなことになったら、おれの責任はさらに大きくなる」

 なるほど、という調子でレンは頭をかいた。

「あんたが、そこまで気に留めることはないよ。言われてみれば、その可能性もあるけどさ。パシャスもいるし、そのときはなんとかなるんじゃないかな。それはともかく、あんたに話があるんだけどさ。いま、いいかな?」

 レンはどこに隠していたのか、オレンジを二個手に持っていた。一個を私に放り投げる。私はそれを受け取り、皮をむいて頬張った。

「なんの話だろう。おれのお勧めの料理なら、デカン高原で食べた羊肉のスープだな。かなり辛いが、試す価値はある」

「あれか、私も食べた。どうもあんたとは味覚が合わないみたいだ。で、話というか聞きたいことがあるんだけど、あんたはアフリカに行くのかい?」

 おまえは、たった一人でこの建物と生きていくつもりか。レンは、そう聞きたかったのだろう。

 私はオレンジの房をむき、口に入れた。甘い香りに似合わない、強い酸味が舌を刺激した。

「この建物を維持していくことは、おれにはできない。シャクティがいなくなってしまったから、ソーラーシステムもいずれ役に立たなくなる。数年でほかの廃墟と変わらなくなるさ。そんなところに一人でいるのはやるせない。おれには耐えられないだろうな。でも、彼女を一人にするのも可哀想でね。君たちには狂気の女でも、おれにとっては最後の仲間でもあったから」

 レンは腕を組み、珍しく考え込むような仕草をしていた。ふだんはおどけているが、彼も中性的な容姿特有の知的な印象を備えている。物思いにふけていると、思考だけが宇宙をさ迷っているようでもある。

「実は、ちょっと気になることがあってね」

「気になること?」

 私が聞くと、レンはバツが悪そうに耳の後ろを小指で掻いた。

「マイケルが監禁された頃のことなんだけど、私たちはちょうどあんたがさっき言っていたデカン高原にいた。そこで彼の気配に悪い変化が起きたから、パシャスと先を急ごうと相談していたんだ。まさに羊肉のスープを食べているときだったよ。別の意識が介在してきて、マイケルを救ってほしいと言ってきたんだ」

「誰だったんだい? ヘーラかパオも気付いたってことかな」

 レンは首を横に振った。

「知らない気配だったんでね、マイケルに聞いてみた。そしたらその意識は、〈コール〉を送ってきたアフリカのコミューンのものだと言うんだ。私にはアフリカがどこにあるかなんて分からないけど、相当遠いところみたいだったね。で、問題はそのコミューンに妙な存在を感じるんだよ」

「というと?」

「あんたも知ってのとおりノウスの精神能力は不完全なものだけど、その存在はすごく強力な精神能力を持っているんだ。彼の波長を受けると、まるで魂を飲み込まれた気分になる。スープが辛すぎてどっかおかしくなったのかと思ったけど、そうじゃなかった。その誰かの気配は、ふつうとはまるでスケールが違うんだ。とにかく圧倒的なんだよ。私たちの精神能力と比べれば、星の瞬きと太陽の輝きくらいの差がある」

 私は首を傾げた。レンが誇張しすぎているのかもしれないが、そんなケタ外れの精神能力を持ったノウスがいるのだろうか。そもそも通常の交信がどのようにして彼らに届くのかさえ、私には見当がつかなかった。

「初めて聞くな。マイケルはなにも言ってなかったけど」

「マイケルも、彼が何者か知らないそうだよ。でも彼は、私とパシャスに言ったんだ。マイケルは、自分の弟だって」

 レンの目つきが曇った。大きな黒目は、まるで私を憐れむように揺らいでいた。

「弟、ね。つまりそれは、新しく加わる仲間に親しみを込めただけじゃないかな。マイケルの兄弟は、おれ一人だからね」

 私は冷静に返答した。レンはなにかを躊躇するように、食べ終わったオレンジの皮をちぎっては床に捨てていた。

「あんたに教えるべきか迷ったんだけどさ、やはり言っておくよ。彼の言ったことはもしかしたら、事実かもしれないんだ」

「事実って、マイケルがその誰かの弟だってことかい?」

 半ば呆れかえりながら、私は聞いた。レンはまだオレンジの皮をちぎっていた。

「そうだよ。なぜなら、マイケルの精神能力も日増しに強くなっているんだ。旅の間、彼の気配を追いながら、ずっと変だと考えていた。とくに檻から解放されたあとは、どんどん勢いを増している。パシャスもびっくりしているよ。こんなことは、まずあり得ないからね」

「マイケルは過酷な目に遭ったからな。監禁されていた恐怖心が、なんらかの変化を与えたんじゃないか。旅の間だって、ずっと生命の危機と背中合わせだった。人間はそんな環境の連続だと、精神的に磨き上げられていく。生きようとする力が、もっと上の能力を引き出すんだ。あり得ないことじゃないさ」

 私はたまたま頭に浮かんだことを、レンに話した。いたずらに否定したいわけではないが、マイケルが特別な人間とも思えない。

「まあ、そのせいもあるかもしれない。でも、ここがいちばん不思議なところなんだけど、マイケルの気配は彼のそれに近づきつつあるんだよ。二人にはなにか通じるものがあるような気がしてならない」

 私は、再び首を傾げた。レンの言った意味がよく理解できなかった。他人の気配に近づくとは、どういうことなのか。

 以前に肉親同士のノウスは、気配が似ていると聞いた覚えがある。ただ、肉親といえども別人だ。そっくりなわけではない。顔かたちがそっくりな親子でも、気配や性格には個性があるのだから。特に気配は生来のものであって、後になって変化するものではない。

簡単に変化してしまっては、どれが誰の気配か判別できなくなる。

 毎日みんなが違うお面をつけていたら、困るだろう。故郷のノウスは、私にそう教えてくれた。

 しかしそれは単に一般論であって、あるいは性格が変わることがあるように、気配も絶対的に不変なものではないのだろうか。いずれにせよ、私にはマイケルとアフリカの“彼”との関係が飲み込めない。

 首を捻るだけの私を尻目に、レンは言葉をつづけた。

「精神能力が強くなるというのは、しばしば起こることなんだ。たとえば崖から落ちて救助を呼ぶときに、思いもかけず強い精神波を発することがある。それをきっかけに、その人の波長が鮮明になることも、ごく稀に起こる」

 ごく稀、というところをレンは強調した。

「だったら、そういうことじゃないの?」

「ところが、ここがあんたには実感しづらいところかもしれない。いいかい、精神能力と気配とは微妙に違うものなんだ。精神能力が強くなるというのは、淡い赤がだんだんと濃い赤になるみたいなものさ。そして気配は、赤色そのもののことだ。みんなが、それぞれの色を持っている。だから色が濃くなることはあっても、ほかの色に移ることは決してないんだよ」

 レンは目で確認を求めた。

「分かるよ。いい説明だ。君も変わったみたいだ」

 私が言うと、レンはいつもの愛想のいい笑顔を浮かべた。が、すぐに真顔に戻る。

「でも、どうやらマイケルは例外みたいだ。彼は、別の色になろうとしている。気配の本質が、もう以前と違っているんだ。まるで別の人間に変化するみたいに」

「別の人間に?」

「いや、別の人間というのは譬えだよ。むしろマイケルの場合は、変化というより進化と呼んだほうがいいのかもね。あの正体不明の気配をいちばん近い言葉で表現すると、神々しいって感じかな。特別な力が伝わってくるんだ。マイケルは、それに近づいていっている。彼もまた、私たちとは違う存在なんだよ」

 レンの話は、いささか抽象的だった。それではまるで、昔の宗教画に描かれた聖人のようだ。私は要点だけを頭の中でまとめてみた。

「つまり、マイケルの中でなにかが起きているということだね。その不思議な誰かと干渉しあって、なぜかふつうのノウスにない経験をしつつあると。どうしてそんなことになっているのか、君にもパシャスにも分からない。でも、マイケルの変化は悪いことではない。そういうことだね?」

「まあ、だいたいは」

 私は肩をすくめた。奇妙な話の展開に、半ば辟易していた。

「弟云々のことは、考えても答えが出そうにないな。マイケルがアフリカに行けば、分かることだよ」

「ねえ、あんたもアフリカに行ったほうがいいよ。ここで暮らしていると、きっと悪いほうへ向かってしまう。それに今度はあんたがマイケルを支えてやる番じゃないかな」

 レンはそれだけ言い残すと、部屋を出て行った。そして二日後に、二人はアナトリア高原へ向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。