↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/53

二章 呪縛の継承14

 短い呻き声ととともに、パシャスが膝から崩れ落ちた。左腕にナイフが突き刺さっている。

 私は咄嗟にシャクティを羽交い締めにした。抵抗する様子はない。レンはパシャスの怪我が軽傷ですんだのを確認して、扉を開けた。

 そこは研究室の付属部屋のようだった。窓はないから、物置に近い用途で使われていたのかもしれない。狭いスペースの半分ほどは鉄製の檻が占有していて、その中にマイケルがいた。

 マイケルは鉄格子の向こうで、膝を抱えて座っていた。我々と目が合うと、憔悴した表情の中にかすなかな微笑を浮かべた。

「無事かい?」

 レンは壁に掛かった鍵を取り、檻の扉を開けた。マイケルは自力で立ち上がり、ゆっくりと檻の外へと出た。

 私は思わず、涙を零した。二カ月も同じ建物にいたのに、まったく気付かなかった自分が愚かで恥ずかしかった。

「三人とも、ありがとう。兄さんも無事だったんだね。よかったよ」

マイケルのしっかりとした口調に、我々はようやく安心した。私は研究室に戻り、うなだれて床にしゃがみこんだシャクティの前に立った。

「シャクティ、頼む。どういうことなのか説明してくれ」

「私のしていた実験は--」

 うつろな瞳をしてシャクティは言った。

「ノウスにサピエンスを産ませるためのものよ」

「ノウスに、サピエンスを・・・」

 一度聞いただけでは信じられず、私はその台詞を繰り返した。

「そうよ。人類を救うには、それしかないわ。もし私たちが子供をつくっても、きっとその代限りでついえてしまう。いまの状況でサピエンスが生き延びるのは不可能と断言していいわ。それはあなたにも分かるでしょう? でも、さっき話したように同様のことがノウスにも当てはまるの。彼らもまた、滅亡する運命にあるのよ。結局は早いか遅いかの問題よね。だとしたら、いちばんの解決策は、ノウスの身体を借りてサピエンスを復活させることだわ。薬で性染色体を操作すれば、できることなのよ。ブルース、この実験が成功すれば、私もあなたの赤ちゃんが産めるのよ」

「あ、あなたは狂っている」

 傷を受けた左腕を押さえながら、パシャスが声を震わせた。さすがにこの話には、ノウスである彼も衝撃を受けたに違いない。

「ねえ、あんたはノウスに恨みがあるわけじゃないだろう。どうしてそんなことをされなくちゃいけないんだい。私たちが不完全だからといって、サピエンスが完全な訳でもない。子供を産みたいなら、産めばいいさ。それがサピエンスだったら、私たちが面倒をみてあげるよ。そうすれば、一人にならずにすむだろう」

 パシャスとは反対に、レンは穏やかに話し掛けた。この中ではいちばん年下なのに、ずっと自分を見失わないでいる。マイケルはレンに頷きながら、自分の服を引き裂き、パシャスの腕に巻き付けた。

 黙りなさい、とシャクティが一喝した。鬼神のような血走った目。ゆらりと立ち上がり、両手を広げ、かすれた声で訴えた。

「私たちは崖っぷちに追い込まれているの。もう落ちるしかないのよ。でも人間はほかの動物とは違う。天から授かった叡智があるわ。私のつくった薬は、絶望の淵から抜け出す神の翼なのよ」

 髪を振り乱し、両手で顔を覆うシャクティを私は抱き締めた。話に賛同したのではない。私には彼女が哀れで仕方なかった。

 私にとってシャクティは一人の愛する女だった。彼女の温もりを肌で受けながら、はっきりとそう確信した。たとえ呪縛に囚われていようと、狂気に駆られていようと、おれがすべてを受け止めよう。崖から落ちるときは二人一緒だ。そう心に決めた。

 が、その矢先だった。突如として、私の腕の中でシャクティが激しく痙攣しはじめた。唇の端から血が滲みでている。ひゅうひゅうと風を切るような不吉な音が、喉の奥から聞こえてきた。

「毒だ、毒を飲んだんだ」

 パシャスの叫ぶ声が部屋の中で反響した。

 はっとして私は、左腕をシャクティの背中に回し、右手で頬をはたいた。我々がマイケルを助け出している隙に、シャクティは手近にあった薬品を忍ばせていたのだ。うかつだった。彼女が追い詰められたことを考えれば、予測できた行動だった。

「嘘だろう、シャクティ。吐け、吐くんだ」

 すでに紫色になった唇が弱々しく開く。なにかを言っているようだが、ほとんど聞き取れない。レンやマイケルたちも、まわりを取り囲んだ。シャクティは胸を掻きむしりながら、息を吸い込もうと身体をのけぞらせた。

「こんなところで、死んでいいのか。これじゃ償いにならないよ。兄さんは、あなたを必要としているんだ」

 マイケルがシャクティの手を取った。シャクティは悶え苦しながらも、マイケルと視線を合わせ、涙を流した。もう一度なにかを言おうとするが、やはり声にならない。助けようにも、すでに手遅れなことは明白だった。

「シャクティ・・・」

 私は彼女の額に唇を押しつけた。抱き締めた身体から、一気に力が抜けていく。先祖たちの魂が、彼女を迎えに来たのだ。ひゅっという中途半端な息遣いを最後に、シャクティは動かなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。