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二章 呪縛の継承10

 私とシャクティは、日が暮れると別々に行動していた。日中は畑を耕したり、食事を作ったりしているうちに時間が過ぎていくが、それは“現在”を生きるための行為でしかない。夜になるとシャクティは、薬の研究をするために三階の研究室に閉じ篭った。そこからが、彼女にとって本当の一日のはじまりだった。

 彼女は夕食をすませると、語り合う間もなく、食堂を後にした。私は食器の後片付けをし、一階にもらい受けた部屋に戻って、斧や槍を研ぐというのが決まりだった。

 三階での詳細な研究内容は知らないが、果たして薬の開発がはかどっているのかは疑問だった。研究の方向性はふたつある。ひとつはこれまでの薬の欠陥をなくすこと。そうすることで、健康体のサピエンスを産むことができる。ふたつ目は、シャクティの身体を蝕む副作用を抑え込むための新薬の開発。これにより彼女の免疫力は破壊されず、少なくとも薬の影響で早死にすることはない。このふたつのテーマに基づいて、毎夜研究は進められていた。

 一族に受け継がれてきた薬学の知識は膨大なものになるのだろうが、それを継承する人間は確実に減り、いまではシャクティただ一人。むしろ開発力は退化しているはずだった。それに前者の方向性で研究をすることは無意味でしかない。たとえ健康体のサピエンスを産めたとしても、その子はなんのために生まれてくるのだろうか。私とシャクティは一対の男女ではあるもの、我々を基盤にしてサピエンスを蘇らせることなど不可能だ。

 そんなふうに考えながらも、しかし、私は研究について口出しすることはなかった。なぜなら、研究こそがシャクティの精神的な生命線を支えていたからだ。薬の改良に取り組むことで、彼女は死への恐怖と戦うことができた。いずれ自分を襲うだろう病に立ち向かうことができた。レンはシャクティに怨念のようなものを感じると言っていた。が、それは怨念というよりも、種の絶滅の危機に瀕した母性の悲愴な叫びなのかもしれない。

 私はシャクティを見守ることに徹した。ただこんな時代にも、ちゃんと性欲は機能する。シャクティは、私にとって最初で最後の異性でもある。しかし我々が結ばれることは、悲劇にしかならない。

 私はノウスを羨んだ。彼らには性欲がない。完全だ。

 そもそも昔から神秘主義の世界では、両性具有を至高の存在として扱っていた。古代エジプトでは神々の多くが両性具有だし、紀元前のギリシア・ローマ時代にはヘルマプロダイトという男性と女性の理想美を兼ね備えた雌雄同体が人間の究極美とされていた。アダムも最初は両性具有だった。イヴは彼の肋骨から創出されたのだ。人間に性の区別ができたのは、二人が罪を犯したからだという。さらに付け加えるならば、マリアの「処女受胎」もどことなく両性具有的である。

 このほかにもアンドロギュヌス的思想は、ユダヤ教や道教などさまざまな宗教に反映されていた。オーストラリアには、男性の尿道を切開する「アンドロギュヌスになる儀式」を行う部族もあったと文献に残されている。儀式ではペニスから流れる血を月経の血に見立て、下部切開の傷は女性の陰唇を譬えていたのだ。

 ヒンドゥーの主神シヴァも両性具有だと、シャクティは初めて会った日に言っていた。あとで聞いた話によると、「シャクティ」とはシヴァの妻を象徴する言葉であった。同時にそれはシヴァの女性的側面をも表しているのだそうだ。

「祖母から受け継いだ名前なのよ。たいした意味はないわ」

 名前の由来を訊ねると、シャクティは鼻に皺を寄せてそう答えた。彼女自身はその名前があまり気に入っていないようだった。

 陰と陽、生と死、雄と雌。そして融合と分離。世の中の事象はありとあらゆる面で二極分化されている。同時に、それらは根底ではひとつに繋がってもいる。どちらか一方が消えてしまえば、残ったほうも滅してしまうのだから。ちょうど光のない場所に影が生まれないように。

 人間には性が統一されていた時代があったのかもしれない、と私は想像してみる。男と女が一体感を求めるのも、その頃に戻りたいからなのだろうか。

 だとしたら、願いはかなえられた。

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