後
「ナベ!いい匂いですね!ユキは もう食べマスカ?わたしが取りマス。熱いアブナイからデス!」
「ありがとう。じゃあ、適当に…」
「ティキトウ?」
「そこら辺、ガバッと すくってください」
「了解!ショウチしまシタネ」
ワクワクとお玉で鍋をかき混ぜるオーさん。すくってって言ったのに。
ワアワア楽しそうに鍋をかき混ぜるオーさんを見ながら、私は少し冷静になっていた。
…何やってるんだろう。初対面の外人を家に入れて、鍋を囲んでしまっている。自分でも 驚いている。もう少し危機感を持った方がいいと思う。でもなぜか、オーさんが悪い人じゃないって無条件で信頼している。食材のお金も全てオーさんが支払ってくれたし。
どうやら私は、この犬のような外人が可愛くて仕方がないようだ。…でもやっぱり、これはまずいんじゃないか。一人暮らしの家に初対面の外人を入れるか?…ナントカ詐欺だったらどうしよう。もしや事件に発展したらどうする?
ぐるぐると悩んでいると、オーさんが眩しい笑顔で、
「ユキ、やまもり」
コト、と私の目の前に器を置いた。それは、まさに山のように具が盛られている。箸でつついたら崩れてしまいそう。
「こ、これは山盛りというより、メガ盛り…しかも、どうやって食べたらいいの…」
悩みも一旦 投げ捨てる程の衝撃を受けた私は、箸を持ったまま固まった。
「食べるのムズカシイ?それなら、わたしのスプーン貸してあげる」
箸に不慣れなオーさんには、彼用にスプーンを渡していたのだ。
「あ、ありがとう」
箸よりは食べやすいかも。私はお言葉に甘えて、スプーンを使わせてもらうことにし、手を伸ばした。けれど、その手は オーさんの手に握られてしまって。あれ?と内心ドギマギしながら首を傾げる私に、オーさんは器用に私の器から具をすくって。
「口、あける」
スプーンを口許に持ってきて、私に食べさせようとしてくれた。あ、あれ?私が戸惑っていると、それに気づいたオーさんが悲しそうに眉尻を下げた。
「…食べたくない?」
「食べます!食べます!」
悲しげな目をするオーさんに、私の良心が咎められる。外国では、あーんも軽いノリで他人に してあげちゃうのかもしれない。どうせまだ未使用のスプーンだし。ええい、やってしまえ!
私は意を決してスプーンに かぶりついた。
「はふ、熱い…でも、美味しい!」
だし汁がよく しみた熱々の具が本当に美味しくて、つい笑顔になる。私につられてか、オーさんも嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、悩んでも仕方ないか…めったにない イケメンとのお食事会に運良く参加できたとでも思って、今を楽しもう。
と、私は雑念を振り払い、目の前の鍋とオーさんを楽しむことにした。
「オーさん、スプーンありがとう。今新しいスプーンを…」
「ナベ、オイシイ!初めて食べました!ところがトテモ オイシイデスネ!」
オーさんは、すでに すごい勢いで具を掻き込んでいた。あ、そのスプーン、私がガッツリかぶりついたスプーンなんだけど。…いいのかな?
…もしかして、外人は そういうの気にしない?そういえば、キスが挨拶なんだっけ。じゃあ、スプーン使い回しを気にする私って、オーさんからしたら神経質なのかな?
うわあ、異文化交流って難しい。身近に外人が居たためしがないから、どう扱っていいのかさっぱりだ。
私は とりあえず、何事もなかったような顔をして食事を続けた。予期せず間接キスというイベントに遭遇してしまい、心臓ばっくばくでチキンな私は、自分の心臓の為に オーさんとスプーンが なるべく視界に入らないよう、鍋をガン見しながら食べた。
それなのに、途中、オーさんが何度も「これオイシイ!ユキも ドウゾ!」と スプーンを口許に持ってくるので、かなり困った。断りきれずに、何度か口に押し込まれた。もちろん、例のスプーンごと。
間接キスは、よせ鍋の味。果たして、これを間接キスと呼べるのか疑問なくらい色気もヘチマも ないものだったけれど、私は終始ときめきながら鍋をつついたのだった。
それから、なぜか オーさんは二日も空けずに私の家にご飯を食べに来るようになった。そして、最近は オーさんに連れられて美味しいものを食べに行くのも人生の楽しみに なりつつある。いつも料理を作ってくれる私への お礼という名目で、オーさん提供による 「お取り寄せ」なるプチ贅沢も体験してしまった。家に居ながらにして各地の美味しい名産物や絶品スイーツが食べられるのだ。あれは素晴らしいご褒美だ。やみつきになってしまう。
オーさんを拾ってから しばらく経ったけれど、相変わらず手を繋がれたりスプーンを押し込まれたりしている。最近は抱き枕としての需要もある様だ。一人でベッドに入ったのに、朝起きたら オーさんに抱き締められているという状況が よくある。心臓に悪いから、本当は 控えて欲しいんだけれど…目を覚ますと暖かい腕に抱き締められているというのは 存外嬉しいもので。あんまり文句は言っていない。それにオーさん曰く、「ユキは わたし専用なので、マーキングをしてイマス」ということらしい。
―――もはやオーさんは、私を女ではなく、お気に入りのテディベアくらいに思っているのだろう。でなければ、さすがに成人過ぎた男女が朝まで同じベッドの中で過ごして、何もないなんてあり得ない。私は 男性との そういう経験が まだないけれど…テレビでもドラマでも、一緒のベッドに居たら間違いを犯したとかって、よくある?話だ。それなのに私たちときたら、何度も何度も一緒のベッドに寝ているのに、なーんにもない。朝起きて、多少私の寝巻きが はだけていた事は あったけれど、私の寝相が悪いからだろうし。
合鍵を渡しあう間柄でありながら、こんなに色気の ない関係というのも、なかなか珍しいんじゃないだろうか。
何はともあれ、私は色気は ないながらも笑顔とスキンシップ満載の日々を送っている。なんだか、大型犬を拾った様な心境だ。多分、オーさんは私を美味しいご飯を一緒に食べる友達、「飯友」だと思っているのだろう。最初は あまりにも女として見られていなくて落ち込んだ。けれど、最近はそれでもいいかと思う。友情であっても、好きな人と一緒に美味しいものを食べて、笑っていられる。なんて素敵な日々。食べることだけが生き甲斐の私の人生に、オーさんという嗜好品が追加されたような感じ。…ちょっと恥ずかしいことを言ってしまったかな。照れる。
たくさんご飯を一緒に食べるようになって、飯友の私たちは かなり仲良しに なった。まあ、気づいたら毎日ご飯を二人分作るのが当たり前になっていたし、オーさんは私の部屋に来ると「タダイマー」と言って笑顔で玄関のドアをくぐる。誰かに面白いジョークを教えてもらったみたいだ。
一昨日なんて、お取り寄せした北海道の有名スイーツ店直送のレアチーズケーキが美味しすぎて悶絶していると、「今度、北海道にリョコウ行きマショウ。他の有名スイーツもたくさん、チェックしました。キレイなホテルも見つけたのデス!ぜひ二人で行くべきデス!」と異様にワクワクしたオーさんに、旅行とは名ばかりのグルメツアーに誘われた。
これは行くしかない。レアチーズケーキは すっごく楽しみだし、他の美味しいスイーツもいっぱい食べたいし、キレイなホテルも心惹かれる。今から旅行代とホテル代を貯めておかなければ。ああ、すっごく楽しみだ、グルメツアー。昼は食べ歩きして、夜は泊まったホテルの私かオーさんの どちらかの部屋で、その日に買ってきたお菓子で まったりするのもいいかもしれない。…よく一緒のベッドで寝ている私とオーさんだけれど、さすがに旅行先でのホテルの部屋は別にしないと。うん。
また潜り込まれて、朝には一緒に寝ているかも知れないけれど、気持ち的には部屋を別にするのは必要な事だ。
うんうん、と頷いていると、私を見つめる視線に気づく。視線の先を見てみれば、心配そうに私を見るオーさんと目があった。さては、グルメツアーに一人で行くのがさみしいから、私の返事を待っているんだな。とりあえず、オーさんを安心させるために、私は ニコッと笑ってみせ、「行きましょう!絶対行きましょう!」とテンション高く拳を突き上げた。オーさんは嬉しそうに目を細めたが、一転して表情を引き締めた。
「…ホテル、朝までイッショのネドコ。約束して。…それでもイイ?」とオーさんお得意の犬のような目で私を見てくる。たまにオーさんの日本語が分からないときがある。今もそうだ。朝まで、一緒のネドコ…ね、寝床…?今までだって、オーさんが潜り込んでくるから朝まで一緒の寝床じゃないの。というか、やっぱりホテルでも私のベッドに潜り込む気満々なのか。
でも、一緒の寝床って、今さら何を言うの…?今までだって一緒に寝て何もなかったんだから、ホテルでも何もないと思うんだけど。
…今ひとつ彼の言いたいことが分からない。朝まで…ん、朝まで?ああ!もしかして、私とオールで騒ぎたい、とオーさんは言いたいのだろうか。なんだ。そんなのは もちろん大歓迎だよオーさん!
私は笑顔で オーケーサインを送る。そうすると、オーさんは 少し照れた様に顔を赤くして、とても嬉しそうに笑った。
可愛い、オーさん…!そんなにオールしたかったんだ。早く言ってくれれば、いつだって…って訳にはいかないけど、都合がつけば、朝まで一緒に騒いだのに。やっぱり、オーさん 可愛いなーと思っていたら、彼に正面から抱きつかれた。
耳元で「ジ……エル…カ…、…イ」とオーさんが何か囁いたけれど、発音がネイティブ過ぎて私には ほとんど聞き取れなかった。聞き流す英会話とか あるけれど、本当に右から左で何を言ったのか全然頭に残らなかった。もう一回言って、とねだったら、「わたし、今トテモ恥ずかしい。ので、もう言いマセン」と大きな手のひらで顔を隠してしまった。おいおい、そんな恥ずかしいことを人様に言ってくれるなよ、と思ったけれど。顔が赤いオーさんの可愛さに免じて、頭を撫でることで許してあげた。
「じゃあ、絶対 いつか教えて下さいね」と、指切りをして にこやかに交わした約束が、その後の私の命取りになるなんて、誰が思っただろうか。
その恥ずかしい言葉の意味は、これから色々あった後に知ることに なるんだけれど…
美味しいご飯やデザートで餌付けされて、一晩中抱き締められてオーさんの匂い?をつけられマーキングされて、知らないうちに外堀までガチガチに固められて完全に逃げ道を失っていた私。
そんな間抜けな私は、やっと行く事ができたグルメツアーでのホテルにて、オーさんに 「ユキ…約束、デシタヨネ」という色気駄々漏れの妖しい笑顔と一緒にベッドに押し倒されて のし掛かられて、 何度も何度も降ってくるキスに翻弄され…本当に大型犬並みにケダモノになったオーさんに、終始その言葉を囁かれながらキャーな事をされたのだった。
ベッドに小さくなって眠る、愛しい存在を優しい眼差しで見つめながら、オーヴェ・ベールヴァルドは柔らかな髪を手に取り、そっと口付けた。
「やっぱり、ユキは いつでもオイシソウ…」
オーヴェは、彼女が極上のデザートに見えてならなかった。初めて彼女を目にしたあの時、オーヴェの全身に 甘く狂おしい衝動が走ったのだ。私を見て。私に口付けて。私の総てを受け入れて。そう、本能が叫んだ。オイシソウ、と口を突いて出た言葉を彼女がうまい具合に勘違いしてくれたので、それを利用して、優しい彼女の懐に潜り込んだ。彼女を狙う獰猛な目を一瞬で隠して笑みを作る。彼女に決して警戒されないよう、彼女が望む“優しくて笑顔が可愛い男”になる。
彼女が安心し 信頼を寄せてくる度に、もう少し、もう少しだ、と己に言い聞かせて牙を隠す。
デザートは最後に残しておく。幼い頃からのオーヴェの癖だ。しかし、耐え難い程に甘く薫る彼女の香りに堪えきれず、少し味見もしてしまった。
瑞々しい果実の様に色付く彼女の唇は、本人の知らぬうちに、既に幾度も彼に奪われていた。豊かな胸元や細い首、やや肉付きの良い太ももや柔らかな腹…全身至るところまで、彼の指や舌は彼女を味わった。やがて この極上のデザートの総てを味わう日を夢見ながら、彼は味見と称して、眠る彼女を愛でた。
――――そして、やっと今。オーヴェは夢にまで見た彼女の総てを手に入れた。この目。この声。この柔らかさ。そして、この暖かさ。
なんと、甘美なことか。
「一度で気を失ってしまったが…私は まだ足りない。もっと、貴女を味わいたいよ、ユキ…」
獰猛な目をしたまま、愛しい彼女の手を取る。熱く火照ったままの己の指で、少し冷たい彼女の薬指を撫で、軽く口付ける。
「ジャー・エルスカル・デイ。意味は、愛してる…ユキ、教えてって言ったよね。ちゃんと約束果たしたからね。さっき、何度もユキに言ったけど…耳には、届いていなかったかな?」
オーヴェは、穏やかに眠る彼女を見つめ、
「やっと、捕まえた…」
彼女の冷えた指先に自身の指を絡め。うっとりと呟いた。