第69話 キラータイガー現る
吸い込まれそうなくらいに青い空は、どこまで続いているのかしら?
世界の果てまで続いているのかしら?
もしかしたら、お空の遥か上にあると言われている天国まで続いているのかもしれない。
今日は快晴で雲一つない良いお天気に恵まれた。
お天道様は元気はつらつな様子で、じりじりと私の肌を日差しでいたぶってくる。
でも時折、私の身体を撫でるように優しい風が吹き抜けていく。
実に心地の良い風だ。
熱く火照った身体を冷ましてくれるのは、ありがたい。
でも、赤茶けた大地の表面から砂埃を巻き上げて、私の足元を汚すいたずらをしてくる。
そのおかげで靴は砂埃に塗れてしまっている。
次の街に辿り着いたら、洗っておいた方がいいかもしれない。
私たちは、一本道の街道をひた歩いていた。
馬車が通った後の車輪が作り出した轍は、足を取られて非常に歩きにくい。
けれども、街道を外れるとゴツゴツとした石が転がる道なき道を歩かなければならない。
そちらの方がはるかに歩きにくいので、轍を避けながらこの街道を歩いて行くしかなかった。
荒野のど真ん中ともいえる様なこの場所の周辺にあるものと言えば、大小さまざまな大岩が転がっているだけだ。
小さいものだと子供……ニット君が隠れられるくらいの大きさの物から、大きなものは二階建ての建物くらいの大きさはある。
見通しの良い場所だけれど、盗賊や魔物が姿を隠すには、うってつけの場所ではある。
けれど、逆に言えば、小さな岩には大人数が隠れられるだけのスペースはない。
警戒すべきは、大きな岩の方だ。
身を隠せるのだから、何かが大いに潜んでいる可能性はある。
そこを警戒しながら歩いて行けば、危険はすぐに察知できる。
「あそこの大きな岩とか、身を隠せそうだから怪しいわね」
遥か前方に見えるひときわ大きな岩に視線を向けながら、私は独り言ちた。
返事は期待していない。
私の独り言でしかないから。
ニット君と手を繋ぎながら、ゆっくりと歩を進めている。
私たちの遥か先をセレスさんとマックスさんが、ともに横に並びながら先行して歩いていた。
ニット君の歩みが遅いので、それに合わせた歩幅で歩いているため、距離が離れてしまったけれど、行く先は同じなので問題はない。
目指す街は、もう見えている。
もうひと踏ん張りして歩けば、お昼頃には街には辿り着けるだろう。
少し歩くペースを上げた方が良いかしら?
そんなことを思った時だった。
「あっ……アテナ様……」
遠慮がちにニット君が声を上げた。
「?……どうしたの?ニット君?疲れちゃった?」
繋いでいる手をグイッと引っ張られたので、私は思わず歩みを止めた。
ニット君は、内股でモジモジしていた。
「あっ……あのね……おしっこしたいの……」
その言葉をなかなか言い出せなかったみたい。
でも、終には限界に達したようで、ようやく声を上げたみたいだった。
「それで歩みが遅かったのね?もっと早くに言ってくれればいいのに……そこの岩陰でしてきていいわよ」
すぐそばにニット君が隠れることができそうな小さな岩があった。
「うん……すぐ行って来る……待っててね……」
「ええ、ここで待っていてあげるから、慌てなくていいわよ」
手を離すと、ニット君はそそくさと岩陰に回り込むように走りこんで行った。
街道を街へと向かって先へと進んでいくセレスさんとマックスさんの方へ視線を向けると、すでにかなり先の方に行ってしまっている。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい?ボーヤは……?」
足を止めている私に気づいたようで、セレスさんが振り返り、大きな声を張り上げていた。
「すみません。ニット君は、おしっこしたいそうなんです。すぐに追いつきます」
私も声を張り上げて応えた。
その時だった。
「うわぁ~……アテナ様、助けてぇ~」
切羽詰まったような声が岩陰から聞こえた。
ニット君の声だということはすぐに分かったけれど、どうしたのかしら?
おしっこをしに行っただけなのに、私に助けを求めてくるなんて……?
ただ事ではない声を上げていたので、私は慌てて岩陰に回り込むように移動した。
「ひょえぇぇぇぇぇ……」
奇声をあげながら、ニット君が飛び出してきた。
ズボンは下げた状態で、おしっこをしたまま走って来た。
え~と……この子は一体、何をしているのかしら?と思ってしまった。
ものすごく慌てた様子のニット君。
でも、その状態で慌てるのは無理もなかった。
彼の背後から突如、黄色い物体が飛び出してきた。
「フガルルルルル……」
獣の唸り声が遅れて私の耳朶を打つ。
「ええっ?虎?」
私は、飛び出してきたものを目の当たりにして驚いた。
くすんだ黄色い体毛に黒い縦縞模様が目を引く生き物。
やや細身な体型だけれど、がっしりとした筋肉がその生き物の力強さを浮き彫りにしていた。
体長は一メートルくらいかしら?
ひょろっとした体格故に、そんなにも大きな感じはしない。
でも、獰猛な生き物であることは知っている。
「アテナ様ぁ~……」
ニット君は、おしっこが止まらないのか、そのままの状態で私の方へと走り込んでくる。
さすがに私は、そんなニット君を受け止めることができずに避けてしまった。
ごめんね。
「何があったの?」
私は、腰に帯びていた『聖剣エクスカリバー』を鞘から引き抜くと構えた。
視線は、目の前の虎を見据えたまま、尋ねた。
「おしっこしだしたら、あの魔物がいきなり現れたの」
それは、さすがに怖いかもしれない。
ニット君でなくても、私も慌ててその場から逃げ出すだろう。
あまりにも無防備な状態だから、襲われたらひとたまりもないことは容易に想像できた。
ニット君は剣を抜いて対応することもできず、慌てて声を張り上げながら戻って来たというわけね。
「ニット君は離れていて」
私達の様子を窺いながら、虎はやや前傾姿勢でいつでも飛び掛かれるような体勢をとっている。
相手に優勢を取られると不利になりえる。
だから、先手必勝。
私は、意を決して飛び出した。
この間のキマイラと比べれば、体長ははるかに小さい。
襲るるに足らずとまでは言わないけれど、あの時のように恐怖で身体が動かないということはなかった。
それはニット君を守らなければならないという思いが強くあったからだとも思う。
一気に間合いを詰めて上段から白銀の刀身を持つ『聖剣エクスカリバー』を力いっぱいに振り下ろす。
虎は、素早い動きで私の右手側へと回避していた。
躱されることくらいは予想していた。
私自身、そんなに強くないことは自覚している。
一撃で相手を倒せるなんて、逆上せ上るほど自信過剰でもない。
連続で攻撃を繰り出して、一つでも当たればいいという思いで剣を振った。
二撃目、三撃目もあっさりと躱されてしまった。
ニット君は、まだおしっこが止まらないみたい。
無防備なニット君に虎が襲い掛からないようにしなくては。
私に注意を向けさせるように、虎に向かってさらに攻撃をかけていく。
でも、紙一重のところで、躱されてしまう。
相手の動きが素早いというほどでもない。
私の動きが見切られているのかもしれない。
「当たらない……」
つい声が漏れてしまう。
やはり、私の攻撃が単調すぎるのが原因かもしれない。
セレスさんやマックスさんから何度もそんな指摘は受けている。
変化にとんだ攻撃で相手を翻弄させて、本命の一撃を放つ。
それができればいいんだろうけれど、今の私には無理かもしれない。
でも、そうは言ってはいられない。
セレスさんとマックスさんは、私たちのことに気が付いたみたいで慌ててこちらへと引き返してきてくれている。
でも、それなりに距離が離れているので、もうしばらくは一人で何とかするしかない。
「当たって」
祈るように叫びながら、横へと剣を薙ぎ払った。
虎は驚くべき身体能力を見せ、飛び上がって躱していた。
私の頭上を軽く飛び越えていく。
「このぉぉぉぉ……」
薙ぎ払いの勢いそのままに、一回転するように無理矢理に身体を捩じり、私は『聖剣エクスカリバー』を頭上高くへと振り上げた。
黄色い体毛にパッと赤が散る。
『聖剣エクスカリバー』の切っ先が僅かに左後ろ脚に当たった。
そうは言っても掠り傷程度でしかない。
虎は、地面に着地すると同時に、漆黒の双眸に怒りを纏い、私を睨み据える。
間髪入れずに飛び掛かって来た。
無理な体勢で攻撃を仕掛けた私は、体勢を整えることができなかった。
咄嗟に取った行動は、右手で握った『聖剣エクスカリバー』の刀身を左手で掴んで自分の身体の前へと突き出して防御の体勢をとったことだった。
『聖剣エクスカリバー』の鋭い刃は私の手を傷つけることはないので出来ることだ。
普通の剣であったのならば、そんなことをしたら刀身を握った左手は血塗れになっていたことだろう。
飛び掛かって来た虎は、『聖剣エクスカリバー』の刀身を鋭い牙でくわえ込み、そのまま覆いかぶさって来た。
地面に背中から倒れ込み、「うっ……」と私は苦鳴を漏らす。
私は組み伏せられてしまい、虎の顔が間近に迫る。
獣独特の強烈な臭いが鼻腔を突く。
実に不快な獣臭だった。
両手で力を入れなければ、耐えられなかったと思う。
「ううう……」
両手で『聖剣エクスカリバー』を握っているので何とか耐えていられるけれど、徐々に押し込められている。
徐々に虎の牙が私の顔に迫って来た。
ものすごい力のため、押し返せれない。
こんなところで終われない。
私は、まだまだ生きていたい。
ニット君とともに旅を続けていきたい。
その思いが強くあったから、押し返そうと踏ん張れた。
ありったけの力を込めて踏ん張った。
腕がプルプルと振るえだし、押し切られてしまいそうだった。
「もうダメ……」
諦めの声が漏れてしまった。
「アテナ様から離れろ」
ニット君の声が張り上がった。
それと同時に、虎は咥えていた『聖剣エクスカリバー』の刀身から口を放し、私の上から飛び退いていた。
見れば、ニット君が手にしていた『エアブレード』で、虎の尻尾を切り落としたようだった。
彼の足元付近に黄色と黒縞模様の切り落とされた尻尾が落ちていた。
飛び退いた虎は、私からやや離れた位置に着地し、ニット君の方に顔を向けた。
虎の双眸に、憎悪の色が濃く表れていた。
「ガルルルル……」
喉を鳴らしながら、ニット君に飛び掛かろうとしていた。
ニット君は『エアブレード』を身体の真正面に構えて防御の姿勢をとっている。
おしっこは終わったみたいね。
でも、ズボンはしっかりと穿いてからにしようね。
ズボンを下げた状態のままになっていた。
さすがにかっこ悪すぎよ、ニット君。
そんなニット君に向かって、虎は飛び掛かった。
その末路が、どうなるかは私には予想がついた。
だから、素早く立ち上がった。
虎は、ニット君の眼前で見えない壁にぶつかっていた。
『エアブレード』が発生させる風の壁によって阻まれたのだ。
飛び掛かった虎は押し返されて、空中でバランスを崩しながらも身体を器用に捩じって体勢を整えようとしていた。
そこへ私は白銀に煌めく長剣を突き出す。
『聖剣エクスカリバー』の柄を両手で握りしめて、力いっぱいに突き出した。
白銀の刀身は、背中から黄色い体毛を易々と貫いた。
けれど、風の壁によって弾かれた虎は私の方へ覆いかぶさるように迫ってくる。
私は咄嗟に柄から手を放し、横へと身を躍らせる。
刹那。
驚愕の表情をしながら、虎は背中に『聖剣エクスカリバー』が突き刺さったまま、急激に下方向の力に引っ張られるように地面に落下していく。
私の手から離れた『聖剣エクスカリバー』は重さを増し、ズドンと大きな音を立てた。
虎の胴体は、貫いた『聖剣エクスカリバー』にグシャリと圧し潰されていた。
二、三度手足がバタついたけれど、すぐに動かぬ躯と化した。
ぐったりとして動かない。
「倒した……の?」
安堵の吐息とともに私は声が漏れた。
「怪我はないかい?二人とも」
セレスさんとマックスさんが、ようやく戻って来て声を掛けてきた。
「私は大丈夫です。ニット君は?」
地面に倒れ込んだこともあり、服が汚れてしまったけれど、怪我という怪我はしていない。
「僕も大丈夫だけど……ズボンが濡れちゃった……」
『エアブレード』を鞘に戻しながらニット君は、ちょっと半べそをかいていた。
「なんて格好をしているんだい?ボーヤ?」
「下半身丸出しじゃねーか?」
セレスさんとマックスさんは呆れたような表情をしていた。
「だって……おしっこしだしたら、いきなり魔物が現れたんだもん……」
さすがに自分の格好を情けないと思ったのか、ニット君はそそくさとズボンを上げていた。
おしっこしながら走ったために、ズボンはぐっしょりと濡れていた。
これは、お洗濯をしないとならないわね。
けれど、ここではできないので、街に辿り着くまでは濡れた状態で我慢してもらうしかなさそうね。
「まあ、そういうことならしょうがないかねぇ~」
「しかし、獰猛虎相手に二人でよくやったな」
物言わぬ躯と化した虎……獰猛虎って言うのね、この魔物は。
その獰猛虎に歩み寄り、マックスさんはつま先で突いていた。
「獰猛虎……?でしたっけ?凶暴な魔物なんですか?」
私は尋ねる。
「ああ、こいつはCランククラスの魔物だねぇ~」
セレスさんがそう言ったので、私は驚いた。
Dランクの冒険者である私とニット君がCランククラスの魔物を退治してしまうなんて。
私達ってこれまでの旅の中で様々な魔物と遭遇して戦ってきたこともあり、自分たちで思っていた以上に意外と強くなっていたのかしら?
何て……そんな自惚れに浸る間もなく、「獰猛虎の子供だな。やせ細っている上に、かなり小さいぞ、こいつは」とマックスさんが言った。
「えっ?獰猛虎って、もっと大きいんですか?」
「そうだねぇ~、倍以上はでかいよ」とセレスさんが言った。
嘘でしょう?
倍以上もの大きさなんて……。
この子供の獰猛虎に組み伏せられただけでも押し返せれなかったのに、この倍以上の大きさの大人の獰猛虎になんて襲われでもしたら、私とニット君では到底勝ち目はないかもしれない。
「だが、子供の獰猛虎が何でこんなところに一匹だけでいるんだ?」
「群れから放り出されたか、はぐれちまったんじゃないかい?」
それで私たちと遭遇してしまい、襲い掛かって来たのね。
こんなのが群れでいたらと思うと恐ろしくなってしまう。
しかも、私とニット君で退治した獰猛虎の体長の倍以上もあるなんて考えたら、尻込みしてしまう。
「ほえ?アテナ様、あそこ見て」
突然、ニット君が大きな声を張り上げた。
彼に視線を向けると、ある一点を指さしていた。
そちらへと視線を向ける。
セレスさんもマックスさんも同じだった。
「なっ?」
「やっぱり、群れでいたか……」
「はぐれただけのようだったねぇ~」
ニット君が指をさしていたのは、少し離れた場所に佇む大きな岩の上。
そこにいたのは、くすんだ黄色い体毛を持つ獰猛虎たちだった。
それも六頭もいる。
どれもこれも私たちが退治した個体よりもはるかに大きな体格をしている。
「大人の……獰猛虎ですか?」
「ああ、間違いなくそうだろうねぇ~」
「こいつよりも、はるかにでかいな」
マックスさんは、足元に転がっていた子供の獰猛虎を靴のつま先で突いた後、背負っていた大剣……『ドラゴンバスター』を抜き放った。
セレスさんも戦う気満々の様子で、両太腿に括り付けた鞘から刀身に魔法石が埋め込まれた短剣……『白銀の刃』と『黒鉄の刃』を両手に持って構えた。
ニット君も腰に下げていた小剣……『エアブレード』を身体の正面に抱え上げて構えなおす。
私は子供の獰猛虎に突き立てたままだった『聖剣エクスカリバー』の柄に手を伸ばすと、一気に引き抜いた。
獰猛虎のどす黒い体液に刀身が塗れていたけれど、その場で一振りすると、その体液は飛び散って地面を赤黒く染めた。
『聖剣エクスカリバー』には、血の一滴すら残ってはいない。
くすみも汚れもなく、何事もなかったかのように白銀の刀身は美しく煌めいていた。
「嬢ちゃんとボーズは無理するなよ」
「そうだねぇ~。その子供の獰猛虎とは比べ物にならないくらいな相手だからねぇ~。ぶちのめすのは、あたいらがやるよ」
マックスさんもセレスさんも楽し気に口元を歪めていた。
やる気満々な様子だった。
私は息を呑む。
まともに戦えるとは思っていない。
けれど、戦わなければならない。
負けない戦いをするだけだった。
「ガオォォォォ……」
獰猛虎の一匹が吠えた。
それが開戦の幕開けの合図だった。




