ソフィアに言われたこと
お昼過ぎに始まった手術は、夕刻を過ぎて、夜となり終わった。
医師たちが、無事に血腫を取り出したことを奥様とソフィアに報告する。トレイの上にのせられた血腫は、間違いない証拠になった。
わたしは安堵で、大きく息を吐きだす。
よかった。
宰相閣下が助かってよかった。
殺されなくてよかった!
シェリルが、握る手にギュっと力を込める。
わたしも強く握り返した。
見つめ合う。
「がんばったね! リオーネ、がんばって研究した成果だよ」
わたしはシェリルに褒められて、不覚にも涙を溢してしまう。
間違いだったらどうしようという不安から解放されて、立っているのも億劫に感じるほどの疲労に襲われていた。
「シェリル、帰りましょう」
早く帰ってベッドで寝たい。
二人の医師が、縫合などをする作業に移っている。
ソフィアが、医師の一人を質問攻めにしていた。
「お父様は助かるの?」
「助かります。後遺症が残るかもしれませんが、助かりました」
「本当に? 後遺症とはどんな?」
「それはまだこれから……口が動かしづらくなるとか、歩くのが難しくなるとか、まだわかりません。これから、回復をお手伝いしながらお調べします」
「それは治るのね?」
「訓練が必要でしょうけど、治ると思います」
わたしはシェリルに促され、静かに宰相閣下の寝室を出た。
廊下を歩きながら、さきほどの光景を脳裏に描く。
宰相閣下が助かるとわかった時の、奥様とソフィアの表情。
わたしは、二人にあの表情をさせてあげられる医師たちはすごいと思った。
もっと研究して、いつかわたしも……人助けをしたい。
- We're through. -
三月二十九日。
宰相閣下の屋敷で、初めて魔法で頭部の異常を確認した翌日の午後、そろそろ帰ろうかと資料や標本を片付けていると、仕事場の扉が開く音が聞こえた。
部長は大学に行っていてわたしが一人なので、応対せねばと扉へと視線を転じると、ソフィアが立っている。
……いや、お父さんは無事だったじゃん!?
宰相閣下、助かったんだから攻撃はしないで!
立ち尽くすわたしに、彼女はスタスタと近づいてくると、目の前で、いきなり土下座をした。
「え?」
思わず、声が出ていた。
「お父様を助けてくれて、ありがとうございました。わたしが貴女にした無礼の数々を、お詫びします。本当にごめんなさい」
彼女はそう言い、顔をあげない。
わたしは両膝をつき、ソフィアを助け起こす。
彼女は目を真っ赤にしていた。
「リオーネどの……ひどいことをしたわたしを許して。お父様を助けてくれて、本当にありがとう」
「ソフィア様、もう頭をあげてください」
「わたしは……わたしは王弟殿下を取られたと思って、嘘をついて……貴女の邪魔をしていたの。王弟殿下が、貴女をとても優しい目で見ていたから、それに嫉妬して……」
「ソフィア様、査問委員の方々から聞いていませんか? ケイロス殿下がわたしを恋人のように扱うのは演技なのです……バルバロス殿下から、わたしを守るために」
「……え?」
わたしは彼女を椅子に座らせ、香草茶を注いだカップを差し出した。
「まだ温かいです、どうぞ」
「……ありがとう」
わたしは、椅子に座った彼女の横に膝をついたけど、彼女はわたしを立たせ、自分の隣に座らせた。
わたしは、ソフィアに真実を話す。
過去、王立大学の幼年学部に入学した時、バルバロス殿下から壮絶なイジメを受けていたこと。
ひどい仕打ちに気付いた大学の教授が、わたしを守るために新しい名前をくれて、養女にしてくれたこと。
実の両親は故郷にいて、手紙のやりとりはしているし、長期休暇の時に会っていること。
大学で研究をしていたが、軍の要請で仕事場を軍の本部建物に移したこと。
ここで、バルバロス殿下に見られ、彼はわたしの正体がわからないまま、好きだ惚れたと騒いでいること。
断りきれず舞踏会に参加し、拒否感と過去の恐怖が蘇ったことで気絶をしたわたしは、王弟殿下に運ばれたこと。
そして、王弟殿下はわたしの研究を認めてくれて、バルバロス殿下がわたしの邪魔をしないよう、恋人のフリをしようと決まり、ずっと演技をしていたこと。
「なので……ケイロス殿下はわたしのことをなんとも想っておられません。ソフィア様、大丈夫ですよ」
「……嘘よ」
疑い深いなぁ……もう!
「嘘よ、リオーネ……ケイロス殿下が貴女をなんとも思っていないこと、貴女が殿下をなんとも想っていないこと、そのふたつは嘘よ」
「……え?」
「わたくしはわかります。貴女が殿下を見る時の目、表情……わかりました。そして、貴女に見られて、貴女を見つめ返す時のケイロス殿下の表情……かける声……わかります。だから、わたくしは貴女に嫌がらせをしたのよ」
「……」
「見縊らないでちょうだい。わたくしは演技に騙される愚かな女ではないわ。リオーネ、正直に教えて……王弟殿下を、男性として、お慕いしているのでしょ?」
わたしは、答えることができない。
ソフィアは、そこで香草茶を飲み、立ち上がった。
「美味しいお茶、ありがとう。リオーネ……お父様のこと、本当にありがとう。心から礼を言うわ。そして、これまでの自分の行いを心から詫びます。だから、困ったことがあったら言って……わたくしは貴女の味方よ……恋の応援はできないけれど」
「……ソフィア様」
「邪魔をしました……失礼します」
彼女は、深々と頭をさげると、仕事場を出て行った。
わたしは、ひとり残される。
ソフィアに言われたことが、頭から離れない。




