第3話
「よし」
日曜日の朝。
僕は鏡の前で頷いた。
目の前には、きれいに髪の毛をセットした自分の顔が映っている。といっても、たんに目元が隠れがちな前髪を横へとなでつけただけだが。
黒いスラックスのズボンのポケットに入れたスマホを取り出し、何度もメッセージを確認する。
「小説家になろう」のメッセージボックスには、大人気のなろう作家「ひゅうがあおい」のメッセージが立て続けに入っていた。
『冴木くんですか?』
その言葉から始まるメッセージは何十件にも及び、そして
『今度、会えませんか?』
となっている。
そう、僕はこれから「ひゅうがあおい」もといひまわりの元へと向かうところだ。
最後に別れてから20年。
お互いに30歳になっている。もしかしたら、彼女はもう結婚しているかもしれない。子供もいるかもしれない。
彼女はどんな顔をするだろう。
喜ぶ? 懐かしむ? それともがっかりする?
僕は緊張感に包まれながら、指定された都内の小さな喫茶店に向かった。
意外と近くに住んでいたことに、内心驚いていた。
店内はまだ昼前にも関わらずけっこう混んでいた。
小さなカフェテーブルが、ほとんど埋まっている。こんな中で20年前の幼馴染を見つけることなど出来るだろうか。
そう思っていると、すぐ脇のテーブルに座る女性から声をかけられた。
「冴木……くん?」
目を向けると、そこにはメガネをかけた落ち着いた服装の女性が座っていた。
「ひまわり……さん?」
僕の言葉に、彼女は「ぷっ」と笑った。
「ひまわり“さん”だなんて、冴木くんの口から初めて言われた」
そこにいたのは、やっぱりひまわりだった。
セミロングの髪に、ふっくらした頬、人懐っこそうな目は当時のままの面影を残している。
僕はがっかりされなかったことにホッとしながらも、向かいの席に座った。
いつからいたのだろう、彼女は読んでいた本にしおりを挟んでバッグにしまい込んだ。
「久しぶりだね、冴木くん」
「そうだね、20年ぶりだ」
当時の子どもっぽいイメージしかなかった分、こうしてグッと大人びた彼女を見るとドキッとする。
ひまわりは店のメニューを見せつけながら僕に聞いてきた。
「冴木くん、何飲む?」
「えと……コーヒー」
「おっ、大人っぽい」
「大人だよ」
クスクスと笑い合う僕らは久々に会ったというのに、ついこの間まで一緒だったかのような自然な感じだった。
それがとても嬉しかった。
すぐにやってきた店員にブレンドコーヒーを注文する。と、さっそく彼女が尋ねてきた。
「ねえ、冴木くんて今、何してるの?」
身を乗り出す彼女は、興味津々といった表情だ。
おそらくずっと聞きたかったのだろう。
僕は少したじろぎながらも答えた。
「イラストレーター。バイトしながらだけど」
「え! すごい!」
ひまわりは目を見開いて本当にびっくりしたかのような顔をしていた。
そんなにすごいだろうか?
他のイラストレーターに比べたら、まったく売れてないほうだ。主な収入源はバイトだし。
そろそろ、本格的に就職しないとヤバいと考えている。
「冴木くん、昔っから絵うまかったもんね」
「そうだっけ?」
「そうだよ。低学年の絵画コンクールで金賞とったじゃん」
「覚えてないよ」
苦笑しながら、僕は店員が運んできたブレンドコーヒーに口をつける。
ほのかな苦みがおいしかった。
「覚えてるのは、クラスのみんなといろいろバカやってたことくらいだ」
「“悪ガキ”だったもんね」
「その呼び方、恥ずかしいからやめろよ」
むすっとすると、彼女は「くくく」と嬉しそうに笑った。
「すごいといったら、ひまわりのほうがすごいよ。まさか小説家になろうのひゅうがあおいがひまわりだったなんて。いろいろと読んだけど、どれも面白かった」
僕の言葉に、爛々と目を輝かせていた彼女がとたんに顔を真っ赤にしてうつむいた。
「あ、ありがと……」
「『灰色のかなたに』とか『未知なる記憶の底』とか最高だった」
彼女の作品名を口にするたびに、彼女の身体がどんどん縮こまっていく。
今度は逆に僕が「くくく」と笑う番だった。
恐縮する彼女を見ているだけでも面白い。
「特に面白かったのは『永久のキズナ』かな」
「そ、そんな昔の作品まで読んだの!?」
「昔の作品って……1年前だろ? 連載の頃から読んでたよ」
「ひゃああぁぁっ!」
ひまわりはメガネの下に手を入れて恥ずかしそうに首を振った。
「恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい……」
「あははは、そんなに恥ずかしがるなよ」
恥ずかしがる仕草が昔のままで僕はなんだか妙に嬉しくなってお腹をかかえて笑ってしまった。
「嫌よ、恥ずかしい」
ふるふる震える彼女を笑いながら眺めつつ、僕はコーヒーを口にふくむ。
まあ、確かに彼女が恥ずかしがるのも無理はない。
『永久のキズナ』はその名の通り、べたべたなラブストーリーだからだ。
悠久の時を生きる魔法使いの青年が一人の女子高生と恋に落ち、永遠の命を手放して彼女と共に生きる決意をする、という物語だ。
当時は「たった一度の恋で永遠の命を手放すなんて有り得ない」という批判もあったが、終わってみれば輪廻転生を繰り返しながら二人は永遠につながっていくというロマンあふれる終わり方で、かえって多くの読者が涙した(と思う)。
僕も、まさにその一人だった。
「泣きました」という感想が溢れかえる中、僕も「すごくよかった」と普段書かない感想を送ったのを覚えている。
「でも『永久のキズナ』からだな、ひゅうがあおいの作品を見かけたら読むようになったのは」
僕はお気に入り登録はあまりしない。
新着小説に出てくる作品で面白そうなタイトルとあらすじを見かけたら読むというパターンで、もしかしたら読み専としては珍しいタイプなのかもしれない。
だからこそ、あまり作者名は覚えないのだが、ひゅうがあおいの名前だけは印象にのこっていた。
「あ、ありがとう……」
ようやく恥ずかしい気持ちから解放されたのか、ひまわりは顔から手を離して礼を述べた。
「でも冴木くんが読み専だったなんてね……」
「それはこっちのセリフだよ。まさかあのひまわりが小説家になろうで有名な作者だったなんて。この前の作品もランキングに乗ってたじゃん」
「そんな、たまたまだよ……」
「出た! 人気なろう作家あるある。“たまたま”。たまたまなもんか。たまたまでランキングに乗ったら、ランキングに乗らなかった人が可哀想だよ」
「あ、うん、そうだね。ごめん」
しゅん、となるひまわり。
なんにでも素直に受け止めて、悲しい顔をすると眉毛がへの字になるところも昔のままだ。
「ところでさ、ひまわりは今、何をしてるの?」
僕はコーヒーを飲みながら尋ねた。
「私は……、何もしてない」
「何も?」
「冴木くんと同じ。プー太郎」
「ちょ、僕はプー太郎じゃないよ! イラストレーターだって!」
「あははは、わかってる。冗談冗談」
メガネを外しながら目じりを抑えて笑うひまわりに、僕は不思議な感覚を覚えていた。
こんな冗談を言う子だったっけ?
「でも今は本当に何もしてないんだー。バイトはしてるのよ。でもちゃんと働かなくちゃね」
ひまわりはメガネをかけ直すと「はあ」とため息を吐く。
僕もそれに同調しながらうんうんと頷いた。
「今はどこも厳しいからね。就職は難しいよ、ホント」
「あれ? イラストレーターなのに就活してるの?」
「主な収入源はバイトだから」
「やっぱりプー太郎じゃん」
ブーと頬を膨らませる僕に、彼女はクスクスと笑う。
「お互い、いいところに就職できたらいいね」
「ほんと……」
僕らはそのまま、まったりと喫茶店の椅子に寄りかかり、当時の思い出を語り合った。
ひまわりは、ガキ大将から奪い返した宮沢賢治の本をバック取り出すと、まるで宝物のように僕に見せてきた。
「ほら、ここ。冴木くんが必死につかんでたから手のあとがついてぐしゃぐしゃになってる」
「これ、本当に僕の手のあと?」
「10歳くらいの手じゃない? 小さいし」
「いや、僕より小さいヤツいっぱいいたよ」
「でもこの本を最後に持ってたのは冴木くんだし」
「うーん、わかんないなあ」
ひまわりはその本を大事そうにバッグにしまうと、胸に手を当てて礼を言った。
「冴木くん、遅くなったけど本当にありがとう。この本を取り返してくれて」
「いや、まあ、あの時は僕も無我夢中だったから……」
恥ずかしくなって僕はコーヒーを口に含む。
「あの時から、冴木くんは私にとってのナイトよ」
思わず僕は「ぶほっ」とむせた。
「恥ずかしげもなく、よくそんなこと言えるね」
テーブルに吹きこぼしたコーヒーをナプキンで拭きとりながら僕はドキドキしてしまった。
今時、「ナイト」なんて夢見がちな女の子でも使うまい。
「だって、本当のことだもん」
変なこと言った? という顔をするひまわり。
小説を書く人って、こういうことを平気で言うのだろうか。
意外と恥ずかしいヤツだな、と僕は思った。
「この前のメッセージでも……」
「うん?」
「私を励ましてくれたじゃない? ルールさえ守れば何を書いてもいいって」
「あ、う、うん……」
改めて言われると照れてしまう。
我ながら、自分もけっこう恥ずかしいヤツだった。
「あのメッセージ読んだ時ね、やっぱりって思ったの。ああ、やっぱり冴木くんは私にとってのナイトなんだって。あのメッセージがなかったら、私はまだ書けなかったと思う」
「そ、そう? いや、正直よく覚えてないけど……まあ、書けるようになってよかったよ」
覚えてなくはないが、今ここで言われると恥ずかしさのあまり穴に入りたくなってくる。
僕がドギマギしてるのがあまりにおかしかったのか、ひまわりはいたずらっぽく笑って言った。
「全部、言ってあげようか? なんて送ってくれたか。ええとねえ……」
「ひいっ、やめろ!」
慌てて耳を塞ぐ僕に、彼女は微笑みながらゆっくりと手を伸ばしてきた。
そして、耳をふさぐ僕の手をそっとどかす。
「……?」
ポカンとしていると、彼女が身を乗り出してきて耳元でそっとささやいた。
「ありがとう、私のナイト。愛してる」
甘いささやきが僕の心を落とすまで数秒とかからなかった。
ひゅうがあおい、いや、僕の幼馴染のひまわり。
僕がナイトなら彼女はプリンセスだ。
僕は自分の手を握る彼女の手を、ぎゅっと握りしめた。
お読みいただき、ありがとうございました。