9.たまたま入った喫茶店で店番することになるお話・前編
「すいませーん、ホットふたつ」
「はーい」
「すいませーん、アイスティーくださーい」
「はーい」
「すいませーん、注文いいっすか?」
「申し訳ありません。しばらくお待ちください」
「お勘定~」
「はい、ありがとうございます。400円になります。また、お越しください。あ、いらっしゃいませ、何名様ですか?」
ここは表通りから外れた裏通りにある喫茶店『RedRabbitHorse』現在、テーブルもカウンターも満員御礼で僕は息つく間もなく接客に追われた。なにせ店長以外は従業員と呼べるのは僕だけだからだ。その僕も正式に雇われた従業員ではない。たまたま入ったこの店で留守番を頼まれただけだ。初めての客に留守番頼むなんてと思われるだろう。それは……
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人間が生きていくの欠かすことのできないものが3つある。水と食料と酸素だ。このうち酸素はいくら吸い込んでも無料だ。しかし、水と食料は入手するのに料金が発生するご時世だ。つまり生きていくには稼がなければならない。僕にも盗撮画像の販売という商売があった。現役の女子高生と女教師の着替えや入浴シーンは自力で生きていかなければならない僕にとって欠かせない商売道具のはずであった。ところが、女の子になってから僕は一枚も盗撮画像を撮っていないのだ。まあ、ドタバタ続きだったせいでそんな暇がなかったのもあるが。それでちょっと落ち着いてきたこともあって、また盗撮しようと思って準備に入ったのだが、どうしたわけか体が動かないのである。体の調子が悪いとかそういうのではない。どうもやる気が起こらないのである。最初は一時の気の迷いかと軽くみていたが、撮り溜めていた物を販売するのにも拒絶反応を引き起こしてしまっているのだ。
「どういうことだ?」
最初は原因がわからなかった。いままでそんな症状が出たことはなかった。しかし、やる気が起こらないからといって動かなければ収入が途絶えてしまう。何としてでも商売道具たる女子の盗撮画像を手にしなければならない。ん?女子の…
「そういや僕も女子だった」
ナイスバディな美少女女子高生だ。自惚れもいいところだが、僕はまだ自分を客観的に見れる。未だに自分の体という意識が持てないのだ。この体なら高値で売れるぞ。
「……」
いや、やめておこう。恥ずかしすぎるし痛すぎる。自分の裸の画像を売りさばく女性がいることは知っているが僕にはできない相談だ。だって元々が女子からの好感度ワースト1位だけに、そんな自分の裸を自撮りするって我が事ながら気持ち悪い。
と、そんなわけで僕は新たな稼業を探さなければならなくなった。バイトって言ったらコンビニかな。確かイレブンPMでバイトを募集していたな。ちょっと見てくるか。服を着替えて家を出る。前は服装に気を遣うことはなかった。どんなにめかしこんでもそれで異性にモテることはないと悟っていたからだ。
そのイレブンPMにはだいたい半年ぐらい入っていない。前を通りかかったことはあるが中までは入っていない。バイト募集はどこのコンビニでもやっているが、ここだけは滅多に入らなかったので店員に顔を知られていないはずだ。もっとも女の子になってからはコンビニには行っていないのでどこにも顔を知られていないはずだが。バイト募集の広告がドアに貼られているのでまだ募集中か。これから働くことになるかもしれないので職場の雰囲気を探るのは重要だ。ドアを開けると店員の出迎えの声が…
「いらっしゃいま…せぇえええっ!?」
ずいぶんと独特な挨拶だな。って嘘っ。店員の顔を確認したら同じクラスの女子だ。なんでここに?しかも店員?予想外の事に戸惑いつつも僕はコンビニからのフェードアウトを図った。
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
慌てて店員が引き留めにきた。
「どうして逃げんのよ」
「いや、逃げたわけじゃ…」
「まあ私が変に驚いちゃったからびっくりしっちゃったんでしょうけど」
「う…うん…」
曖昧に返事をする。そうだよな。女子高生がバイトしててもおかしくないよな。
「ところで今日はどうしたの?」
「うん、ちょっと買い物に」
「だったらゆっくりしていって。そんなに品ぞろえが豊富じゃないけど」
ではお言葉に甘えてと言いたいが今日は店の雰囲気を探るために来たのだ。しかし、何も買わずに出るのが躊躇われる事態となった。何を買おう。いらぬ出費は避けたいのに。ここは無難に缶コーヒーにするか。一つ取ってレジへ。クラスメートの女子は他の客の応対をしていたので空いているレジに行く。そこには妙に緊張した面持ちの男の店員が直立不動で立っていた。そいつの前に行くと
「あ、あの!」
いきなり大声で話しかけられたのでビクッとなってしまった。なんだなんだ?
「僕、黒井雄太と言いますっ、ぼ、僕と付き合ってください!」
ポカーンとした気分って初めて経験した。いきなり自己紹介されて告白されたぞ。
「……」
「……」
男の店員は頭を下げたまま微動だにしない。僕もポカーンとしたまま動かない。意味不明すぎてどうリアクションしていいかわからない。学校で男子生徒に告白されたり街中で見知らぬ人にナンパされたりはしたことはあるが、初対面の人にいきなり告白されたことはなかった。ってか、接客中になにやってんだろう。
「ごめんなさい」
いつまでも頭を下げたままなので先に進めようと返答する。僕のことはバイト仲間の女子から聞いたのだろうが、告白しても無駄だってことは聞いてなかったのだろうか。僕が男だったことまでは知られる必要はないが。
「そうですか……」
ガッカリとした様子の店員。名前なんだっけ?忘れた。これで諦めてくれたらいいんだけど。
「あの、だったら友達からでも」
いままでの僕に告白してきた男はだいたい告白を断られるとこう言ってくるのだ。そして、それに対する僕の返答は決まっていた。
「それもないね」
「なっ……」
友達からならOKとでも思っていたのだろうか。店員はショックでフリーズしてしまった。なんかこういう友達って僕の思う友達と違う感じがするから。だからかいまでも僕には友達がいない。親しく声をかけてくれる人はあれ以来激増したが、なんか友達とは違うような感じがして。いままで友達がいなかったからか友達というものに理想像を抱いてしまっているかもしれない。まあ、それよりも店員には早く仕事にもどってほしい。
「もう何やってんのよ」
見かねた女子店員が割り込んでレジしてくれた。
「ごめんね。いつもあなたの話をしていたから」
そう…。あまり僕のこと言いふらさないでほしいな。
「だって、自慢したくなるじゃない。うちの学校にはとびっきりの美少女がいるって」
誰からにも僕は美人だの美少女だの言われる。褒められているだろうから悪い気はしないけど良い気もしない複雑な気分。それはともかく僕がこの店でバイトする可能性は微塵もなくなった。もう勘定すませて出よう。
「ありがとうございましたぁっ」
缶コーヒー片手に店を出た僕は公園に向かった。噴水のベンチに腰を落ち着かせて缶コーヒーをちびちびやりながら途方に暮れる。
「ふう…」
いきなりバケツで冷水をぶっかけられた気分だ。そうだよな。クラスメートや同じ学校の生徒がバイトしててもちっともおかしくないもんな。そんなことも事前に予期できなかった僕がおかしい。
「どうすんだよ」
頭を抱える。知り合いが誰もいない(本当は友達と言いたいところだが)バイト先ってあるかな。探せばあるか。でも、高校生が誰も寄り付かないバイトって…。
「やっぱり盗撮しかないか…」
それがやりたくなくなったからバイトを探そうとしたのだ。どうしたものかと天を仰ぐ。ふと、こちらを見ているいかにもチャラそうな二人組が視界に映った。
(こっちに来るなよ)
心の中で念じる。しかし、思いもむなしく二人組はこっちに近づいてきた。
「はあ…」
さっきとは違う溜息が出た。なんで来るんだよ。
「ねえねえいま暇?」
「よかったら俺たちと遊ばない?」
よかったらか。じゃあ、よくなかったら断っていいんだな。
「忙しい」
それだけ言って僕は立ち上がってその場から離れようとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ。さっき暇そうにしてたじゃん」
「俺たちと遊んでくれたら楽しい思いさせてあげるからさ」
楽しい思いをするのはたぶんこいつらだけだろう。ちょっとイラっとしてきた。
「いま求職活動中なんだ。あんたらに構っている暇ないよ」
「そうなの?だったらいいバイト紹介するよ。そこの店長と知り合いでさ。頼んで入れてあげようか?」
いいバイトとはどういう意味で“いい”のだろうか。こりゃさっさと退散した方がよさそうだ。
「もういいよ」
そう言って逃げ去るつもりだった。が、その前に腕を掴まれた。またか。
「なにをする!」
強引に腕を引き抜こうとしたが女になってしまった悲しさ、腕力では男には敵わない。それでもなんとか引き抜こうとするが逆に引き寄せられてしまった。男の顔が間近に迫る。マジキモい。
「離せ!」
身の危険を察した僕はなんとか男から離れようとしたが、男に体を抱きしめられて身動きできなくなった。やめろ頭を嗅ぐな。
「お、いい匂い」
「どれどれ、本当いい匂いだ」
それはクラスの女子からもらったシャンプーのせいだろう。安物のシャンプーを使っていると言ったら持ってきてくれたのだ。別にいらなかったがどうしてもと言うので受け取ってしまった。そんなことはどうでもいい。男が男に抱きしめられるってどんな拷問だよ?
「離してよ!」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃん。せっかく親切にバイト先を紹介してあげるってのに」
だったらそのいいバイト先とやらがどこか言ってよ。
「え?ええとだな…」
即答できないってことは嘘ってことじゃないか。
「う、嘘じゃないよ」
「なにやってんだ。もう面倒だからここらでやっちまおうぜ。口を塞いで茂みに引きずり込めばバレやしないさ」
ドッと汗が大量に体を流れる気がした。だが、それで相手に隙が生じた。僕の腕を掴んでいた男の力が弱くなったのだ。その瞬間を逃さなかった。僕は一気に腕を引き抜くと二人をドンと押して一目散に逃げだした。
「あ、待て」
「追うぞ」
二人はすぐさま追いかけてきたが僕の逃げ足の速さには敵うまい。
「なんて速さだあの女」
「まるでEMS-10みたいだぜ」
僕は余裕で逃げ切った。念のためにあの公園からは離れた方がいいだろう。
「ここまで来れば大丈夫かな」
とんだ災難だ。また、あんなのに絡まれるかもしれないので今日はもう帰ろうかな。と、その前に
「腹が減ったな」
時計を見ると午後1時を回っている。何か食べて帰ろうかとあたりを見回すと喫茶店が目についた。ちょうどいい、あそこにしよう。
「RedRabbitHorse?」
赤いウサギと馬?どういう意味だ?一瞬入るのを躊躇ったが、他に飲食できる店はなさそうだし。ここは裏通りだからな。この時間帯でも喫茶店の中には誰も客がいない。まあ、いいか。
後編へつづく