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10.たまたま入った喫茶店で店番することになるお話・後編

「え?あ、いらっしゃいませ」

 店内に入るとマスターらしき男性が少し驚いたあとに迎えてくれた。なんか慌てた様子だ。客が来るのを予想してなかったかのようだ。なんか時間の問題みたいな感じだ。


「お好きな席にどうぞ」

 客は僕以外にいないようなので席は選び放題だ。まあ、適当に座るが。店内を見回すと掃除は行き届いているようだ。にしてもいくら寂れた裏通りにあるからってこの時間帯に閑古鳥とは解せぬ。マスターも人が良さそうな印象だし。この店には何かがある…


「って、高っ」

 メニューを見ていた僕は目を疑った。なんだ、この値段は。おいおい、ぼったくりかよ。一気にこの店に客が来ない理由が解明された。こんな街角の喫茶店にはあり得ない値段だ。コーヒーやソフトドリンクは割と良心的な価格だが。選択の余地はない。入った以上何も注文せずに帰るのはできない。僕はコーヒーだけ頼んで帰ることにした。するとマスターが


「今日でこの店閉めることにしたからランチを無料にするよ」

「いいんですか?」

「ああ、おそらく君が最後のお客さんになるだろうからね」

 そうか、時間の問題ではなくタイムオーバーだったのか。せっかく無料で食べさせてくれるというのだからお言葉に甘えよう。そして出されたランチを食した僕は予想を裏切る味に仰天した。


「おいしっ!?」

 ぼったくりではない。この味だったらあの値段も納得だ。


「本当にこれ無料でいいんですかっ?」

 今更やっぱやめたは聞き入れないぞ。


「ああ、安心して食べてくれていいよ」

 これは思ってもいない幸運だ。こんなおいしいランチを無料で喰えるとは。これはあのチャラい二人組のおかげかもね。


「よかったらセットのドリンクとデザートもサービスするよ」

「本当ですか?ありがとうございます」

 至れり尽くせりだ。問題は場所だ。こういった一流ホテル並みの料理を出すには場所が悪すぎる。マスターがここに出店した理由はわからないが、敗退の理由はそれだろう。リサーチが足りなかったんだな。料理の腕と経営手腕は別だからな。惜しみつつも経営が続いたからってもうこの店に来ることはないだろうと

思いながら食べていると店に設置されている電話が鳴りだしてマスターが即座に受話器を取り上げた。


「もしもし、RedRabbitHorseです。…はいお世話になっております…はい……」

 なんだろう。


「え?そうなんですか…はい、わかりました。ちょっといま接客中でして終わりましたらすぐに駆け付けます…はい…どうか妻を…はい、お願いします…はい…では失礼します…」

 マスターが受話器を置いたのを見計らって尋ねる。


「どうかしたんですか?」

「いや、病院からなんだけど。妻が入院しているんだ。出産で。今日が出産予定日なんだがどうも妻の具合が良くないらしい」

「え」

 そりは大変だ。早く行ってあげてほしい。って僕が食べているうちは店を空けられないじゃないか。


「あ、こっちのことは気にしないで慌てないで食べてくれ」

 そうは言われてもゆっくりとなんてしてられない。マスターは僕が来なかったら店を閉めて病院に行くつもりだったのだ。なんてタイミングに来るんだよ僕は。こんなおいしいランチを無料で提供してくれたんだ。何かお返しをしないと。


「行ってあげてください。後片付けと留守番くらいならできますから」

 そう言うとマスターは驚いた顔でこっちを見た。


「いいのか?君にも用事があるだろ」

「いえ今日は暇です。ランチのお礼だと思ってください。それより奥さんの傍にいてあげてください」

「しかし…」

 マスターは躊躇するのもわかる。初めて会った客に店を任せるなんて普通なら有り得ない。マスターは少し考えて


「ありがとう。感謝する。制服は用意できないがエプロンはあるからそれを着けてくれ。まあ客が来ることはないだろうが来てもできる範囲で接客してくれ。最悪怒らせてもどうせ今日限りで閉店だ。気にしないでくれ」

「わかりました」

「それじゃあ頼むよ」

 マスターはウサギのように駆け出していった。よほど行きたかったのだろう。いいことをした。


「さて、エプロンをつけるか」

 客が来ないといっても仕事する格好はしておかないとな。置いてある雑誌で暇つぶしするだけの仕事だけどな。なんて思ってたら30分もしないうちに客が入ってきたじゃないか。なんだよ客なんて来ないんじゃないのか。若い男が二人だ。


「いらっしゃいませ、お二人様でしょうか?」

 仕方ないので接客する。二人の男はなぜか店に入るなりきょとんとしていたが、僕の問いにぎこちなく頷いた。僕は店を見回して灰皿がないことを確認した。


「全面禁煙となっておりますがよろしいでしょうか?」

 嘘である。二人とも構わないと言うので適当な席に案内する。


「申し訳ありません。ただいま店長が急用で店を空けておりましてドリンクのみのご提供となっております」

「じゃあアイスを」

「俺も」

 アイスコーヒー二つか。出かける前にマスターがざっと簡単なことは教えておいてくれたので、コーヒーを淹れるくらいのことはできる。


「おまたせしました」

 できたアイスコーヒーをトレイに乗せて客に提供する。


「あの……」

 さっきからこの二人はずっとぽけーっと僕のことを見ていた。最初は気にしないでおこうと思っていたが、目の前にアイスコーヒーを置かれても視線をそらさないとなるとさすがに気になる。僕が声をかけると二人は我に返って慌てた素振りでアイスコーヒーにストローを差し込んだ。注文が出そろったのを確認して引き下がる。カウンターの席に腰を掛けて二人の客が帰るのを待つ。早く帰らないかな。営業中なんだから客が入る可能性はゼロじゃない。一組くらいは入るだろう。マスターはここ数ヶ月ほとんど客足は無いって言ってたからな。それで生活できていたのか気になるところだ。まあ、それも今日限りだ。子供が生まれるらしいから奥さんと子供の為にも安定した職に就かないと。あれだけの腕前だ。一流ホテルのシェフとして雇われるはずだ。と、余所の家庭にあれこれ考えていると不意に「カシャ」っとシャッター音が聞こえた。客の方を見ると何事もなかったようにアイスコーヒーを飲んだりスマホをいじったりしている。ここには僕以外あの二人しかいないからシャッター音はこいつらの仕業だろう。何を撮ったんだろう。撮影禁止の張り紙はないから咎める気はないけど。だから早く勘定を済ませて出て行ってほしい。勘定?


「あ」

 いまになって気づくとは。飲食店において大抵の勘定は金銭登録機にて処理される。この店もそうだ。さて困った。なにが困ったか。僕はアルバイトをしたことがない。当然、金銭登録機なんて使ったことはおろか触ったことさえない。困ったぞ。閉店セールだといって僕と同じように無料にするか。しかし、マスターの許可なしに勝手なことをするわけにもいかない。


「どこかに説明書ないかな」

 手当たり次第に探してみる。あった。えっと使い方は…時折聞こえるシャッター音がウザかったがそれに耐えた甲斐あって客が勘定を払う時にはどうにか扱えるようになった。


「ありがとうございました」

 ふう、これでゆっくりと雑誌の続きが読める。もう客はこないだろう。僕を含めて二組、話を聞く限りでは今日はこの店にしては健闘したと言える。健闘を称えてやるからもう客が来ませんように。


------

 結論から言うと、客足は途絶えるどころか増えていった。どういうこと?客がまったく来ないから閉店するんじゃなかったの?徐々に席は埋まっていきとうとう満席となった。とても一人でしかも飲食店の経験ゼロの人間が対処できる状態ではない。


「早くマスターに戻ってきてもらわないと」

 そうだ病院に電話すればいいんだ。ってどこの病院だよ?困った困った。どうしてこうなった?あれか?最初のコンビニの時にバイト応募するはずがそのまま帰ってしまったからか?注文の確認から商品の提供に会計と一人でこなさなくてはならない僕はまさに八面六臂の活躍を強いられた。テーブルが一つ空いたと思ったらすぐに埋まってしまう。喫茶店ってこんな時間に繁盛するか普通。しかもシャッター音がひっきりなしでウザい。何を撮ってんだ?皆、スマホを僕に向けてカシャカシャやってる。僕を撮ってるの?店内を撮影しているかと思いきや全員が全員スマホを僕に向けている。自分がまさか被写体になるなんて思いもしなかった僕は足がすくんで動けなくなってしまった。生まれてこの方カメラに撮られることなんてなかったもんだから。だから小さい頃の僕の姿は僕の記憶の中でしか残っていない。おじいちゃんが死んだ今となっては小さい頃の僕を覚えている人間なんて誰もいないだろう。それがどうだろう。見ず知らずの人達が一斉に僕を撮りまくっているのだ。撮られ慣れていない僕にとっては異様とも思える光景で実際恐怖で足がすくんでいる。


(なんで…僕を撮ってんの?…なんで……)

 家族写真の中にさえいれてもらえなかった悲しい過去。僕はカメラに撮られることに密かな憧れを持っていた。自撮りという手段もあるが、僕は誰かに撮ってもらいたかったのだ。それが実現した形となっているが何か違う。何がどう違うか具体的にわからないから余計に怖くなる。とうとう足がガクガク震えだした。客席からは注文の声も出ている。


(逃げようか…)

 そんな考えが頭を過る。どうせ今日で閉店の店だ。その時、昔おじいちゃんに言われたことが出てきた。


「ええか、男が一度決めたことは必ずやり通せ。失敗しても構わん最後までやり通すんじゃぞ」

 そうだ。これは僕が決めたことなんだ。マスターは僕を信じて留守を任せてくれたんだ。ここで逃げたら男が廃る!……ごめんおじいちゃん女の子だったよ。でも、やり通すよ。僕の本気を見せてやる!と気合を入れなおしているとドアが勢いよく開かれた。


「ど、どういうことだ?これは!」

 マスターが慌てた様子で帰ってきたのだ。


「どういうことかね?なんでこんなにお客様がいらっしゃっているんだ?」

 マスターは興奮しているのか僕をユサユサ揺さぶっている。


「わ、わかりません。マスターこそ病院に行かれてたはずじゃ」

「あ、ああ、店の事が気になってな。子供も無事に生まれたので急いで戻ってきたんだ」

「そ、そうでしたか。それはよかった」

「ありがとう、君のおかげだ。それよりお客さんが先だ。すまないな、君一人にやらせてしまって。申し訳ないがもう少し付き合ってくれないか?」

「いいですよ」

「ありがとう」

 これで少しはスムーズに動かせる。でも、ホールスタッフは僕しかいないという状況には変わらない。僕の奮闘はまだ始まったばかりだ。


------

 というわけで、たまたま入った店で僕は初心者にしていきなりの激戦を経験してしまった。結局、客足は閉店まで途絶えることはなかった。


「ありがとうございましたぁ」

 最後の客を見送ってようやく営業時間の終了となった。


「疲れたぁ」

「お疲れ様」

 だらしなく椅子の背もたれにもたれかかった僕にマスターがジュースを出してくれた。


「ありがとうございます」

 遠慮なくいただく。冷たくておいしい。


「悪かったね。最後まで付き合わせてしまって」

「いえ、いい経験をさせてもらいました」

「そう言ってもらえると助かる。私もまさかあんなことになるなんて思いもしなかったよ。これも君のおかげだ」

「え?」

 僕のおかげってどういうことだろう。僕はただ接客していただけだ。マスターが留守の間どうにか切り盛りしたのは自分でもよくやったと思うけど、それと客が押し寄せたのとは関係ないと思う。


「そんなことないですよ。きっとマスターの努力がやっと結実したんだと思います」

 努力がどう結実したかはわからない。しかし、それ以外に今日の結果は説明できない。今日初めてこの店に来た僕が原因だなんてどう考えても有り得ない。あ、そうか、今日がんばったご褒美のリップサービスか。


「私もそう思いたいんだがね」

 苦笑するマスター。


「どうも私には商才がないようだ。子供も生まれたことだし今日をもってこの店を閉めるつもりだ」

 もったいないなと思う。最後の最後であんなに繁盛したのは神様のせめての情けか。今日のような売り上げが明日以降も続けば店を続けられるだろうに。それには今日の繁盛ぶりの原因を探らないと。


「本当になんであんなにお客さんが来たんですかね」

 そう言うとマスターはちょっと驚いた顔で


「君、本当にわかってないのかね?」

「え?」

「今日来てくれたお客さんは皆、君を目当てに来てたんだよ」

 そんな馬鹿な。冗談はやめてくださいよ。


「いや、しょっちゅうスマホで撮られていたの気づかなかったのかい?」

「それには気づいてましたが」

「それが拡散されていってあっという間に広まったんだ。それを見た人がこの店に来て実際に君を見てまた拡散していったんだ」

 拡散?え?スマホというのは撮った画像を拡散というからにはばら撒くように広められるのだろうか、えと、要するに知らないうちに僕の画像が知らない人たちの間にさらされたってこと?スマホってそういうことできるの?噂では聞いたことがある。ラインとかTwitterとかいろいろと。通話のためだけに携帯電話を持っているような人間だからな僕は。


「なんかよくわからないんですけど、もし僕がお役に立てたとすればそれは嬉しいです」

「そうかい、ありがとう。ところで…」

「はい?」

「君さえ良ければこの店で働く気はないか?」

「え?」

 あれ?今日で閉店じゃ…


「そのつもりだったんだ。でも、君さえいてくれたらこれからもお客さんは来てくれるだろうからね。もちろん、私も努力するつもりだ。料理をもう少しリーズナブルなものに変えていくつもりだ。いままでの私はプライドが先行しすぎていたようだ。かといって安かったらいいという考えにもなれない。この店は新しく生まれ変わる。その意味では今日でRedRabbitHorseは閉店するのは変わらない。そして明日から新しいRedRabbitHorseがオープンする。ああ、これには君の協力が不可欠になるんだが。どうだろうか?」

「それって僕が必要ってことですか?」

「そうだ」

「あ、ありがとうございます!」

 初めて他人に必要とされた。それがとても嬉しかった。


「今日はもう帰りなさい。明日、履歴書を持ってこの店に来なさい。一応、面接はやっとかないとな」

「はい!それじゃお疲れさまでした!」

「ちょっと待ちなさい」

 マスターはレジから一万円札を持ってきた。


「今日の日当だ」

 え?一万円も?


「そんな、こんなにいただけませんよ」

「いや、君のおかげでこの店も立ち直ることができた。これでも少ない方だよ。遠慮なく受け取ってくれたまえ」

「ありがとうございます」

 どうしてもと言うので受け取ることにした。どえらい店に関わったなと思っていたけどいまではこの店に来てよかったと思う。これで盗撮稼業からも足が洗えるな。

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