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『鎧を脱いだら、世界が変わった』  作者: ムファッサー
第十三章 北境王都と、最後の選択

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第160話 王国最後の日


「……この記録、まだ続きがある」


エリアス・ヴァルネは、古い記録板を机の上に置いた。


地下記録庫の奥。


これまで確認してきた記録とは異なり、その板には王国最後の日を示す日付が刻まれていた。


「管理者の個人記録とは別なの?」


ソアが尋ねる。


「ああ。こちらは王宮の公式記録だ。王国が崩壊する直前、何が起きたのかが残されているはずだ」


「……はず、なんだね」


「公式記録というものは、肝心なときほど肝心なことが書かれていない」


「それ、公式記録として大丈夫?」


「大丈夫ではなかったから、王国は滅びたのかもしれないな」


エリアスは苦笑した。


リュシアがいれば、古代文字の解析を頼めたかもしれない。


しかし彼女は別の遺跡を調査している。


ここにいる者たちで、読み解くしかなかった。


レイナが記録板の端を押さえる。


「読める部分から確認しましょう。全部を一度に理解する必要はありません」


「うん。分からないところは、分からないまま残そう」


ソアは頷いた。


「勝手に想像して、事実みたいに扱うのは嫌だから」


エリアスは一瞬だけ目を伏せた。


かつての自分なら、その言葉を聞いて何を思っただろう。


分からないことを残すのは、記録を管理する者の怠慢だ。


そう考えていた時期が、確かにあった。


けれど今は、その考えこそが多くの声を消してきたのだと知っている。


「……では、再生する」


エリアスが魔力を流した。


記録板の上に、淡い映像が浮かび上がった。


     *


王国最後の日。


王宮の中央広間には、多くの人々が集まっていた。


王族。


魔法研究者。


軍の指揮官。


各地から派遣された代表者。


そして、世界樹の魔力経路を管理する者たち。


広間の中央には、巨大な魔力制御装置が据えられていた。


その表面には、無数の亀裂が走っている。


『北部供給量、さらに低下!』


『中央への供給を維持できません!』


『外縁地域から、再接続の要請が届いています!』


次々と報告が飛び交う。


王国は、世界樹から得た魔力を中央に集め、そこから各地へ配分していた。


当初、その仕組みは人々を守るために作られた。


魔力が不足する地域へ、必要なだけ力を送る。


災害が起きた地域には、優先して供給する。


その考え自体は、間違いではなかった。


問題は――。


誰が、どこへ、どれだけの力を送るのか。


その決定権が、少しずつ中央に集中していったことだった。


『外縁地域への供給を増やせば、王都の防壁が維持できません!』


『ならば、王都の供給を減らすべきです!』


『王都が陥落すれば、全地域への配分が停止する!』


『しかし、すでに外縁地域では人が倒れています!』


声がぶつかり合う。


誰もが、自分の判断には理由があると思っていた。


王都を守ろうとする者たちは、王都を失えばすべてが終わると考えた。


外縁地域を救おうとする者たちは、すでに犠牲になっている人々を見捨てることはできないと考えた。


どちらにも、守りたいものがあった。


けれど。


その議論に、決定的に欠けていたものがあった。


『外縁地域の住民代表は、どこにいる?』


一人の研究者が尋ねた。


広間が静まり返る。


『……入室許可が下りていません』


『なぜだ!』


『現在の議題は、王都の防衛に関するものです。外縁地域の供給問題は、別途審議することになっています』


『別途審議だと? 今、彼らの魔力が止まっているんだぞ!』


『規則です』


その一言で、会話が途切れた。


規則。


かつて人々を守るために作られた仕組み。


それがいつしか、人々の声を聞かないための壁になっていた。


映像の中で、一人の老研究者が立ち上がる。


『このまま中央だけで決め続ければ、同じことが繰り返される。制御装置を停止し、魔力の流れを元に戻すべきだ』


『停止すれば王都の防壁が失われる!』


『それでも、今のままでは外縁地域が先に滅びる!』


『誰がその責任を取るのだ!』


『誰か一人に取らせる問題ではない! 全員で決めるべきことだ!』


しかし、その声に耳を傾ける者は少なかった。


すでに議論は、誰が責任を負うかという争いに変わっていたからだ。


そして。


王宮の記録は、そこで一度途切れた。


     *


「……これが、王国最後の日?」


ソアが呟いた。


映像はまだ続いている。


だが、肝心の結末が抜け落ちていた。


「制御装置がどうなったのか、記録されていないな」


ヴァルトが腕を組む。


「誰かが消したのか?」


「断定はできない」


エリアスは記録板を見つめた。


「記録そのものが破損した可能性もある。あるいは、最初から残されていなかったのかもしれない」


「……でも、さっきの映像を見る限り」


ソアはゆっくりと言葉を選んだ。


「管理者だけが悪かったわけじゃないんだね」


誰もすぐには答えなかった。


管理者は、魔力を一人に集中させることで、すべてを守ろうとした。


けれど王国には、それ以前から、中央に決定権を集める仕組みがあった。


異議を申し立てる道は、形式上は存在していた。


しかし、その道を使える人は限られていた。


そして、誰もが自分の守りたいものを優先するうちに、声を聞く仕組みそのものが失われていった。


「管理者が権力を握ったから、全部が壊れた。それだけなら、話は簡単だったのに」


レイナが静かに言った。


「一人を倒せば終わり、とはいかなかったのね」


「うん」


ソアは頷いた。


「一人のせいにしたら、同じ仕組みが残っちゃう」


彼女は、映像の中で言い争っていた人々を思い出す。


彼らの中にも、誰かを助けようとしていた人がいたはずだ。


それでも、助けられなかった人がいた。


「……誰かが悪いって決めるだけじゃ、次にどうすればいいのか分からないんだね」


「その通りだ」


エリアスが答えた。


「責任を明らかにすることと、責任を一人に押しつけることは違う。私は、それを理解するのに時間がかかりすぎた」


彼は記録板を見つめた。


「私自身も、記録を残すことばかり考えていた。残せば、いつか誰かが正しく判断してくれると思っていたんだ」


「でも、残した記録を誰が読めるのかも、大事なんだよね」


「……ああ」


エリアスは深く頷いた。


記録が存在しても、見ることを許されなければ意味がない。


異議を申し立てる仕組みがあっても、使えなければ意味がない。


選ぶ権利があっても、選択肢そのものを知らされなければ、選んだことにはならない。


それは、記録庫の中だけの話ではなかった。


     *


「……ひとつ、気になることがある」


ミレイユが記録板の端を指さした。


「ここ。最後に、別の魔力反応が残っているわ」


「別の魔力反応?」


「ええ。制御装置の停止命令が出た直後、複数の経路が同時に反応している。中央へ集められていた魔力が、別々の方向へ流れ始めたように見える」


レイナが身を乗り出した。


「つまり、誰かが装置を停止させた?」


「可能性はある。でも、これだけでは断定できない」


ミレイユは首を振った。


「停止命令を出した人物も、その理由も分からないわ」


ソアは記録板を覗き込んだ。


細い光の線が、中央から外へ向かって伸びている。


まるで、絡まっていた糸がほどけていくようだった。


「……魔力が、戻ろうとしてるみたい」


「元の循環へ戻ったのか。それとも、別の場所へ流れただけなのか」


ヴァルトが呟く。


「まだ分からないな」


「うん。でも、少なくとも――」


ソアは光の線を見つめた。


「誰か一人が全部を持ち続ける仕組みは、終わろうとしていたんだと思う」


その瞬間。


ソアの胸元で、《巡りの雫》が淡く輝いた。


七本の光が、ゆっくりと円を描く。


その中心に、一瞬だけ八本目の線が浮かび上がった。


「……!」


ソアが息をのむ。


光はすぐに消えた。


けれど、確かに見えた。


八本目の線は、ほかの七本を押しのけることも、支配することもなかった。


ただ、それぞれの線の間をつないでいた。


「今の、見た?」


「見たわ」


ミレイユが答えた。


「七つの器を一つにまとめたんじゃない。互いにつながる道を示したように見えた」


「……第八の記録」


エリアスが静かに呟いた。


「器ではなく、記録。力そのものではなく、力を持つ者たちが何を選んだのかを残すもの」


ソアは胸元のペンダントに触れた。


世界を救うために、誰か一人がすべてを背負う必要はない。


かといって、誰も責任を取らなくていいわけでもない。


力を分け合うこと。


声を聞くこと。


間違えたなら、その結果を認めてやり直すこと。


簡単ではない。


それでも、誰か一人にすべてを委ねるより、ずっと難しくて、ずっと大切なことなのかもしれない。


「……ねえ、エリアスさん」


「なんだ?」


「この記録も、残そう」


ソアは記録板を見つめた。


「王国がどうやって壊れたのか。誰が何を守ろうとして、誰の声が届かなかったのか。全部、分からないところも含めて」


「分からないところも、か」


「うん。後から読む人が、自分で考えられるように」


エリアスは目を閉じた。


そして、ゆっくりと頷いた。


「分かった。今度こそ、結論まで私が決めてしまわないようにしよう」


     *


記録板の保存作業を終えたころには、地下記録庫の照明が少し暗くなっていた。


「……お腹すいた」


ソアが呟いた。


「さっきから記録ばかり読んでいるものね」


レイナが微笑む。


「記録庫って、もっと静かで落ち着いた場所だと思ってた」


「実際には、責任の重い仕事が山ほどある場所だったな」


ヴァルトが肩をすくめた。


ミレイユは保存した記録の一覧を確認している。


「それに、まだ分類が残っているわ。公開できる記録、本人の同意が必要な記録、内容の確認が必要な記録……」


「……ねえ」


ソアはゆっくりと顔を上げた。


「今日の分、終わったんだよね?」


「今日の分はね」


「明日もある?」


「当然でしょう」


「…………」


ソアは自分の鎧を見下ろした。


ガシャッ。


胸当ての留め具が、小さく鳴る。


「……鎧の修理代、まだ払ってないんだった」


「今それを思い出すのか」


ヴァルトが呆れた声を出した。


「だって、記録を読むだけでこんなに大変なんだよ? 冒険者の仕事もしたいし、鎧も直したいし、ご飯も食べたいし……」


「最後の二つは、ずいぶん個人的ね」


ミレイユが笑った。


「大事だよ!」


ソアは胸を張る。


「私の人生なんだから!」


その言葉に、レイナが小さく笑った。


「そうね。何を大切にするかは、自分で選ばなくちゃ」


ソアは頷いた。


そして、もう一度、保存された王国最後の日の記録を振り返る。


あの王国も、最初から滅びるために作られたわけではなかった。


誰かを守りたいという願いがあった。


その願いが、いつしか誰かの声を聞かない理由になった。


だからこそ、記録を残す。


同じ間違いを二度と起こさないと、簡単に約束するためではない。


次に選ぶ人が、自分の意志で考えられるように。


「……よし」


ソアは立ち上がった。


「明日も頑張ろう!」


「その前に、食事だな」


ヴァルトが扉へ向かう。


「賛成!」


ソアは元気よく後を追った。


ガシャッ、ガシャッ。


重い鎧の音が、地下通路に響く。


世界を変えるために、鎧を脱ぐ必要があるのか。


それとも、鎧を着たままでも変えられることがあるのか。


その答えは、まだ出ていない。


けれどソアは、以前よりも少しだけ分かっていた。


大切なのは、誰かに選ばせてもらうことではない。自分たちで考え、選び、その結果に向き合うことなのだ。


そして、北境王都の記録庫には、まだひとつの問いが残されていた。


かつて世界樹とのつながりを手放した人々は、なぜ王国を離れ、それでも再びつながることを望んだのか。


その答えを知るために、ソアたちは次の記録へと手を伸ばす。

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