第069話 銅貨三枚
銅貨三枚を、どこへ入れればいいのか分からなかった。
手で持ったままギルドを出る。
「見えるように持たない方がいいですよ」
リオナが言う。
「取られる?」
「三枚のために手を切る人はいないと思いますけど」
「なら、このままでいい」
「落とします」
仮登録証も片手に持っている。
上着にはポケットがない。
足布へ挟めば歩く時に邪魔になる。
「袋を買います?」
「いくら」
「布なら銅貨一枚くらいです」
「金を入れるために金を使う?」
「一回買えば、次からも使えます」
「破れたら」
「何でもいつかは壊れます」
リオナは自分の腰につけた小袋を叩いた。
端が擦れ、何度か縫い直されている。
「それも買った?」
「これは母が作りました」
「まだ使える」
「だから直してるんです」
昨日の上着も、リオナなら直せる。
町では、壊れたものを捨てずに直す。
熊に壊された盾は直らないと言われた。
直せるものと直せないものも、まだ分からなかった。
市場へ向かう。
道の両側に、布を張った店が並んでいる。
野菜。
黒いパン。
使い古された鍋。
刃の欠けた短剣。
洞窟では見たことのないものが多すぎて、一つずつ止まっていたら進めない。
「袋はこっちです」
リオナが古着を積んだ店へ入る。
店の女は銅貨三枚を握った俺を見て、箱の底から小さな布袋を出した。
「紐つきで一枚」
「破れてる」
「縫えば使える」
「縫ってから売らないの」
「縫ったら二枚だよ」
穴は指一本が入るほどだった。
「一枚で、糸もつけて」
「針は?」
「持ってない」
「それなら二枚」
「さっき縫えば二枚と言った」
「針もつけるなら二枚」
「縫って、針もつけて二枚」
「糸はなし」
「穴を縫うのに使う」
女が俺の顔を見る。
「兄ちゃん、細かいね」
「金が三枚しかない」
「なら一枚で袋だけ持ってきな」
隣で、リオナが口元を押さえている。
「何」
「ちゃんと話せるじゃないですか」
「さっきから話してる」
「そうじゃなくて」
結局、穴を太い糸で縛った袋を銅貨一枚で買った。
残る二枚と仮登録証を入れ、腰へ結ぶ。
歩いても落ちない。
両手が空いた。
「便利」
「でしょう」
リオナは得意そうだった。
自分が作ったわけではない。
「次は矢を買います」
武具を並べた露店へ移る。
リオナは矢を一本ずつ転がし、軸の曲がりを確かめていた。
「全部同じじゃない?」
「曲がってたら当たりません」
「投げればいい」
「弓で射るんです」
「熊に弾かれた」
「眼には当たりました」
「俺が上を向かせた」
「私が射たんです」
リオナは真っすぐな矢を三本選んだ。
それだけで、今日の報酬のほとんどがなくなるらしい。
「三本だけ?」
「今はこれでいいです」
「熊が出たら足りない」
「町の中に大岩熊が出るなら、三本増えても同じです」
市場の奥へ進むと、血の匂いが濃くなった。
足が止まる。
屋根の低い店で、吊るされた豚を男が解体している。
喉を切られた血は、下の桶へ溜まっていた。
新しい。
魔物の血より薄い。
それでも、豆の煮込みやパンとは違う。
体の奥が、あれは食べられると分かっている。
「セインさん」
「あの血はどうする」
リオナが桶を見る。
「捨てるか、腸詰めに使うんじゃないですか」
「買える?」
「私に聞かないでください」
店の男へ近づく。
血のついた包丁が止まった。
「何だ」
「血が欲しい」
「どこの」
男が笑う。
俺が桶を指すと、笑いが消えた。
「豚の血を?」
「飲む」
「そのまま?」
「駄目?」
「腹を壊しても知らんぞ」
「いくら」
男は桶と俺を見比べる。
「入れ物は」
「ない」
「裏に欠けた蓋壺がある。壺ごと銅貨二枚」
残っている金と同じだった。
「血だけなら」
「持って帰れんだろ」
「ここで飲む」
「店先でやるな」
男の声が大きくなった。
通りを歩いていた人間がこちらを見る。
リオナが顔を覆っている。
「壺は一枚」
「蓋つきだぞ」
「欠けてる」
「血も入れる」
「血は捨てるもの」
「腸詰めに使う」
「さっき全部使うと言わなかった」
男が黙る。
少しして、喉の奥で笑った。
「一枚と半分だ」
「半分の銅貨はない」
「なら二枚」
「一枚」
「分かったよ。持ってけ」
裏から、口の欠けた小さな壺が出てくる。
木の蓋は合っていない。
布を挟み、紐で縛ってある。
桶の血を壺へ移してもらった。
銅貨を一枚、男へ渡す。
袋には一枚だけ残った。
「毎日出る?」
「豚を潰した日はな」
「次も一枚?」
「壺を持ってくるなら、血だけで一枚も取らん」
「何で」
「どうせ余る。代わりに、店の前で飲むな」
「分かった」
壺を持って市場を離れる。
リオナは少し距離を取って歩いていた。
「臭う?」
「すごく」
「俺には、いい匂い」
「それは言わなくていいです」
片靴亭へ戻る。
裏の水場で蓋を開けた。
豚の血は、もう少し冷えている。
壺へ口をつけて飲む。
大岩熊の血ほど濃くない。
力や魔力も、ほとんど感じなかった。
それでも、喉の乾きが消えていく。
人間の近くで眠れなかった時の、あの感覚も少し弱くなった。
「本当に飲むんですね」
リオナは水場の入口から見ている。
「買ったから」
「そういう意味じゃありません」
壺の半分を残し、蓋を閉める。
ベッカが厨房の裏口から顔を出した。
「それ、血かい」
「そう」
「寝台へ持ち込むなら、二重に包みな」
「嫌じゃない?」
「敷布を汚される方が嫌だよ」
ベッカは空の麻袋を一枚投げてよこした。
「貸し?」
「古いのだからやる」
壺を袋へ入れる。
借りた服と違い、値段は言われなかった。




