第041話 ガレオ・ダン【別視点・ガレオ】
手の甲の傷は、見た目ほど深くなかった。
ガレオは布を強く巻き、指を一本ずつ動かした。
弓は引ける。
短槍も握れる。
残っている矢は六本。
網は一つ。
追跡粉は半袋を切っていた。
洞窟の出口まで戻るには足りる。
あの魔物を追い直すには、少ない。
「引くか」
口に出してみる。
いつもなら、それで決められた。
罠を見抜く魔物に会ったことはある。
傷を負って逃げたことも、一度や二度ではない。
素材一つに命を賭けるほど、若くはなかった。
町へ戻れば、傷を洗える。
宿の主人へ空の袋を見せ、また小言を聞けばいい。
長靴は、もう一度底を縫うしかない。
冬用の矢も、今あるものを削り直せば何本かは使える。
獲物を逃したところで、暮らしが終わるわけではない。
ガレオは広い道を上った。
背後から、小さな爪が石を掻く音がする。
止まれば、音も止まる。
歩けば、またついてくる。
逃げているのは、もう自分の方だった。
あの蝙蝠は、傷ついた巣へ戻らなかった。
コボルトの道からも離れ、酸の空洞へ誘い、罠を奪った。
次には、その罠を作り替えて待っていた。
縄張りを守っている。
自分を追う相手が戻る限り、追い返すだけでは終わらないと知っている。
ここで外へ出れば、今夜は助かる。
だが、次に黒骨洞へ入る採取屋や駆け出しが、同じように見逃されるとは限らない。
人間の言葉を聞き分けているようにも見えた。
あれが森へ狩場を広げれば、家畜より先に人間の血を覚えるかもしれない。
素材の値段だけで追うには、危険になりすぎていた。
ガレオは足を止めた。
背後の音も消える。
「賢い」
返事はない。
「だから逃がせない」
弓から弦を外し、濡れていないものへ替える。
矢筒から二本を抜き、すぐ取れるよう地面へ置いた。
耳へ布を詰め、その上から細い革紐を巻く。
あの鳴き声を完全には防げない。
それでも、最初に受けた時よりはましになる。
広い道の先には、昔掘られた採石場跡がある。
天井は高く、中央には折れた木の支柱が残っていた。
弓を引ける。
飛ぶ相手を目で追える。
ガレオはそこへ入った。
入口へ金属線を二本張る。
一つは足元。
もう一つは、蝙蝠が飛び越えそうな高さ。
線の先には網をつないだ。
触れれば、天井から落ちる。
仕掛けを終え、支柱の陰へ立つ。
手の甲から滲んだ血を、入口まで数滴落とした。
あれは血を狙う。
なら、来る道を選ばせられる。
灯りを床へ置き、覆いを半分閉じる。
暗すぎれば射られない。
明るすぎれば、自分の場所を教える。
ガレオは弓へ矢をつがえた。
爪の音はしない。
あの魔物が、まだ追っているのかも分からない。
長い時間が過ぎた。
手の傷が脈を打ち、巻いた布の下で熱を持ち始める。
水を一口飲もうとした時、入口の血が消えていた。
舐めた音も、羽音もなかった。
床に落とした赤だけが、途中からなくなっている。
ガレオは水袋から手を離す。
頭上で、金属片が小さく鳴った。
自分が張った線の音ではない。
奪われた方だ。
音は入口ではなく、採石場の奥から聞こえた。
ガレオが振り向く。
折れた支柱の向こうで、赤い眼が一度だけ光った。




