第30話 お別れ
ホームの庭でミンミンゼミが鳴き始めたころ、釣り道具を持って玄関を出た清治を支配人が呼び止めた。
「岡谷さん、こんにちは。今日もお出かけですか?」
「ええ、ちょっと。魚釣り、とか」
清治は釣り道具を少し上に上げて見せた。
「いいですねえ。最近は何が釣れるんですか」
「うーっ、イワシ……」
答えるまでに、やや時間を要した。
「もっと大きな太刀魚とか、以前、釣ったことがあるんじゃないですか?」
支配人は清治がギリギリ覚えていることを願った。
「いやあ、見たことは、ねえ、ありますけどねえ、あはは」
清治は右手でぶら下げる格好をした。
「そうですか。大きくて、なかなか釣れませんものね」
支配人もやむなく同調した。それ以上引き留めるのは酷だと感じた。
「じゃあ、やっぱりイワシ狙いですね。どうぞお気を付けて」
清治は嬉しそうに芝生方向へ向かった。
支配人は、少しずつ小さくなっていく清治の背中に向かって、絞り出すように言った。
「岡谷さん、もう二年も前のことになりますが、あなたに染みついた嫌な性格とか、上乗せとか、それを削ぎ落とせとか、散々失礼なことを申し上げてしまいました。本当に申し訳ございませんでした。あなたは、一番恐れていた認知症を発症してしまいました。でも、決して誇りを失うような恥ずかしい症状ではありません」
それからしばらく言葉を継げなかったあとで、振り絞った。
「だいいち、周りの誰も傷つけていないではありませんか。私には分からないのです。あれほどイライラしてテーブルの脚を蹴とばしていたあなたが、どうしてそんなに穏やかな症状でいられるのでしょう。いったい、あれから何があったのですか?」
遠ざかる清治の姿は、やがて建物に隠れて見えなくなった。
その年の十月初旬、ホームの北側にある小川のほとりに彼岸花が咲いた。
「何か釣れますか?」
清治が振り返ると、白いブラウスを着て、銀髪を後ろで結んだ老女が立っていた。彼女の散歩の目的地は、清治が竿を出している場所に決まっていた。
「いえ、まだ、始めたばかり、で」
清治は好意ある表情を浮かべた。釣り始めてから、もう二時間も経っていた。
「どうぞ、こちらへ」
自分の横の四角い石をそっと指で示した。彼女は、「失礼します」と言って腰を下ろした。二人は並んで言葉も交わさないまま、飽きもせずに竿の穂先を眺めていた。そうすることだけで幸せな時間が流れていた。
「わたの原 八十島かけて 漕ぎいでぬと 人には告げよ 海人の釣舟」
ゆっくりとした響きが、言葉ごとに小川のせせらぎへ溶けていった。
「小野たかむら。流刑で隠岐へ船出」
清治の教養が自然ににじむような、淀みなく優しい声だった。
彼女はその日の気分で毎回違う百人一首の歌を詠んだ。歌の意味など語り合う必要はない。お互いにそれで良かった。
ぽつぽつと降り出した雨が川面に小さな輪を描き、次第に大きな輪の数を増やし始めた。二人が空を見上げたところへ、田代がブリをぶら下げてやってきた。先ほど海釣り公園で、格闘の末に釣り上げたばかりの見事なブリだ。
清治が片手を広げて「Fいくつですか?」と無表情で尋ねたちょうどその時、後ろから女子職員が傘を持って走ってきた。ハアハア荒い息をしている。
「さあさあ、お二人とも、濡れると風邪をひきますよ」
清治は振り返って軽く微笑んだ。
田代は、職員を労うように大きめの声で言った。
「岡ちゃん、あんたの老後が一番羨ましいよ」
清治はその後も介護個室でケアを受けて、三年後に脳梗塞で生涯を閉じた。享年七十八歳だった。
宏也は清治の葬儀依頼書通り、僧侶は一人、弔辞無しという希望を支配人に伝えた。また、元の会社関係は同期の相田だけに、事後に訃報を知らせることにした。
葬儀会場には喪主の宏也の他、田代夫妻、「そば処たしろ」で知り合った人たちのうち、亡くなった最長老の小西以外の全員が次々と訪れた。
ホームからは支配人の森山、料理長の冨田を始めとする厨房職員、ウェイトレスの田宮、カウンター職員、事務職員、看護師、介護職員など、清治と関わりのあった多くの参列者が席に着いた。
読経が始まる前に、介護職員に車いすを押してもらって一番前の列に案内された内田さんは、清治の遺影をじっと見つめて、恥じらいながら恋の歌を詠んだ。
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢うこともがな」
とても小さな声だったが、ゆっくりとした、よく通る声が会場の涙を誘った。
あとがき
むかし、私が幼いころ、「あめふり」という童謡がありました。北原白秋の作詞です。
「あめあめふれふれ かあさんが じゃのめでおむかえ うれしいな ぴっちぴっち ちゃっぷちゃっぷ らんらんらん」
いつの頃からか、この歌をあまり耳にしなくなりました。
この『人生の夕まずめ』という小説には、「いつの時代が一番幸せだったのか」というサブタイトルがついています。けれど、主人公の岡谷清治が、自ら「今が一番幸せだ」と語る場面はありません。答えは、読み手に委ねました。
難関大学に合格し、両親に褒められた頃か。
出世街道を歩んだ銀行員時代か。
子会社の社長になったときか。
あるいは、田代と出会い、魚釣りに興じていた日々か。
清治は、人に認められ、崇められることを誇りとして生きてきました。退職後は、プライドだけでは癒されない寂しさを、酒に求めたこともありました。けれど、それは何の慰めにもなりませんでした。
「こんなに一生懸命、真面目に生きてきたのに」
そんな男の晩年に、「お迎え」が何度も訪れました。
いつの時代が一番幸せだったのか。
ゴルフ場の斜面で倒れているところへ、亡き妻の多喜子がお迎えに現れ、ホームへ連れて帰ってくれたとき。
雨の日、傘を持った職員がお迎えに来てくれ、田代が羨むほどの愛情に包まれていたとき。
「自分のことを大切に思ってもらい」何度もお迎えに来てもらったその時々こそが、清治にとっての「人生の夕まずめ」であり、一生を通じても至福のときだったのではないでしょうか。
私は、そう思っています。
にし ぎんいち
長い間お読みいただき、厚く感謝申し上げます。
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