前編
魔女たちに花を捧げましょう
この世界には、魔女がいます。
白魔女と黒魔女。二つの魔女です。
白魔女は、痛みを癒してくれます。
黒魔女は、かけられた呪いを消してくれます。
どちらも誰かを助ける魔女なのに、白魔女は感謝されて、黒魔女は怖がられる。
色が違うだけで、どうしてこんなにも違うのだろう。
それが、幼い頃からの私の疑問でした。
けれど母は、考えるなと私に言い聞かせました。
お前は黒魔女なのだから、黒魔女らしく呪いを学びなさい。
周りと同じように、呪いを消すことを仕事にしなさい。
そう言われました。
でも、だからと言ってどうして呪いを学ばなければならないのでしょうか。
嫌で、嫌で、仕方がありませんでした。
だって、人を傷つける方法を自ら学ぶなんて、汚いことだと思ったから。
たとえそれが、呪いを消すために必要なことだとしても。
私には、耐え難いことでした。
母の仕事を、間近で見たことが何度かありました。
母は箒に乗って、呪いに苦しむ人のもとへ向かいました。
呪いを消すと、人間は母に感謝を述べました。
けれど、その目はいつだって恐れが混じっていました。
今なら分かります。あれは、黒魔女という存在を怖がっていたのだと。
あの頃の私は、何も知らない少女だったのです。
明確に黒魔女という仕事が嫌だと思ったのは十歳の頃です。
あの日、母に頼まれて薬草を森の中に取りに行きました。黒魔女は呪いを消すだけでなく、薬草を使った薬作りも生業にしていました。
けれど、恥ずかしいことに私は迷子になりました。寂しくて怖くて、泣きそうになりました。
「なにしてるの?」
声をかけられました。女の子の声でした。
顔を上げると、白い衣装に身を包んだ同い年ぐらいの女の子でした。
人を見つけて、安心したのでしょう。ぶわっと涙が溢れ、その子に抱きついてしまいました。
「ちょっと!なに!?汚い!!離れて!服が汚れちゃうでしょ!」
可愛い外見とは裏腹に口調が強い子でした。
「服に着いたらどうするの!?ハンカチ貸すからこれで拭きなさい!!」
そう言うと、彼女はポケットから花の刺繍が入ったハンカチを渡してくれました。私はそれで、溢れる涙を拭きました。そんな私が泣き止むまで待ってくれたのですから、彼女はあの頃から優しかったのです。
「あんた何?黒魔女?」
泣き止んだ私に彼女はそう言ってきました。
私が、うんと答えると、彼女は珍しいものを見たように目を輝かせました。
「そうなの!あんたが黒魔女なのね!呪いを消してるんでしょ?」
私は、まだ勉強中だからできないのだと素直に答えました。
「あら、そうなの?なら私の方が魔女としてはお姉さんね!私はもう傷を治すことができるんだから!」
私は、心の底からすごいと思いました。私はうんうんと唸りながら本を読んでいるのに、彼女は魔法を使っていたからです。
けれど、その時私は疑問に思いました。
なんで黒魔女は傷を治せないんだろう。同じ魔女なのだから治せるはずなのに、と。
賢そうなその子に思い切って尋ねました。
「え?……そんなの、決まってるじゃない。黒魔女ってのは呪いをかけることもできるのよ?そんな魔女に傷を治してほしいと思うの?」
彼女にとっては何気ない言葉だったのでしょう。
私にとっては胸を抉るような言葉でした。
呪いを知っていても呪いをかけようなんて思ったことなどないのですから。
「でも、人間はそう思わないわよ。きっと、いつ呪いをかけるのかと恐れているに決まってるわ」
心地よい声なのに、なんて残酷なことを言うでしょうか。
また涙が出そうになりました。
「ちょっと……!っ、なんでまた泣くのよ!」
彼女は困ったように眉を寄せました。
「もう!今のは一般論じゃない!あんたのこと言ってんじゃないわよ!」
変わらない強い口調でフォローをしてくれました。
けれど、その言葉を聞いても胸の痛みは消えませんでした。
今なら分かります。あれは彼女なりの謝罪だったのです。幼い彼女は、大人が言った言葉をそのまま信じただけなのでしょう。
私は、呪わないもんと泣きながら言い続けてました。
彼女はひどく困った顔をして、私が泣き止むまで隣にいてくれました。
彼女は私に何度か声をかけようとしましたが、その度に言葉が詰まったように歯切れ悪くなり、口をつぐみました。
きっと彼女は、自分の口からは私を傷つけるような言葉しか出ないと思ったのでしょう。
彼女は、ひどいようで優しかったのです。
けれど、その残酷で優しい彼女の口から出た言葉で私は黒魔女である自分を前よりも嫌うようになりました。
「……どこから来たの」
ようやく泣き止んだ私に彼女はそう聞きました。
クロード村から来たと言うと、彼女は何かを思い出すかのようにしばらく目を閉じ、再び開けるとこっちよと手を引いてくれました。
温かい彼女の手のひらに心がポカポカしました。
私は、お名前教えてと彼女に尋ねました。
「え、急になに?」
彼女は訝しげな顔をしました。
「……まぁ、いいけど。リップよ……。貴方は?」
ロベリア、と自分の名前を答えました。
「あら、貴方もお花の名前なの?私の名前はチューリップから取ったってお母様が言ってたわ」
彼女――リップはニコニコと笑いかけてくれました。
私もつられて笑いました。リップと共通点ができて嬉しかったのです。
私の名前は花が好きだった祖母が付けてくれた名前です。けれど、私はこの名前があまり好きじゃありませんでした。
だって、花の本を読んだら私の名前は不吉な花言葉だったんです。
『悪意』なんてひどいです。
祖母はなんでそんな名前をつけたのでしょうか。
同じ花でもチューリップの花言葉は『思いやり』なのに。
思わずリップに不満を言ってしまいました。
「あら、ロベリアって名前いいじゃない。素敵よ」
そうとは思えなくて、視線を下に向けてしまいました。
「……あんた、ロベリアに他に花言葉あるの知らないの?」
私は、知らないと正直に答えました。
「いつも愛らしい、よ。ロベリアのもう一つの花言葉。……きっとあんたのお祖母様はそんな思いを込めたんじゃないの?予想だけど」
そんなことあるわけない。だって、そんな言葉よりも『悪意』の方が私には似合っているのだから。
でも、そう思う自分もいる中でリップに救いの言葉をもらって嬉しく思う自分もいたのです。
『いつも愛らしい』
その言葉が彼女の小さな口から紡がれたと思うと、不思議とドキドキしました。
「それに花言葉なんて複数あるじゃない。色や本数でも変わるんだから気にしてたらキリがないわよ」
その言葉が、何故だかストンと胸に落ちました。
私はきっと、この言葉を聞くために生きてきたのだとすら思えたのです。
大袈裟でしょうか?彼女に知られたらきっと笑われるでしょう。
でもいいのです。本当のことですから。
その後、リップは私を村のそばまで送ってくれました。
また会えるかと彼女に問いかけました。
「あんたが会おうと思えば、あの森で会えるんじゃない?」
胸の奥がきゅん、としました。
そうです。これが私の初恋です。
この日は私にとって特別な日になりました。
甘酸っぱい初恋と苦い現実。
なんて残酷なんでしょう。相反する出来事を同じ日にするなんて神様も意地が悪いです。
リップに出会ったことで、私は彼女の隣に立ちたいと思いました。でも、黒魔女のままではダメな気がしたのです。
口が悪くてちょっと高飛車な彼女ですが、優しい心を持っています。そんな彼女の隣に私のような穢れた存在がいていいのかと考えてしまったのです。
そして、彼女と同じ人を癒すことのできる白魔女になりたいと思ったのです。
帰るなり、私は母に言いました。
黒魔女になんてなりたくない。私は傷を癒す白魔女になりたい、と。
もちろん、母は馬鹿なことを言うんじゃありませんと激怒。大喧嘩になりました。
最初は口だけだったのに白熱して互いに手が出てしまいました。
父が止めなかったらどうなっていたことでしょう。
父が間に入ったことで母は冷静になったのか、十八になるまでは勉強をしなさいと言いました。
黒魔女にとって、十八とは特別な年齢です。
その年になると、家を出て、自分の箒と薬箱を持ち、独り立ちをするのです。
黒魔女以外の道がダメになった時のことを考えて、母はそう言ったのでしょう。
その後、父がこっそり教えてくれました。
母も昔、祖母に黒魔女になりたくないと言い、喧嘩をしたと。
親が親なら子も子、ということでしょうか。
猶予を与えられたとはいえ、黒魔女の修行をしなければならないのは憂鬱でした。
嫌になった時は、決まって森に遊びに行きました。
そして、リップに大抵会うことができました。
「なに?また来たの?」
どんな時でも、彼女は私よりも先に森にいました。
私は、いつだったか、なんで村の近くで待っててくれてるの?と聞いたことがあります。
「……迷子になられると困るからよ」
そっぽを向いて言いました。
今思うと、照れ隠しなのでしょう。
ある日、リップに思い切って聞きました。
人を癒す魔法って私にも使えるのか、と。
「さぁ?でも無理じゃない?」
当たり前でしょ、と顔に書いてありました。
それでも諦めきれずに私は彼女にねだりました。
そしてとうとう折れたのか、渋々と教えてくれました。
「そうね……簡単な魔法ならいいわ」
嬉しくて、思わずバンザイをしてしまいました。
「バカな子ね。こんなことで喜ぶなんて……」
呆れる彼女でしたが、心なしか笑っているようにも見えました。
「レーナサーレ……小さな傷を治す呪文よ」
レーナサーレ……
小さく私は呟きました。
「と言っても傷がないから何も始まらないわね」
そう言うと、彼女はポケットから小さなナイフを取り出し、白くて柔らかい指先にぷつ、とナイフで傷をつけました。
ぎょっとして、私にしては珍しく大声を出してしまいました。
「わっ!……そんな声出せるのね、あんた。でも大丈夫よ。慣れてるから」
白い指先から赤い血が滲み出ていました。
可愛らしい彼女の中には、綿でも詰まっているのだろうと、どこか本気で思っていた私には、信じられない光景でした。
慣れているとはどういうことかと尋ねました。
「修行よ。自分で傷をつけて、自分で治してるの。そうしないと上手くならないじゃない」
なんてことのないように答えたのです。
白魔女とは穢れない綺麗な存在だと思っていました。
けれど、違ったのです。
彼女たちは、見えないところでもがいていたのです。
「ほら、呪文」
血が滴り落ちる指先を私の方に向けて、彼女は言いました。
言葉に詰まりましたが、深呼吸をして唱えました。
レーナサーレ。
——けれど、何も起こりませんでした。
何度唱えても、結果は同じことでした。
「……ダメね。やっぱり白魔女は白魔法、黒魔女は黒魔法しか使えないのね……レーナサーレ」
リップが一言唱えただけで、傷は瞬時に塞がりました。
それを見て、気分がひどく落ち込んでしまいました。
「……何がそんなに嫌なのよ」
そう言うリップの眉は、さっきよりも下がっていました。
私は、白魔女になりたいのだと打ち明けました。
リップは目を点にしました。けれど、バカにすることはなく、ただただ呆れていました。
「あんた、白魔女も大変なのよ」
私は、どうしてかと聞きました。
「白魔女はね、人間に頼まれれば少しの対価と引き換えに治すの。でも、人間ってのは優しくしすぎるとそれが当たり前だと思っちゃうみたい。あれも治してほしい、もっと早く治してとか……挙句の果てにはタダで治してくれ!ですって。バカにしないでほしいわよね」
と眉を強く寄せて言いました。
私は、でも、感謝されているじゃないと言いました。
「感謝されてもねぇ……いいことだけど、見合ってない気がするわ。隣の芝生は青いっていうでしょ?あんたにはそう見えるだけよ」
そんなものなのでしょうか。
「そんなものよ」
私は、首を傾げました。
それでも黒魔女は怖がられるのだと言い返しました。
「そりゃ怖いでしょうよ。前も言ったけど、呪いのかけ方を知ってるんだからね。でも、それは必要なことだと思うわ」
当時の私には意味がわからず、きょとんとすることしかできませんでした。
「私たち白魔女は人の体の仕組みを勉強するの。複数傷がある時にどこを一番に治さないと危ないか、どこを治せば安心できるかわかるためよ」
なるほど、と私は感心しました。
「それと同じことよ」
リップは、治ったばかりの自分の指先を私に見せました。
「呪いを消すためには呪いの仕組みを知らないといけない……だから学ぶのよ。その呪いがどんな呪いか知っていたらすぐに解呪できる。それに、知らないまま魔法をかけたらひどいことになるかもしれないわ」
私は、何も言えなくなりました。
呪いを学ぶことは、人を傷つける方法を学ぶことだと思っていたのです。
けれど、リップは必要なことだと言ってくれたのです。
「毒と薬は紙一重、って本で見たことがあるわ。黒魔女が作る薬だってたくさん飲めば毒にもなることがあるでしょ?」
確かに、と私は呟きました。
「ね?少しは楽になれたかしら」
ふふん、と私を見て満足げに笑いました。
私はすごく、嬉しかったのです。
こんな言葉だけで少しだけとはいえ救われたとは、私は単純なのでしょうか。いいえ、彼女の言葉は私の中でそれだけ偉大だったのです。
私は、母との修行の時間に少しだけ意欲的になりました。
それから五年後、私たちは十五歳になりました。
リップは可愛らしい少女から、美しい人になりつつありました。
亜麻色の長い髪。
陶器のような白い肌。
意思の強いキリッとした目。
全てが輝いていました。
けれど、彼女は成長しても背が小さかったのです。
それは彼女の最大のコンプレックスで、背が高い私をいつも恨めしそうに見ていました。
それすらも可愛いと思える私は、傍から見たらきっと滑稽なのでしょう。
十五歳になると、私は見習いとして、一人で簡単な仕事を任されるようになりました。
ある日私は箒に乗って、呪いをかけられた女性のもとへ行きました。
女性はベッドから起き上がれなくなるほど衰弱していました。
ひとしきり女性を見て、私はどんな呪いか分かりました。
これは嫉妬の呪いだと。
呪いの正体が分かると、私は呪文を唱え、解呪しました。
彼女の顔色は目に見えてよくなり、彼女の夫に感謝されました。けれど、その顔には少しの恐れも混じっていたのです。
一人で仕事を受けるようになると、人の悪意というものに直接触れることもありました。
誰が呪いをかけたのかと問われることがありました。私たちは知っていても、人間には教えません。
大抵は何か言いたげに諦めますが、稀にかけられた呪いをそいつに返してほしいと頼まれることもあります。
俗に言う呪い返しです。
それは、黒魔女にとって必要ならばすることです。
けれど、私はそれを嫌悪していました。
そんなことをしたら、呪いをかけた呪い師と同じではないかと。
だから、私は断っていました。
人間は、言いました。
「黒魔女のくせに偉そうに!」
呪わなければ責められる。
呪えば、きっと恐れられる。
では、どうすればいいのでしょう。
私は、私がわからなくなりました。
私はリップに会いに行きました。
いつもの森へ行くと、彼女はいました。
「……なに、あんた。辛気臭い顔をして」
そう言った彼女の顔も、なんだか疲れていました。
私は、どうしたのかと聞きました。
「ちょっと……ね。あんたは?」
私は、仕事でちょっと、と言葉を濁しました。
「あんたもなのね……」
彼女は寂しそうな顔をしました。
私はその顔を見て、もっと苦しくなってしまいました。
「……ねぇ、座ってよ」
彼女は切り株に座り、私にも隣に座るよう促しました。
私は恐る恐る座りました。
しばらく、静かな時間が続きました。
鳥のさえずり、木々が擦れる音、風の匂い、心地よい空間でした。
「……東の村で、怪我人が出たの」
おもむろに彼女は口を開きました。
「すぐに来てくれって言われたわ……ひどい、怪我だった。怪我人は二人いたの。一人は村長の息子、一人はただの村の子ども。どう見ても、子どもの方が重体だった……だから私は子どもを最初に助けようとしたの。でも、村長が言ったの……『金を出すから息子を先に助けろ』って」
私は何も言えませんでした。
「……私、無視をして子どもを先に助けたわ。もちろん、そのあと村長の息子も助けた。でもね、治したあと村の人たち皆して罵詈雑言の嵐。助けた子どもの家族もよそよそしかったわ……きっと村長が怖いのね」
彼女にしては珍しく、虚ろな目で空を見上げました。
「……対価はもらえなかったわ。ひどい話よね。せっかく助けてあげたのに……」
私は唖然としました。
白魔女とは、いつも感謝されて美しいものだと思っていました。けれど、違ったのです。
リップもまた、人間の悪意に触れていたのです。
「……あんたは?」
私の顔を見て、そう尋ねてきました。
私は、人間から言われたことを話しました。
「……ひどいこと言うのね。あんたは当たり前のことを言ったのに」
私は、リップも正しいことをしたのにと言いました。
「ありがとう……」
彼女は少し目元を赤くしながら言いました。
それを見て、私は反射的に彼女を抱きしめていました。
「……なによ」
ぎゅうっと何も言わずに強く抱きしめました。
「慰めてるの?……下手くそ」
その声は、震えていました。
私は、貴方が泣いてるのを見るのは、すごく悲しいと言いました。
「……何でよ」
何でなんて決まってます。
でも、言えませんでした。
次第に耳のそばで、すすり泣く声が聞こえてきました。
その日、私は気が済むまで彼女を抱きしめました。
それから私は考えました。
私は、何のために魔女をしているのだろうかと。
人間に感謝されたいのでしょうか。
いいえ、違います。きっと、彼らと対等になりたかったのだと思います。
でも、そんなことは無理な話です。
特別な力を持っている私たち魔女が人間に歩み寄っても、あちらが逃げるだけなのですから。
だったら……私たちは、何のために生まれたのでしょうね。
十六歳になりました。
相変わらずリップの身長は小さいままです。
一方の私はさらに背が伸びました。
なんだったら胸もお尻も大きくなりました。
「……何を食べたらそんなに大きくなるのよ」
リップは恨めしそうに私を見るのです。
何がいいのでしょう。大きいのなんて邪魔なのに。
私は、三食きちんと食べているだけと言いました。
「やっぱり遺伝なのかしら……お母様、スレンダーな体型だものね」
ぶつぶつと独り言を言う彼女を私は不思議そうな顔で見ていました。
この頃になると、ある魔法を会得しようとしていました。
本の中に、興味深い呪文があったのです。
それは、痛み分けの呪文です。
他者の痛みを第三者に移動させるものです。
最初はなんて惨い呪文だと思いました。
けれど、リップの言葉を思い出しました。
毒と薬は紙一重。
これを薬へと変えることができるのではないかと考えたのです。
そして、思いつきました。
痛みを別の人間に移すのではなく、私に移してしまえばいいのだと。
それができればこんな私でも、リップのように傷を癒すことができるかもしれない。
そんな思いを抱いて日々、修行をしました。
そして、買い物をしに村に行った時のことです。
私の目の前で小さな女の子が転びました。
膝を擦りむき、可哀想なぐらい泣いていました。
私は、その子に近寄り、治してあげると声をかけました。
女の子の膝に手をかざし、呪文を唱えました。
すると、その子の膝から傷はなくなりました。
代わりに私の膝に傷が現れたのです。
女の子は怪我が治ったのを見て、喜びました。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
無邪気な笑顔を見て、心の底から良かったと思いました。
膝の痛みなんて些細なことのように思えたのです。
女の子からお礼にと飴をもらいました。
これだ、と思ったのです。
私はどう足掻いても白魔女にはなれない。
それは、幼い私が身に染みて感じたことです。
けれど、この方法なら……黒魔女のままでも白魔女のように人間を癒すことができるんだと思いました。
思ってしまったのです。
その日から、私の役割が増えました。
村から村へと移動しては、解呪や作った薬を渡し、怪我をしている人の傷を治していきました。
私の体は痣や傷だらけになりました。
長袖ばかりを着るようになりました。
スカートも短い丈が履けなくなりました。
お気に入りだったワンピースも丈が短いので着られなくなりました。
でも、いいんです。
たくさんの対価をもらっているんですから。
飴、サンドイッチ、手作りのブレスレット、ハンカチ、手鏡、造花……。どれも大切な対価です。
けれど、リップに傷を見られてしまいました。
油断していたのです。
新しくもらい受けた傷を消毒しようと川で洗っていた時、彼女に長袖の下に隠していた傷を見られてしまいました。
途端、美しい彼女の顔が怒りで真っ赤になりました。
「ロベリア!!それはなんなの!!」
けたたましい声でした。近くにいた動物たちが逃げ出すほどでした。
私は、彼女に見られたことで動揺していました。
彼女の顔を見るのが怖くて、視線を逸らしていたのです。
「なんなのその傷!!見せなさい!!」
袖を捲られてしまいました。
その瞬間、彼女は悲鳴を上げました。
無理もありません。
私の腕には無数の傷があったのですから。
「あんたっ……!!これはなんなの!?転んでできた傷だけじゃない……ナイフでつけた傷もあるじゃない!」
私は、いろんな人の痛みをもらっていました。
転んだ人。
指を切ってしまった人。
殴られた人。
自傷行為をした人。
死なない程度の傷は、何でも引き受けていました。
それが、いいことではないことなど、わかっていました。
わかっていたから、リップには隠したかったのです。
「ロベリア!!黙ってないで何か言いなさい!!」
何も言わない私に、彼女は必死の形相で叫んでいました。
私は、観念し、人間から痛みをもらっていたのだと打ち明けました。
すると、頬に強い衝撃が来ました。
頬を打たれたのだとわかり、しばらく呆然としていました。
視線をリップに向けました。
彼女は、顔をぐちゃぐちゃにして、泣いていました。
それは、私が生まれて初めて直視した彼女の泣き顔でした。
「バカ!!バカバカバカ!!……あんた、本当にバカよ!!最低最悪の大バカ者よ!!」
賢い彼女から出てきたとは思えない貧弱な語彙でした。
「あんた、それで人を救ったと思ってるの?違う!全然違うわ!救ってないわよ!」
私は、でも感謝されたと言いました。
「感謝?そりゃ感謝するでしょ!痛みをなくしたんだから!でも、人間は知らないんでしょ?あんたが自分に傷を移したのを!」
私は、それは必要ないことだから言わなくてもいいことだと言いました。
「違う!……違うの!そういう問題じゃないの!!」
私は、彼女が何を言いたいのか本気で分かりませんでした。
「理屈じゃないの!あんたがそんな傷だらけになっているのが嫌なの!!」
私は、どうしてなのかと聞きました。
だって、私が我慢すればいいだけなんですから。
「っ……そんなこと言わないで!!そんなの決まってる!私が……私が嫌なの!!あんたには綺麗でいてほしいの!!」
私は、汚いのでしょうか。
「違う!あんたは汚くなんかない!あんたは、私にとって……世界で一番綺麗な女の子よ」
私は、目が点になりました。
綺麗とは……彼女のような美しい存在にこそ相応しいからです。
私のような者に、そんな言葉を向けてはいけません。
手が荒れていました。
薬草で手がただれたからです。
幼い頃、近所の男の子にデカ女と笑われました。
他の子よりも身長が頭ひとつ抜けてたからです。
年頃になると、女の子から男を誘惑していると嫌悪されました。
下着を短期間で買い替えねばならないほど、胸が成長していたからです。
そんな私の、どこが綺麗なのでしょうか。
「……あんたは昔から物覚えが悪いくせに勉強を頑張ってた。子どもには優しかった。自分のことを悪く言われても縮こまるのに、誰かが悪く言われると後先考えずに突っ走ってたわ」
いきなりどうしたのでしょうか。
そんな当たり前のこと言われても反応に困ります。
私は、人一倍頑張らないと及第点が取れません。
子どもは誰かが手を引いてあげないと、迷ってしまいます。
私のことは何を言われてもいいです。でも、私の大事な人が悪く言われると我慢できないのです。
「……そういうところが、綺麗なのよ」
分かりません。
だって、私は汚いのです。
「汚くないわ。これ、お世辞でもないから」
リップは泣きそうな顔で私を睨みました。
だったら――。
「ごちゃごちゃとうじうじとうるさいわね!!」
火がついたように彼女は叫びました。
「鈍いあんたに言ってあげるわ!!私の……私の好きな子を傷つけないでよ!!」
……好きな子。彼女には好きな子がいたのです。
誰なのでしょうか。強く嫉妬してしまいます。
「っ、もう!!ほんっとにバカ!!」
彼女は、こっちが恥ずかしくなるぐらい顔を真っ赤にしていました。
「あんたに決まってるでしょ!!」
時間が止まったのではないかと錯覚してしまいました。
だって、何を言われたのか一瞬理解できなかったから。
理解してもそんなこと言われると思わなかったのです。
「あんたが好きだから私はこんなに怒ってるの!好きな子が傷だらけだったら苦しいに決まってるじゃない!」
好き……。私を?……リップが?
「そうよ!」
本当に……?
「嘘なんかついてどうするのよ!」
そんなの、そんなの――。
嗚呼、どうしましょう。
胸がざわざわして、くすぐったくて、でも心地よくて……本当に――
「……嬉しい」
思わず、呟いていたのです。
「両思い……なんですね、私たち」
呆然と彼女を見つめていました。
「…………は?」
リップはきょとん、とした顔をしました。
とっても可愛いです。
「あんた、私が好きなの?」
はい、と答えました。
「な、なによ!!それならそうと早く言いなさいよ!!」
目をつり上げてひどく怒ってしまいました。
私が悪いのでしょうか。
「顔に出ない仏頂面め……とりあえず、これ治すわよ」
不服な顔をしながら彼女は私の腕の傷に手をかざしました。
「レーナサーレ」
呪文を唱えると、傷が消えていきました。
けれど、治らない傷もありました。
それは、もらった古傷でした。
痛みはありません。けれど、皮膚に深く刻まれた痕だけは消えませんでした。
「……なによ、これ」
リップの指先が、その傷跡の上で止まりました。
私はとある女性からもらった古傷だと答えました。
幼い頃にできてしまった傷を恥じ、好きな人に見られたくないと泣いていた女性でした。
私は不憫に思いました。
だから、傷をもらいました。
「……だからって、なんでもらうのよ」
リップは、そう言ってその古傷に優しく触れました。
もちろん痛くありません。
でも……彼女には触れてほしくはありませんでした。
「あんたがもらったら意味無いでしょ」
けれど、傷が消えて女性は感謝してました。
「苦しんでる人間を助けることは、あんたのいいところよ。けど……傷をもらうのは違うわよ」
なにがでしょうか。
「……その人は、あんたが治したと思って喜んだんだと思うわ」
リップは、私の腕に残った傷跡を見つめたまま言いました。
「こんなことになってるなんて知ったら……きっと止めてたわよ」
でも……笑ってくれました。
「そりゃそうでしょ!!あんたが治したと思ったんだから!」
リップはそう言うと、私のもう片方の腕を捲りました。
「他にももらったんじゃないでしょうね!古傷!」
目を逸らしました。
「……この痣はなに?」
一際目立つ痣を指さしました。
夫から暴力を振るわれた女性からもらいました。
その夫は亡くなったそうですが、その痣を見る度にまだ夫がいるのではないかと怯えていました。
痣は何年も消えなかったそうです。
医者に見せても、白魔女に頼んでも、何故か薄くならなかったのです。
だから、もらいました。
「……あんた、それ優しさだと思ってるの?」
それは、優しさではないでしょうか。違うのでしょうか。
「全っ然違う!!そんなのはね!優しさなんかじゃないわよ!あんたが自分に罰を与えてるだけよ!」
そんなつもりじゃ、ありませんでした。
「でしょうね!自覚があったら、また怒鳴ったわ!」
何も、言えなくなりました。
違うんだと本当は言いたかったのです。
笑ってほしかったのです。
安心してほしかったのです。
でも、リップに言われて心がすごく痛かったのです。
「……ねぇ、あんた呪いが嫌いなんでしょ」
大嫌いです、今でも。
「けどね、あんたのその助け方は、自分を呪ってるのと変わりないわよ」
え……?
「自分を傷つけてるのと変わりないのよ?……それは、呪いと違いはあるの?」
それは……それは……。
「……ねぇ、ロベリア。答えられないなら、もうわかってるんでしょ?」
…………。
「自分を傷つけることを、優しさって呼ばないで……」
そう言う彼女の目には、涙が溜まってました。
……でも、あの人たちは苦しんでいました。
放っておいたら、あの人たちは一生、縛られたままでした。
私が傷をもらえば、解放されます。
笑顔になってくれます。
それは、いけないことなのでしょうか。
「……笑顔にならない人もいるじゃない」
そんな人が、いるのでしょうか。
……違います。いないと思ってたのです。
「いるわよ、あんたの目の前に」
……どうしてでしょう。
「バカ、ほんっとにバカ。だから何度でも言ってやる。好き。あんたが好きよ。どうしようもないこの世界で一番……だから、私の好きな人が、こんな姿になってるのを見て、私は笑顔になれるの?」
リップの頬には、涙が伝ってました。
……そうですね。私はバカでした。浅はかでした。
どうして、そんなこともわからなかったのでしょうか。
傷ついたら、誰かが悲しむ。
そんな当たり前のことを私は、私に適用しなかったのです。
私は、リップの悲しむことをしてしまったのです。
「そうよ……やっと分かったの?図体は大きいくせに鈍いんだから」
「……ごめんなさい」
私は謝りました。
「謝るぐらいならもうやらないで……」
「……でも」
笑ってもらえた記憶は、私の体にこびりついてしまってました。
「そう……そうよね、あんたが簡単にやめたらあんたじゃないわね。だったら約束して」
「何を……ですか?」
「古傷はもうもらわない、傷をもらうなら、相手になにが起こるか言うこと、もらったら私に絶対に治させること」
「……多いです」
「少ない方よ。もっと増やす?」
「嫌です……あと、相手に言ったら頼まないと思います」
「いいのよ、それで。その力で誰かを助けるってそういうことなのよ」
そう言うと、彼女は残りの隠していた傷を治してくれました。
もちろん、もらった古傷は残ったままです。
「もう、長袖で隠さなくていいわよ」
「……でも」
これは、出すにはあまりにも……。
「だからなに?それであんたが汚くなるの?お生憎様、そんなことであんたを嫌いになるやつがいたら、とっちめてやる」
それって、とても……
「……愛の告白じゃないですか」
「は、はぁ!?何言ってんのよ!」
「だって、そんなにも私を愛してくれてるんでしょ?」
「バ、バカバカ!!なんで言うのよ!!なんで言葉にするのよ!!こういうことは言わなくていいの!」
「……言った方がいいことの方が多いんですもん」
私は、むくれてしまいました。
「い、言った方がいいことあるなら!あんたも言いなさいよ!」
「なにをですか?」
「あ、あんたの口から聞いてないじゃない!あ、愛してるって!!」
……あら、本当です。私、言ってませんでした。
リップにだけ言わせるなんて、私ったらダメダメです。
「……愛しています。貴方の全てが好きです」
リップの綺麗な碧色の目を見つめながら言いました。
「貴方の手入れされた長い髪が好きです。私を見つめる目が好きです。私の体型を羨ましそうに見てる貴方が好きです。私に優しい貴方が好きです。貴方が私の名前を肯定してくれてから私は生きてこられました。……はい、言いました。どうでしょうか?」
リップは固まってしまいました。
そして、みるみると顔を真っ赤にし、私を睨みつけました。
「そ、そこまで言えって言ってないでしょ!!」
……難しいです。
それから私は痛み分けの魔法を使うことが少なくなりました。
リップと約束したからです。
私は、あれから呪いについてもっと勉強しました。
白魔女の真似をしても、私の役目にはならないのだと悟ったのです。
だからこれまで以上に学びました。
リップとは進展がありました。
いつもの森で会うと、リップは私に手を差し出しました。
どうしたのかと聞くと、顔をムスッとさせて
「鈍い!!」
と叫びました。
私が分からず、おどおどしていると
「手を繋ぎなさいよ!!す、好きなんでしょ!」
顔を赤くしながらそっぽを向いて、言いました。
きゅん、としてしまいました。
人間が小動物を可愛がる気持ちがよく分かりました。
私は思わず聞いてしまいました。
キスをしてもいいかと。
「な!?え、そ、そんな……急に……こ、心の準備が……」
……え、なんですか、この可愛い子。これ、私の好きな人って本当ですか?本当です。ありがとうございます、神様。
結局その日は、手を繋ぐだけで終わりました。
私は、我慢ができる黒魔女なのです。




