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暗黒竜とふたつ目の願い事

 羽根を完成させて飛び上がれば、周囲から驚くような声がいくつも上がった。そちらに視線をやることなく、まっすぐ海賊船へと飛んでいく。


「情けは人のためならず! ひょっとしたら、例の怪物がいるかもしれないしね!」


 あっという間に船の真上に出る。

 船の上では大混乱が起こっていた。


 アンさんが懸命に指示を飛ばし、手下さんたちが槍で海面を突いている。

 だけど船は何度も大きく揺れて、どんどん片方に傾きつつあった。

 このまえ、ヨハンさんの船がクラーケンに襲われていたときと似ているけど……。


「いったい何に襲われているんだろう?」


 海の上からだと襲撃者の姿が見えなかった。船の下にいるのかも?

 僕は少しだけ悩んでから、大きく息を吸い込んで一気に急降下した。


 影を下半身にまとわりつかせ、魚の尾びれを形成。

 そのままざぶんと海の中へと飛び込んだ。


 神様になったからか、僕は五歳にしては水中でも息が持つ。だけどあんまり長いこと潜っていることはできなかった。とっとと事態を見極めて動くしかない。


 目を皿のようにして、海中の様子をうかがう。 

 あたりにはきれいな珊瑚礁が広がっていて、長い海藻が海面に向かって伸びている。


 それらを波間から差し込む陽光が色鮮やかに照らしていた。うっとり見とれてしまいそうなほど、幻想的な光景だ。

 だけど見えるのはそれだけだ。


(あれ? やっぱり何もいないじゃん)


 船の下に襲撃者の姿はない。

 それどころか、魚の一匹たりとも見えなかった。


 アンさんがあんな大物を釣っていたのと同じ海とは思えない静けさだ。

 首をかしげていた僕だけど、その目の前で船体が大きく揺れた。まるで大きな生き物から体当たりを食らったみたいに。だけどそれが突然ピタリと止まった。


(いったい何が……って、痛っ)


 ぴりっとした痛みが手の甲に走った。

 見れば小さな釣り針が引っ掛かっている。誰かの釣り竿から千切れたものだろう。顔をしかめつつも、針を抜く。かすかな血煙が海水に混じった。傷口が海水でしみる。


 その、次の瞬間。


(えっ!? なになになに!?)


 猛スピードで見えない何かが突っ込んでくるのが水の流れで分かった。

 慌てて体を反らして回避するも、頬がわずかに切れて赤い血煙が水に溶けた。


 通り過ぎていった何かを追って振り返れば、長い海藻が何本も切り裂かれるところだった。

 ちょうど、不可視の刃を振ったかのような光景だ。


(見えない攻撃……まさか!)


 それを見て、僕はピーンと閃いた。

 再び激走してくる敵を避けつつ、手を伸ばす。

 すると、水とは異なる硬くてザラザラした触感がわずかに指に触れた。ほんの一瞬だけの接触で僕は確信する。


(透明だ! 敵は透明な魚なんだ!)


 なるほど。それなら魚影が見えないのは納得だ。


 お腹側を白くしたり、体全体を真っ赤にしたりして、敵から隠れる魚がいるっていうのは知ってたけど……透明になるとか! 大胆で面白い生態だなあ!


 海の中では最強の生存戦略だ。敵の目を欺けるし、ご飯も食べ放題だろう。


(骨とか内蔵とか血液とか、いったいどうなっているのかなあ。目も透明だと、水晶体が光を屈折しないから、なにも見えなくなるって聞いたことがあるけど、ほんとかな?)


 知的好奇心がムクムクと湧き上がる中、また大きな気配が突っ込んでくるのを感じた。

 どうやら船を襲っていた敵は、獲物を僕に切り替えたらしい。


(種が分かればこっちのものだ。人間……いや、神様の底力、見せてやるぞ!)


 海中は向こうの土俵だ。僕には不利なゲームだけど、だからこそ面白い。

 息はもう少しだけ持つ。その間に、なんとしてでもあいつを倒すぞ!


(よし! 影よ、来たれ!)


 心の中で念じると、影が大きな網に変わった。

 これで文字通り一網打尽にする作戦だ。


 狙い通り、透明な怪物は僕の網へと突っ込んでくるのだけど――。


 斬ッッッッ!


 影の網はあっさりと切り裂かれ、怪物が大口を開けて襲いかかってくるのを感じた。


(うそぉ!?)


 慌ててこれまた回避。全速力で逃げるのだけど、怪物は執拗に追ってくる。


(網で捕まえるのは無理か。じゃあとりあえず……『鑑定』!)


 相手のステータスを確認して、作戦を練ろうとする。


 だけど見えないせいか狙いが外れて、あたりの海藻だったり珊瑚だったりの鑑定結果が表示されるだけで終わった。へえ、あの珊瑚って五千歳なんだ……海の神秘だなあ。


 そんなふうに学びを得ている間にも、怪物の追跡は続いていた。

 あたりをぐるぐる回りながら、僕はなおも考え込む。


(鑑定魔法が当たらないなら、ステータスを弄るのも無理か。うーん、そもそもどうして僕が狙われたんだろう?)


 獲物としては、大きな船の方が断然襲い甲斐がある。

 小さいから勝てると思われた?

 いいや、もっと決定的なきっかけがあったはずだ。


 少し考えて、ハッとして手の甲を見る。

 さっき釣り針が刺さった箇所は、ほのかに赤くなっていた。


(ひょっとして血の臭い?)


 なるほど。肉食動物は獲物の血の臭いに敏感だという。

 小さな怪我を負ったことで相手を興奮させてしまったのかもしれない。

 透明だと目が見えないっていうし、その分鼻が利く可能性もある。

 血……血かあ……。


(よし。これでいこう)


 僕は決意を込めて魔法を使う。対象は敵……ではなく、自分自身だ。


(状態異常魔法・病!)


 闇色のオーラが降り注ぎ、急激な目眩と激しい動悸が僕を襲う。

 それと同時、手の甲や頬の傷から色濃い血煙が上がった。病にかかったことで、出血の量が増えたのだ。後方から突き刺さる殺気が、ひときわ強まったのを肌で感じる。


 ふう。ヴォルグがいなくてよかった。

 こんなやり方、絶対怒られたもんね!


 十分引きつけたところで――。


(状態異常魔法、解除!)


 不調が綺麗さっぱり消え去った。

 それと同時に僕は急停止して体を反転させる。


 大きな血煙が広がるただ中に、怪物のシルエットが浮かび上がった。長い尾びれをくねらせて獲物の姿を探している。目が見えないっていう僕の読みは、どうやら正しかったようだ。


(これで終わりだ!)


 ――ッッッッッッ!


 影の槍で怪物を貫けば、声なき断末魔が海を震わせた。

 次第にその姿にブルーグレーの色が付いていき……あっ、そろそろ息がキツいかも。

 ギリギリセーフだ!

 僕は怪物の尾びれを引っ掴み、太陽の方向を目指して一目散に泳いだ。


「ぷはっ」


「うわあっっ!?」


 海面から顔を出すと、大きな悲鳴が上がった。

 見れば海を覗き込んでいたアンさんたちが、信じられないものでも見るような目で僕を凝視していた。


「ぼ、坊主おまえ……無事だったのか!」


「もちろんですよ。あっ、ちょうどいいや。お邪魔しまーす」


「ちょ、ちょっと待てこら!」


 異論の声は聞き流し、海賊船の甲板へと上がる。

 そうして、仕留めたばかりの怪物を転がすと、戦場に大きなどよめきが起こった。


 怪物の正体は超巨大なサメだった。

 どうやら水中でのみ透明になる生態らしく、船に上げ途端にその姿を露わにした。


 太くて立派な尾びれに、ぴんっと立った三角の背びれ。大きな口からは無数の歯が覗いていて、地球産のホオジロザメとよく似ている。それが透明になって襲いかかってくるなんて……ちょっとB級パニック映画な展開がすぎるんじゃない?


 あんぐりと口を開けて固まるアンさんたちに、僕は笑顔を向ける。


「みなさん、もう大丈夫ですよ。船を襲っていたのはこいつです」


「まさか、坊主がそいつを仕留めたのか……?」


「はい! いやあ、予期せぬ大物でした」


 甲板に転がる巨大サメを見下ろし、僕はニコニコとする。

 これなら十メートルくらいかな? オケアニル六人分くらい?


 さっきアンさんが釣り上げたカジキマグロよりもずっと大きいはずだ。

 これならトップ争いにだって余裕で食い込める。

 まあ、それはそれとして。


「サメって食べたことないけど美味しいのかな。白身魚だっけ?」


 アンモニア臭いって聞くけど、今のところそんな感じはない。

 白身魚でも赤身でも美味しくいただけちゃいそうだ。


「ねえ、アンさんたちはどう思い……はへ?」


 女海賊団を振り返り、僕は気の抜けた声を上げてしまう。


 少し前までぽかんとしていたはずの彼女らが、みんな怖い顔をして、武器を手にして僕を取り囲んでいたからだ。例外は隅っこでぼーっとしているオケアニル(分霊体)くらい。


 アンさんもまた腰に差したナイフをゆっくりと抜く。その手はかすかに震えていた。

 彼女は小さく、長く息を吐いてから、その切っ先を僕へと向ける。


「悪いことは言わねえ。その獲物を寄越せ」


「ええ……」


 恩を仇で返すにもほどがあるけど、たしかに強奪はルールの内だ。

 だから彼女らの行動は理解できる。理解できるんだけど……。


「アンさん、僕の強さは知ってるはずでしょ。やめた方がいいですよ」


「うるせえ! せっかく転がってきたチャンスを諦められるか!」


 僕が説得しようとしても、アンさんは声を荒らげて吠えるばかり。

 目もギラギラしているし息も荒い。完全に興奮状態だ。説得の言葉は届きそうもない。


(……仕方ないなあ)


 僕はちょっぴり考えるて、にっこり笑ってこう告げた。


「いいですよ。ただし……僕に勝てたらね」


 数分後。

 甲板には綺麗に土下座して並ぶ海賊団の姿があった。


「暗黒竜様とはつゆ知らず、失礼いたしました! もう二度と刃向かいません!」


「「「すみませんでした!!」」」


「分かればよろしい」


 そんな彼女らに僕はうんうんとうなずく。

 暴力は好きじゃないけれど、拳で語らないと分からない人もいる。


 とはいえ、暗黒竜だと名乗った上でちょこっと暗黒魔法で脅しただけだ。

 みんな怪我ひとつ負うことなく、無事に戦意を消失してくれた。


 また暗黒竜の悪評が広まっちゃうかもしれないけどね。別のところで挽回しよーっと。

 軽く決意する僕をよそに、アンさんは土下座のままガタガタ震えてか細い声を紡ぐ。


「し、知らなかったこととはいえ、無礼な口を利いて、申し訳ございませんでした……! こ、この償いはいかようにも、いたします……! だ、だから、どうか……!」


 そこでアンさんは涙でぐしょぐしょになった顔をガバッと上げ、悲痛な声で訴えかけてくる。


「どうか、食うならあたしだけにしてください! 子分どもはあたしが無理やり付き合わせただけなんで!」


「姉御!? なんてことを言うんですか!」


「食われるならみんな一緒ですよ! 姉御だけなんてそんなのダメです!」


「うるせえ! 子分たちを守れなくて、何が海の女だい! いいからおまえらは黙ってな!」


「「「姉御ーーー!!」」」


「食べませんって! もう! このやり取りも二回目なんですけど!?」


 ヨハンさんといいアンさんといい、命乞いのテンションがまったく一緒だ。

 海の人ってみんなこうなのかな……?

 痛む眉間を押さえつつ、僕はアンさんの前にしゃがみ込む。


「襲いかかってきたことは不問にします。そのかわりにお願いがあるんですけど、かまいませんか?」


「は、はい……なんなりとお申し付けください、暗黒竜様」


 アンさんは真っ青な顔でうなずく。

 ほかの船員たちも自分の運命を悟ったみたいな絶望顔でうな垂れていた。


 どんなヤバいことに加担させられるんだろう……って空気だ。

 覚悟を決める彼女らに、僕はにっこり笑ってお願いした。


「料理の手伝いをお願いできますか? せっかくだし、みんなでご飯にしましょうよ」


「ってことは……やっぱりあたしらを食べるんすか!?」


「こっちのサメに決まってます!」


 激震が走る彼女らに、僕のツッコミが炸裂した。



 ◇



 空が燃えるような茜色に染まるころ。

 二回戦の会場である孤島では、どんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。


「暗黒竜様に、かんぱーーーーい!」


「「「かんぱーーーい!」」」


「あはは、どうもー」


 完全な酒盛り会場と化した島に、当初のピリピリした空気は存在しない。

 多くの人々が船に積んでいた酒を持ち出して、飲めや歌えやの大騒ぎ。


 亜人村のみんなのおかげで慣れた僕は、そんな彼らに手を振って応えてみせた。

 その傍ら、巨大サメ――インビジブルシャークというらしい――をテキパキと捌いていく。


 大きな骨を取って身をぶつ切りにして、影で作った大鍋に放り込む。


 他の人たちが提供してくれた魚や野菜、パスタなんかと一緒にぐつぐつ煮て、酒と醤油で味を整えたら、海鮮寄せ鍋の完成だ。ふわっふわの白身がたくさん浮かぶ鍋からは、食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。


「はい、お鍋のおかわりです。たくさんあるし、じゃんじゃん食べてくださいね!」


「待ってました!」


 多くの人々が列を成し、受け皿に鍋をよそっていく。

 すると大きな歓声があちこちで上がった。


「うめえ……! サメってこんなに美味いのか!」


「インビジブルシャークといや、一切れで金貨一枚の超希少珍味だぜ。まさかこんなところでありつけるとは人生捨てたもんじゃないな……」


「そんでまた、この調味料が妙に合うんだよなあ」


「あの、暗黒竜様。これってなんていう調味料なんです?」


「醤油っていいます。僕の神殿で作っているんですよ」


 こんなこともあろうかと、醤油を瓶で持ってきておいて正解だった。

 鍋出汁に風味付けにちょこっと入れるだけで、白身の淡泊さを抜群に引き立ててくれる。

 そんなふうに解説すると、みんな目を輝かせて食いついた。


「マジか、暗黒竜様のお手製調味料……! 頼みます、分けてください!」


「そうですねえ。もっと大量生産できたら考えてみます」


「よっしゃあ! いつかたんまりお布施を持って、参拝に行きますね!」


「俺も俺も! そんときは醤油を使った他の料理も教えてください!」


 そんなふうに盛り上がる人々を横目に、僕はニヤリとほくそ笑む。

 ふっふっふ……こんなこともあろうかと、船に醤油を積んでいてよかった。


 これならお刺身の布教も叶うかもしれない。

 その次はお寿司だな。酢飯の作り方と、握り方を研究しないと!

 達成感と使命感とを噛みしめる僕の隣で、ヴォルグがホクホク顔で感嘆の吐息をこぼす。


「坊ちゃまの人徳には恐れ入るばかりですな。あっという間に人間どもの心を掌握してしまいました」


「ふふ。たまたまみんなお腹が減ってただけだよ」


 インビジブルシャークを仕留めたあと。

 僕は獲物をオケアニルの元まで運んで行って、元気よく叫んだ。


『オケアニル! これ測ってよ! それで今すぐ調理していい!?』


『いい……よー』


『やったあ!』


 こうしてお許しが出たので、ささやかなご飯会が開かれることになった。女海賊団も頼んだ通りにお皿や調理器具なんかを提供してくれて、おっかなびっくり手伝ってくれた。


 そのお礼もかねて、作った鍋を振る舞ったのだ。

 最初は警戒していた彼女らだけど、一口食べるとあっという間に皿が空になった。


『うめえ……!』


『これがあの忌々しいサメなのか……』


『暗黒竜様、料理上手いっすね』


『えへへ。自己流ですけどね』


 そんなふうに盛り上がっていると、他のチームの人たちがおずおずと声を掛けてきた。

 どうやら匂いに釣られたらしい。


『あのー……すみません。俺たちにもちょっと分けてもらってもいいですか?』


『かわりに俺たちが釣った魚とか、野菜なんかを提供できますけど』


『渡りに船です! 大歓迎ですよ!』


 その輪はどんどん広がって、島中の人々を包み込んだ。

 どうもみんな小物しか釣れなくて、勝負を諦めていたらしい。


 インビジブルシャークを横取りしようとする人たちを懲らしめたり、その流れで僕が暗黒竜だってバレてびっくりさせちゃったり、いろんなドタバタ騒ぎがあったけど……お酒の力もあってか、いつの間にかみんな自然と打ち解けていた。


「ギョ魚……」


「ギョギョ……」


 測定の魚人さんたちも、隅っこで静かに参加している。

 ちまちまと食事の手が進んでいるみたいだけど……。


(表情からじゃ何も分かんないなあ。お口に合っていればいいんだけど)


 そんなことを考えながら、僕も鍋を食べる。


 白身はふわっふわのぷりぷりで、口の中でほろほろと崩れていく。心配していたアンモニア臭もまったくないし、これならいくらでも食べられちゃう。白いご飯が恋しいかも!


「オケアニルはいらないの?」


「いい……もう、お腹いっぱい……ふふ」


 オケアニルはゆっくりとかぶりを振って、にんまりと笑う。他のオケアニルも全然お鍋に手を付けようとしなかった。そのくせ優しい目をして周囲の人間たちを見つめている。


 アンさんもお皿に口を付けて、しみじみとため息をこぼす。


「まさか宝探しに来て、暗黒竜様の手料理をいただくとはなあ……」


「気が向いたら神殿に遊びに来てください。ほかの料理もごちそうしますよ」


「……考えとくよ」


 アンさんは返答を避けつつも、白身を口へと運んだ。

 その一口ごとに、彼女の渋面が和らいでいく。


 僕に対する警戒心もずいぶん薄れてきたようだ。しみじみしつつ、お鍋の出汁を啜る。いろんな魚のエキスが詰まって風味豊かで、心をホッとさせてくれた。


「やっぱりご飯の力は偉大だよね。チビニルもいっぱい食べて偉いね」


「ぴぴぴぃ!」


 食べかすだらけの顔を上げ、チビニルは高らかに鳴いた。

 たくさん遊んで疲れたみたいで、さっきから美味しそうにガツガツと食べている。


「魚を煮ただけで、こんなにも美味くなるとは……やはり料理は侮れませんな」


「ねー! 僕みたいにぷりぷりだもん!」


 ヴォルグとネルネルも鍋を気に入ったようで、ほくほく顔だ。

 日が落ちてきたせいか、海風がひんやりと冷たくなってきた。


 だけど宴席の熱気とあったかい料理のおかげで、全然寒さを感じない。見渡す限りに笑顔が溢れる空間って、なんて素敵なんだろう。


 アンさんもそれをぼんやりと見つめて、ぽつりと言う。


「こんなの相手じゃ、勝てるわけねえわな……」


「……すみません。正体を隠したりして」


「いいさ。これもまた……運命だよ」


 アンさんはそう言って、三角座りで顔を伏せる。その姿からはひどい落胆が見て取れた。声を掛けるに掛けられなくて、僕は口を噤むしかない。


 こうして宴席はゆっくりと進み、水平線の向こうに夕陽が沈んでいく。

 その残滓が消えて、満天の夜空が僕らの真上に広がるころ。


「時間……」


「だね……」


 オケアニルたちが顔を見合わせ、同時にこちらを向く。

 そうして、いくぶん顔をキリッとさせて厳かな声で告げた。


「今回もレインの勝ち……ね」


「宝は……こちら」


「どうぞ……受け取って……ね」


「うわっ!?」


「坊ちゃまあ!?」


 パチンと指を鳴らせば、頭上から金銀財宝が降り注いだ。

 僕がすっぽり埋まってしまうくらいの大量のお宝に、周囲の人たちがざわめく。だけど誰も手出ししようとはしなかった。暗黒竜の宝を奪おうなんて命知らずはいないらしい。


 宝の山をかき分けて、僕はぷはっと顔を出す。


「ありがとう。でもなんか、前回より多くない?」


「三回目の方がもっと多い……よ」


「期待してて……ね」


「金貨千枚が見えてきたな……」


 途方もない額だと思っていたけど、そろそろ王手間近だ。

 ワクワクしていると、そこにオケアニルのひとりがずいっと顔を近付けてくる。


「それで……願い事はどうする……の?」


「あっ、決めてなかったや」


 獲った獲物はもうほとんど食べ尽くしちゃったし、冷凍保存してもらうほど残っていない。


 僕はちらっとアンさんを見やる。

 彼女はまだ顔を伏せてじっとしていた。まるで迷子になった子供みたいに寂しい姿だ。


 そんな彼女から視線を滑らせてみると、ワクワクとした観客たちと目が合った。そのついで、僕は彼らに問いかけてみる。


「あのー。みなさんの願い事はなんですか? 参考までに聞かせてください」


「はいはい! 永遠に水が涸れない湖です!」


「もちろん我が領土の豊漁を!」


「水の魔法を自在に使いこなせる力!」


「ま、順当なのはその辺りですよねえ」


 どれも便利そうではあるけれど、いまいち食指が伸びないや。

 だから僕はそのついでとばかりにそっとアンさんへと尋ねてみる。


「アンさんだったら何を願いますか?」


「ええっ!? あ、あたしは、その……」


 アンさんはギョッとして顔を上げ、しどろもどろで黙り込んでしまう。

 すると、彼女の手下さんたちが訳知り顔で口を挟んできた。


「姉御は生き別れのお母さんに会いたいんですよね」


「そうそう。酒の席でいっつも言ってるもんな」


「バッ、バカ野郎! 大きな声で言うんじゃないよ!」


 アンさんはひどく狼狽える。

 ようやく彼女の本心が見えた気がした。

 だけど僕は首をかしげるのだ。


「オケアニルに叶えてもらえるのは、水に関するお願い事だけなんですよね。お母さんとの再会って、条件に合ってないような気がするんですけど」


「……暗黒竜様には関係ないだろ」


「関係ないかもしれないけど、興味はあります。どうか教えてください」


「ううっ……」


 僕がまっすぐな目を向けると、アンさんの顔色は青くなったり赤くなったりする。

 しかしやがて観念したように大きなため息をこぼすと、うつむいたままぽつりぽつりと打ち明けた。


「その……あたしの母ちゃんは人魚でさ、あたしが小さいころに海へ帰っちまったんだ。それから一度も会えてない。でも、海の神様なら母ちゃんを探し出せるかもしれないだろ。それで、この宝探しに参加したんだけど……」


「じゃあそれで。オケアニル、アンさんの願いは叶えられる?」


「「「はあ!?」」」


 アンさんだけでなく、手下さんたちや、まったく関係のないギャラリーたちまでもが絶句する。ヴォルグなんて、魚の骨を加えたままでぽかんとしていた。


 しんと静まり返る中、オケアニルは事もなげに言う。


「もちろん平気……海の住民は、等しく……みんな我氏の領民……でも、レインはそれでいい……の?」


「いいのいいの。探してあげて」


「いやいやいや! よくねえよ!」


 そこで悲鳴のような声を上げたのはアンさんだった。

 僕の目の前に這いずるようにやってきて、がしっと両肩を掴んで揺さぶってくる。


「あたしはあんたを襲って、獲物を奪おうとした敵なんだぞ! そんな奴のために貴重な権利を放り出すなんて、いったい何を考えてやがるんだ!」


「だってアンさんのお願い事が叶った方が、一番平和でしょ?」


「へ、平和って……暗黒竜が言うことじゃねえだろうよ」


 かすれた声でつぶやいて、アンさんは完全に脱力してしまう。

 そこにオケアニルが近付いてきて、どんっと胸を叩いてみせた。


「それじゃあ……探してあげる……あなたの記憶を読ませてもらう……ね」


「へっ……オケアニル様? なんであたしの頭に手をおおおあががががががががあああ!?」


「「「姉御ーーー!?」」」


 なんだか怪しい洗脳魔法っぽいものを掛けられて白目を剥くアンさんに、手下たちが悲鳴を上げる。大丈夫かなあ……ちょっと心配になるけれど、見守るしかない。


 そんななか、ヴォルグが苦虫を噛み潰したような顔で忠言してくる。


「よろしいのですか、坊ちゃま。せっかくの願い事を放棄して」


「だって思い付かなかったんだもん。僕は美味しい魚が食べられただけで満足だよ」


「無欲にもほどがありますぞ。そんなに魚がほしいなら、領土の豊漁を願えばよろしかったのに」


「ほーりょー? ほーりょーってなあに?」


「たくさん魚が採れることだ。ネルネルも腹一杯食べられるに違いないぞ」


「なにそれすごいじゃん! レイン、今からでもそっちにしなよ!」


「それもちょっと考えたんだけどねえ」


 あむっと白身を頬張って、軽く目をつむる。


 こんなに美味しいお魚が毎日たくさん採れるようになれば、僕だけじゃなく亜人村のみんなもよろこぶだろう。それを選択しなかったのは、ちょっと危惧することがあったからだ。


 すぐそばにいたオケアニルに、僕はそっと尋ねてみる。


「ねえ、オケアニル。仮に僕が領土の豊漁を望んだら、近隣地域に影響があったりする?」


「もちろん、未曾有の大不漁に見舞われる……よ」


 オケアニルはあっさりと言う。


「海の資源は有限……どこかが栄えれば、他が枯れる……当然の摂理……だね」


「ほらね。何事にも上手い話はないんだよ」


 人のものを横取りして美味しいものを食べたって、全然うれしくない。

 だったら僕は、僕とその他大勢が幸せになれるような、平和な道を選ぶまでだ。

 暗黒竜らしくはないかもしれないけれど、これが僕流ってことで。


 話が難しかったのか、ネルネルはにゅーんと伸びて唸る。


「取りすぎちゃダメってこと? なんで?」


「ごはんはみんなで食べた方がおいしいでしょ? だからだよ」


「なるほど、たしかに! ごーりてき、ってやつだね!」


 納得したらしく、ネルネルはさらにもりもりと料理を平らげていった。

 残った骨まで食べてくれるので、この島にゴミを残さずに済みそうだ。


 鍋の取り分をぺろっと食べきって僕は空を見上げる。

 今日はきれいな満月だ。こっちの世界じゃ太陽同様、月もふたつ揃っている。

 優しく輝くお月様に見守られながら、僕は次の戦いへと思いを馳せた。


「さーて、次はどんな海の幸が食べられるかなあ」


「おおおー!!」


 そんな折、その他の宴席参加者たちから大きな歓声が上がった。

 見ればアンさんがひとりの女性に抱き付いて、泣き崩れているところだった。


 女性は目の覚めるような深紅のロングヘアに貝殻の髪飾りを付けていて、下半身が魚という……ひと目見ただけで分かる人魚さんだ。そしてアンさんにとてもよく似ていた。


 アンさんはわんわん泣きながら大声で叫ぶ。


「母ちゃん! ほんとに母ちゃんなんだな……! あたしも父ちゃんも、ずっとずっと、母ちゃんに会いたかったんだよぉ……!」


「寂しい思いをさせてごめんね……」


 人魚さんもまた涙ながらにアンさんのことを抱きしめていた。

 感動的な親子の再会に、あちこちから鼻を啜るような音が聞こえてくる。


「ちぇっ。なんか白けちまったなあ」


「そう言うなって。こういう酒の肴も悪くないさ」


「暗黒竜様は粋だねえ……」


「まったくだ」


 周囲の人々もそれを密やかに祝福し、あちこちから僕の様子をうかがうような、ささやかな視線を感じた。それは邪竜に向けられる畏怖……というよりも、純粋な尊敬の念だった。


 なんだかくすぐったくなってもぞもぞしていると、涙でボロボロになったアンさんが僕の前に飛び出してきて、がばあっとその場にひれ伏した。


「暗黒竜様! 本当にありがとうございました! このご恩は一生忘れません……!」


「やめてくださいってば! 願いを叶えたのはオケアニルですよ、僕はなんにもしてませんよ!」


 僕は慌ててアンさんを宥めるのだけど。


「すげえ……俺だったら絶対一生恩に着せるわ」


「なんて心の広いお方なんだ……まさに神の器だなあ」


「俺、今からでも信徒になろうかな」


 なぜか、尊敬のまなざしがさらに強まっていく。

 いや、ほんとになんで!?

 狼狽える僕の隣で、ヴォルグは噛みしめるようにしてうんうんとうなずく。


「さすがは坊ちゃま。ここでもまた新たな信徒を獲得なさいましたな」


「またレインのお友達が増えたの? やっぱりレインはすごいね!」


「それはいいから、助けてくれない……?」


「うおおおおおん! 暗黒竜様、ばんざーーーい!」


 アンさんが泣き崩れながら万歳三唱する。

 美人の泣き顔って迫力あるなあ……。

 そんなこんなで、しんみりした空気の中で第二回宝探しは終結した。

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