18 奪還、魔窟の奥で
洞窟の入り口に着くと、ヨルカの姿はなかった。
そこにあったはずの荷物も消えている。
地面には何かを引きずった跡があり、その線は洞窟の奥へと続いていた。
「引きずられた跡があるな。足跡も複数ある。大勢でヨルカを抑え込んだのか」
足元を観察すると、十八センチほどのゴブリンの足跡に混じって、二回りほど大きな足跡もある。
どうやら、この中にいるのはただのゴブリンだけではなさそうだ。
俺は薄暗い洞窟へと足を踏み入れた。
洞窟の中は、奥へ進むごとに外の光が届かなくなり、濃い闇があたりを覆っていく。
「くさッ!」
思わず腕で鼻を覆う。
洞窟の奥からは異臭が漂ってきて、進むほどにその臭いは強さを増していった。
おそらく排せつ物や残飯の処理まで、この洞窟の中で済ませているのだろう。
衛生状態は最悪だ。
こんな場所から魔界に伝染病が広がるのだと、薬師のおやじから聞かされたことがある。
奈雅井は不要だな。
「くそ、この先は暗すぎて道が見えない」
肉眼では、もうこれ以上先の様子を捉えきれない。
この暗闇では、自分が敵を見つける前に、先に見つかってしまうだろう。
いくら相手が雑魚のゴブリンでも、不意打ちを食らうわけにはいかない。
(見えるようにしてやろうか?)
困っていると、ルシファーが話しかけてきた。
「できるのか?」
俺は驚いて聞き返す。
なんて便利なんだ、ルシファーさん。
(愚問だな。我にできないことはない)
……自信過剰なのが玉にきずだな。
「……頼む!」
「任せろ。アイズスイッチング!」
ルシファーが俺の口を使ってそうつぶやいた途端、俺を包んでいた暗闇は、一瞬にして昼間のような景色へと変わった。
「おお、見える。これはどういう呪文なんだ?」
(正確には呪文ではない。我が持つ魔力操作のひとつで、空気や物質を流れる魔力を見る力を強化したのだ。第三の目と思えばいい)
「なるほど。目の切り替えか」
(この目を使えば、おまえが言っていた黒い影のような奴も、はっきり姿が見えるぞ。……我は興味はないがな)
「おお、あの魔力を少しずつ奪っている奴か。あいつらがもっとよく見えるのは面白そうだ」
黒い影がはっきり見えたら、どんな姿をしているのだろう。
洞窟を出たあと、その姿を見るのが少し楽しみになった。
「さっさとゴブリンどもからヨルカを取り戻すか」
俺は歩みを進めながら、ルシファーと会話を続ける。
「うげッ。暗い洞窟の中が見えるようになったのはいいが、これは……見たくなかったな」
俺が指し示したのは、天井から吊るされた動物や魔人の体の一部だった。
干し肉でも作ろうとしているのか、天井のところどころに肉の塊や体の部位がぶら下がっている。
しかも、その肉にはハエがたかり、虫まで湧いていた。
羽音が耳障りでしかない。
(ところで、ゴブリンとはどんな生き物なんだ? 魔人とは違うのか?)
「ゴブリンは半獣人みたいな生き物だ。まあ、劣化した魔人ってところだな。力も弱いし、頭脳も動物並み。弱小魔人よりさらに格下の存在だ。お前に会う前の俺でも、ゴブリン二、三匹くらいなら勝てていた」
(そんな雑魚に、いくら複数とはいえ、ヨルカが攫われるものか?)
俺はルシファーの言葉を吟味する。
確かに、子どもサイズのゴブリンごときに、多少武術の心得があるヨルカが一瞬で連れ去られるとは思えない。
おそらく、攫った者の正体は、入り口で見た通常のゴブリンより二回りほど大きな足跡の主だ。
そう考えているうちに、広い空間へ出た。
目の前では、十匹ほどのゴブリンたちがヨルカを取り囲んでいる。
ヨルカは縄で縛られているのか、窮屈そうに横たえられていた。
ゴブリンは魔人でいえば七歳くらいの子どもほどの大きさだ。
だが、その頭の大きさに似合わず、目だけが異様に大きい。
侵入者に気づいたゴブリンたちは、いっせいにこちらを向いた。
闇の中でいくつもの目がぎらりと浮かび上がる。
十匹のゴブリンたちは、俺たちを確認すると、いっせいに襲いかかってきた。
手には刃の欠けた剣や、ゆがんだ槍を握っている。
拾ってきた武器をろくに手入れもせず使っているのは、一目瞭然だった。
正直、魔力で体を覆っていれば、防御しなくても怪我ひとつしないだろう。
「ン? あの槍は……」
ゾイルが斬音鳥に投げつけた槍まで混じっている。
こんな洞窟に住んでいるだけあって、暗闇の中でも目だけはいいようだ。
(全員で向かってくるとは、やはりこやつらは愚かだな)
ルシファーが鼻で笑う。
人質がいるのなら、一匹くらいヨルカのそばに残して盾にすればいいものを。
「まあ、願ったりかなったりだがな」
俺はゴブリンたちに向かって手を突き出した。
(試したい呪文があるのだが、いいか?)
俺が問いかけると、
(おお、その姿勢、積極的でいいぞ。失敗しても、ゴブリンごときに後れを取る我らではない)
と、ルシファーは当然のように許可した。
少しずつだが、こいつとの間に信頼関係ができ始めている。
俺はゴブリンたちに向かって、斬音鳥の魂から得たばかりの呪文を放つ。
「万物を切り裂き、その風を研ぎ澄ませ、刃に変えよ――“テンペスト・クロー”」
その瞬間、洞窟内の狭い空間に突風が巻き起こり、短時間のうちに勢いを増していく。
無数の見えない刃が、ゴブリンたちへと襲いかかった。
スパン。
スパン。
ゴブリンたちは断末魔を上げる間もなく、首や胴体を切り離されていく。
剣も槍も、防具ごと真っ二つだった。
ゴブリンたちが俺を認識してから、五秒も経っていない。
そのわずかな時間で、十匹すべてが胴体と別れ、絶命して地面に散らばった。
ものすごい威力の範囲魔法だ。
たった一つの呪文で、十匹ものゴブリンを瞬殺してしまった。
いくらゴブリンとはいえ、驚くほどあっけない。
(斬音鳥の魂を喰らったおかげで、風魔法も使えるようになったのだな。しかも、ただ風を巻き起こすだけでなく、斬音鳥の技までしっかり再現できている)
ルシファーが、俺の成長をうれしそうに眺める。
(なかなかいい魔法だな。消費魔力も少ない)
俺もまた、ルシファーの助けなしに新技を出せたことがうれしかった。
魂から得られた能力であれば、俺自身でも新たな魔法を発現できる。
その事実が、今ここではっきり証明されたのだ。
俺はすぐにヨルカへ駆け寄った。
「ヨルカ! 大丈夫か?」
風の刃が当たっていないか確認する。
ヨルカを縛っていた縄が切れただけで、体には傷ひとつないようだった。
狙ってやったわけではないが……ルシファーが照準を調整してくれたのか?
いや、愚問だな。きっとそうに違いない。
まったく、よくもまあこんな器用な真似ができるものだ。
「サタン様ですか? 死ぬかと思いました」
暗闇の中、ヨルカは鼻を垂らしながらも、俺が来たことを心底喜んでいるようだった。
普通なら暗闇でそこまで気にならないのだろうが、今の俺にはそのぐしゃぐしゃの顔がはっきり見えてしまう。
……見なかったことにしよう。
「大丈夫か? ゴブリンども以外に敵はいないのか?」
「ケガはありません。ですが、私をさらったのはゴブリンではありません。ゴブリンは、ここで私を縛っただけです」
「お前を引きずり込んだのは誰だ?」
ヨルカから詳しい話を聞き出そうとした、その時だった。
周囲に新たな気配が生まれる。
ズシン。
ズシン。
洞窟の奥から、三メートルを超える巨大な影が一つ。
そして、その周囲には一回り小さな、一・七メートルほどの影が複数現れた。
「ホブゴブリンと……でかいのは、オーガか」
目の前に現れたのは、鬼だった。




