day.3
新居に来てからよくなったことの内の1つが、大学への通学がかなり楽になったことだ。
前までは2時間強かけて通学していたのだが、さすが、都心にあるタワマンだけある。
交通網が大変便利で、通学時間は、なんと30分ぐらいに短縮されたのだ。
これは、かなりありがたかった。
講義と講義の合間の時間を使って、大学内のカフェテラスで、親友の中山 浩二に、一昨日から昨日までの話を、一部始終聞いてもらっていた。
「純也さぁ、お前バカだろ。それ絶対ヤバいヤツだって。初対面で突然結婚して欲しいとか、絶対に何か裏があるに決まってる!」
俺よりも少し身長が低く、ファッションの流行に敏感で、オシャレ番長な浩二は、ずっと眉間に皺を寄せつつも、黙って聞いてくれていたが、話を聞き終えた後、盛大に頭を抱えた。
「そりゃ、そーだろうよ。俺だって、別にアイツのことなんて好きじゃねーし。打算的な関係なのは百も承知だよ。」
アイツと結婚してから食うようになった、俺にとっては豪勢な昼飯である、カツカレーをかき込んでいく。
「つーかさ、カツカレーって美味いよな!」
「お前はずっと昼は抜くかよくわからん試供品だったから、さぞ美味いだろうよ。って、話を逸らすんじゃねぇよ!純也はただ10億に目が眩んだだけだろ!?そんなお金持ち様が、お前みたいなド貧乏な大学生をどう利用したいのか。もしかしたら、バラされて海外に売り飛ばされるかもしれないぞ!今すぐにでも離婚届を出してこいよ!!」
浩二の言っていることは尤もだと思う。
向こうだって、何か思惑があるのは間違いないだろう。
しかし、俺を心配してくれている浩二には悪いが、俺は10億を手放すつもりはない。
「嫌だ。だって、10億だぜ?それを手に入れられるかもしれないチャンスなんて、この人生できっと二度とねぇよ。売り飛ばされるかもってなったら、ちゃんと逃げるから大丈夫、大丈夫。」
「お前なぁ!もっとちゃんと考えろよ!お金よりお前自身の方が大事だろうが!」
浩二がバンッと勢いよく机を叩いて立ち上がり、大声を出したものだから、ザワザワと騒がしい音がピタッと止み、周囲の視線が一気に俺達に注がれる。
「浩二、みんな見てる。」
コソッと伝えると、浩二はハッと我に返り、肩を小さくして静かに座った。
周囲がまたガヤガヤと騒々しくなっていく。
「浩二が俺を心配してくれているのは、わかってる。だけど、俺にとってお金は、命より大事なんだ。」
真剣な表情で語る俺を、浩二は呆れた目で見た。
「純也が銭ゲバだってことは認識してたけど、ここまでクズだとはな。」
「ありがと。」
「褒めてねーよ。」
呆れを通り越して、哀れみの目で俺を見る浩二は、どうやら説得するのは無理だと悟ったようだった。
「で?結婚式も挙げなければ、結婚指輪もない、と。お前が掴んだのは、毎月50万円とお約束の10億円とな。」
「金さえくれりゃ、式も指輪もいらねぇよ。ダリぃだけじゃん。」
やれやれと肩をすくめた浩二は、机に頬杖をついた。
「まぁ、お前は1回痛い目見た方がいいかもな。何かあったら、ちゃんと逃げろよ。」
「おう!あっ、もうこんな時間か。俺、次講義あるから行くわ。話聞いてくれてサンキューな!」
ニカッと笑って浩二に手を振り、ダッシュで次の教室に向かった。
「何か変なことに、巻き込まれなければいいけどなぁ…。」
浩二は心配そうに、去っていく俺の背中を見つめていた。
漸く講義が終わって、家に向かう。
電車の中でスマホを確認すると、通知はいっぱい来ているのに、アイツからの通知はない。
昨日散々無駄な連絡をしてやる宣言をしてしまったせいで、休み時間等に連絡を送る羽目になってしまったが、返信はおろか、既読にすらなっていない。
確かに、どうでもいい内容だけどさ。
本当に無視してくんのな。
……別にいいけど。
他の通知を確認することなく、スマホをバッグに仕舞い、暫く窓の外で流れていく景色をぼうっと眺めていた。
そういや、今日は確か、俺のベッドが届くから引き取っとけって、アイツ言ってたよな。
家に着いて配達を待っていると、ピーンポーンと室内のインターフォンが鳴った。
「白熊引越しセンターです。お荷物お届けに参りました。」
ん?
今引越しって言ったか?
いやいや、宅配と聞き間違えたんだ、きっと。
俺の耳、しっかりしてくれよ。
はーい、と1Fのエントランスの鍵を開ける。
暫くすると、ドアのインターフォンが鳴り、ガチャと扉を開けると、ベッドどころではない、大量の荷物が目の前にドーンと積んであった。
「諏訪 純也様ですか?こちらのお荷物、どこに置かせていただきましょうか?」
「え〜っと?あ〜、うん。じゃあ、こっちで。」
あれよあれよと運び込まれる荷物の置き場を指示しながら、目にする荷物全てに見覚えがあるのは何故だろうか。
もしかして。
もしかすると、これは…?
全ての荷物を運んで貰い、業者の人が帰っていった後、急いで他の段ボールも開封してみる。
…やっぱり。
これ全部、俺の家にあった物じゃねぇか!!
まだ賃貸の解約手続きとか、俺はした覚えはねぇぞ!?
バンッと勢いよく家を飛び出し、ほんの3日前まで住んでいた家に、ダッシュで向かう。
もし、勝手に解約とかしてたら、アイツただじゃおかねぇからな!
だが、まだそうと決まったわけではないので、沸々と湧いてくる怒りをどうにか抑えつけながら、電車に揺られること約2時間強。
借りていたボロアパートの前に辿り着くと、俺の住んでいた部屋には「空室」と書かれた紙が貼ってあった。
…………。
急いで大家さんに電話すると、昨日、解約の申込みと、今日全ての荷物を運び出すとの連絡があり、違約金も既に支払い済みだ、と言われてしまった。
………………………。
あんのクソヤロォ〜〜〜〜〜〜ッ!!!
もう限界だ!
考える間もなく、指がスマホをめり込ます勢いで、諏訪への通話ボタンを押していた。
「…何だ?」
「何だじゃねぇ!このクソ野郎!!テメェ今すぐ家に帰って来い。話がある。いいな!ちゃんと帰って来いよ!」
それだけ言うと、諏訪の次の言葉を待たずして、電話を切った。
スマホを握る手が、怒りでわなわなと震えている。
アイツ、絶対に許さねぇ。
グッと拳を握りしめ、ズンズンともと来た道を引き返していった。
家に帰ってきても、怒りが収まることはなかった。
イライラしながらヤツの帰りを待っていると、カチャとドアが開く音が玄関から聞こえてきた。
家に入ってくる諏訪を、仁王立ちで出迎える。
「おい、テメェ、これ一体どういうことだ?」
ビシッと今日来た荷物を指差し、諏訪をキッと睨みつける。
「見たらわかるだろう。お前の荷物だ。…もしや、こんなくだらん事で、俺は呼び戻されたのか?」
やれやれといった風に溜息を吐き、逆に冷たい眼差しで睨み返された。
コイツ!
1ミリも自分が悪いなんて、思っていやがらねぇ!!
少しでも悪びれてくれさえすればいいものを、さすがの俺も、ブチッと堪忍袋の緒が切れる。
ガッと諏訪の胸倉を掴んだ。
「くだらなくねぇよ!テメェ、何勝手に人の家解約してんだよ!!しかも、俺の知らないところで、俺の荷物までまとめやがって!何かなくなってたら、どう責任とるつもりなんだ!あ゙ぁ゙!」
「…お前はここで暮らしているのだから、もうあの家は不要だろう?それに、解約金は俺持ちだ。それと、お前の荷物には、絶対に不備がないようにしてある。それの何が不満なんだ?」
この男は本当に、何が問題なのか、わかっていない顔をしている。
宇宙人と話しをしている感覚に襲われ、心が折れそうになるのを、歯を食いしばって堪える。
「そーいう問題じゃねぇ!あれは俺の物だ!アンタの物はアンタが好きにすればいい。だけど、俺の物はアンタの物じゃない!!俺はアンタの奴隷じゃなくて、妻だ!全部支配される覚えはねぇよ!二度と俺の物に手を出すな!!」
どれだけ俺が怒っても、顔色一つ変えやしない。
そんな男の胸をドンッと突き飛ばし、そのままダッと走って家を飛び出した。
これ以上、あの男を見たくなかった。
全く俺の言葉が届かない、あの男の顔を。
「飛び出したはいいものの、どうしよう…。」
よく考えたら、前の家を失ってしまった今、俺に逃げ場はない。
沸騰した頭を冷やすため、ふらふらと眠らない街を練り歩く。
俺の沈んだ気持ちとは裏腹に、街のネオンはキラキラと輝いていた。
暫くはうろうろしたり、公園や駅などのイスやベンチに座ったりして過ごしていた。
「う〜、寒っ。」
どれくらいそうしていただろうか。
輝きが少なくなり、暗さの増した街に、冷たい風が吹いてきた。
震える身体を、自身で抱き締める。
一体、今何時だろう。
そろそろ帰って、温かいところで寝たい。
頭が冷えてきたのか、意地を張って帰らないで、寒さに震えている自分が、何だか馬鹿馬鹿しく思えてきた。
諏訪はもうとっくに寝ている時間だろう。
こっそり帰って、さっさと寝よ。
そう思い立って、よっとベンチから立ち上がると、足早に家に向かった。
カチャと家のドアを静かに開けると、まだ明かりがついていて驚いた。
とっくに真っ暗になっていると思っていたのに。
ドアの音が聞こえたのか、諏訪が奥からスッと現れた。
「…気は済んだか?」
「出てくんじゃねーよ。俺はまだアンタに怒ってんだ。話しかけんな。」
フイッと顔を逸らし、諏訪の脇を通り抜ける。
チラッと見た時計は、午前3時を過ぎていた。
こんな時間まで起きていたなんて…。
まさか、帰ってくるのを待っていたのか…?
すると、ふうっと背後から溜息が聞こえた。
「電話をかけても繋がらないから、何かあったのかと思ったが、無事そうだな。俺はもう寝る。お前もさっさと寝ろ。」
スタスタと寝室に向かった諏訪は、部屋の前でピタッと足を止めた。
「…それと、今回は少しやり過ぎたようだ。お前の物に関しては、次から事前に確認するとしよう。…悪かった。」
振り返ることなくそう言うと、そのまま寝室へと消えていった。
アレで謝ったつもりかよ。
諏訪が消えた先を、呆れた視線で眺める。
そういえば、スマホを全然見てなかったな。
ポケットから取り出し、確認すると、諏訪からの着信が10件近くあった。
…心配してくれていたのだろうか。
口元がふっと緩んでしまい、こんなことぐらいで絆される自分は、なんて甘いのだろうかと内心で苦笑する。
少しは反省しやがれ、バーカ。
熱いシャワーを浴びて、3日ぶりの自身のベッドで、俺も眠りについたー。
この時の俺は、これ以上のあり得ない事態はもう起こらないだろうと思っていた。
だから、嵐がすぐそこまで近づいているなんて、微塵も気付いていなかった。




