閑話『天音の丁寧な生活』
「雨、ね……」
七海天音は窓から雨が降りしきる外を眺めた。空は暗いが、マンションの周りの芝生は久しぶりの雨を歓迎しているように見える。
マンション空間の外は道は荒れガレキの上を歩くことも多々のため、雨が降っている時には魔石等の物資を取りに行くことは基本的にはない。
だから天音も今日は家でゆったりと休暇を味わうつもりだ。
「さて、まずはこの前買ったこれからね」
壁際のトレーの上に、キャンドルを置き火を付ける。
顔を近づけていると、すぐによい香りが立ってきた。言うまでもなくアロマキャンドルだからだ。もちろん香りはラベンダー、天音の一番好きな香りだ。
揺れる炎を見つめながら、しばしの間香りを楽しむ。
「これは買って正解だったわ。じゃあ次は……」
東の方にあったCDショップで手に入れたCDの一つをケースから取り出し、小型のCDプレイヤーにゆっくりとセットし再生ボタンを押す。
「スマホに比べるとちょっと大きいけど……これはこれで、レトロな感じが逆におしゃれかもしれない。…………あー、チルい」
ローファイの音楽の雰囲気ががらんとした部屋に心地よく反響する。
物が少ないというのは、こういう利点もあるんだな、と天音は自分の部屋を見ながら思った。
部屋の中は、殺風景なほどスッキリとしている。
あるのは小さなデスクと椅子が一脚だけ。
ものがみっしり詰まった棚なんてものはどこにも見当たらない。
もちろん、生活に必要なものが家にないわけではない。だがこのマンションは2LDKなので、他の部屋に全部押し込めていて、ここは空っぽにしてある。
ものの多さは心の乱れの多さにつながる、そう天音は思っているからだ。必要最小限のもので丁寧に生活する、それが一番いい。
天音は椅子に座ると、ミステリーの文庫本をのんびりと読み始めた。落ち着く音楽を聞き、香りを楽しみながら、ゆっくりとページをめくっていく。
「やっぱり、こういうゆったりした時間を過ごすのは大切ね。雨が降ってくれてよかった」
ゆったりと過ごしていると時間の感覚がなくなってくる。
気がつくと結構な時間が経っていたようで、本はすでに終盤、探偵役がそろそろ真相に気づきそうなところになっている。
そこで天音は自分の喉がかわいていることに気づいた。
渇きを癒やすために、天音は別室でわかした白湯を持ってきて、窓の外を眺めながらゆっくりと飲んでいく。
もちろん健康のためと香りを邪魔しないためである。
(さて、もう少しこの贅沢な時間を……あ、忘れてた)
保湿クリームがなくなったから通販で買わなきゃ、と思ってたのを思い出した。満たされた時間には後ろ髪をひかれるが、用事もしておこう。ただゆったり遊んでいるだけではいい一日と言えないものだ。
端末で通販によってクリームを注文。
先日のことで、世界崩壊前に自分が使っていたものを使えるようになったのは朗報だ。少々MPははるが、そこはしかたないだろう。崩壊前だって高くはない給料から買っていたのだし。同じこと。
注文の品を宅配ボックスからとってくるとき、珍しい組み合わせを見た。
(あれって、この前入居した久我とかいう人とアンドラスよね。二人で管理人室にいたのが小窓から見えたけど、何かマンションにするつもりかしら。まあ天音は自分のことやるの優先だけど)
持ち帰った通販の箱をさっきまでのチル・ルームとは別の部屋に持っていく。そこは必要なものが全て押し込められていてかなり狭狭しさを感じるが、その中にはスキンケア用品と鏡も置いてある。
「なんか……あらためて考えると、こんな世の中でスキンケアしてる場合ではないんじゃないかしら……」
根本的なことに気づいてしまった天音だった。
たしかに、世界が崩壊してサバイバル生活するって時にスキンケアする必要はないと考えるのが普通だろう。
MPを使うなら、もっとサバイバルに役に立つものに使うのが正解だ。
マンションに住んでからというもの、以前の自分の家にあったものを再び集めているのでスキンケア用品も特に考えず再購入していたが、果たして本当に必要なのか?という疑問が浮かんでくる。
「そんなことをしているばあいではない……ってこともないはずよ! たしかに今は必要ないかもしれない。でも、人類はそこそこ生き残ってるし、ということは数年後にはある程度復興してる可能性もあるじゃない? で、その時に世界崩壊中にスキンケアしていたかしていなかったかで、肌年齢に差がつく。ああ、世界が崩壊してる時もちゃんとお手入れしておけばよかった……。ってなるのよ。だから天音はしっかりやっておくわ。どうせって思わず一個一個、昔やってたことは今もちゃんとね」
天音はごちゃっとした部屋の中から色々と引っ張り出し、鏡を見ながら昔やっていたのと同じようにやっていった。
一通り終えると、ミステリーが読みかけだったことに気づき、いい香りのするあの部屋で再びチルな時間を過ごし本を読んでいく。
読み終えた充足感と、ちょっとオチが不満だという気持ちを味わいながら、疲れた目を休めるためにホットアイマスクをつけて、椅子に腰掛け目を閉じて何もしない時間を過ごす。
(これが一番大事。何もしないをする。一番の自分のメンテナンス)
こうしてごく普通の雨の日に、豊かな何もしない時間を天音は過ごしていた。




