人生二度目の伯爵令嬢は、今度こそ<幸せ>になる
これで最後。
主人公のお話です。
ご準備整いました、と声を掛けられ、伏せていた目を上げる。目の前の大きな鏡の中には、幼い頃から憧れていたお母様のウェディングドレスを着た私がいた。
無意識に、ほう……と安堵とも納得とも思える溜息が漏れた瞬間、後ろから激しくしゃくり上げる鼻音と涙声が聞こえる。
「おじょうざまっ、どでも、どでも、おぎれいでず! おじょうざまのごんなおずがだが見られるなんで……ザラば、ザラばっ……」
すべての言葉に濁点が吐いているような泣き声で望陀の涙を流しているのは、幼い頃から一緒に育った侍女のサラ。今日は侍女としてではなく、私側の招待客ということで彼女自身も上等なドレスを着ているのに、化粧が崩れてしまうくらい泣いている。
あぁ……折角のサラの晴れ姿が……。
私が何か言う前に、サラの隣のお母様が私の思ったのと同じことを言った。
「サラ、今からそんなに泣いていたら折角の晴れ姿が台無しよ。ちょっと、この子のお化粧を直してあげて」
「……ぼうじわげあびばぜん、おぐざま、でも、わだぢ、うれじぐで……」
おんおん泣いてハンカチで顔を拭おうとするのを他の女性に慌てて止められたサラは、そのまま何処かへ連れて行かれた。それを鏡越しに見送っていると、やれやれといった感じで溜め息をつくお母様と目が合って、軽く首を竦める。
「はぁ、先にあんなに泣かれたら逆に冷静になってしまうわね」
「そうですねぇ……式までに泣き止んでくれると良いのだけれど」
「後でもう一度見てくるわ。それよりエリザ、こっちを向いて私にももっとよく貴女の晴れ姿を見せてちょうだい」
両手を広げたお母様に促され、贅沢に広がったスカートを持ち上げながらゆっくり後ろを向く。私の全身をじっくり眺めてお母様は、やっぱり無理、泣くわね……と慌てて上を向き、鼻を啜り上げた。
「ごめんなさい、エリザ。正直私は、貴女にこれを着てもらえる日が来るなんて思っていなかった。酷い母親でごめんなさい」
「いいえ、お母様。私自身も一度は諦めたんだから、仕方ないです」
「綺麗よ、本当に綺麗。……私は幸せね。一度は諦めた娘の、良き日を祝えるなんて……あぁ……」
慌ててハンカチを取り出し、俯いて言葉を詰まらせるお母様の肩越しにお母様の侍女と目を合わせて、先程と同じように肩を竦めた。
多分、このままではサラの二の舞になる。
「お母様、今から泣いていたらサラのことを笑えませんよ。時間までお母様を控え室で休ませてあげて」
「かしこまりました」
お母様の肩を抱いて退出する侍女に軽く手を振って、私も少し休むことにした。
背もたれのない丸椅子に腰掛け、そばの姿見に映る自分を見つめる。鏡の中には、美しく着飾って少し不思議そうにこちらを見ている女がいた。
それが自分だと判っているのに妙に現実感がないのは、お母様が零したように、私の心が動く前に周りが盛り上がってしまうからかも知れない。
式場に入ったらもっと色々こみ上げてくるのだろうか?
他人事のように考えながら、今日までの日々を思う。
ウィリアルドとの再会から早半年。
季節は春を越え夏を越え、心地よい季候の実りの秋を迎えた今日。
私と彼はやっと、我が領地の教会で良き日を迎える。
正直、ここまで来るのにも一波乱あった。
ウィルは自分で望んだこととはいえ、貴族籍を失って今は平民になっている。
対するわたしは伯爵家の跡取り娘。
このままでは正式な婚姻は結べない。
私たちの気持ち的には、書類上の手続きなど最早どうでも良かったのだけど……家族は許さなかった。
正式に婚姻を結ばなければ、ウィルの立場は女伯爵の愛人だし、子が生まれても庶子の扱いになる。間違いなく私の実子でも、跡取りに据えるためには養子に迎える手続きをしなければならないような……公式の場には出せない存在になるのだ。
愛した人を、大切な家族を、日陰の身に追いやってそれでいいのかと、こんこんと大人に説教された。
そして、ウィルと正式に結婚するための根回しにかかったのが、この半年という時間。
話し合いの結果、ウィルは一旦親友の子爵令息モーガン様の家に養子に入ってから、我が家に婿入りすることになった。
ウィルの兄のレオナルド様も養子先に名乗りを上げてくださったのだけれど、レオナルド様が公爵家の保有する爵位を継いで、それからウィルを養子に……と言っていたら果てしなく時間がかかる。
それを知ったモーガン様が、だったらうちの子になれば良いと提案してくれたのだ。ウィルとは家族ぐるみで付き合いがあるし、そんな可能性も考えて両親には事前に相談してあるから大丈夫だと、即座に動いてくれた。
おかげで私たちは、今日胸を張って式を挙げることが出来る。
両親、サラ、ゴードン、モーガン様、レオナルド様……たくさんの人に助けてもらってここまで来た。
思い浮かべた心優しき人たちの面影……その中の一人に、胸がツキンと痛む。
……テオバルト様。
ずる賢くも友人として招待状を送った私に、彼は今日は来られないけれど幸せに……と祝福の言葉と品を送ってくれた。
本当に優しい……、優しすぎる方だった。
最初にあの方が婚約を申し込んできたのは、ウィルと婚約を解消し領地に戻ってすぐだった。
男爵家の三男だけど、公爵令息のレオナルド様と同じく、王子殿下に能力を認められた側近候補で親友の一人。将来有望な彼を婿に望む家は多いはずだ。
なのに、死にかけの私に婚約を申し込むために彼は領地までやって来た。
一度は噂になった相手……私が決めていいと両親に言われ会った彼は、窶れた私の姿に涙を浮かべて、どうか支えさせて欲しいと縋った。
学院で初めて出会って以降、ずっと気になっていた。
そのうち、気付いたら姿を探すようになっていた。
誘いを断られた後も、諦められなくて……。
婚約解消の話を聞いて、ここまで来てしまった。
好きだ。
どうか支えさせて欲しい。
必死に懇願するテオバルト様の言葉に嘘はなかった。
打算や、家としての契約ではなく、ただ私自身を望んでいる。死を覚悟するような有様で尚、麗しい男性に真摯に求められて胸が熱くならない女はいないのかも知れない。
……でも、同じ想いが私に胸に生まれることはなかった。
寧ろあの方が、本気で私を求めていると判ったから、私も本心を打ち明けられた。
あの方が中途半端な覚悟でなく私を求めてくださったように、私も中途半端な覚悟で彼を想っているのではない。
確かに私とウィルの間には困難がたくさんあった。<呪い>と名付けたあの行動の意味は結局今も判らないまま……あの事実しか知らない人々には、私たちの仲は決して円満に見えなかったろう。
けれど。
私は確かに、ウィルを愛している。
彼以外誰にも嫁がない。
きっぱり告げたのに……彼はそれからも何度も我が家にやってきた。友人として訪ねてくる彼を、私は拒まなかった。
鷹揚に構えて受け入れる私に、ウィリアルドが誤解して諦めてしまったらどうする! とサラが毎度怒っていたけれど、不思議と不安はなかった。
こんな誤解で終わってしまうようなら、結局私たちの縁はそれまでということだ。
<呪い>しかり、原因不明の病しかり。
私とウィルを結びつけぬように何か特殊な力が働いていたのだろう。
それが私の生き直しにも関係あったのかも知れない。
でも、それももう過去のことだ。
「お嬢様、お時間です」
ベールを被り、お父様と二人、礼拝堂の扉の外で息を整える。
扉が開かれて、明るい光に照らされた室内の、真っ直ぐ伸びた赤い絨毯の先。
壇上からこちらを見ているタキシードのウィルを見つけた途端、どうしようもない程熱い何かが喉の奥からこみ上げて、踏み出しかけた足が止まった。
今泣いたら化粧が崩れるとか、まだ泣くには早いと思ったのに……止まらない。意思に反して、瞬きの度に滑り落ちていく雫。
隣のお父様が戸惑っているのも判るのに、微動だに出来ない。
ただ前を見て、佇むウィルを見て、涙と共にこみ上げてきた想い。
あぁ、やっと、ここまで来た。
私は生き延びた。
瞬間脳裏をよぎったのは、石作りの寂れた部屋の映像。
一人淋しく死んでいった日の、情景。
病を得て、堅い寝台に横たわって、薄い上掛けにくるまりながら高熱に魘され、激しく咳き込み。
苦しくて苦しくて助けを求めて何度も空に手を伸ばした。
でも声を聞き届けてくれる人はいなくて……。
すべてを諦めて、一人で死んだ。
そして気付いたら、幼子に回帰していた。
それから始まった、私の二度目の人生。
全部全部覚えていた。
痛かったこと、哀しかったこと、辛かったこと、悔しかったこと。
余りの辛さにひきつけを起こして倒れた。
それがサラに気付かれたきっかけ。
倒れた私を心配したサラに、様子が違う、顔つきが違う、何があったと問い詰められて……私は堪えきれずすべてを吐露した。
経験したすべてを、夢と呼ぶには余りにも生々しい体験を、隅々まで語った私を抱きしめた彼女は、私と一緒に泣きながら、もう大丈夫と繰り返した。
幼子の言葉を夢幻と切り捨てず、真摯に寄り添ってくれた彼女がいたから、私はもう一度歩き出すことが出来た。
サラに守られ怖々踏み出した先、待っていたのは、かつてと同じ展開だった。
公爵令息ウィリアルドとの婚約。
父が紡いだ言葉に倒れそうになった私を支えてくれるサラの存在がなかったら、その場で意識を保っていることも出来なかっただろう。支えてくれるサラに縋って部屋に戻った後、やはりあの通りになるのだと泣き叫んだ。
あれが、予知夢でも、前世でも、最早なんでもいい。
私の未来はもう決まっているんだ。
悲観し泣きじゃくる私に、落ち着くように言ったサラは、折角先が判っているのだから更に先回りして未来を変えましょう、私も協力しますから諦めないで! と強く手を握ってくれた。
『まずは旦那様にお願いして、婚約が結ばれないようにいたしましょう』
結果的にその案は上手くいかなかった。
まあ予想はしていた。
格上の公爵家からの申し込み、我が家から無碍に断れないことは。
だからせめて、先行きの判らない子ども同士を結びつけて、将来、私や彼に本当に想う相手が出来たら悲劇だ。
万が一相手に学院で好きな女でも出来たら、爵位が下の私は無残に捨てられても、文句も言えない!! と迫れば、両親も不安を抱いたようだった。
父から、きっぱりとは断れないけれど、正式に書類を交わすのは二人の相性を見てからにしたい……と公爵家側に伝えたと聞かされたときには、ほんの少しとはいえ変わった事態に歓喜した。
けれど……初対面の日のウィルは私が知っているままの男だった。顔は美しいが、それだけ。身分と容姿を鼻にかけて私を貶し、言いたいことだけ言って目も合わせず去って行った、くそガキの背中を見つめ決めた。
私の知るものが予知夢であれ前世であれ、サラの言うとおり折角未来を知っているのだ。
存分に利用して、今度こそ私はあの淋しい最期の日を回避してみせる!!
今生、私は絶対に<幸せ>になってやる!!
手始めはあのくそガキとの婚約回避だ!! と決めたのに、次の日やってきたのは私の知らないおじいちゃんだった。
かつての記憶にゴードンはいない。
早速の齟齬に混乱した。
混乱する私に、ウィリアルドまで変なことを言う。
意思に反して私にだけ勝手に暴言が出るなんて信じられると思う?
そんな言葉をあっさり信じたら……前の私が余りに可哀想じゃない!?
信じるつもりなんて最初からなかった。
でも……二度目に会ったウィルは、最初こそくそガキの顔で私を罵ってきたのに、暴言の後本当に申し訳なさそうにして、つたない文字で必死に謝罪を綴って寄越した。ゴードンに注意を受けてからは決して私を見ることなく、頭を俯け小さくなっているのはただの子どもだった。
……本当に彼の意思ではないのかも知れない。
僅かに胸に芽生えた疑念。
自身の生き直しという経験も相まって、私はウィルを切り捨てることを躊躇った。
信じたら裏切られるかも知れない。
またあの日々を繰り返すだけかも知れない。
疑いはあった。
でも、目の前で傷ついた顔をして泣きそうになっている子どもを突き放すことがどうしても出来なくて……私は再びウィルとの婚約を受け入れた。
そのときの私は、正直ウィリアルドなどこれからどうとでも出来ると思っていたのだ。だって、彼はまだ子どもでも、私の精神年齢は死んだときのまま……十八歳まで生きた記憶も知識もある。
子どもがどう出ようと今度は負けない自信があった。
ただ、その後の日々の困難は、以前の婚約者と意思の疎通が出来ない辛さとはまた別の苦悩を生んだけれど、……不思議とそれを理由に彼と決定的に離れようとは思わなかった。
ウィルから思わず飛び出す暴言は相変わらず冷たく、以前の仕打ちに傷ついていた心を痺れさせることが何度もあった。
でもそれ以上に……。
不用意な暴言を放つ度、私以上に傷ついた顔をしたウィルが、真っ青になって顔を逸らし、必死に必死に、時には涙を浮かべて謝罪の文字を書き殴る姿に胸が痛んだのだ。
その頃にはもう、ウィルからの好意を疑っていなかった。
だから、彼が言いたくて暴言を吐いているんじゃないと信じていた。
やっぱりこれは何かの<呪い>なんだろう。何か恐ろしい力がウィルを苦しめて……そして私たちを引き離そうとしているんだ。
ウィル自身は私を拒絶していない。
そう結論づけて覚悟を決めたら、酷く楽になった。
彼が吐く暴言など、所詮上辺だけのもの。
今の彼は、間違いなく私を好いている。
その拠り所は信じられない程私を強くした。
暴言を薄笑みで流し、冷たい態度もどこ吹く風。以前は持てなかった彼の婚約者という立場に自信をもって胸を張っていられた。
そして気付いたら私は……微笑んで見つめ合うことも、温もりを分かち合うように手を繋ぐことも、愛情を込めて抱きしめ合うことも出来ない男を、好きになっていた。
気付いたとき、自分が信じられなかった。
私が<ウィリアルド>を好き?
あり得ないでしょう?
だって彼は、前世で私を虐げ死の原因を作り、ある意味殺したといっていい男よ!!
そんな彼に好意を抱くなんて、あり得ない。私は哀れな子どもにただ同情しただけで、これは恋愛感情なんかじゃない。
何度も自分を否定した。
でも。
私の気持ちに呼応するように、ウィルもどんどん変化していった。
向かい合えば、暴言を吐かないように私から顔を逸らすのに、字が書けるようになってから毎日のように届く手紙には、無垢な想いが溢れている。
流石に、初めて筆談をしようとした日以上のストレートな言葉は書いてこないけれど……彼の綴る文字からは滲むように、私を想い、私を気遣い、私を大切にしようとする気持ちが伝わってくる。
これはもう、私の知っている<ウィリアルド>とは、別人だ。
<ウィル>は、<ウィリアルド>じゃない。
自分でも何を言っているのか判らない矛盾。
サラに相談したら、私が選ぶならそういう結果になっても良いのではないかと言われた。
私たちが目指すのは、不幸な未来の回避。
『最終的にお嬢様が幸せになれるのなら、このままウィリアルド様と結ばれても私は良いですよ』
このままウィルと結ばれる?
今なら、そういう未来を選ぶことも出来るのだと、初めて思い至った。
だから私は、ウィルと彼が最も信頼するゴードンに、自身の生き直しについて打ち明けた。
ウィルと私の未来に待ち受ける困難。
私の知るそれらがもし、私の言葉によって退けられるものなら……退けたい。
今生の貴方を、あの女に渡したくない。
かつてはこんなこと思わなかった。
あの女狐に唆され、それまで以上に婚約者を蔑ろにするウィリアルドに対して、婚約しているのに酷い、恥ずかしいと思うことはあっても、彼自身を奪われる憤怒や悲哀とは無縁だった。
<婚約>という事実以外、前世の私とウィリアルドを結びつけるものはなかった。
でも今は違う。
当主になる私を支えるためと勉学に励み、いざというとき私を守るためと身体を鍛えて剣を習うウィルは、かつて絵画を眺めるように遠目に見ていた美しい公爵令息<ウィリアルド>とは全く違う。
同じ人間のはずなのに、いつの間にか私にとって<ウィル>と<ウィリアルド>はまったくの別人になって……だから、私だけ彼に近づけなくて、遠巻きに彼を眺めるしかない事実はかつてと同じでも、切なかった。淋しかった。
ウィルに近付きたい。
ウィルに触れたい。
好き、大好き。
何度呟いただろうか?
何度泣いただろうか?
小さな困難をいくつ退けても変わらない、目の前にある最大の困難に、打ちひしがれた夜。
真面に見つめ合うとき、ウィルはいつも私を睨んでいた。
そうやって見つめ合って紡ぐ言葉はいつも非難や嘲笑に満ちた暴言で、そこに愛や情があるなんて誰も信じないだろう。
でも、私はずっとウィルの愛を感じていた。
私も彼を愛していた。
でも私たちは、どんなに想い合っても微笑み合うことさえ出来ない、事実。
学生生活も半分以上過ぎ、卒業後の進路が現実味を帯びてきた頃、そんな不安で眠れない日々が続いた。
今の状態は私が知っているものとはかけ離れたもの。それは私が望んでした改変ではあるけれど、一抹の不安があった。
その頃から始まった体調不良。
最初は軽い風邪のようだった症状は、しかし、時間が経っても全く良くならず。寧ろ深刻さを増していった。
重くなる身体の変化を感じながら思考を支配したのは、これが何かしらの<罰>である可能性だった。
私は生き直しを利用して、二度目の人生を改変した。
その企みが某かの思惑を刺激、もしくは邪魔したのでは?
超常の力を体験し信じているからこそ、私はその思考を振り払うことは出来なかった。
……やはり私とウィルは結ばれないのだ。
行き着いた結論に泣いて泣いて、サラに縋られても拒んで、私は婚約の解消を決めた。
何度やり直してもきっと私とウィルは結ばれない。
そう誰かに仕組まれているに違いない。
私の生き直しは、私の幸福のためではなく、他の誰かのためだった。
そうとでも思わなければ辛くて辛くて……身を引き裂かれる思いで別れを告げた。
なのに……。
婚約を解消し、領地に戻る準備を進めていた私に届いたのは、諳んじられる程読んだ、最愛からの決意の手紙。
私の好きな薔薇のすかしの入ったクリーム色の便せんに、私がプレゼントした彼の瞳の色のインクで綴られた決意の言葉が私を奮い立たせた。
『 エリザ、ごめん。
悔しいが、どんなに考えても、今の私には君に出来ることが何もない。
君が元気になるよう日々祈ることしか出来ない。
それしか出来ることがないから、毎日祈る。
君が、君と私の未来を諦めてしまわないように。
必ず迎えに行く。
待っていて。
愛しています。
ウィリアルド 』
未来を信じる貴方の言葉。
私と貴方の、未来。
私は死ぬかも知れないのに。
いや、ここまで弱っていたら、死ぬしかないだろう。
そう思って、諦めた。
せめて、私の死が貴方の人生に影を落とさぬように、貴方を手放した。
そんな私の覚悟を見抜いても、貴方は諦めるなと言う。
貴方は、私たちが共にある未来を信じるという。
初めて読んだときは涙が止まらなくて大変だった。痩せ細って弱った身体には泣くことさえ負担で、息苦しさに喘いで、何度も咳き込んで、これが原因で死ぬかも知れないとさえ思った。
でも、まだ死にたくない、とも強く思った。
ままならないものに愛しい人と引き離されて、また一人で死ぬなんて冗談じゃない!!
だって私は、あの淋しい最期を繰り返さないために、今生必死に努力してきたと自負している。前世の失敗を繰り返さないよう、出来る限りのことをした。
そんなに頑張った私の終わりがまたこんなものになるなんて冗談じゃない!!
負けるものか。
運命なんて、超常の力なんて、くそ食らえ!!
原因不明の病になんて負けない。
私は幸せになりたい!!
絶対に、今度こそ、幸せに!!
そのために、生き残って、あの人を待つ!!
熱に魘され、苦しさに喘ぎながら激しく強く念じる夜を幾度も越えて……。
意思の力が病に打ち勝ったのかは判らない。
けれど、私の身体は確実に持ち直した。領地に戻ってからは少しづつ食事を取れるようになって、熱を出す日が少なくなって、気付いたら……三年などあっという間に過ぎていた。
その間にあっさり前世の命日も乗り越えていて、サラがお祝いのケーキを差しだしてくるまで、私はその日のことをすっかり忘れていた。
正直、前世のことなんて私にはもうどうでも良い。
私の心を支配していたのはたった一つの約束。
昼の日差しの暖かさに春の息吹を感じ始めた頃、王都から私宛に届いたのはレオナルド様からの速達だった。
『ウィリアルドが家を出ます。弟をよろしくお願いします』
読んだ瞬間、無意識に溢れた涙に自分で驚いた。
泣きながら地図を抱いてお父様の元へ走り、王都からの道程を必死で計算した。
どうやってくるのか判らない。早馬なら、馬車なら、金に糸目をつけないなら、疲労を顧みないなら……様々に憶測を重ね、みんなに呆れられながら次の日から毎日街道で彼を待った。
再会したあの日。
ウィルに抱き締められたときの私の喜び、誰か判ってくれるだろうか?
彼と出会ってから、ただの一度も触れ合ったことはなかった。
それどころか、私たちは真面に視線を交わすことも出来なくて……。
あの日、前世含めて初めて、私は彼に抱きしめられ、彼を抱きしめた。
その温もりを思い出した頃には涙は止まっていた。
ざわざわしている周囲の音が次第に耳に届くようになって、慌てて雫を拭った私は、隣でオロオロしているお父様の方を向く。
「ごめんなさいお父様、急に色々こみ上げてきてしまって……もう大丈夫です」
「本当か?」
「はい、参りましょう」
再びお父様の腕を取って、今度こそ迷いなく一歩を踏み出す。
一歩近づくごとに鮮明に見えるようになる最愛の姿。
心配しているのだろう、ちょっと困った顔をしている。
折角の良き日にそんな顔させたくないから、少し歩みを早めた。
彼の元に辿り着き、その手を取った瞬間、ぎゅっと強く手を握られ聞かれた。
「大丈夫か? 具合が悪いなら……」
「大丈夫、余りにも幸せで胸がいっぱいで、深呼吸してただけよ。ごめんなさい」
「……本当に?」
「ええ。ほらウィル、皆さんをお待たせしたら悪いわ、前を向いて。始めましょう」
「……判った、でも少しでも無理だと思ったらすぐ言ってくれ」
「はいはい」
小さく二の腕を叩いてウィルに前を向くよう促す。
始めてよろしいですか? と目で聞く進行役に頷くと、一旦止まっていたハープの演奏が再開された。
その穏やかな音に抱かれてしみじみ思う。
ああ、私は彼と幸せになる。
私は、今生苦痛ばかりのこの恋を諦めることなく貫いた。
あの経験を糧に、光り輝く現在を手に入れた。
これから先、私と彼の行く先には幸福しかない。
二度目の人生は、絶対に幸せになると決めた私の勝ちだ。
読んで頂きありがとうございました。
初手から投稿ミスして、結局一気に投稿することにしました番外編。
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
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