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26 憩いの一時

 小さな頃に食べた筈のラーメンは、思いの外、塩辛かった。

 観光客用の大衆食堂の看板に『おすすめ』と古い字で打たれた塩ラーメンは、超強気価格の割に大雑把な味だ。

 流石、田舎の観光地。仕方ないね。


「行列が並ぶ店のラーメンとは流石に違うわね。味が濃いだけで何も美味しくなかったわ」

 店を出た後で白瀬さんは辛口気味に評する。意外にラーメンに五月蠅いらしい。


「そうは言うけどさ、紫莉。美味しそうにスープ全部飲んじゃってたし」

 脇腹を小突きながら翔がからかうと、白瀬さんは露骨に顔をしかめた。


「翔は麺しか食べて無かった癖に……」

「あーしはこってり系がいいの。ちょっと味濃くて喉乾いたし」

 そんな言い合いをしながらも二人はどこか満足気な顔をしている。

 海沿いをぶらぶらし過ぎたせいか、もう空は茜色になりつつある。

 海に注ぐ河口の上を通る橋。その中程に差し掛かった俺達はもう一度、景色を見渡した。


「今日は朝から過密スケジュールだったなー」

「翔の言う通りね。でも……ここまで来れて良かったわ」

 そう言って海を見ている白瀬さんの目はどこかやりきった感があった。

 二人は暫くの間、そんな風にしみじみと語り合っているが、一方の俺は途方に暮れる。

 ここから東京にUターンするのを促すのも気が引けたのだ。かといって二人を泊める為の実家はもう無いんだよなあ。


「なあ。これからどうする?」

 だから一応、二人に意見を聞いてみたのだが……


「そんなの決まってるし」

 二人は顔を見合わせて笑う。


「?」

 翔が思わせぶりに微笑みながら見上げた先、俺も同じように目線で辿る。

 振り返った先には、朝に紹介した観光温泉ホテルが聳え立っていた。


「とりま温泉って事で。いいよね? 水梨君」

 そう言って、隣の白瀬さんがニヤリと笑った。だから肩掴む力強いって。




 観光ホテルはシーズン外のせいか、ガラガラだった。

 温泉街というのもあって、このホテルにも例の如く大温泉浴場が完備されている。

 三人で夕食を済ませると、ギャル二人はその温泉に行ってしまった。俺は一足先に風呂を済ませて部屋で小説を読んでいる。

 BGM代わりのテレビからは久しぶりのローカル番組が流れていた。懐かしい方言混じりのタレントの語らいを懐かしみながら、ずっと読みかけだった所に目を通していたのだが、


「暗くなってきたな」

 辺りはすっかり夜に変わっていた。

 蛍光灯をつけると、窓ガラスの寂しげな夜景が薄まって、室内が鏡のように映り込む。

 和室の四人部屋。食事用のテーブルが置かれ、窓辺には灰皿の置かれた小さな座卓とアームチェアがあるだけだ。俺はその窓辺のチェアに肘を下ろして座った

 振り返ると乱雑な室内。翔の持ってきた鞄は開きっぱなしで中身が丸見えだ。

 既に夕食も運び出されていて、後は寝るだけ。

 女子はやっぱり風呂が長いんだな。時計を気にしつつ、俺はもうちょい読み進めるかと文庫を開く。


「おっまたせ~」

 その瞬間、引き戸を開けて二人が姿を現した。

 二人とも部屋に備え付けの青と白の浴衣姿。白瀬さんはまだ乾ききらぬ黒髪を頬に張り付かせているが、翔の方はミルクティーブロンドをまとめ上げて頭のてっぺんでくくっている。どことなくヤンキーっぽい。


「遅かったんだね」

 俺は一瞬どきっとした男心を誤魔化そうと無駄に口を回す。


「すっかりくつろいでんねー。風呂とかちゃんと入ってんの?」

 翔はスリッパを入口に脱ぎ捨てると座敷に上がる。


「そっちこそ長くない? もう寝るとこだったよ」

 二人は座椅子に腰かけると、翔が浴衣の袖を垂らしながら卓上のリモコンに手を伸ばす。

 どことなくチープなローカル番組の質素な話声が、全国版バラエティの騒がしさに変わった。


「田舎だからテレビ局も少ないんだねー」

「翔。BSにして。よしも〇見たいんだけど」

 そんな事を言いながら翔からリモコンをひったくる白瀬さん。てかお笑い好きなのかよ。

 また一つ白瀬さんの優等生イメージが剥がれ落ちたじゃないか。俺はもう何を信じて生きていけばいいのか分からない。

 一人だけで黙々と読書をしていた寂しい部屋が賑やかになった。

 しかし、それは決して変えられたテレビ番組の喧騒のせいではない。


「母さんに電話してきたの?」

 翔はそう言ってお茶をすする白瀬さんと眼を合わせた。


「もちろん。電話でやり合ったけど」

「強い……」

 白瀬さんの胆力に、俺は湯飲みを口に付ける寸前で動きが止めて呟く。


「怒ってた?」

 翔が気まずげに問いかける。


「別に、前も父親の事で言い争ったし、多分もう分かってると思う。とりあえずこのホテルの連絡先だけは教えておいたし、これ以上何か言うのなら私が黙らせる」

 白瀬さんは事も無げに言って、お茶をずいっと飲み干した。

 物騒な事言う癖に、落ち着き払った作法がいちいち見事過ぎるぜこの隠れギャル。


「あー。思ったんだけどさ」

 翔は思い出したように人差し指を立てて俺達を見渡した。


「紫莉のお母さんが何か言ってきたら協力するよ。昔からの仲だし? 友達も一緒になって言えば納得してくれるって」

 そう言って俺達が映り込む窓ガラスの方を向いてしまった。

 翔の視線を王都、夕焼けに染まる海が広がっていた景色は今はすっかり暗闇に包まれていた。


「明日、朝一でかえろっか」

「うん」

 俺の提案に頷いたのは白瀬さんだった。

 このサボリ旅を経て、俺達は現実からも逃避してきたような気分になっていた。

 でも、祖父の死でずっとわだかまっていた心を曝け出した俺。そして家族との決着をつけた白瀬さん。

 なんやかんやで物事を打開する手がかりは掴めているような気がする。


「翔は何か悩みないの?」

「は?」

 突然改まった俺の態度が悪かったのだろうか。翔はあからさまに驚いた後で、こちらをにらむ。


「何それ……あーしは単に面白そうだからついてきただけだし!」

 そうして鼻息を荒げると、背後に手を伸ばす。

 出てきたのは何やら色とりどりなモノが満載されたビニール袋だった。

 おおかた、下の売店で買ってきたんだろう。


「お菓子でも食べよ。せっかくだし」

 座卓にポテチの袋やクッキーの箱が並べられる。

 さっき海鮮を豪華に使った夕食を平らげたというのに、このギャルは……


「太るよ?」

「太らないし。今日はラーメンと合わせても二食しかしてないしセーフなの」

 そう言って勢いよく菓子袋を両手で開く。


「じゃあ私も貰おうかな」

 白瀬さんは俺に目配せして笑うと、クッキーの小袋に手をつける。


「本当に太るよ?」

「水梨君うっさい。そう言うなら食べないの?」

 ぴしゃりと言ってのける白瀬さんに何も反論できなくなった。行き場の無くした俺の指先もまた、お菓子へと伸びるのだった。




 テレビを見て、くだらない語らいを始める。寝る前までのほんの束の間の憩いの時だ。

 明日の早朝にはまた東京にトンボ帰り。この現実逃避の旅行も終わりの時は近い。

 でも、俺達はその最後の夜を終わらすまいとくだらない語らいに興じていた。

 昔、翔と俺が同じ小学校だった頃の話から、最近の俺のキャラの変貌っぷりを笑われたり。

 白瀬さんの格ゲー談義だったり、翔の父親に対する最近加齢臭が酷くなってきたとかの愚痴とか、それに対して白瀬さんが自分の母親の愚痴とか……とにかく様々な話だ。

 互いの悩みや不安を面白おかしく曝け出す事で暗い影を吹き飛ばせる、そんな気がした。

 愚痴に愚痴を呼ぶ語らいは、いつの間にかループしていた。

 どこか後ろ向きではあるが、明るく過ごせる三人だけの時間は瞬く間に過ぎていった。


「そろそろ寝よっか」

 意外にも、消灯を切り出したのは翔だった。

 この中で一番夜更かししてそうな、自堕落系なギャルが言い出しっぺとは予想外だ。


「えー、もう寝るの?」

 白瀬さんはどこか不満げ。俺達は丁度三人でスマホのマージャン対戦をしていた所だった。

 戦績は白瀬さんの独り勝ち。何か能力でも持ってんじゃないかってくらい強い。

 その中で、一番負けていたのが翔なので多分寝たくなったんだろう。


「さあ。さっさと歯磨く」

「あ、俺持ってきてない……」

「あーしの使う?」

 プラモの箱を戻した時のように恐ろしく自然な動きで、旅行用の歯磨きセットを寄越す翔。

 筒形の透明ケースに歯磨き粉とブラシがセットで入っている奴だ。

 同じ歯ブラシは流石に……これがギャルのコミュニケーションだとしても異常だろう!

 俺は心臓が止まりそうな勢いで声を上げる。


「ばか。何言ってんの」

「は? 海里こそ何想像してんの?」

 威圧的に声を押し殺し、俺を睨みつける翔。そう言いながらごそごそすると、鞄の中からはもう一セット歯ブラシケースが現れた。


「海里こういうの用意してなさそうだしさあ。余分に持ってきたってワケ」

「はあ……ありがと」

 気が利くなあと思いつつ、ありがたくそれを受け取る。


「どういたしまして」

 にこりとそれに返す翔。湯上りで紅潮した頬は艶々していて、それが余計に可愛さを引き立たせている。俺は思わず視線を合わせるのが恥ずかしくなって顔を背けた。

 妙な間が走る。


「あの……翔?」

 それを突き破ったのは白瀬さんだった。


「どうかしたの?」

 何故か怪訝そうな翔に、白瀬さんは眼をチラチラ逸らし、何も言う気配が無い。


「白瀬さん?」

 俺が聞くと、白瀬さんはこれまでになく頬を赤らめて翔の方を上目でみていた。


「私も持ってきてないんだ。翔の貸して頂戴」

 は?

 思わず時間が止まったように感じられた。

 翔をじろりと注視すると、彼女は少しだけ逡巡した後に、


「うん。いいよっ。予備の予備あるし!」

 そう言ってもう一セットの歯ブラシが出てくる。

 予備の予備とかマジかよ。俺のHDDじゃないんだぞ。

 この中で一番しっかりしているのが翔だった。俺は歯ブラシを持ったまま、ぽかんと呆気に取られるしかなかった。


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