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25 思い出の小島

 いくつかの駅に停車しながら、電車はゆっくりと進んでいた。

 市街地を抜けると、住宅なんて数える程しかない。冗長な山野の風景が延々と続き、さしものギャル二人も口数少なくなっていく。

 それとは正反対に、俺の心中は穏やかでは無かった。

 何年ぶりだろうか。しかし、久しぶりに見る故郷の風景は殆ど変わっていなくて、時間すら巻き戻ったような錯覚を覚える。

 山肌をくりぬいた古めかしい暗闇のトンネルに入ると、運転席を通して明るい出口が見える。

 トンネルを出ると、目の前に青色が広がっていた。


「うわぁ……海っ!」

 最初に感嘆の声を上げたのは、意外にも白瀬さんの方だった。

 おかしいな。こういう時は翔の方が感情を爆発させるもんだとばかり思っていたけど。

 白瀬さんは膝ごとシートに乗り上げて、ヒトデみたいに広げた手のひらを窓ガラスに張り付かせていた。その、子供みたいな仕草が何とも微笑ましい。

 それと同時に生足見せすぎで何とも目を逸らしたくもなる。


「翔。ちゃんと見てる⁉」

「見てる、見てるから~」

 隣の翔の肩をつつきながら、白瀬さんは絶景に釘付けだった。流石の翔も苦笑いだ。

 いつもなら白瀬さんが翔を世話している風なのに、今この瞬間だけは関係が逆転していた。

 それが微笑ましくて、俺は心底連れてきてよかったなと思う。

『間もなく……駅。お降りの際は――』

 アナウンスが響き渡り、がくんと電車の速度が落ちた。

 久々の故郷の港町はすぐそこだ。



「あー、田舎だねえ」

 オンボロ駅舎を出ると同時に、翔が呟いた。何か凄いテンションが低い。


「埼玉より田舎な景色初めて見た……」

 ちょっとドン引きしているまである。

 そこは期待に違わぬ、ひなびた田舎町の景色。

 背の低い民家が軒を連ねていて、その合間にとんでもなく古い小屋のような家もある。しかし、小屋などでは無い。板張りの家屋にはしっかりとガラス窓と戸がついていて、人の営みが感じられた。

 通りに並ぶ中でも特徴的なボロ家はあるもので、目に付けば幼い記憶が芋づる式によみがえる。そういやあったなあと思いながら先頭で歩いていく。

 今でこそ大きな市に合併されているが、俺が生まれるよりずっと昔、この辺一帯は漁業で成り立っていた小さな村だったという。

 密集して並ぶ家屋はその名残だと、そんな事も爺ちゃんからよく聞いたっけ。


「こういう場所っていいね」

「人がいないのが何よりいいよな」

 俺と翔は見合わせる。その様子を白瀬さんが見てぷっと噴き出していた。


「水梨君は余程人がいないのが好きなんだね」

「うう……」

 図星だから困る。そういうくだらない話をしながら俺達は進んでいく。

 鼻腔をくすぐるのは湿っぽくて塩辛い海の匂い。沖から吹きつける強い海風は、ごうごうと耳を打ち付け、五感の何もかもが懐かしい。

 民家が密集する界隈を抜けた途端、真新しく舗装された国道や建物が出迎えた。

 広い道路を車が豪快に飛ばしていく。


「あれは何?」

 白瀬さんが指さした先には東京にありそうな高層ビルがあった。

 ホテル名が書かれた文字看板が最上階に掲げられている。

 昔からそのホテルを知っている俺は、心がほっとするのを覚えた。


「ああ、ここ一帯は温泉街としても有名だから。今こそガラガラだけど行楽シーズンはそこそこ混むんだぜ」

 ちょっと鼻高々に自慢しつつ、俺は足を進める。

 潮風が涼やかで、蒸し暑く重い東京の空気とは全く違う。

 そして、何よりも……


「うわっ、青っ!」

 声を上げたのは翔だった。

 先程車窓から見たのと同じ景色、海岸線の青色がより近くに広がっている。

 小さな海水浴場はまだシーズン外なので誰もいない。砂浜が広がっているだけだ。

 しかし、その開けた海岸は東京のようにごみごみしておらず、海という自然に人間が直接触れられる距離感があった。

 海岸線を望む広場はすっかり舗装されていて、公園のようになっていた。

 その舗装された道に架けられた銀の手すり。身体を預けて覗き込むと、すぐ下に広がる海の中が透けて見えた。

 鼻腔をくすぐる塩辛さが何とも心を落ち着かせる。


「すごい、本当に色が違うんだ」

 翔が子供みたいに騒ぐ。エメラルドに透き通った浅瀬の底には朱色の海藻が揺れていた。それらがどこまでも続いていてまるで海の中に鬱蒼とした森が生い茂っているようだった。

 吸い込まれるように透き通った水底は一見怖いけど、どこか優しい。随分長くこの景色から遠ざかっていたのだと思い知った。


「しばらくここにいたいわね」

 白瀬さんも隣に立って、同じように水底を眺めていた。

 海はどこまでも広がっており、向こう側には記憶と違わぬ小島が見える。緑に覆われた島の入り口には、小さな赤い鳥居があの日と変わらぬ姿で佇んでいた。


「あれがいつか言っていた島?」

「そうだよ」

 いつか行きたかった島。学生服で来たから泳いでいくのは流石にしないけど、実際行けない距離では無い。その島は、子どもの頃見たよりもずっと近くにあるように感じられた。

 いつかまた――今じゃないまたいつか、あの島に渡ろう。

 そういう思いをそっと心にしまいこむ。


「初めて見た。ああいうまんまるな島」

「緑が綺麗ね。写真でしか見れない光景だわ」

 翔と白瀬さんは海風に髪をそよがれながらも、島に釘付けになっていた。


「でも、あの島を見ていると……確かに嬉しいけどさ」

 記憶の縁にしまっていた感情が俄かに湧き出て、俺は自分の声が揺らぐのを感じていた。

 それを感じ取っていたのは白瀬さん達も同じようで、不安げな顔で俺を覗き込んでいる。


「なんで? 懐かしい町なんでしょ? 海里どうしたー?」

 翔も心配そうに俺を見ていた。欄干にもたれながらこちらを向く横顔にはミルクティーカラーの髪が垂れ込んでいた。


「俺の家はもう無い。親が東京に家を建てる時にこっちの家は取り壊したんだ」

 だから、この町に俺の居場所はもう無い。


「ここで過ごしたのは中学の途中までの数年だけどさ。爺ちゃんはいつも俺を世話してくれた。でも爺ちゃんも昔住んでた家ももう無いんだなって、海を見てたら思ったんだ」


「……おじいちゃん、好きだったの?」

 まるで、波の音を邪魔しないかのように、優しげな声で白瀬さんが尋ねる。その思いやりが余計にありがたくて、同時に申し訳ない。


「海を見ると思い出しちゃうんだ」

 祖父が病気を患ったのは俺が東京に引っ越してからの事だった。

 もう高齢で長くはないと親戚から聞いていた。本来ならば、すぐにでもここに戻るべきだった。しかし、ちょうど高校受験が重なっていたせいで看取る事が出来なかったのだ。両親と妹が先に戻り、俺は試験が終わってから向かった。


「でも、俺が帰った時には、もう爺ちゃんは遺影と骨だけになっていたんだ」

 あの夜を俺は忘れない。

 息を切らせてようやく踏み入れた玄関。

 その時期は真冬の真っただ中で、夜の雪道はうっすらと光っていて、その中を必死に走ってきたのだ。

 丁度集まっていた親戚のおばさんが玄関で俺を迎えてくれて、居間に入る。

 そこにはすっかり式を終えて彼の死を受け入れた光景があった。

 満開の花みたいに笑った遺影の爺ちゃんは優しさで溢れていて、電話で聞いただけで、どこか受け入れられてなかった現実が一気に押し寄せてきて涙が出たのを覚えている。

 そこで初めて、大好きな爺ちゃんとはもう会えないんだって思ったのだ。

 今、俺が彼を思い出すのは記憶の中の光景と、残された写真だけが頼りだ。

 翔と白瀬さんはどちらもじっと俺の声に耳を傾けてくれていた。


「今でもたまに思うんだ。爺ちゃんはどっか遠くへ旅行に行っただけで、ひょっこり帰ってくるかもしれないんだって。でもそれは違くて……」

 ミャアミャアとカモメの声が上天を掠めていく。


「そう簡単に忘れられる訳ないって」

 翔はいつにもなく優しい口調で俺の肩にそっと手を当ててくれたる。その温もりが、気遣いが嬉しかった。

 いつも、人を面白半分でからかうけど、翔にはこういう他人に心遣いできる優しさがあるなんて、ズルすぎる。昔から何も変わらない。ずっと昔のままなんだ。

 そして、俺も昔と同じだ。爺ちゃんに冗談交じりによく言われてた『強くなれ』って言葉。

 俺は強くなったつもりでいた。高校に入って、東京での暮らしにも慣れたし、友達なんて大していなくったって孤独だろうが気にしないで生きていける。それを強いと思っていた。

 でも違ったんだ。


「ごめん……翔。白瀬さんも」

「私?」

 不思議そうに小首を傾げる白瀬さん。そのきょとんとした顔を見ていると、何故か湧きだした涙が一旦収まり、変な笑いがこみ上げてくる。


「……あと、ありがとう」

 俺は泣きながら笑顔で、彼女に謝り、そしてお礼を言った。


「えっ……えっ……」

 全くの支離滅裂な俺の言葉に、白瀬さんは黒髪を揺らして困惑している。


「意味わかんないし……変な海里」

 ぷっと笑う翔に、俺はむっと言い返す元気を取り戻す。


「俺は白瀬さんに海を見せてやるぜなんて言ったけどさ。結局俺がここにまた来たかっただけなんだよな」

 そして、翔まで付き合わせてしまった。これは立派なサボリだというのに。

 快諾してこんな田舎までついてきてくれた二人に感謝の気持ちが収まらない。


「俺はあの日と同じ景色を見たかった。でももうここにあの日と同じ景色は無いんだよな」

「当たり前でしょ。全く同じ景色なんていつまでも残ってる訳がないわ」

 翔の代わりに口を開いたのは白瀬さんだった。

 海風に揺れる黒髪を片手で押さえながら、ちらりと沖に浮かぶ島を一瞥する。


「いつまでもそのまま、なんて無いんだよ。だから良いんじゃない」

 再びこちらを見る彼女の瞳には強い意志が灯っていた。何物にも揺らがぬ強い白瀬紫莉の眼。

 それはいつも教室で見る凛とした佇まい、そして放課後に見せる格ゲーマーとしての自信に満ちた姿そのものだった。その瞬間、俺はハッと気づかされた。


「そっか……助けるとか言っといて、翔と白瀬さんに答えは求めていたんだな。俺は」

 でも、人の背中だけ見ても、己の答えは現れない。ヒントは提示してくれても答えは決して教えてくれないのだ。

 結局のところ、自分の答えは自分自身で見つけるしかない。それを妥協だと人は言うかもしれない。

 でも、それがどうした。


「何か……分かんないけど、分かったよ」

「えっ」

 爺ちゃんがよく言っていた『強くなれ』って言葉。

 その意味はきっとこういう事だったんだろう。


「二人とも強いな」

「紫莉はともかく――あーしが?」

 きょとんとした顔の翔の脇腹を、白瀬さんが不満そうに小突く。


「私は()()()し。どういう意味よ」

「あは、ごめん」

 それに笑いで答える翔。

 いつもの二人のやり取りを見て自然と笑いが伝染する。


「あはは……」

 三人して海をバックにニヤニヤ笑いあう。

 そうしていたら、ぐうと誰ともなく腹の音が鳴った。


「そういえば。朝から何も食べていないね」

「確かに……」

 お腹が空いたと言わんばかりの翔の顔。そうしていたら、白瀬さんがぽつりと呟く。


「ラーメン」

「え?」

 すると、白瀬さんは俺の肩をがしっと掴む。痛い。


「なに、なんなの……」

 白瀬さんは土産物屋が建ち並ぶ界隈を指さしている。


「あそこのラーメン屋にしましょう」

 そう言って俺を引き摺り歩き出した。隣には翔が思わせぶりの笑顔で続く。

 そこはいつか爺ちゃんと歩いた商店街だった。でも、周りを見ればそこには二人のギャルの姿。場違いすぎるぜ。

 でも……本当にこの海を見せる事が出来て良かったと思う。良かったんだよな、多分。


「俺強くなるよ。今よりもっと……」

 だから――俺は二人に聞こえない程度の小声で、爺ちゃんに言った。



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― 新着の感想 ―
[一言] ほんとうに、久しぶりに感動しました。 加山雄三氏の『海 その愛』という曲を思い出しました。 よければ検索して聴いてみてください。 海里くんはおじいちゃんの愛に満たされていた訳で、決して不幸…
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