20 思わぬ真相
しかしながら――白瀬さんとの対面はそう簡単には実現しなかった。
俺と翔は職員室前で待ちぼうけを喰らい続けている。
丁度出てきた教師に聞いたら、このまま廊下で待っているようにと言われた。
ところがどっこい。時計の針は進み、間もなく下校時間の五時を迎えようとしている。それなのに白瀬さんの姿は一向に職員室から出てこない。
部室のカギを返しに来た生徒や、帰り支度を整えた職員が出てくる度、俺と翔はようやく終わったかと注目し、そして落胆した。
「なあ」
次第に焦燥感も高まっていく中、俺は隣の翔に話しかけてみる。
「桐生先生もだけどさ、何で皆俺の本音を見透かすんだろう」
「は? どういう事?」
待たされ続けているせいか不機嫌な翔の素の声音が怖い。
元々ギャルは苦手なのが俺だ。こういう会話の端々で、彼女もまた苦手なギャルだという事を痛感させられる。
「ごめん。言葉が足りなかった」
気を取り直して、もう一度口を開く。
「実は涼介にも言われててさ。その、白瀬さんの事で思い詰めるなって」
白瀬さんを心配している事は涼介にもバレバレだった。
恥ずかしいながらも、俺はその事を翔に伝えたのだった。
「へえ……」
すると、翔は面白い事を聞いたと言わんばかりの愉悦顔を浮かべる。
「何だよその顔は」
先程までの不機嫌度マックスの顔との違いっぷりがヤバい。
俺はムスっとして真意を問う。
「だってさ、海里って考えてる事丸わかりなんだもん。昔っからだよ?」
「なっ」
翔は、カーディガンの袖で口元を隠して笑っていた。多分、人通りの多い職員室の廊下だからあまり大きく騒ぐわけにもいかないのだろう。
ひとしきり笑い終えた所で、翔はリップでも塗ったかのように唇を引き締めた。
「だって、あーし知ってるよ。白瀬さんとか砂原君と話してる時の海里って眼が生き生きしてるし」
「そうかな?」
「そうだってば」
ぱすぱすと俺の背中を叩きつける翔。
何がそんなに面白いのか、俺は相変わらずの仏頂面で叩かれるままだ。
「小さな頃からだよ。嫌いな相手にはすっごいムスっとしてるし。仲良い友達には尻尾ぶんぶん振った犬みたいに懐くタイプじゃん?」
「え、そうだったの?」
俺が聞き返すと、翔はこくんと頷く。
「まあ、確かに……そうかもしんない」
思えば、小さな頃から俺は嘘をつけなかった。
いつも本音を隠すのが下手な癖に、相手にそういう自分を知られるのも嫌だったのだ。
だから、中学に上がるにつれて、他人と深く関わらないようになったのだ。それは、当たり障りない上辺だけの関係だ。
しかし、そういう俺の生き方すらも翔にはバレていたらしい。
「嫌だな……今まで俺の行動バレバレだったってことじゃん」
「何で?」
不思議そうな顔で俺を見上げる翔。
その先、廊下の遥か先では今も帰ろうと昇降口に急ぐ生徒達が見えていた。
「あーしは好きだな。正直だってことじゃん。信用できないよりずっと良いよ」
「好きな相手にはね。でも、嫌いなヤツにはこっちの敵対心バレてるんだよ? 最悪じゃないか」
何で? そう言いながら翔はもう一度小首を傾げた。
「嫌なら仲良くしなきゃいいだけじゃん」
そう言って人差し指を立てて諭すように顔を近づける。柑橘系のシャンプーの匂いに思わず鼻腔がひくついた。
どきっとして距離を取ると、翔は少しだけ足元を見ながら、
「海里は紫莉の事嫌いじゃないみたいだし……」
靴先を遊ばせながら翔は俯いたまま。
何で語尾が小さくなるのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「だからさ!」
「!?」
いきなり声を大きくするので俺の肩がびくっと跳ねる。
ビビり全開の俺の反応に、翔は一瞬鼻を鳴らして苦笑しつつ、
「そんな正直者の海里君は紫莉ともっと仲良くなって欲しいわけっ」
それだけ小さく呟いた。
そんな話をしていたらガラっと扉が開く音がする。
俺達二人はほぼ同時に顔を上げる。
しかし、職員室の扉は閉ざされたまま。
代わりに、職員室隣の生徒指導室から白瀬さんが出てくる。
「紫莉っ!」
俺と白瀬さんの目が合うが早いか、翔が飛び出した。
上履きの乾いた足音を響かせ、白瀬さんの手をぎゅっと握り締めて抱き着く。
「もうっ、心配したんだかんね」
「翔……」
少しだけ怒ったような口調の翔。
白瀬さんは抱き着かれたまま、困った顔をするのだが、俺と目が合うといつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「ずっと待ってくれていたの? 翔まで……」
少し口ごもる白瀬さん。
無理もない。
いつもなら翔は放課後はカラオケやら遊びに出かけるのだ。
それなのに、俺と一緒に待ち構えていた事が解せないのだろう。
「あーしも新宿で見たんだ。何してたの? あの男の人、誰……?」
矢継ぎ早に繰り返される親友からの詰問。
ますます困ったように眉根を下げる白瀬さん。
一瞬だけ俺の方を見ると、覚悟したように頷いた。
「話しても信じてもらえないかもしれないけど……」
翔に手を握られたまま、俯きがちな白瀬さん。
「信じないわけないじゃん。そんな前置きいらないっての」
翔は手をぎゅっと握りながら、白瀬さんの顔をじっと見る。
熱すぎるその視線にたまらず白瀬さんは後ずさるが、掴んだ手は決して離さない。
「分かったわ……」
観念したように小さな溜息を吐くと、
「あれは援助交際なんかじゃないわ」
まず率直に結論だけを述べるのだった。
しかし、それだけでは翔や俺は納得できない。
事情を把握するにはもう少し彼女からの言葉を待たなければいけないのだが……
「じゃあ、隣にいたおじさんは誰なの?」
遠慮することなく、あの場所で見たそのままを白瀬さんにぶつけやがった。
俺がどう湾曲して聞こうか迷っていたのに……
いくら何でも火の玉ストレート過ぎないだろうか。
しかし、白瀬さんは翔に手を握られたまま、何も言わない。
「紫莉……?」
先に焦れた翔が不安そうに呟く。
「はあ……やっぱそうなるかぁ」
白瀬さんは吹っ切れた口調で黒髪を勢いよく払う。
次の瞬間には、俺達を見る目にはいつもの怜悧さが戻っていた。
「あれ、私のお父さんだし」
「「へ?」」
二人揃って変な声が飛び出た。
白瀬さんは壁に背中を預けると、腕組みしながらキロリと睨む。
「あはは……それってパパ活的な意味でのお父さんって事?」
「んな訳ないじゃん。実の父っつってんの」
「あ、ごめんなさい」
何も言えない翔の代わりに聞いたのだが、あっさりと斬り捨てられてしまった。
「ふん……皆早とちりし過ぎなのよ」
そう言って不機嫌な溜息をつく白瀬さん。その振る舞いは、まさに放課後ギャルモードに他ならない。
校内で初めて見る本性を曝け出した白瀬さんに、さしもの翔も臆している。
「紫莉? どういうことなの……」
喉元から掠れるような声がかろうじて出るだけだ。
「だから父親だっつてんじゃん」
白瀬さんは壁に預けていた身体を勢いよく起こす。
そして、攻撃的な眼差しで、もう一度俺達を見渡した。
「私の家って母子家庭なんだ。母が父と離婚してから……ずっと会ってなかったの」
「そ、そうなんだぁ……」
すっごい早口で白瀬さんが打ち明ける。
腑抜けた声を出したのは翔だった。
「確か、白瀬さんって転校生なんだっけ?」
そういえば確かに翔からそんな話を聞いた気がする。俺が尋ねると、白瀬さんは無言のまま頷く。
「最近転勤でこっちに来たって聞いてさ。だから、会いたくなったのよ。でも母がいる家には呼べないじゃない? だから新宿で」
それ以上白瀬さんは何も言わない。
全て事情は話したわと、不遜な顔で俺達を睨みつけるだけだ。
恐らく、それらの説明を今日一日、何人もの先生達に話してきたのだろう。彼女の顔には疲れと、同じ事を言うのにウンザリした苛立ちが見える。まさに切れたナイフの目だ。
「分かった。分かった……けどぉ」
代わりに声を発したのは翔の方だった。
安心したせいか、体を弛緩させて語尾を伸ばしている。
「完全に誤解じゃん。単にお父さんと会ってるだけなのに援交だなんて」
「翔の言う通りだよ。変な噂が広まってるから何とかしないと……」
このままだと悪い噂に尾ひれがついてもっと状況が悪くなるかもしれない。
その前に手を打たなければ。
「皆に説明するべきだよ。何なら俺が説明してもいい」
「無駄よ」
しかし、そんな俺達を制するように、白瀬さんは手のひらを広げる。
その眼には諦めと、強い決意が秘められている。
「多分こういう疑惑って何言っても晴れないし。そもそも、私を貶める目的で噂を言うヤツがいるならどうにもならないの」
「ヤツって……」
相変わらず言い方が怖い。
ぴしゃりと言ってのける白瀬さん。まるで、過去にもこういった経験があるような口ぶりだ。
「人は皆と仲良く、優しくするなんて出来ないの。本当に仲の良い相手さえいれば、私は他はどうでもいいし」
白瀬さんは小さく首を振る。まるで自分に言い聞かせるように。
「でも皆には嫌われたままだ……俺はそういうの耐えられないな」
「私はそれで構わないと言ってるの。上っ面だけの奴らと仲良くするなんて……反吐が出る」
それこそ吐き捨てるように、白瀬さんは言って見せた。
それは彼女の強さなのか、単なる諦めなのか。今の俺には分からない。
暫くの間、俺達三人は向かい合ったままで立ち尽くしていた。
「ふ……」
硬直していた時間が溶けたみたいに、白瀬さんの相好がふっと崩れた。
「いいの。ありがとうね。二人とも」
にこっと笑う白瀬さん。窓から差し込み始めた夕陽に照らされてひたすら美しい。
――天使の帰還だぁ。
「そっか。それならいいや」
俺も自ずとほっこりしてきて、自然とそんな言葉が漏れる。
これが翔の言っていた尻尾をぶんぶん振る犬の構図なのだろうか。
はっとして表情を引き締め、隣の翔を見ると、
「やったじゃん。紫莉がグレてなくて」
意外や意外。翔もまた嬉しそうに頬を綻ばせていた。
親友が非行をしてなくて安心しているのだろうか。
「もっと喜びなって」
「いや……」
脇腹をつついてくる翔。
急に照れ臭くなって俺は顔を背けた。
「あれ、そういえば……翔」
代わりに、白瀬さんが声を上げた。
白瀬さんは何かに感づいたように翔の手を握り返す。
「翔は新宿で私を見たって言ってたよね? 水梨君も新宿で私を見てたって聞いたんだけど」
「ひゃ、あれ……そんな事言ったっけ!?」
露骨に狼狽する翔。
白瀬さんは探偵のように親指を顎に当てて考え込むと、もう一度俺達を見渡す。
「もしかして貴方達、一緒にデートでもしてたの?」
「ちが……」
「は⁉ はぁ⁉ 絶対違うし!」
否定しようとする俺に翔の悲鳴が被さった。
夕陽のせいだけではない。翔の顔は真っ赤に染まっている。
「ふーん。やっぱり図星みたいね」
――その沈黙を答えとする。
そう言わんばかりに白瀬さんが勝ち誇った笑みを浮かべた。
何この一転攻勢。
「まあ、いいんじゃない? せっかくなんだし二人で遊ぶのも」
白瀬さんは嗜める事無く、ほろりと甘い顔で微笑んだ。
そして、帰るつもりなのか、靴先を玄関の方へと向けた。
「見学楽しかったわ。ありがとね、二人とも」
「でも……」
翔が引き留めようとするが、その手を優しく解いて白瀬さんは歩き始める。
「もう私に関わらない方がいいと思う」
「何でさ」
問いかける俺に、白瀬さんはそっと目を閉じたまま続けた。
「教室内での私の立ち位置は変わってしまったわ。変に肩を持つと貴方達まで巻き込むことになる」
「あーしは別にいいし!」
翔は負けじと言い返す。しかし、白瀬さんは否定も肯定もせず。
「青い海、見てみたかったな」
ぽつりと漏らすと、一人遠ざかっていくのだった。
白瀬さんは俺達を遠ざけて、守ろうとしているのだろうか。
黒髪揺れる背中が見えなくなるまで、俺達は立ち尽くす事しか出来なかった。