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21 『今度』は嫌だ。

次回投稿は明日の同じ時間帯くらいにできればと思ってます。

 翌日。俺は珍しく食堂で昼食を済ませると、渡り廊下の自販機前へと足を運んでいた。

 昼の時間にこの場所に来たのは久しぶりだ。廊下を行き交う生徒も殆どいない。

 ベンチに座って、持ってきた小説を取り出す。

 ここなら誰にも邪魔される事が無い。読書して久々にインプットをするんだ。

 小説執筆に必要なのは、外部から自分の知らない知識を集める事。いろいろな情景、心理描写に触れる事で、自分の表現方法も幅広くなっていくのだと……ネット上の名無しさんは、そう俺にアドバイスしてくれた。


「さてと……どこまで読んだっけな」

 親指を挟めてページを開く。栞の位置を確認すると、まだ殆ど読み進めていない事に気づく。


「まあ、最近いろいろあったから仕方ないか」

 見学会とその準備、白瀬さんやら翔とのあれこれ。思えば、ここまで他人と関わり合いになるのは高校に入学してから初めての気がする。

 この春に翔と同じクラスになり、やたら構われるようになるまで気にも留めていなかった。

 でも、当面の問題は多分、白瀬さんの件だ。


「……」

 雑念が邪魔して内容が入って来ない。俺は栞を挟み直し、ページを進めないまま閉じた。



「海里」

 そこに掛けられた掠れ気味の可愛らしい声。

 顔を上げると、そこには翔が立っていた。俺は小説をしまい込む。


「なんだよ。珍しいな」

 いつもは仲間といるのに今日は珍しく一人だ。多分、今の俺は怪訝な顔を浮かべている。


「だってここ、人いないじゃん? あーしも落ち着きたかっただけだし」

「嘘つけ。いつも人に囲まれるの大好き人間の癖に」

 翔は何も答えないまま、そのまま隣に腰かける、ふわりと香水の甘い香りがした。


「教室だと息が詰まりそうじゃん」

 そう言って俺を見る翔は、頬を膨らませて不満げ。

 未だに白瀬さんに対する冷たい空気が教室内を充満していた。

 雑念を消して勉強に集中すればいい授業と違い、自由な休み時間は気まずいったらない。

 しかも、優等生で大人しいキャラの白瀬さんが余程気に入らないのか、女子の一派はここぞとばかりに悪い噂を流し続けている。すごく嫌な空気だった。


「だから、ここに逃げてきてんの。分かんない?」

 落ち着きなくぶらぶら揺れる白い脚が視界で主張する。何となくではあるが、ここで翔の言葉を否定するのはいけない気がした。


「分かるよ」

 努めて優しげな声音になるように喉元を震わす。

 しかし……ようやく出てきた言葉は、自分でも引くぐらいにぶっきらぼうな一言だけだった。

「そ」

 翔はもう一度困ったような、けど、どこか救われたような安堵に満ちた笑みを浮かべる。


「白瀬さんさ、父親と会ってただけだろ? なら、そう言えばいいじゃん」

 割と本音で俺は言ってみるのだが、翔の顔は芳しくない。


「女子はそんなに簡単じゃないんだって」

 それだけ言って、がっくりと肩を落としている。

 しかし……それでも俺は退かない。


「我の強い女子グループは男子にも当たりが激しい分、あまり良く思われていない」

「は? 何? いきなり何?」

「多分、クラスの男子は白瀬さんの味方するぜ。俺だってそうする」

 性悪女のグループと黒髪清楚優等生美少女。どっちか選べと言われたら、多くの男子が寝返って味方するだろう。それこそ関ヶ原の戦いの西軍並みに。

 今は反白瀬の風潮でも、流れが変われば必ず立場は逆転する。俺はそう説明するのだが……


「海里、女子の群集心理舐めすぎ……」

 しかし、翔はジト目で俺を睨んでいた。楽観的な考えは捨てろと言いたいらしい。


「でも……彼女がやる気なら俺は協力する準備がある。何なら男子全員に手回ししたっていい」

 勿論……涼介経由でな。俺が男子全員に口を利かせる程の影響力など皆無だ。


「紫莉はそんな事しないよ」

 しかし、翔は俺の提案を却下する。その頑なさに少し苛立ちを覚えた。


「なんでだよ。随分と自信があるみたいだけど――」

「だって」

 そう言いかけた翔は俺の方をちらりと見る。

 渡り廊下にかかった屋根のせいで、翔の顔は日陰で暗くなっていた。


「だって……昔もこういう事あったもん」

「それって、俺が転校した後の事?」

 しかし、翔は俯いたまま。口を割る事は無い。

 翔が白瀬さんと出会ってからの出来事を俺は知らない。どんないざこざがあったのかなんて想像もつかなかった。 


「女の子同士の人間関係ってめんどいんだな……」

 これ以上詮索するのを止める。いつか翔の口から聞ければいい。そう思ったのだ。

 翔は小さな声で『ありがと』とだけ呟き、大きく伸びをした。


「あーあ。それよりもさ……ほんっとうざい。ああいう女子達って! 何で人の悪口ばかり言うんだろ」

 パツパツのブラウスが引っ張られて胸が強調されるからやめて。俺は咳払いして邪念を払う。


「他に楽しみが無いからじゃないの? もしくは悪口言う事が趣味っていう嫌な奴もいるし」

「ほんと最悪。マジムカつくわー」

 翔は舌を出してあからさまに嫌がる素振り。


「でもね……あーしは紫莉のずっと味方なんだ」

 そして、冗談気味に大げさに言った後の本音。優しい声音で小さく漏らしたそれを俺は聞き逃さない。

「優しいんだな」

「紫莉がちゃんと説明してくれたから、安心したの。だからこれでチャラ」

 翔はどことなく晴れやかな顔。話しぶりもいつもノリに戻っていた。


「つーかさ。お前みたいなギャルって、悪口好きなグループとは仲悪いんだな」

「へ?」

 口をぽかんと開ける翔。


「いや、女子達って上辺だけの付き合いすっごい上手いじゃん。かわいいって言葉を最初とか語尾に付けとけばとりあえずオッケー的な? そういう会話ばっかだし」

「良く分かってんじゃん」

 やっぱそうなのかよ……即答する翔を含め、やっぱ女子って怖いんだな。俺は戦慄を覚えた。

 だから、俺は女子という生き物を恐れて生きてきたのかもしれない。

 多分、今話している栗橋翔だって、昔からの付き合いじゃなければビビッてキョドりまくる自信がある。だってギャルだし。


「てかさあ、よく見てんだね」

 翔が眼を細めて俺を見る。多分、内心ドン引きしてるんだろうけど……それでも俺は続ける。


「女子のグループってさ。生息域が被ってる動物の群れみたいじゃん。表向きニコニコ裏で対立とかどこのサバンナだよ。まるでライオンとハイエナのバトルだよ」

 これは、いつも教室で見ている草食男子側からの意見だった。


「ひどいねー。あーしはハイエナ?」

 しかし、その例えが翔には許せないらしい。いかにもギャルの口調で攻撃してくる。


「いや、ライオンのつもりで言ったんだけど……どう見ても翔のが強いじゃん。金髪だし」

「うそ、マジ⁉ まあ、あーしって猫っぽいて言われるしなぁ」

 何故か嬉しそうに口元を吊り上げる翔。

 あーしマジ百獣の女王って感じ? とか内心そんな事でも思ってるのかな?

 って、ちょっと待て。俺は話を元に戻す。


「そんな事よりも白瀬さんだよ。あのまま孤立させちゃっていいの?」

 今の白瀬さんは、教室内ではとても危うい立場だ。

 口では大丈夫だと言うものの、孤立しているのが楽しい訳がない。


「だからさ。俺としては、何とかしてやりたいな」

「でも、桐生先生も言ってたじゃん。真実を言った所で変わらないって。それにそういう環境が出来上がってるし」

 しかし、俺の言葉を聞いても翔が納得する事は無く、食い下がってくる。

 白瀬さんとは親友だし、俺の意見に協力してくれると思いきや……意外だった。


「紫莉って昔からそう。いつも自分で抱え込んじゃって……仲良い人にも本音を言わないんだ」

 翔は足元に視線を落しながら、幾分か声のトーンを下げる。


「でも、多分……」

 逡巡の後、翔は俺を見る。救いを求めるような弱々しい笑みに、俺は何も言い返せない。


「昨日、最後に言ってたの――海を見たいってのだけは本音だと思う」

 翔はそう言ってにこりと微笑む。唐突な海の話に、俺は呆気にとられた。


「ねえ、海里の故郷の海ってそんなにいいの?」

 どうやら、白瀬さんだけでなく翔も同じく興味を持っているようだ。

 食い気味に近づいた瞳はキラキラしていた。


「まあ、海の青さだけは良かったかなって。他は本当に何も無い、田舎だけどさ」

 何も無くて、テレビのチャンネルだって少ない。都会から何週間も遅れて放送される番組もある。深夜アニメなんて殆どやってない。俺はそんな田舎の故郷が大嫌いだった。

 隣を窺うと、翔は少し重苦しい顔。うっかりネガティブな感情が顔に出てしまったらしい。


「けど、町は嫌でも、爺ちゃんは好きだった。よく海に連れてってくれたのも爺ちゃんだし」  

 気まずくなった俺は、なるべく明るい声音で続けた。


「だから、爺ちゃんの匂いとか思い出がする海も好きだよ」

「へえ……お爺ちゃん子だったんだ?」

 にやりと笑う翔。


「何……お爺ちゃん子で悪い?」

 反論しようがない事実なので、俺は言葉を詰まらせながらも認める。


「ううん。そういうの、いいなあって思っただけ!」 

 翔は満足そうな顔をばっと上げ、庇の上に広がる空を眺めた。


「いいなあ。思い出いっぱいの海かあ!」

 そう言って、うんうんと納得したように頷いている。

 俺達は、十七年もの年月をひたすらに生きてきた。

 翔と白瀬さんの間で、俺の知らない出来事が繰り広げられてきたように、翔が知らない俺の思い出もたくさんあるのだ。その事実に今更ながら気づかされる。


「その海――やっぱ、あーしも見たいかも……」

 翔がベンチから跳ねるように勢いよく立ち上がった。健康的な膝裏が伸びきったところでこちらを振り返ると、ミルクティーカラーのきめ細やかな髪が翻る。


「埼玉……海無いし」

 あまりにもその景色が眩しすぎて、俺は気づけば額に手をかざして見ていた。


「またそのネタか。いいよ、今度な……」


 今度。


 とは言うものの、俺の故郷は東京から遥か遠く、高校生が気軽に行ける距離じゃない。

 所詮はその場しのぎの空気を読んだ会話だ。


「うんっ。だからさ、海里があーしらを連れてってよ」

 少なくとも、俺はそう考えていた。


「今度でいいからさ」

 しかし、彼女の口から自然に出てきたその言葉に、嘘偽り、取り繕い、誤魔化し、そんな物は一切感じられなかった。あまりに真っすぐに俺の耳に入り込んでくる。

 それはきっと心臓でも脳でも無い、温かくて素直に受け入れられる身体のどこか。そんな例えようが無いけど確かに存在する場所に違和感なくストンと落ち込んてきたのだ。

 俺はハッとさせられた。これが心に響くってヤツなんだろうか。


「翔……」

 その無邪気な顔は幼い頃から殆ど変わらず。海に行きたいという翔の願いを、本心からの物だと確信してしまう自分がいた。

 やっぱり、違うんだな。翔の言いたい事は、いつもそうだ。

 俺みたいに人を怖がって臆病になって、上辺だけの取り繕った言葉で飾り立てられた言葉とは別物だった。


「俺は『今度』だなんて嫌だな……」

「え……?」

 翔はきょとんとしていて、俺の言っている意味を理解できていないようだ。

 だから、もう一度。

 今度は俺もできる限りの本心で彼女に言葉をぶつけてやる。


「一緒に行くぞ。白瀬さんもつれて」

「それって……」

「海、見たいんだろ?」

 ようやく俺の意図を掴みかけてきたのか、呆けていた翔の顔が驚愕に変わっていく。


「新幹線の切符は俺に任せろ。翔は白瀬さんを何とかして駅まで連れだしてほしい」

 鳶色の瞳は止まったように、こちらを凝視している。


「……うん。分かった」

 しかし、すぐにその眼差しは確固した決意に染まる。

 そんな彼女を見て、俺の肝も据わった。

 翔が、白瀬さんが、見たいと言ってくれた青い海。それなら見せてやろうじゃないか。


 この俺――水梨海里が水先案内人だ。




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