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日和見令嬢と猫な君・3


 私は家族と仲が悪い。

 両親からなにかしらの意思表示――ここの茶会に行けとか、ドレスを作るとか言ったそういう会話――は、いつも使用人を通して伝えられた。

 弟とも、仲がいいとか悪いではなくて「疎遠」って言葉がぴったりだ。 

 なぜか。

 どうしてか。

 それは、ぜんぶ私のせいだ。

 でもなぜ嫌われているのか。どうして嫌われなければならなかったのか。それが分からない。

 理解ができないではなく、記憶がないのだ。

 五歳の時、唐突に私は家族に嫌われていることに気がついた。

 どうして嫌われているのか。なぜ「五歳までの自分に関する記憶」がまったくないのか。

 分からないと泣きついた私に、私付きの侍女はあからさまにホッとした顔をした。


『忘れちゃったことは、覚えていなくていいことだったんですよ』

『大丈夫です。

 みなさまがご家族だということに、変わりはないんですから』


 使用人の誰に聞いても同じ感じだった。

 私の記憶がなくなっていることに安堵し、家族だからと背を押す。

 そう言われ続けているとそんな気がしてきて、けれど家族に嫌われているのは辛くて。

 それなら仲直りしようと思ったのだ。

 謝罪の手紙を書いて送って。侍女と一緒にみんなへのプレゼントを考えて。庭師からこっそり、母上が好きな花を教えて貰って。


『あ、あの、お手紙を読んでくれた?

 母上がお好きなお花と、

 リチャードが好きなお菓子を貰ってきたの――』


 リチャードは笑った。私と二つ違いだから、その時三歳だったと思う。


『ははうえ、きれいなおはなですね。

 あねうえはやさしいですね』


 白薔薇だった。

 すべての棘を抜かれ、すらりとした緑の茎をリチャードが手に取った。


『捨てなさい、リチャード』

『ははうえ?』

『薔薇は棘があるのよ』

『と、棘はありません! 庭師が、ぜんぶ抜いてくれてるから……』


 私の母は、私を一切見ないまま、リチャードの手から薔薇を捨てた。

 

『ははうえ、あねうえの……』

『さあ母上にかわいい手を見せてご覧なさい。

 どこも痛くはない? 棘はささっていないかしら?』


 我が子を労る、優しい声が耳を素通りする。

 じわりと浮かんだ涙を拭って、私は自分の部屋へ戻った。

 部屋に戻れば、侍女が困り果てた顔で二通の手紙を持ってきた。

 父と母に送った謝罪の手紙だった。

 そこで私の心は折れた。

 もういい。

 家族のことはもういい。

 自分だけ好きでいよう。自分だけ大切でいよう。

 泣きながらやってきた私を、従姉殿は優しく迎えてくれた。


『いいのよ。いいの。

 あなたがどうであろうと、わたくしはあなたが大好きなんですから――』

『従姉殿って、誰にでもそういうこという』

『わたくし、惚れっぽいんですもの』

『惚れ……?』

『わたくしとアスタリアは、

 従姉妹で大事なお友達ですわってことです』


 よく分からなかったが、従姉殿が誰にでもそういうことを言うのは分かっていた。なんとなく、だからいいなって思った。

 家族から冷たくされた後だったから、余計に特別なものなんていらない気分だった。

 そうして私は従姉殿の生家に居着くようになり、実家はそれになんにも言わず……。

 流れる時間のお陰で、ちいさな頃の衝撃もなんとなく薄れてきた。

 というのがリアトワール上級学園に入り、ナターシャ様やリスティア様という友を得た頃だった。


「……はぁ」


 久方ぶりの裏庭で、草木の影に座る。

 あの時の孤独感。

 刃物で斬られたように痛んだ胸の奥。

 もう忘れていたと思っていたのに、忘れられていなかったらしい。

 だって。

 邪魔したと思った。

 一人で暴走して、アグライア様の思惑をぶち壊して。泣いていたのにロクに慰められないで……私のせいで。


「いや私のせいではないわ。

 アラン様のせいだから。

 私があれ以上なにもできなかったのは、主に身分とか血筋よ」


 ぽこぽこと自分のひざをたたく。

 がんばったのよ。やるだけやったのよ。

 思いも寄らぬ方向になったけど、ちゃんと解決したじゃない。

 一通りぽこぽこしていると、草むらの影からぴょこっと金色の影が飛び出してきた。


「にゃぁ」

「あら、珍しい洋服の猫さんね」


 珍しいどころか、初めて見たわ。

 体毛は金色で、瞳の色は、緑と青のオッドアイ。

 スラッとした体型ながら、毛並みはフワフワした感じ。

 ――美猫だわ。

 金色の美猫は、ドレスの裾をよけて私の隣に座る。

 膝の上を差して手招きすると、まるで分かったと言わんばかりに頷き、するっと膝の上に乗った。


「名前はなんていうの? 野良?」

「にゃー。にゃ」

「撫でてもいいかしら」

「にゃ」


 またも頷き。

 そして撫でやすいようにか、ごろんと膝の上で寝転がってくれる。

 背をやわやわと撫でると、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしてくれる。なにこの猫。かわいい。

 

「ね。行くところがないのなら、私の猫になる?」

「にゃ」

「あら、断られちゃった。

 どうしてもダメ?」

「にゃー」


 ふるふると首が振られる。

 仕方ないわと諦めると、そうしてくれとばかりに頷かれた。

 ……猫ってもしかすると、ヒトの言葉が分かるのかしら。


「それでは、もう少しだけ一緒にいてくださる?」

「にゃ。……にゃ」


 まるで手紙のにおいをかぐように、猫が二通の手紙に鼻面を寄せる。

 インクのにおいが気になるのかしら。それとも、紙のにおい?

 そうだ。

 小さな思いつきに、膝の上へ手紙を置く。

 すると猫は行儀よく、封筒の宛名を眺めた。


「読める?」

「……にゃぁ」

「これはね、王女様から貰ったの。

 ぜったいに読んで返事をしないといけないのだけれど、

 すこしばかり怖いの」

「にゃ?」

「違うのよ。

 王女様が悪いのではなくて、手紙が嫌いなの。

 従姉殿も手紙じゃなくて言づてにしてくれれば……」

「にゃ」


 肉球が手の甲に触れる。

 無茶言うな? それともガンバレかしら。

 私は猫の金色のつむじを見下ろした。


「だから、一緒に読んでくれる?」

「にゃ!」

「ありがとう」


 親愛の気持ちをこめて耳の裏をかくと、頭を振られた。

 どうやらこれは嫌だったらしい。

 ちいさく謝ると猫は許そうという風に、手の甲をたたいた。

 封筒から便せんを取り出して、膝の上に広げる。

 二色の瞳を好奇心に輝かす猫と違い、私の視界は真っ暗になった。

 違うわ。ぎゅっと目を閉じてしまったのだ。

 てし。

 勇気づけるように、手の甲に肉球ひとつ。


「読む。読むわ。読みます。読んでやりますとも」


 さわり心地のいい便せんに、黒々としたインクが踊る。

 黒い文字は、筆者の優雅さと几帳面さを表すように、読みやすくて華やかに連なっていた。


 ――親愛なるわたくしの飼い主さんへ。


『親愛なるわたくしの飼い主さん。

 あなたのことは、今だけこう呼ばせてね。

 あなた、よくもわたくしを猫あつかいしてくれましたね。

 よりにもよって一国の王女を動物扱いするとか、本当に許されないことですのよ?

 でも、わたくしは寛大だから許して差し上げます。

 ご飯を、いつもありがとう。

 包帯や軟膏も。いつも手当を断ってしまってごめんなさいね。

 あなたが名前を教えて下さらないから、わたくしはあなたの派閥を確めるまで、安心できなかったのです。

 というのは建前で、わたくし、少し悔しかったの。

 あなたの善意に縋ってばかりの自分が。


 ねえ、わたくしの飼い主さん。

 あなたはわたくしに名前を教えて下さらなかったけれど、

 わたくしに優しくしてくれましたね。

 あなたは、表面上、当たり障りのない笑顔を浮かべる素っ気ない人に見えるけれど、実は心優しく、情の深い人なのでしょう。

 だからわたくしは、金銀財宝よりも先に、この言葉を送るわ。


 ありがとう。あなたが居てくれたから、わたくしは戦えたの。

 本当に、ありがとう』


 くしゃっと便せんの端にシワが寄る。

 私はしばらく息を整え、頻繁に瞬きをしなければいけなかった。

 

「……にゃ」

「大丈夫よ、ありがとう」


 微笑んで、二通目に手を伸ばす。

 するとポロリとこらえていたものがこぼれるわけだから。

 ……やだなぁ、ほんと。


『アスタリアへ。


 近いうちに、学園に行きます。

 戻るかどうかはまだ分からないけれど、あなたにお願いがありますの。

 わたくし、あなたに聞いてほしいことがたくさんある。

 そしてわたくしからあなたに、聞きたいことがたくさんあるのです。

 

 追伸 

 わたくしとお友達になってください。


 アグライアより』


 何度も指先で拭い、袖口でぬぐう。

 しまいにはハンカチを取り出す私に、猫はせっせと手の甲をなめてくれた。


「優しいのね」

「……にゃ」

「もう、ほんとう……

 ほんっとうに……適わないわ!」

 

 涙の次は、明るい笑いがこぼれてきた。

 この調子で次も読んでしまおう。

 新たな封筒を開けると、猫も覗きこんだ。


『親愛なるアスタリアへ

 

 アスタリア、聞いてちょうだい。

 エドがすごいのよ。いえ、エドが無事だったのよ。

 オキダナ伯爵家に楯突くなんて、エドらしいといえばエドらしいわ。

 でも年下の子を導き守れるような落ち着きも、そろそろ欲しいわねぇ。

 とにかくエドは無事で、今は王城へと呼ばれています。

 当分は帰ってこられないみたい。連絡があったらまた知らせるわ。

 そうそう。

 アズマギからの船便がようやく届いたの。

 見せて貰ったけれど驚いたわ。

 色のついた砂糖のお花なのよ! 

ぜったいにあなたも気に入ると思うわ。お花のお菓子は次の面会の時に持って行きます。

 お花といえば、わたくし、もう長い間育てているお花があるの――』


 最後まで読んで、自動的に頬が膨らむ。

 従姉殿ったら、手紙が苦手なことを知っているくせに。

 次の面会で話したらいいことばかり、書いて送ってくるんだから……。


「でも嫌がらせじゃないのよ、うん。

 従姉殿的に、手紙を残したいワケがあったのだと思うわ」

「にゃ」

「それに――」


 猫のわきの下に両手を入れて持ち上げる。

 ぶらーんと猫の背がのびた。

 

「アズマギのお菓子が、食べられるわ!」

「……にゃ?」

「ついこの間持ってきていただいた、

 お煎餅もおいしかったのだけれど少し湿気てたのよね。

 砂糖のお菓子だったら湿気ないかしら」

「にゃ? にゃ?」

「お煎餅は、うーん……

 形はクッキーみたいなのだけれど、固さや味も違うの。

 向こうでは庶民のお菓子なのですって」

「にゃー」

「ぱきんっと手で割って食べるのよ。

 淑女らしい食べ物ではないから、

 誰にもお裾分けできなかったのだけれど……」


 色違いの瞳を見つめる。

 アズマギからやってきた砂糖のお花。

 味どころか形もよく分からないけれど、従姉殿が興奮するくらいだ。

 きっと綺麗で――ほろっと甘くて……お茶会に最適に違いない。


「誘うわ」

 

 ちいさな言葉が、転がりでる。

 するとむくむくとその気持ちは、身の内に広がっていった。

 

「リスティア様とナターシャ様と。

 それから、アグライア様と一緒にお茶会する。

 ぜったい、ぜーったい、やってしまうんだから!」

「にゃ!」


 力強い猫の声に、相好がくずれる。

 赤薔薇会のお茶会。

 そこではきっと、血筋も、身分も関係なく……。


 荒々しく草を踏む音がする。

 振り返った私を見て、金の王女が目を剥いた。


「ア、アスタリア様……」


 横に黒鎧の騎士を控えさせた、アグライア様がぷるぷると私の手元を指す。私の両手の中でぷらーんと伸びている猫は、くてんと首を傾げた。


「つ――つかまえていて!」

「はい?」

「王女殿下、どうか冷静に」

「え、ええ。ええ!……わたくしは冷静。わたくしは冷静ですわ」


 アグライア様はぶつぶつと呟くと、騎士と一緒にじりじりとこちらへと向かってくる。


「もしかして、アグライア様の猫なのですか?」

「え――あ。ま、まあ、そう……ですわね……」


 しどろもどろになりながら、アグライア様はジッと猫だけを見ている。

 黒鎧の騎士は、いつのまにか私の後ろに回っていた。

 ――まるで、逃げ出さないか警戒されているみたい。

 触れられる距離まで来たアグライア様が、震える両手で猫に手を伸ばした。猫はちっとも嫌がる様子を見せないので、私からも手を伸ばし――

 その時だった。


「アスタリア様!

 フレデリック様は――」

「ユーリ! その名前は出しちゃ――」


 ぽふんっと白い煙が、目の前を覆う。

 とっさに猫を抱き寄せようとして、私は固い板みたいなものに頭をぶつけた。


「ね、猫さん? アグライア様?」

「……」

「誰か――あいた!」

「ごめん」


 なんだか優しい声ね。黒鎧の騎士かしら。


「いいえ、私は大丈夫です。

 あの、それより猫が……逃げて……」


 空気の揺らぎ。そよ風。

 そういったもので、白い煙がじょじょに晴れていく。

 私はポッカリと口を開けた。

 金色の髪。色違いの瞳。

 きれいだ。でもその驚きは一瞬で、べつの驚きで塗りつぶされる。


「ど……

 どな、た?」

「会いたかった」

「ごめんなさい。私、あなたに見覚えがなくっ……」


 止める間もなく、手を掴まれる。

 強くはない。まるで羽毛に触れたような感触である。

 彼は万感の想いをこめて言った。


「聖女様」


 ……はい?


「――何を言ってるんだい!?

 聖女は、ここに居るユーリだよ!」

「いえ、お待ちください。

 かの猫君の呪いは、そちらのご令嬢から、アグライア様に移動する最中に解けました。

 つまり、アグライア様こそが聖女なのではないでしょうか」


 庭の隅からミストの声と、近くから黒鎧の騎士の声が響く。

 ユーリ様はミストを、アグライア様は黒鎧の騎士を。

 それぞれ戸惑いと怒りの視線で見上げて……。


「あの――どういう、訳なのですか?」

「うーん。僕にも分からないかなぁ」

「奇遇ですね。私にもなにがなんだかさっぱり」

「あはは。同じだね」


 乾いた笑いが唇から漏れる。

 この人が誰なのかとか、聖女とか、よく分からないコトだらけだけど、これだけは分かるわ。


「――鑑定遺跡に行こう!」

「そうですね。二人も三人も鑑定するのは同じことです」

「ですから! わたくしたちを放って話をすすめないでくださる!?」

「あ……私……え、と……」

 

 ――。

 間違うことなき、やっかいごとに巻き込まれている。

 にげたい。従姉殿の屋敷に行って、アズマギのお菓子を食べたい。

 涙目になる私に、元猫の彼はのほほんと笑いかけた。


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